第9話 反旗
【救世の契り】本部〈巣窟〉地下7階。
この階層は丸々クシナに与えられているが、今までほとんど使ってこなかったらしい。
なにせいつも俺の家にいるので……。
当然たいした手入れがされているわけでもなく、階層中央にはまあまあの広さの空間が広がっていた。
ちょうど、軽く動き回るにはもってこいの場所。
「───シッ!」
俺が床を蹴ると、慣性を失った体がかき消えるように飛ぶ。
《分離》によって重さを失うのは一瞬。
加速度はそのままに質量が戻るため、着地が難しいどころの話じゃない。
しかし俺の目には視えている。
俺の足と地面が触れる瞬間が。
《分離》し、停止。
進行方向から直角に切り返す。
切り返した先で再び《分離》し、全力で地を蹴った。
ジグザグな高速移動。
一連の流れによって回り込んだのは──クシナの背後。
「────」
手に持った鉄の棒を躊躇なく振る。
その最中、クシナと目が合った。
肩越しに軽く振り向いた彼女の目は、俺をしかと捉えている。
クシナが最短経路でこちらに手を伸ばした。
鉄棒が彼女に届くよりも早く、掌握される。
──と、思った時には俺の体が空中で一回転していた。
「っ!?」
クシナの動きは視えていた。
鉄の棒を掴んで、軽く捻っただけだ。
それだけだったはずなのに何故か俺の方が宙を舞い、落下。
背中から地面に激突する。
「はい、ここまで」
「げほっ……けほ」
かろうじて身を起こすと、クシナが背をさすってくれる。
俺は代償の解消のため、彼女を抱きしめた。
「ごめん、よろしく……」
「はいはい」
その間も背中をさすってくれていたクシナだったが、落ち着いてきた頃、彼女は言った。
「天稟を使って立ち回るのには随分慣れたわね」
「……どうせ格闘はからっきしですよー」
「そんなこと言ってないでしょ、もう」
しかたないなぁと笑うクシナ。
「まともに戦いを学び始めて2週間程度しか経ってない人に幹部が負けたら大変でしょ」
「……まあ」
信用していたからこそ、本気で殴り掛かったわけだしね。
余談だが、俺の得物が鉄の棒なのもクシナの言いつけによる。
初めはカッコよく剣を持とうとしていたのだが、「素人には文字通り無用の長物よ」と言われて断念した。
当面、俺の武器は何の変哲もない只の棒である……。
俺が不貞腐れ、クシナが苦笑していた、その時。
「すごいですね。まるで二人きりの世界ですよ」
掠れ声が響いた。
この場にいる、もう一人のものである。
彼女は、この殺風景な空間の壁際に静かに腰掛けていた。
その純白の衣装や長髪によって、黒い背景から浮き上がるようだ。
「わたくし、影が薄いのでしょうか。──盟主なのに」
ぱちりと瞬いた黒真珠の瞳が、抱き合う俺たちを捉える。
クシナは恥ずかしそうに離れるが、俺は盟主〈不死鳥〉から目を離せない。
抜けるように白い肌と、聖衣のような真白の装束。
ホルターネックかつチャイナドレスのように深いスリットとかなりの露出だが、不思議と情欲を煽らない。
どういう理屈だかは分からないが、きっと彼女の持つ神聖な雰囲気がそう言った俗っぽい感情を失わせているのだろう。
俺が注目していたのは彼女の格好ではなく、その横。
壁に立てかけられた、旗である。
2メートルほどの長さを誇るそれは、持ち主に呼応するように白かった。
何より、その先端は槍の穂先のように刃がついている。
「──お察しの通り、これがわたくしの武器ですよ」
俺があんまりにも分かりやすく見ていたものだから、彼女は微笑んで教えてくれた。
感嘆と共に見ていると、クシナが揶揄うように言った。
「鉄の棒のランクアップ先、見つかったわね」
♦︎♢♦︎♢♦︎
「別にわたくしは自らの得物を自慢しにきたわけではないのです」
次の任務のことですよ、と言って〈不死鳥〉が切り出したのは、
「そもそも我ら【救世の契り】の目的は『弱者の救済』です」
「…………」
悪の組織の核心だった。
弱者救済。
それは反体制派の人々に体よく使われる標榜の一つ。
この世界にも反体制組織はいくつかあるが、最も大きく最も人々に恐れられる【救世の契り】の標榜も凡百のそれと変わらない。
「──正直、俺はそれを信用してません」
「…………」
俺の言葉に、盟主が押し黙る。
その黒瞳が不気味に光った気がした。
俺の脳裏にあるのは、【救世の契り】の構成員が暴れ回る様子。
〈剛鬼〉は命令違反の暴力者だったらしいが、それを差し引いても構成員たちが色々な場所で問題を起こしているのは知っている。
直接、その現場に出会したことも何度もある。
「あんな風に市民を巻き込んでおいて、それが──」
「──必要なんですよ」
「………っ」
こちらを遮る掠れ声の主は、最初からずっと変わらぬ微笑みを湛えている。
「犠牲になった方は気の毒だとは思います。わたくしも胸が痛みます。彼らのご冥福を祈っています」
胸の前で両手を組み合わせる盟主。
それは、まるで絵画に描かれる聖女のように。
「けれど、その程度、些事にすぎない」
黒々とした瞳が、俺を絡めとるように離さない。
「少なくとも、わたくしたちにとっては、そう」
瞬き一つしないその眦から、つう……と二筋の涙が溢れた。
「あら」
彼女は首を傾げ、頬に繊手を這わせる。
きょとんとして濡れた己の手を見てから、俺に視線を寄越す。
「あなた、なんだか不思議ね」
「…………」
こちらの台詞だと言いたいところを抑えていると、〈不死鳥〉は俺の斜め後ろに立っているクシナへ視線を滑らせた。
「クシナ。あなた、何も言っていないのですか?」
「──聞いてないですよ」
クシナが口を開くより先に、今度は俺が口を挟む。
「『言わなくていい』と俺が言いましたから」
それは昔、クシナが前・第三席だった義母の跡を継いだ時に、俺が言った言葉だった。
そしてその時、彼女も『できる限り誰も殺さない』と自身に誓い、第三席を継いだ。
「…………」
幼馴染は黙り込んだまま。
盟主はそれに踏み込む気はないのか、あっさりと「そうですか」と言って壁に背を預けた。
そして後ろで手を組む。
「であれば、クシナが信じるわたくしのことも信じてほしい」
そのまま上体を倒すと、俺を下から見上げるようにして人懐こい笑みを浮かべた。
「ね?」
「…………」
何か変えがたい目的があって〈不死鳥〉、ひいては【救世の契り】が行動していることは察せられた。
ただの愉快犯にクシナが手を貸すとは元から思っていないし……確認はしたいことはできた。
「……とりあえず、今は納得しておきます」
盟主はやはり人懐こい笑顔を浮かべて、満足そうに頷いた。
それから、ハッとして身を起こした。
「──って、そうではありません。本題はこのあとです……!」
豊かな胸を張って、腕を組む。
……この人、思ってたより感情豊かだな。
「我らの目的を叶えるためには、必要不可欠な”鍵”があるのです」
「鍵?」
「そう」
そして彼女は腕を組んだまま、自分の横に立てかけられたソレを指差した。
「この『旗』と同じものが第十支部にあるかどうか、それを探ってきてください」
第二章本編『第十支部潜入任務』、次回より開始です




