獣王戦闘 終
さて。
ここから重要なのは、俺の意図を悟らせずに相手を動き方を徹底的に支配することだ。
本来からして主義主張の異なる相手であり、今となっては理性も多くが溶けてしまっている存在だが、決して不可能なことではないのだ。
演技をする時とやり方は似ている。敵がどう考えるのか。それを把握するだけでしかない。
………ようは人間心理を理解するということだが、如何せん思考回路の凝り固まった人間ほど、そういうことは出来ないものだ。共感性ともいうが、まあそれはどうでもいい。
もちろん、思考制御だけではなく技術の付随も必須だが、この程度ならば今の俺でも十分にできる。
「衛利。まっすぐ走れ」
「は~い!」
俺の言葉が聞こえるか否か、強烈な音を立てて衛利が飛び出す。堅牢な薬品によって加工された床を小さく、そして深く抉りながら飛び出したその速度は今日の最高の速度だろう。
無論、速ければ威力は大きくなる。
最速の一撃は獣ですら無視できない決定的な威力となって突き進み、獣の胸骨を蹴った。
「………ガ、グゥ………?!」
「打撃は外皮では防ぎきれませんよ?」
それについては先ほど説明したので割愛。獣に対してわかりやすく言ってやっているだけだしな。
要は無駄な親切心と、少々の嘲りだ。
その進化の方向は間違っていたぞ、というだけの、他愛もない一言である。
「それにしても、あり得ない威力だな」
俺も俺で行動を始めていたので柱の影から見ているのだが、衛利の一撃は自傷行為によって身体強度を上げている獣の胸骨を関係あるかとばかりに砕き、大きく窪ませている。
心臓部を直接摘出でもしない限り獣は再生してしまうだろうが、それでも痛いものは痛い筈である。
吐血すると、血と一緒に猛毒を付近に撒き散らし始めた獣。しかし衛利はそんなものに当たるかとばかりに笑い、周囲を縦横無尽に駆け回っていた。
あれほど獣の目を引き付けられるならば、俺も少し大胆に動いても問題なさそうだ。
不用意に動きを制限して、仕掛けを見抜くような進化をされるのは困ると思い、確実な方法を選んだがより正しい手順が見つかったのは僥倖だ。
「………ふむ」
柱をぐるりと一周したあと、その柱を駆けあがり、別の柱へ飛び移る。
手をかけ、支点にすると再び回転。そのまま足音一つ立てずに地面に着地。衛利ほどではないが加速すると獣の視界、認知領域の外を動き続けた。
「ゥゥゥアアアアアアア!!!!!!」
「はははは!!!」
踊るのは黒髪の少女。
異形の人形となった獣の攻撃全てを一瞬で見切り、避けていく様は悍ましさと共に美しさも感じるだろう。
次々に戦闘用に身体を変化させていく獣と、さらにその変化の予兆を認識する衛利。
体格では、単純な力では獣は衛利に勝っている筈だ。今こうして現実の光景として現れているように、怪物が少女にいなされ、少女は笑ったままいとも容易く怪物の怪物たる所以である異常と異形を気にもせずに圧倒しているという様子の方がおかしい。
当然、普通に考えればというだけの話だが。
「所詮は、研究者だ」
仕掛けを設置しながら思わずそう言葉を漏らす。
研究者を馬鹿にしているわけではない。単純に、そう………単純に、積み重ねたものが違う。種類としての意味でな。
衛利は祖母の隊商の護衛役として幼少期から忍者としての教育を受けていた。
それは肉体と精神をどちらもすり減らしたであろう地獄の訓練が根底にあるということ。戦うための技術を、細い体の中に詰め込んだということだ。
対して獣は、薬品で身体能力のみ手に入れただけのまがい物だ。いや、違うか。
いい道具の使い方が分からない、機械音痴の人間のようなものである。いい性能をしていても使い方が分からない。当然だ、あの男に戦の技術など備わっているものか。
あれはどこまで行っても、一介の研究者。それ以上でもない、それ以外でもない。
「次は膝を割りましょう。その次は顎がいいですか?首に巻かれてる手が邪魔ですが、それをなくしてくれればすぐに首も切れますよ♪」
「バかに!!!!スルナアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
「よっとと」
獣に積み重ねられていく、再生しても消えない肌の下の内出血の痕。
一撃が重い衛利の殴りや蹴りによって、着々と獣の思考能力は削られていた。
命令通りだ衛利、いい仕事をしてくれて大いに結構。
決定打は敷き詰めている。言葉や信念を語るほど、俺たちは今回の敵と心を通じ合わせるつもりもない。
空虚な理想を信じ、破滅へと進んだ人間に何が言えるものか。
ナイフをそっと引き抜き、タイミングを待つ。ナイフとは反対の指にかかる強い感触を確かめると、跳躍。
柱を蹴り、天井まで到達すると逆さまの状態で、硬質な感触を足裏に返してくる天井を蹴る。
衛利の動きの模倣だ。瞬間加速するならこちらの方が良い………さて、獣の目には俺が急に天井から強襲してきたように見えるだろうが、これは恐らく対応される。
というより、対応されなければ困る。この程度で死ぬならば、俺がここまで努力した罠の配置の労力が無駄になってしまうからな。
衛利の徒手空拳を耐え続けていた獣が、蛇の瞳で俺を見上げる。本来の蛇のピット器官は眼球に備わっているものではないのだが、獣の進化は目に全て含めてしまうことを選択したようだ。再生が前提なら肉体に取り付けられる外部器官を減らすということは理解も出来る。
まあ、どうでもいい事だが。
「ミエてイル、ゾ、馬鹿ガアアアアアアア!!!!!!!!」
「知っている」
複腕が持ち上がり、空中から身を投げた俺を迎撃するべく手を広げた。
掴んで引きちぎるつもりだろう。
「足を払え、衛利!」
「了解しました!!」
俺の言葉に反応した衛利が身体を地面すれすれまで沈める。
先と同じ突撃―――爆発的加速。複腕の幾つかを上にあげ、体勢を崩していた獣はそれに反応することが出来ず、衛利の蹴りが獣の脛、俗にいう弁慶の泣き所を打ち抜いた。
鈍い音と、骨が砕ける音がする。
「あは、ちょっと硬いですが大した問題じゃありませんね………ハシン!」
たまらず膝をついた獣の首に巻き付いた腕。リーチの短いナイフでは一撃だけではこの硬質の腕の中にある首を両断することはできないため、今はまだそこは狙わない。
俺が狙っているのは、他の背などから生えている複腕だ。
「ッ!」
息を吐くタイミングで重力を味方にし、ナイフで腕を絶つ。
回転しながら獣の頭から足まで通り抜けると、背後に着地。身体を反転させ、獣から距離を取ると、俺の視界に移る獣の背中の前に幾つかの腕が落下していった。
「………ガ、ぁあああ!?!!!??」
「思ったよりも腕の動きが鈍いな」
複腕にした結果、腕一つ一つの操作精度が落ちたか。人間の脳では二本の手が限界だという話をどこかで聞いたことがあるが、薬品により超常進化した獣であってもその法則からの完全な逸脱は難しいらしい。
「コ、の………餓鬼、が………」
「どうした。息が上がっているぞ」
「黙、れ!!ダマれダマレェェェェ!!!!!」
血が滴る獣がこちらに振り替えると、まだ再生も終わっていない身体のままクラウチングスタートのような姿勢を取る。
「潰ス―――潰シテ削ッテ壊シテ………コロス―――ゥ、フッ………アア………!!!」
何事か喚いている獣はどうでもいい。その背後に視線をずらすと、衛利に合図を送った。
悟られないよう静かに移動を開始した衛利が何本かの柱の奥を経由して移動すると、それに伴い俺の視界の中で微かに銀色に光る何かが地面から持ち上がる。
それは獣を取り囲み、また俺と獣の間にも存在していた。
………ピット器官という形で一度目を進化させた獣は、それに気が付かない。視力そのものは暗所でも十全に活動可能な俺たち暗殺業に携わるものに劣るためだ。
「フゥ………フッ―――終ワリ、ダ………コノ、距離デ、オレは貴様を、ニガサナイ………必ズ、潰ス!!!」
「ああ。やってみろ。無理だと思うが」
「―――ソノ目、気ニ入ラナイ………馬鹿ニ、スルナッッッ!!オレを、下ニ、見ルナァァァァァァァァァァァァァ!!!」
………ああ、まったくもって下らない。お前の行動理念に俺は興味がない。
地面を砕きながら、獣が進む。俺はナイフを仕舞い、素手を身体の前に出した。中国拳法や或いは合気術に近い力の流れを操作する武術の構えだ。
「シ、ネ………死ネェッッッッエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!! エ?」
最期の声は、そんなものだった。
小さな疑問符が浮かんだ瞬間に―――ぶつりと、獣の首から上が空中に取り残され、支配器官を喪い感性で飛んで行った身体は俺の合気柔術によって地面に叩きつけられ、動きを止めた。
一瞬の停滞の後、獣の首が身体と同じように地面に落下して、血が飛び散る。………呆気なく。これで、幕が引かれた。




