T-13 女飛脚と切腹侍 東海道五十三次幽状伝
一幽一魂。
死人が白骨となり蘇る幽鬼は、生者を一人亡き者とする事で初めて成仏できる。
幽鬼発生から十年。この災厄は全国に広がり、人々は結界に守られた関所の中で暮らしていた。
関所間の往来は禁じられ、各国間の郵便・小包は、韋駄天方術を操る飛脚に委ねられている。
女飛脚の蘭丸は、御状箱を京に運ぶ際、幽鬼に襲われ兄が犠牲となってしまう。
幽鬼となった兄に自らの首を差し出そうとするも、髷を切られた浪人・山南が現れ、兄幽鬼に相対する。
「いざ、腹を切って手打ちと致す!」
「え?」
東海道五十三次の宿場では、人々が幽鬼に怯え困窮している。二人は人助けや路銀稼ぎをしながら京へと急ぐ。
幽鬼と、山南の秘密に迫る、御状箱を揺らしながら。
気弱な女飛脚と何かとハラキリがちな侍が、共に京を目指し東海道を旅する、和風ファンタジック・ロードムービー!
死神の鎌が打ち下ろされ、兄菊丸の首がごろんと地面を転がった。
私は恐怖のあまり尻餅を付いてしまう。それでも肩に掛けた天秤棒、その先端に括りつけた御状箱を放り出さなかったのは、染みついた飛脚修行の賜物か。
「あ、あ、あに……兄者っ!」
どもる私に目もくれず、髑髏顔の幽鬼は満悦の笑みを浮かべる。使命を果たした骸骨は、霞となって消えてしまった。
一幽一魂。
死人が白骨となり蘇る幽鬼は、生者を一人亡き者とする事で初めて成仏できる。幽鬼発生から十年、この厄災は日本各地に広がり、未だ病か呪いかも定かではない。
なにせ幽鬼は、言葉は発せず触れる事もできず。唯一現世と干渉し得る死神の鎌を振るい、首を刎ねたら消え失せる。これでは医者も調べようがない。
更に――、
兄者の身体から、みるみる皮、肉、内臓が腐り落ち、腕の骨が一部変化し鎌となる。すっかり骸骨姿となった兄者は起き上がると、自ら髑髏を拾って首に乗せ、くっつき具合を確かめるように大きく振った。
――幽鬼に狩られた者は、新たな幽鬼となり人を襲う。怨霊の無理心中は終わらない。
「兄者……私、蘭丸だよ? わ、分からない?」
「ぐふぅ……ふふしゅるう」
涙声で訴えかけるも、兄者だった幽鬼は獣のように唸るだけ。腰砕けの女飛脚が長年伴走した妹とも見分けられず、死神の鎌を振り上げる。
私は咄嗟に印を組もうとするが……ダメだ。手が震えて上手くいかない。
方術は幽鬼を滅却する唯一の手段。でも……術を上手く編めたとしても、兄者相手に放てるわけもない。
もう、いいんじゃないかな。
私の首を刎ねれば兄者は成仏できる。代わりに私が幽鬼となるが、ここは幸い東海道五十三次二番過ぎ。品川宿場を出てすぐの表街道。
結界に守られた関所を出たばかりの方術士は、気力体力満ちている。女飛脚の細骨なぞ、跡形もなく吹き飛ばしてくれるだろう。
方術で滅却された幽鬼は地獄に堕ちると聞くが、そんなもの眉唾話。たとえ真実だとしても、兄者は極楽行きなのだからそれもまたよし。
私は両手をぶらりと下げ、幽鬼を見上げた。
ああ、穿たれた二つ穴でしかない目元すら、兄者の面影が見てとれる。寡黙な兄は諺通り、口ほどに物言う目の人だった。
兄妹二人で過ごした十七年間が、ぐるぐる頭を駆け巡る。
方術士だった両親を早くに喪くし遠縁の親戚に身を寄せたが、兄妹揃って飛脚問屋に売り飛ばされた。幽鬼が跋扈する東海道を走るには、方術の心得が必須だったから。
術さえ使えれば女でも飛脚になれたが、実際は男ばかりだった。さもありなん。飛脚衣装は胸の膨らみも一目で分かる腹掛け一つ、下は裾をまくった生足姿。町を走れば破廉恥飛脚と囃し立てられ、色欲に狂った男に追い駆けられる事もしばしば。洒落た重ね着の手代の娘を見て羨ましく思うも、方術使いが飛脚を辞める理由が恥ずかしいなんて、生来気弱な私は言い出せなかった。
二人一組が基本の飛脚で、好んで女と組む者はいない。結果私は兄者と組む事になり、飛脚修行で覚えた韋駄天方術で全国各地を駆け巡った。
幽鬼を振り切る韋駄天方術は長時間の集中力が必要で、脇見居眠り私語厳禁。それでも兄者は、美しい風景を見ては立ち止まった。休憩がてら、絶景をおかずに頬張る握り飯は格別だった。私がおかしな事を言って兄者が笑うと、家族旅行にでも来た気分になれた。
銭も美食も洒落っ気も無縁の日々だったけど、兄妹飛脚は私の生き甲斐。その生き甲斐をくれた兄者になら、私の首なぞ喜んで差し出そう。
死神の鎌が天高く振りかざされ、固く目を瞑ったその時。
「あいや待たれい、そこの幽鬼」
聞き覚えない声に恐る恐る目を開けると、兄幽鬼の背後にお侍さんが立っていた。
いや、侍というにはあまりにみすぼらしく……髷は切られ総髪は左右に垂れさがり、顔色もすこぶる悪い。白無地小袖に武者袴の割に帯刀なく……賊に襲われた浪人か?
「察するに、その女飛脚はお主の妹。怨霊に身をやつしたとはいえ、家族を手にかけてはならん」
「ぐるるぅ」
浪人は素早い動きで私達の間に割って入り、幽鬼に対峙した。
しかしこの男、方術士でもなければ刀もない。不話不可触の幽鬼相手では首を落とされるだけだ。
「あの、お侍さん」
「なんだ」
「お助け頂き感謝したいところですが……私は兄を成仏させたいのです。どうか見逃してはもらえませんでしょうか」
「見逃せば、お前が幽鬼となるだけだぞ」
「構いません。もしお助け頂けるのでしたら、落ちた首をすぐに埋めて下さい。幽鬼となった私は頭を探して彷徨い、いずれ他の方術士に滅却させられるでしょう」
それでいい。それなら私も人様の命を奪う事はない。
「それではお前が成仏できなくなるぞ!」
「その幽鬼は、私のたった一人の家族なのです! 兄者が極楽に行けるなら、現世も来世も未練はございません」
「ならばなぜおまえは、箱を担いだままなのだ?」
言われてハッと気が付いた。
この期に及んで私は、天秤棒を肩に掛け、その先端に御状箱を揺らしている事に。
「京に着くまで、飛脚は御状箱を放りだすわけには参りません」
「それはお前の、未練ではないのか?」
修行中、口酸っぱく言われた飛脚の心得を思い出す。
預かった荷は、命を賭して届けるべし。故に飛脚は二人一組となり、一人が走れずとも見捨てもう一人が届けきる。
私は幽鬼を仰ぎ見た。ぽっかり空いた二つ穴が、雄弁に語りかけてくる。
――お蘭よ、御状箱を京都守護職・松平容保様に……幕府の密書を届けるのだ!
「ぐふるるぅ!」
突然、幽鬼は鎌を振り下ろした。危ないと思った瞬間、浪人は懐から短刀を取り出し鎌を跳ね除ける。
キィィンと甲高い剣戟の音が響き、刹那、ひっきりなしだったひぐらしの鳴き声がピタリと止まった。
いや、虫の音だけではない。風も、川も……頬照らす夕陽の熱さえも。凍り付いたように世界が止まる。
「ならば山南敬助、腹を切って手打ちといたそう」
「え?」
山南と名乗った浪人は、膝を折り正座した。それだけで背筋も凍る緊張感が場を支配し、私と幽鬼は金縛りにあったように動けなくなる。
夢かうつつか分からぬ事態に困惑するも、山南だけは平然と切腹の準備を進めていく。
右から肌脱ぎとなり、大きな和紙を取り出し短刀を包むように折り曲げる。左手で腹を押し撫で狙いを定めると、顔を上げた。
「いざ」
必死の形相と荒い呼吸、身体中から吹きだす尋常ならざる汗。
私は事ここに至って、この男は本気だと確信した。
「ま、待ってください! 幽鬼相手に腹を切っても……」
「まいるっ!!」
叫ぶや否や、山南は手にした短刀を左の腹に突き刺した。勢いよく鮮血が飛び散り純白の小袖が朱に染まる。
夥しい出血にも構わず、山南は短刀を腹の右へと引きまわす。全身の筋肉を硬直させ激痛に顔を歪め、自らの腹を真一文字に切り裂いた。
意識朦朧、昏倒寸前の山南は、最後の力を振り絞り目の前の幽鬼を仰ぐ。
「介錯、を」
刹那、死神の鎌が振り下ろされ山南の首が落ちた。身体はうつ伏せとなり事切れる。
壮絶な死に様に、幽鬼は満足というより困惑した様子で消えていく。一人残された私は、首を失くした浪人を呆然と見つめるしかなかった。
山南敬助という男は、自殺志願者だったのか……それにしても、なぜ切腹なんて。
いや、今は思案に耽る時ではない。髑髏の両目に飛脚の矜持を思い出した今、拾った命を無駄にはできない。
転がる山南の首を拾い上げ、どこかに埋めねばと辺りを窺っていると――。
「こら、あまり振るな。目が回る」
「ひゃあああっ!」
私は反射的に、山南の首を放り投げてしまう。地面を転がった生首は「いてて」としかめっ面で呻いた。
「さ……山南さん!? 生きてるんですか?」
「俺は最初から生きちゃいねえ。無実の罪で切腹した、所謂地縛霊ってやつだ」
「幽霊なのに、どうして触れるんですか!」
「俺は今生に未練たらたらだからかな……お前、名前は?」
「ら、蘭丸です」
「いいか蘭丸。助けてやった礼に、俺も京都に連れていけ」
「どどど、どうしてです!?」
「いいか。自害した人間ってのはその死に方を一生繰り返す地獄に落ちる。俺は地縛霊になったおかげで地獄に落ちずに済んだが、ここで切腹地獄は変わらねえ。お前、京に荷を運ぶんだよな? 俺を切腹に追いこんだ男も京にいる。そいつに騙されて腹を切ったと証明できれば俺は自害した事にならん。切腹地獄から抜け出せる」
「地縛霊なのに、ここを離れられるんです?」
「だからお前の助けが必要なんだ、方術飛脚。韋駄天方術は幽鬼も追いつけねえと聞く。それなら地縛も振りきれるが道理。首と身体が離れてる今が好機、俺の頭を持って一気に京まで駆け抜けろ!」
「は、はいっ!」
私は方術を使い、一目散に駆けだした。棒の先に御状箱を揺らし、生首を小脇に抱えて。
少し引っ張られる感覚があったが、構わず振り切り駆け抜ける。すると山南の首から身体が生え、一緒に走り出した。
「いやったぜええ! 地縛を抜けた!」
「あの……山南さん?」
「なんだ?」
「もう少し速く走ってもらわないと、幽鬼に追いつかれてしまいます」
「なにぃ? しょうがねえなあ」
山南はその場に正座すると、懐から短刀を取り出した。
「そこの幽鬼! 介錯を頼み申す」
「京に着くまで、何回切腹する気なんですか!」





