邪心
ショッピングモールからの帰り道、行きの時とは打って変わって僕達の会話は激減していた。寒空の下、電車を乗り継ぎ家の最寄り駅に。そうして、僕達は帰宅路に差し掛かっていた。
「さっきはどうして介入してきたの?」
夕暮れ時の河川敷。
先を歩む紗枝の声は、怒っている様子はなかった。単純な疑問なようだった。
さっきとはいつのことか。
恐らく、北川さんとのいざこざのことだろう。
「あたしが怒ろうとしていたの、気付いていたでしょ?」
「うん」
「別に、止めなくても良かったのに」
最初は怒りはなさそうだったが、徐々に紗枝の声色に怒気が交じり始めていた。
「……どうして、止めたのよ」
紗枝は納得がいっていないらしい。北川さんに僕が馬鹿にされたことが。
だから憤り、怒る機会を失い、更に憤っている。
「後々、後悔しただろうからさ」
「北川さんの肩を持つの?」
「違う」
語気を荒げて、僕は続けた。
「君が、後悔しただろうから」
……思い出していたのは。
『あんたの顔なんて、もう二度と見たくないっ』
何度も。
何度も、何度も……。
思い出しては胸が締め付けられる、僕の失態。僕のトラウマ。
前回の時間軸で僕は、紗枝達に愚かな行為を繰り返した。その果て、僕達は絶縁した。
僕はその絶縁を悔やみ、実に八年もの間燻った。自らの殻にこもり、虚無な人生を歩んだ。
そうやって僕が燻る間、紗枝はどうだった。
紗枝は……あれから八年後、結婚する間際だと言うのに、僕にメモ書きまで宛てた結婚式の招待状を送ってきた。
僕の愚かな行為は、彼女にも深い後悔を植え付けてしまったのだ。だからそんな行為を、彼女にさせてしまったのだ。
だから僕は……さっき、怒りそうな紗枝を止めた。
「君に怒って欲しくなかった」
淡々と、僕は告げた。
「北川さんなんかに怒って、君に心の傷を負って欲しくなかった。背負って欲しくなかった」
僕に北川さんを見下す権利などない。
でも僕は、紗枝のためなら我が物顔で悪敵を振り払う。
それがきっと、あの日失態を犯した僕がすべき行い。
時が戻ろうが。
あの時の罪の全てが流れ去ろうが。
僕が僕を許さない限り、僕はそれを止めることはないだろう。
「……何それ」
「本望だ」
「……あー、そう。もう……わかったよ」
寒空の中、紗枝は頬を染めてそっぽを向いた。不貞腐れたようなその声は、釈然としないながらもこれ以上の詰問はしないと、そう告げていた。
薄暗くなり始めた空の下、白い息を吐きながら僕はぼんやりと考えていた。
僕の今の考えは、間違っていないと断言出来た。
このタイムリープは、僕は紗枝を幸せにするために行われた行為と信じ疑っていない。
そして、紗枝の幸せのために不要な行いは全て排除する。
それが僕がタイムリープした意味。
あの日、死んだはずの僕が……もう一度人生をやり直す意味。
間違っていない。
正しい。
……そうに、違いないのに。
「……ありがとう」
照れくさそうに口を尖らせてお礼を述べる紗枝に。
僕の心の奥底から、黒い感情が湧いてきていた。
「……さっきは、最近はあたしが引っ張ることが増えた、みたいなこと言ったけど。全然。あたしこそ、あんたにおんぶにだっこ」
優しい紗枝の心に触れ、湧き上がった黒い感情。
いけない。
この感情に流されてはいけない。
あの時は。
前回の時間軸では、この邪な感情に流されて失敗した。
後悔したくないとそう願った。
そんな今、僕は自制をしないといけない。
自制しないと、いけないのに。
「ありがとう。本当、ありがとう」
微笑みお礼を述べる紗枝に、僕の気持ちはかき乱された。
思ってはいけない。
思ってはいけないのだ。
紗枝と結ばれたいなど、思っていいはずないのだ。
散々、わからされたではないか。あの日の僕の行いが、どれだけ愚かなものだったか。
嫉妬に溺れ、中傷を繰り返し、僕は自らの身を滅ぼして、そうして相手さえ傷つけて。
そんな僕が、あろうことか傷つけた相手だった紗枝と結ばれていいはず、ないじゃないか。
そんなこと思うことすらおこがましいって、とっくにわかっていたことじゃないか。
……神様は、僕にやり直しの機会を与えてくれた。
このタイムリープで、人生をやり直す機会を与えてくれた。
最早今、僕を恨む人は誰もいない。
文化祭実行委員の皆は僕を褒めてくれた。
クラスの皆も、僕の頑張りを称えてくれた。
いいやそれは違う。
ただ一人未だ……未だ、僕を恨み憎み、この身を滅ぼしたいとさえ思っている人がいる。
それは僕。
僕自身。
僕は、僕が許せない。
あの日、失態を犯しておいて。
あの日、彼女を傷つけておいて。
あの日、謝罪することすら出来ず、死んでおいて。
今更そんな虫のいい話、あっていいはずないではないか。
紗枝のことが好きだなんて。
紗枝と一緒にいたいだなんて。
そんな身勝手なこと、考えていいはずないじゃないか。
「……ごめん」
また、僕は謝罪の言葉を口にしていた。
黒い感情を黒い衝動と書いたら怒られるだろうか。
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