毒蛇弟子
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小さな破裂音が響き、臭いを伴った煙が舞い上がる。
「師匠、我々の仕事はこれだけでいいのでしょうか。内部へと入った”長老たち”二人を援護するべきなのでは」
「驕るな未熟者。達人同士の戦いにてお前が参入する余地はない」
最初に問いかけたのは、丸い丸薬を放り投げる、半分の蛇の仮面を付けた少年。
そしてそれに叱責を以って答えたのは、完全なる蛇の髑髏面を付けた”長老たち”の一人、”毒蛇”であった。
「”長老たち”とはそこまで戦闘能力に優れているのですか?師匠もその席に名を連ねている、というのは知っていますが」
「今のお前では”無芸”と数度すら打ち合うことは出来ぬ。特にあやつは単純な戦闘に於いては最高峰の力を持つゆえな。”神拳”と同等よ」
「身体能力を最大限にまで高めた戦闘特化の”長老たち”と、同等……」
「”百面”もまた、対多数の戦いに於いては無敗を誇る。毒も道具も使わずにそれを為して見せる」
少年の喉がごくりと唾を飲み込んだ。
……このキャラバンサライに詰めている兵士、それらは皆名も亡き雑兵などではない。
戦争を経験したものが多く、そしてその経験がなくても身に刻んだ修練によってその戦力を最大限にまで高めたものがほとんどだ。
文官など争いに向いていないものもいるにはいるが、それとて人殺しの技術を磨いた暗殺者ですら正面から相対すれば仕留めるのが面倒な程には高い戦闘能力を持っている。
少なくとも所持可能な数に限度のある道具を都度利用してしまうほどには。
簡単になます切りにするなど、普通では不可能な筈なのだ。
―――少なくとも、この目の前に佇む我が師匠ならばそれができるという事もまた、理解はしているのだが。
「そこに届くまで、一体幾年かかるのか……ッ?!」
「未熟者、思考に気を取られるでない」
少年の首根っこをひっつかみ、後方へと移動させる”毒蛇”。
今少年がいた場所には、煙を吹き飛ばさんと射掛けられた弓矢が深々と地面に突き刺さっていた。
……キャラバンサライ外部の兵だ。
大部分の警備兵などは外の陽動、妨害部隊によって投入を防いだようだが、キャラバンサライ近辺にもとより詰める兵士たちにまではその効力は及ばない。
”毒蛇”たちがこのキャラバンサライの入り口にて待機し、退路を確保し続けているのはそれ故であり、内部へと侵入した”長老たち”が後顧の憂いなく戦えるのは”毒蛇”という熟年の暗殺者が門番として君臨しているからこそであった。
まだ暗殺者としては年若く、経験の少ない少年にはまだ分からないことであったが。
「くッ!弓兵なんぞが……!」
「―――ふむ」
「師匠?」
弟子を貫こうとした弓を見て何事かを考え始めた”毒蛇”は、その仮面の奥にて小さく、眉をひそめたようであった。
「ヴァナンよ、この矢を見てどう思うか」
弟子を本名で呼んだ老年の暗殺者は、矢に対しての感想を求める。
……枯れ枝のような指が指すのは、今まさに空中にて在り、門番たる暗殺者たちを射抜こうとする弓の矢。
それを完璧なタイミングと距離感にて寸前で回避した”毒蛇”は矢との交錯の瞬間に丸薬を放り投げ、再びの毒煙の壁を生み出した。
「どう思うか、我が弟子よ」
「……どうも何も。良い腕だとは思いますが」
「温い。今襲い来る矢と比べて見よ」
「今の矢?」
少年の目線は、素早く宙を駆ける弓矢に。
遮蔽物に隠れてそれを避けると、微かに感じた違和感に仮面の奥で目を細めた。
―――数だ。
先ほど放たれた弓矢と今の弓矢、その放たれた数に差異がある。
有体にいうと、今の方が随分と多いのだ
「その奥にて潜むは何者か」
真剣に睨みつける”毒蛇”の視線の先。
煙る防壁の向こう側から、複数の雄叫びが聞こえてきた。
「貴様等では、ない。―――ヴァナン」
「了解しました」
黒い包帯の巻かれた腕を撫でると、指を小さく動かした。
この包帯こそは”毒蛇”の流派が誇る、自身の持つ猛毒を最大限利用するための近接戦闘術。その戦闘道具。
……包帯内部に仕込まれた絡繰りによって指の動きと連動し、音もなく黒い刃が迫り出した。
手の五指それぞれに対応した仕掛けは動きによって五種類の猛毒を纏った隠し刃を出現させる。
毒は見た目では判別が出来ず、腕に出現した刃がどのような毒を持つかを判別することは不可能だ。これはそのことを利用したもの。
達人同士の戦いでも双方一度も相手の攻撃を受けずに相手を下すことなどできはしない。
実力に巨大な差異がなくとも。否、差異がないからこそ、どんなに巧く行っても必ず掠り傷程度は負うのが常―――この”毒蛇”の戦闘術はその大原則に注目し、その掠り傷を致命的な一撃にするために編み出されたものなのである。
独特な歩法によって少年の姿が揺らぐ。
「我等の領域から去れ、薄汚い暗殺者風情がああッ!!!」
「俺達は戦士だ。薄汚いなどと言う言葉は撤回してもらうぞ―――まあ、その前に息絶えるだろうがな」
痛みを感じぬほど薄く、少年の刃は煙の奥から現れた兵士たちの肌を撫でる。
まさに蛇が這うがごとく、極々自然に切り裂かれたその切り傷には、あまりにも致命的な毒素が流し込まれていた。
雄々しく飛び込んだ幾人もの兵士たち。それらは次の呼吸を許されずに地面へと倒れ込み……一瞬でこと切れた。
それを確認した少年は次に、煙の向こうから響く弦を引き絞る音に注目する。
弓か、まずいッ!!
そう思い即座に後退し……そして直後に射られた弓は―――三射。
「舐めているのか!?」
腕の仕掛け刃によって弾き落とした矢。ある意味呆然としながらたった三射しか放たれなかった弓矢が地面に落ちゆくのを見守った。
暗殺者を馬鹿にしているのか。俺達は人殺しのプロフェッショナルであるというのに、それすら理解できないような凡骨が相手だというのかッ!!
「ほう。貴様か」
「……?」
毒煙の向こうを見据える師匠は、少しだけ愉快そうにそう言った。
同じように自身が撒いた毒煙に目線を集中させる。
……師匠の毒煙は風や気候などをすべて読んだもの結果であるため、こちらからは向こうが判別できても向こう側からはこちらの姿を捉えられないという完成されたものであるが、俺の投げ込んだものはそこまでの技量がなく、こちらも相手も姿を捉えられない。
けれど、今回は幾つか師匠の投げ込んだ毒煙も混ざっているために、若干ではあるが内側からの方が煙の向こうが見えやすくはあるのだ。
「いや、何かいるな!」
そんな環境に於いて少年の瞳が微かな影を捉える。煙の中を縦横無尽に駆け回るその姿を。
―――ああ。そういえば。気が付けば弓の射手は、既にこの場には存在しなくなっていた。
刈り取ったのだ。あの影が。だからこそ、最初に射掛けられた矢の数が少なくなっていたのだ。
「こんな所か」
ぼそりと呟かれたのは、その口調の冷徹さに似合わぬ可憐な声。
少女……否、幼女と言った方が正しいか。
毒の煙に紛れて兵士たちの首を悉く落としたもの。
それは虚無的な表情を感じさせる仮面を付けた、一人の暗殺者。
「―――」
動きやすさ重視の、最低限の箇所だけを守護した際どい暗殺衣。手に持つ切っ先鋭いナイフ。
煙の中で見えたような動きをする割にあまりにも整った肢体は、胸こそないが細く滑らかな柔肌を感じさせ、小麦色の褐色肌がそのエキゾチックな魅力を増させていた。
……血風すら置き去りにして俺とすれ違ったその幼女。彼女は視線だけを俺と奥の師匠に向けていた。
「貴様か。貴様が”無芸”の弟子か」
「ああ」
「成るほど。大した腕だ」
「いや。そうでもない」
そのやり取りは一瞬にして、双方音を介さぬものであった。
毒の煙が度々こちらにも流れてくるという視界の悪さと、一瞬でしかない筈の邂逅時間でありながら虚無の暗殺者は読唇術での対応をして見せたのだ。
……ぞわりと背筋が粟立ったのを自覚する。
何故か。一つはこの暗殺者の持つ、潜在的な実力によるものだ。そしてもう一つは。
「(弟子……)」
この暗殺者と同じ身分であるという事。即ち、競い合えるというその事実に。
口の片端が持ち上がる。蛇の面が刻まれた方に。
―――俺を一切意に介さずに通り抜けた美しい暗殺者。
ああ。きっと。俺は今この瞬間に、あの暗殺者に魅せられたのだろうと。そう自覚した。
夢のような邂逅は終わり、虚無の暗殺者はキャラバンサライの扉の奥へと消えていく。
「ヴァナン。あれがお前の競うべき相手だ。蹴落とすべき相手だ。……励むが善い」
「もちろんです、師匠」
”毒蛇”の弟子ヴァナン。
彼との邂逅は、ハシンの身に何を齎すのか。
―――それはまだ、誰にも分からない。




