不穏
岡田君達との強化練習を始めて早二週間。
体中に筋肉痛を抱えながら、僕は椅子に座り体を労わっていた。
「大丈夫?」
心配そうな顔で僕の様子を見に来たのは、紗枝だった。
この二週間、彼女には岡田君や恵美さんと一緒で、付きっきりで野球のノック練習に付き合ってもらっていた。二週間、岡田君の手取り足取りの指導で、以前に比べればハンドリングや打球判断が早くなったような気がする。でもそれはまだまだ、程度の知れたそんなレベル。
『お前、筋良いよ』
そう言って岡田君は僕の守備を褒めてくれるのだが、彼は基本的に優しい人だから、その言葉がどこまで信用出来るのかは、どうも怪しい気がした。
「あんたもめげないね」
紗枝は、僕の様子を見ながら、手前の席に腰を下ろしてそう言ってきた。
いつもなら練習を始めるくらいの時間なのだが、今日は昨日の練習。二週間の疲労が溜まって、体が痛くてしょうがなかった。
待たせる人はいるが、少し休んでから行かせてもらおう。
そんな気持ちで、紗枝との雑談に僕は応じるのだった。
「僕もたまにはやる気を出すさ」
「いや、別に馬鹿にしたくて言ったわけじゃないのよ?」
「わかってる」
「……とにかく、辛いだけの反復練習をずっと続けるだなんて、そんな根気あるあんたの姿を見るのは初めてだよ」
まあ、前回の時間軸では、文化祭実行委員の作業すら途中で逃げ出してしまったし、紗枝の言い分もわかる。
「そんなに成し遂げたいことがあるんだ。今度の球技大会で」
「……まあね」
「どんなこと?」
「今の僕では出来ないことに挑戦したいんだ」
「……ふうんん?」
納得したようなしないような、紗枝は首を傾げていた。
「出来ないことに挑戦、ね。なんだか本当に、あんたらしくない」
「まあ、僕も僕らしくないことを考え始めるようになったと思ったよ」
実に八年間成長出来ず虚無な人生を送った前回の時間軸。あの時に比べれば、今の僕の考えは随分と大人になったものだ。
「どうして、そんな風に考え始めたの?」
紗枝の問いに、僕は黙った。
成長をしたい。
後悔をしたくない。
そう僕が考えるようになった根底は、いつだって一人の少女が原因だった。
好感情だけではない。
彼女に幸せになって欲しい。
彼女と僕は、一緒にいるべきではない。
ある日抱いたそんな悪感情も、それは一人の少女が原因だった。
自己嫌悪も。
自己犠牲も。
敵対も。
友情も。
好きも。
僕の感情の全てにはいつも、彼女がいた。
僕と言う人間は、彼女がいるから構成されている。
薄っぺらい人間だと、いつか僕は自分のことをそう評した。
それは、遠からず近からずなんだと気付いた。
「……深い気持ちはないよ」
そして、僕は誤魔化した。
成長を望む人は少なくない。だから、それで誤魔化せると踏んだのだ。
今はまだ、この気持ちを知られたくないと思ったのだ。
その理由はどうしてか。わからない。
「深くなくてもいいから、教えて」
「嫌だ」
「いいから教えてなさいよ」
「……じゃあ」
僕は、ようやく重い腰を上げた。
「僕が、何かを成し遂げたらね」
紗枝が頬を膨らませた。
そんな回答は、そんな誤魔化しは求めていないと、その目は訴えていた。
「……今日も練習、付き合ってくれる?」
「それが、理由を聞く近道なんだ」
「そうかもしれないし。そうじゃないかもしれない」
「あんた、今日までそんな気持ちであたしに練習に付き合わせてたの?」
「ごめん」
「……良いけど」
そう言う割に、紗枝は不貞腐れた様子だった。
酷いことをした自覚はあった。でも今はまだ、打ち明けるわけにはいかないと思った。
「本当にそんな体で、今日も練習するの?」
「うん」
「たまには休んだら?」
「でも、二人を待たせてる」
「……二人なら、今日は来ないよ」
「え?」
「恵美達のクラス、文化祭の売り上げ競争でウチのクラスに負けたこと、根に持っているみたいでね。今日からクラス総出で練習だって」
「それは凄いね」
「うん。今週からは週二くらいでしか練習付き合えないって、謝ってた」
「……そっか」
「……だから。だからさ」
僕は気付いた。
真面目で友達も多く、人当りの良い紗枝が口ごもっている姿を見ながら……夕日のせいか。彼女の顔が真っ赤であることに。
「今日、一緒に帰らない?」
紗枝の口から漏れ出た申し出は……これまで何度も何度もされてきた申し出。
珍しくもなく、突飛でもない申し出。
「あたし、今日行きたい場所ある」
「どこ?」
「マック」
岡田君とよく行くファストフード店の名前が紗枝から聞かれるだなんて、滅多にないことだった。と言うか、学校帰りにどこかに誘われることが、珍しかった。
「買い食い行くあんた達を見て……実は羨ましいなって思ってた」
「たかが、買い食いで?」
「……駄目?」
赤面する紗枝に、僕は目を丸くした。
駄目か。駄目ではないか。
そんなこと、語る必要もない。
「わかった」
パーッと、紗枝の顔が晴れ渡った。
心が、掴まれた。
「じゃあ、おばさんに連絡しておくね」
「……アハハ」
先日、岡田君の前で両親に夕飯が不要であることの連絡をした時、茶化すことをしなかった彼に、僕は感激した。
しかし紗枝相手になると、最早僕の両親は彼女の肉親のようなもので……。
率先して僕の親に事情を説明してくれようとする彼女は、ただ微笑ましかった。
「お願いします」
「うん。もうメッセージ送った」
「はや」
そんなに楽しみだったのか。
たまの練習休み、僕はその機を逃すまいと、さっきまでの倦怠感はどこへやら、さっさと荷物をまとめた。
「あの二人には悪いことしちゃうね」
微笑んだ紗枝に、僕は気付いた。
……そう言えば、岡田君達の球技大会の練習とやらは、女子も行われているのだろうか。
行われているから、ここに恵美さんはいないのだろう。
……つまり恵美さん、柴田さん達と今頃練習をしているのか。
「大丈夫かな?」
「大丈夫じゃない」
僕の心を読んだのか。
即答した彼女に僕の不安は掻き消えて、代わりに紗枝に僕はただただ驚くのだった。
友達が自分より親と仲良いとか若干恐怖。
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