微笑
自罰的な感情に支配されながら物理室に行くと、そこには誰もいなかった。校庭からワイワイと声がする。窓から覗くと、意識がある頃にはなかったキャンプファイヤーが着々と準備されているところだった。
ここ数週間お世話になった椅子に腰を下ろして、天井を見上げた。防音加工が施されたいびつな穴が開いた天井は、まるで今の僕の凸凹な精神状態を投影しているような気がして、僕は乾いた笑いを浮かべた。
「今頃、岡田君は紗枝に告白をしている頃だろうか」
チクタクと時を刻む時計に視線を移して、僕は呟いた。
保健室からここに来るまで、それなりに時間を要したから、きっとそんなタイミングに違いないと思った。
呼び出し場所はどこを指定したのだろう。
いつか僕を呼び出したみたく、駐輪場だろうか。それか、やっぱり楽しそうな声が多い校庭か。いや、彼の性格なら人気に付きそうな場所は避ける気がする。
「頑張れ、岡田君」
僕は呟いた。
先ほど胸の中に占めていた悪感情は、とうの昔に消え去っていた。色々思うところはあった。邪な感情から、友情から、好意から。
でも結局導いた結論は、僕には紗枝を幸せにすることが出来ないそんなこと。
僕はあまりにも、彼女に対して失敗を重ねすぎた。
これでよかったんだろう。
岡田君が紗枝と結ばれれば……岡田君はあれで結構あまのじゃくな性格だから、時折喧嘩もするだろうけど、内心は優しい人だし、紗枝もすぐに馴染み、そうして二人は末永い幸せを手にすることが出来るはず。
適任だ。
あまりにも、適任だ。
……だから、
「これで、良かったんだろう」
僕は呟いた。
目を瞑っていた。感傷に浸りたい気分だった。
……八年。
八年、引き摺った。
紗枝と絶縁し、謝罪の機会にも恵まれず……虚無な人生を送ってきた。
どういうわけか、タイムリープを果たした。
でも今の紗枝は、あの時の絶縁状態の紗枝ではなくて。贖罪の機会は一生失われて。
結局、今僕がしてきたそれら全ては、僕の自己満足でしかなかったのかもしれない。
神様。
神様は一体、どうして僕をタイムリープさせたのですか?
謝罪も、贖罪の機会も与えてくれず。
結局わからされたのは僕の犯した過ちの重さと、そうして僕という人間の程度の低さ。
それだけ。
それだけだった。
……ああ、そうか。
これは神様の与えた罰なんだ……。
人の気持ちを踏みにじり、悲しませ……八年もの間ふさぎ込み、結果死んだ僕には……なんとも相応しい罰だ。
「ハハハ……」
乾いた笑みを、僕は浮かべた。
そんな時だった。
「いた……」
岡田君が、物理室にやってきたのは。
息を切らして、額に汗を掻いて。とても季節が冬だと思えない様子で、岡田君は教室に入ってきた。
「相棒」
気後れする僕に、岡田君は微笑んだ。
その微笑みが意味することは。
そんなこと最早、考えることもおこがましい。
おめでとう。
末永く幸せに。
ありきたりで常套な言葉が、脳裏を過った。
「振られた」
そんな僕に、岡田君は微笑んで結果報告をしてくれた。
喜ばしい結果報告を……ん?
「え?」
「振られた」
岡田君は、微笑んでもう一度言った。
「振られた。小日向さんに振られたよ、俺」
アハハ、と笑う岡田君に、僕は言葉を発することは出来なかった。
「いやー、瞬殺だった。これでもかって瞬殺だったよ。アハハッ!」
「……気でも触れたか?」
「まさか」
「じゃあ、らりっているのか。はたまた宗教に嵌ったか」
「お前、ろくでもないこと言い出すな」
「だって、おかしいだろ。振られたんだろ?」
「おう。振られたよ」
「だったらなんで笑ってられるんだよ。普通、悲しむだろ。振られたんだろ?」
「……振られたよ」
でも、と岡田君は続けた。
「でも、後悔はしなかった」
それは、いつか岡田君が言った……紗枝に告白する理由。
好きを燻らせた結果、彼は後悔をした。だから彼は、同じ過ちを繰り返さないように紗枝に告白をした。
結果、その想いが実ることはなかった。
でも彼は笑える。
後悔がなかったから、笑うことが出来る。
気付けば僕は、比較していた。
僕と岡田君を、比較していた。
どんな結末を迎えようと告白する勇気を持ち、後悔をしなかった彼とそうして僕。
彼に比べて、僕はどうだ。
八年燻らせた想いをそのままに、こうして今もまた……また、同じ過ちを繰り返そうとしているのではないだろうか。
……いや、でも。
「……本当はさ、ちょっと悲しい気持ちもある。一世一代の告白が失敗したんだから、そりゃ凹む気持ちもある」
岡田君は俯いていた。
「でもさ、俺は笑うよ」
でも、すぐ、微笑んだ。
「……だってさ」
……そして。
「俺が振られたって落ち込めば、お前も一緒に落ち込んじまうだろ?」
岡田君が、僕の心を揺さぶった。
『俺が振られても、お前が慰めてくれるだろ?』
この前はそんなことを言っていた。
なのに岡田君は今……僕のために微笑んでくれている。
一緒に色々画策してきた。紗枝への告白のため、僕は岡田君への協力を惜しまなかった。
でも……最後の最後に僕は。
僕は、彼を裏切るかもしれなかった……!
なのに彼は、僕のために微笑んでくれる……!
僕を落ち込ませないようにと、微笑んでくれている……!
「……俺達が作った正門が、そろそろ壊されるぜ」
昨晩名残惜しい気持ちで見上げた正門が、壊される。
僕達の努力の結晶が、壊される。
岡田君は、今どんな気持ちでそれを眺めているのか。
きっと、後悔はないんだろう。
彼は後悔しないように生きているから。
過去を振り返らずに生きれるように、直面することに対していつも最善を尽くすから……後悔せずに生きていける。
「行けよ、修也」
彼の声が、響いた。
「キャンプファイヤー、今なら小日向さん、踊る相手いないだろうから」
後悔しない彼の言葉が、僕に響いた。
「……後悔するなよ、修也」
気付けば、僕は駆け出していた。
彼に押され。
彼に気付かされ。
僕は、廊下を駆け出した。
あの時、こんなことは出来なかった。
前回の時間軸、僕がしたことは……誰かの足を引っ張ることだけだった。根暗で陰険で、情けない僕のすることは、結果皆から非難された。
僕は未だ、あの日のことを後悔している。
でも僕は、もうあの日の贖罪をする術はない。
だから僕は神を憎んだ。
でも、そうじゃない。
神は……神様は。
僕に、やり直しの機会を与えてくれたんじゃないだろうか。
僕の失態を全て水に流し、僕の失態がない時間まで戻してくれて。
最早今、僕を恨む人は誰もいない。
文化祭実行委員の皆は僕を褒めてくれた。
クラスの皆も、僕の頑張りを称えてくれた。
そして、
『あんたの顔なんて、もう二度と見たくないっ』
あの日の紗枝は……もういない。
じゃあ今、僕は一体、誰に許されていない?
それは僕自身。
僕は僕が許せない。
あの日、あんな失態をしておいて。
あの日、紗枝を傷つけておいて。
あの日……謝罪もせずに死んでおいて。
……許せるはず、ないじゃないか。
許せるはずないじゃないかっ!
僕は僕を許さない。
でも僕は……僕はもう、後悔をしたくない。
岡田君のように、後悔しない人生を歩みたいんだ。
……十字架は背負って生きていく。
……だから。
だからせめて、同じ過ちは繰り返したくないんだ……。
『過去を振り返るなってことを言いたいんじゃないかな』
そして、昨日紗枝が言ったように……。
僕は、過去を振り返らずに済む後悔のない人生を歩みたい。
校庭に辿り着くと丁度、キャンプファイヤーに火が灯り、生徒の口から歓声が沸き上がった。
まもなく、僕は見つけた。
「紗枝っ」
「修也?」
「……紗枝」
目からは、涙が溢れていた。
言葉を告げる前から、僕の想いはもう……。
「僕と一緒に、踊ってくれませんか?」
ワナワナ震える口元で、僕は紗枝に手を差し伸べた。
しばらく、紗枝は困惑した様子だった。
……でも。
「ヤ」
微笑んで、そう言った。
「ちゃんとエスコートしてくれないとヤ」
そして、僕に歩み寄り、ハンカチで涙を拭ってくれた。
「うん。これなら良いよ」
そして、紗枝は僕の手を引いた。
「さ、行こ?」
昔はよく握られたはずの手。
でも、気付けば握られる機会は無くなり、僕の隣にすら彼女はいなくなった。
そんな彼女と、僕はまた走り出す。
そのことがこんなに嬉しいだなんて。
僕は、涙を堪えて紗枝と二人、ダンスを踊った。
一章完。
無事文化祭をやり直す。
そして影が薄い板野君。
ここまでで面白いと思ってくださりましたら、評価、ブクマ、感想頂けますと幸いです。




