初恋
「なんで修也が謝るの? あんた、何も悪いことしてないじゃない。むしろ、あたしの失敗を止めてくれたのに。おかしいよ」
おかしくない。
あの時あんなことをしておいて、今更紗枝のことが好きだなんて。そんな感情を抱いていいはずないのに。
紗枝への想いは、初恋だった。
小さい頃から一緒に育ってきた幼馴染の女の子の紗枝に。
笑顔が多く誰相手でも分け隔てなく微笑みかける紗枝に。
僕は、そんな彼女に恋をした。いつからの恋だったかは覚えない。運命だなんてそんな言葉が陳腐に思えるくらい、いつの間にか……さも当然のように、僕は彼女に恋をした。
でも僕は、その恋に振り回され、失態を犯した。
あの日から、僕はその感情を忘れようと努力した。
八年燻り、あの日、紗枝から送られてきた結婚式への招待状を見て。
思えば僕はその時ようやく、紗枝への想いを断ち切れた気がする。
贖罪のために走って空回りして命を落として。
どういうわけか今、僕はここにいる。
全ての罪から解放された時間軸で、僕は今、生きている。
その間、僕は紗枝への好意を思い出すことはなかった。
……いいや違う。
あの日、タイムリープを果たして時も。
あの日、文化祭で岡田君が紗枝に告白すると知った時も。
僕は邪な感情に身を投じそうになった。
紗枝との人生をやり直す方法を考えていた。
親友の告白を前に、失敗しろと願っていた。
そんなことを思っておいて、好意を思い出していなかっただなんて、とてもじゃないが言えるはずがなかった。
僕は思っていた。
口には出せない。
考えることすらおこがましい。
わかっている。
わかっていた。
……でも、想って願って……欲していた。
紗枝に傍にいて欲しいって。
紗枝とずっと一緒にいたいって。
そう思っては、そうあるべきではないと自制して、想いをひた隠しにしてきた。
でも、思えば僕の今日までの行動は、本当に自制をすることが出来ていただろうか。
文化祭実行委員の件も、そもそも最初からキチンとトラウマに向き合ってでも当時のことを思い出すべきだったのではないだろうか。そうして、板野君と紗枝が引き合った理由を思い出し、その通りなぞった展開をするべきではなかっただろうか。
岡田君の告白の件だって、もっと紗枝と岡田君を仲良くさせてから告白の機会を与えるように取り計らった方が良かったのではないだろうか。
そして、そもそも……。
そもそも、どうして僕は紗枝に厳しい言葉の一つもかけないのだ。
社会人時代を経て、僕は知っていたはずではないか。綺麗事では全てが上手くいかないことを。人に嫌われる覚悟がなければ、自分の目論見通りに事は運ばないことを。
僕はあの時、紗枝に幸せになって欲しいと願った。
紗枝が幸せになるには、板野君や岡田君を彼女に引き合わせる必要があると思っていた。そのためには僕が最初から、彼女の傍から離れる必要があったのではないか。
傷ついて欲しくない。
悲しい顔が見たくない。
そう言い訳をして僕は、紗枝と距離をおかず接してきた。
でも、そうじゃないはずなんだ。
本当に紗枝を僕以外の人と引き合わせたいなら、どうして僕は紗枝と仲違いをしなかった。
わかっていたはずじゃないか。
散々、思っていたはずじゃないか。
僕は紗枝に相応しくない。
僕では紗枝を、幸せにできない。
そうわかっていたのに……どうして僕は、紗枝の前から消えようとしなかったんだ。
嫌われるべきだった。
徹底的に嫌われて、傷心の彼女に他の男子を引き合わせるべきだった。
そうするべきだと心ではわかっていたはずなんだ。
でも結局、僕がそれを実践することはなかった。
……それは、結局。
結局……。
「……修也はさ、優しいよね」
「え?」
「あたしが困った時はいつも助けてくれるし、辛いことにも嫌な顔を見せずに付き合ってくれる。泥だって被ってくれた。
……でも、あたしを見ていない」
胸を鷲掴みにされた気分だった。
「もっと……もっと遠くを、ずっと遠くを見ているの」
そんなことはない。
否定するべきなのか、わからない。
「……どこを見ているのか。何を思っているのか。あたし、知りたい。知りたいよ……」
教えられるはずがない。
タイムリープしたことも。
彼女と将来絶縁したことも。
いいや違う。
教えるべきなんだ。紗枝と離れるために、全て話すべきなんだ。
言え。言うんだ。
わかっていたはずじゃないか。
僕は紗枝に相応しくない。
僕では紗枝を……紗枝をっ、幸せにできないっ。
わかっているはずだろっ!!!
「でも、あたしは聞かないよ」
切羽詰まった感情が、薄らいでいくのがわかった。
微笑む紗枝を見つめることしか、僕にはもう出来なかった。
「君が話したくなるその日まで、あたしは待っている」
あの日、あんな辛い目に遭わせた紗枝にそんなことを言われ……もう、僕は駄目だった。
「だから……そんな悲しい顔、もうしないでよ」
もう、駄目だった。
認めるしかない。
どれだけ最低だと罵られようが。
どれだけクズだと後ろ指を指されようが。
もう僕は……この感情を偽れない。
「君のそんな顔を、あたしは見たくない」
紗枝には、僕は必要ない。
彼女は大人で真面目で勤勉で友達も多く、人望も厚い。
……僕とは真逆の人間。
だから、彼女に僕と言う人間は必要ない。
……でも。
告白することも出来なくて、彼女の恋人への中傷に走って。
そうして彼女と絶縁して。
僕は、八年引き摺った。
紗枝への想いを……情熱を、八年もの間引き摺ったのだ。
紗枝には、僕は必要ない。
でも……!
「僕には、紗枝が必要なんだ……」
涙を流し、僕はその場に崩れた。
嗚咽が漏れて、それ以上は何も言えなかった。
かつてのトラウマが蘇り、それ以上の言葉は告げられなかった。
独白。
告白。
どちらとも取れない、曖昧で微妙な発言。
話の流れすら読めない、唐突な発言。
「ありがとう」
紗枝は、微笑んでくれた。
……その時紗枝が見せた微笑みは、これまで僕に見せたどんな微笑みよりもお淑やかで、大人で、楽しそうで。
いつか板野君に見せていたそんな微笑みだった。
僕なんかでは一生紗枝から引き出すことが出来ないと思った、そんな微笑みだった。
河川敷。
紗枝と板野君が恋人関係であることを僕が知った場所。
あの日は、ただ傍観することしか出来なかった。
長い付き合いなのに僕が一度も引き出すことの出来なかった紗枝の微笑みを、たった数ヶ月で引き出してみせた板野君に、僕が出来ることは嫉妬だけだった。
一生、あんな風に紗枝に微笑んでもらえないと思っていた……。
でも、今……僕は。
……誰から嫌われようと。誰から憎まれようと。
もう、どうでもいいと思った。
それが誰かはわからない。
男なのか女なのか。子供なのか大人なのか。
……僕、なのか。
そんなことはもう、どうでも良かった。
紗枝の微笑みを見れれば、もうどうでも良かった。
後ろ指を指されるかもしれない。
悪魔の所業だと非難されるかもしれない。
でも。
どんな罰だって受け入れる。
どんな苦行だって、乗り越えられる。
紗枝のためなら、それが出来ると心からそう思った。
それ以上でもそれ以下でもない。
散々悩んだ結果、僕の頭の中に残った感情は、ただの一つ。
とても簡単でシンプルで、思わず笑いそうになるそんな感情だけだった。
偽らざる感情、ただ一つだった。
……僕は、紗枝のことが好きだ。
第二章完
クリスマスやり直しつつ、なんだか主人公が吹っ切れた(他人事)。
今日はここで投稿終わるとおもいます。次章何を書くか決めてないのでこれから決めます。
また、ここまでで面白いと思ってくださりましたら、評価、ブクマ、感想頂けますと幸いです。日間ジャンル別5位に落ちてた…。




