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黒衣の王女  作者: 時満
本編
5/24

かくして少女と少年は出会う

 少女は思う。


 わたくしが正当な王だと言うのなら、わたくしは民の為にこの隠れ里から出てはならないのだ。存在が知られてはならないのだ。

 わたくしの存在は争乱の種にしかならないだろう。

 民を苦しめる種にしか。



 しかし、自ら命を絶てるほどの自由も少女は持たなかった。

 そもそも、恐ろしかった。自分が本当の無意味になってしまうことが。

 “姫様”と呼ばれるだけの人形のまま死ねば、少女が少女であった意味は無い。誰も少女の名を呼ばず、彼女が何を考え、何を喜びとし、何を悲しむか、知っている者は誰もいなかった。乳母がいなくなってから、監視の目という意味では大分緩くなったと思う。元からカレン以外を少女に近づけようとしなかった乳母のおかげで、館に住む使用人達とすら殆ど会話らしい会話もしたことがない。里長の老人とも扉越しに話すくらいだ。乳母は少女と男性との接触を殊の外忌避した。

 逃げようと思えば、出来たかも知れない。あるいは使用人達と誼みを通じ、数少ない金になりそうな私物を取引に使って外の世界につてを頼る方法もあったかもしれない。名を捨て、市井に身を隠し、ただの平民として生きることも可能だったかもしれない。

 だが、親しく話を交わさずとも、”王女”という偶像を見ているのだとしても、己の存在をよすがに隠れ里の貧しい暮らしに耐えている人々を見捨てる事も出来なかった。

 小さな館の二階。

 その檻に囚われながら、少女は己を解き放ってくれる者を待ちこがれた。

 幼い頃は、ミレーヌが語ってくれたお伽噺のように助け出してくれる王子様を。

 今は、この意味の無い生を終わらせてくれる誰かを。


 そして今、その誰かが目の前にいるのだ。

「アンジェリカ・フェルミ・バルトゥースだな」

 その名を呼ばれたのは、初めてだ。もちろん少女はそれが自分の名だと知っていた。少女の名を初めて呼んだ少年は、逆賊と乳母が罵った男と良く似た容姿をしていた。

 闇夜のごとき黒髪と呪いのような血色の目の悪魔。

 乳母の罵り声が脳裏に蘇る。

 闇夜に溶ける艶やかな黒髪をした少年は炎のような瞳で少女に迷い無く剣先を向けた。

 身なりは仕立てが良く新しいというだけで、そこまで里の男達の着ていたものと変わらない。

 だが、少女に向けられた剣の刃の根元には、この国の守り神とされる神鳥の意匠が施されていた。その意匠は王家の者にしか許されないものだ。この少年が、乳母が憎み抜いた逆賊の息子なのだと少女は悟った。

 現王の息子なら、それは王子。

 幼い頃に思い描いたそれとは違うが、構わない。

 少女はやっと解放される喜びに溢れる涙を零さぬよう、必死で瞳を見開く。

 両腕を広げ、無防備に剣の前に立つ。

「どうぞ、お望みのものをおりになって」




「……何故、命を投げ出そうとする?」

 命乞いもせず、むしろ命を投げ出そうとする黒衣の痩せこけた少女に少年は戸惑う。贅沢三昧で民を苦しめた前王の忘れ形見。父親に似た愚かな娘だろうと、少年は思っていた。

 だが、実際はどうだろう。地味で首まで覆う黒衣を纏った少女は飾りの一つも付けず、肉付きの悪い四肢は今にも折れそうだった。

「殿下、何を躊躇っておいでか」

「分かっている」

 付き従う騎士に言われ、少年は苛立たし気にもう一度剣を構えた。


 隠れ里の存在は実はもう何年も前から知られていた。だが、新王は最後の旧王家の王女を抹殺することはしなかった。後ろ盾も無い、産まれたばかりの乳飲み子には何も出来ないだろうと捨て置いたのだ。王妃を始め側妃もことごとく殺されたが、遊興に耽り国庫を傾けた原因なのだから当然だ。だが、産まれたばかりの乳飲み子には、新王は責を問うことを避けた。苛烈な処断ばかりでは、人心は離れる。これが王子であれば論外だが、温情を見せる事も時には必要だ。隠れ里の存在は、国の中枢にいる者達にとっては公然の秘密だった。新王が密かに放った隠密の監視の元、こうして少女の周りには平穏が保たれていたのである。

 しかし、状況が変わった。当然ながら、カレンとその父親の動きも監視されていた。本人達は上手く隠れてやっているつもりだったろうが、筒抜けの状態だった。弛みきっていた前王の時代ならばともかく、一夜にしてその前王を誅し王城を制圧、騎士団までも掌握したやり手の新王の目を逃れられるはずもない。

 カレンが隣国の王太子と接触した報告を受けた時点で、新王は少女を抹殺する決断を下した。王女の母は隣国の王家の血を引く姫である。隣国が王女の身柄を押さえ、正当な血筋に王権を返せと横槍を入れて来た場合、面倒なことになるのは必至だった。悪くすれば戦争になるだろう。

『速やかに王女を闇に葬れ。隠れ里の存在も消し去り、最初からそのようなものは無かったことにせよ』

 事が事だけに、第一王子である少年と信頼の厚く腕の確かな騎士十数人がその命に当たった。


「アンジェリカ・フェルミ・バルトゥース。何か言い残す事は無いか」

 少年の問いに少女は少しばかり驚いた顔で逡巡し、戸惑いつつ口を開いた。

「……言い残す事など、何もありません。ただ、覚えていて下さったら嬉しいです。最後の王女としてのわたくしの死に様を」

 余りに静かな少女の佇まいに、少年は無言で剣を下ろした。この貧相な少女を、このまま殺してしまう気にはどうしてもならなかった。

「殿下!」

「一日だ。明日の晩には父上の命を遂行する。それで良いだろう?」

 騎士の抗議を黙らせ、少年は鞘に剣を納めた。

「約束だ、アンジェリカ・フェルミ・バルトゥース。俺はお前の最期を死の間際までしかと記憶し続けよう。その見返りに、最後の一日を俺と過ごせ」

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