とある家出息子の話(後編)
芝居は今のところ順調だ。いや、順調以上の好調だ。王都での『琴姫』人気は商人達の商魂の賜物でもあるが、その商魂を刺激する裏工作も色々やった。隣国と取引のある商人や隣国から来ていた商人達には、特に『琴姫』の噂が耳に入り易いように“賑やかし”の手配もした。事情を把握してる騎士十数名は貴族の間に『琴姫』の噂をそれとなく蒔き、王子は舞台を整える為に父王や高位貴族達に根回しを行う。
あの短い打ち合わせで、よくここまで来たと我ながら呆れる。
さて、最後の台本を読んだ王子殿下は難しい顔をなさっておられる。
俺はげっそり窶れた顔で、その様子を眺めていた。
「これはどういうことか、説明しろ」
放り出された台本と王子の声からは、苛立よりも訝る気持ちが滲んでいた。
そんな王子に俺は疲れた顔で笑った。丸二日寝ていないので、さぞや酷い笑顔だろう。
「それがですね、殿下。何度も書くことは書いたんです。だが、何度書き直しても納得のいくものが書けねえ」
もうすぐ正式に王女の死が発表され、葬儀の日程と喪主が王子であることも合わせて広く知らされることになる。それだけの舞台を整え、当日主役の一人としてその舞台に立つ王子の為の台本は、ト書きしか書かれていない。台詞の部分はまるまる白紙のままだ。
「だから何だ。納得が行かずとも、それなりのものは書けるだろう」
「いや。それは駄目だ、殿下」
憮然とした表情の王子に、俺は緩く頭を振る。そんなことは既に何度も考えたことだった。
「殿下、俺は劇中劇の『琴姫』の物語は創作したし、そのベースになる“真実”としての出来事も創作した。ですがね、この最後の部分は俺の創作だけじゃ無理なんですよ」
俺は根本的な間違いに気付いた。だからこそ、この台本になった。
「最後の大一番は、現実と繋がってますからね。実在した王女の真実を語る台詞を、全く王女を知らない俺に書けるわけがねえ」
そこで一旦言葉を切り、俺は王子としっかり目を合わせた。
「俺は書けねえことに苛立ちながらずっと考えていたことがある。なあ、殿下。隣国との争いを避けるだけだったら、こんなまどろっこしいことをする必要は無かったんじゃねえか? それこそ隣国に対抗して、こっちも偽者を立てりゃ良い。そりゃ、王家の人気取りも出来て一石二鳥の部分もあるがよ、その部分ははっきり言って後から強調したようなもんだし、殿下の中じゃ優先順位は三番目以降だ。一番目は隣国との争いを避ける為としても、他の方法も考えられたのにこの方法にした理由は、二番目に来るはずだ」
王子の赤い瞳に僅かな動揺を見て取り、俺はにんまり笑う。
「殿下、あんたは王女の死を穢されたくなかった」
劇中劇を読んだ王子は、恨めしげに最初は俺に文句を言っていた。だが、その後ですぐに良い面構えになった。そこにどんな心情の変化があったのか、俺は知らない。だが、餓鬼の顔が、男の顔になった。
王子を男の顔にしたのは、間違いなく王女なのだろう。恋愛感情があったかどうかは定かではないが、王子がこだわっていた喪服や死に様云々から察せるように、尊敬の念は確実にあっただろう。
「女々しいと思うか?」
王子は俺から視線を外さないまま、長い溜め息を吐いた後に俺に問いかけた。
「いや。いつだって人を突き動かすのは大義名分じゃねえ。俺だって、芝居に惚れ込んで家を飛び出した」
人間としてならそっちの方がずっと面白みがあるし、俺はそういう方が好きだ。
「だから、この台詞部分は殿下に任せる。あんたが穢されたくなかった王女の誇りを、思う存分守ればいい」
俺がそう言うと、王子は責任重大だなと呟いて苦笑した。その苦笑は少し泣きそうだったことは、気付かないふりをしておいてやった。
それ以上話も無かったので、俺は立ち上がる。部屋を出る時に、ふと思い出したので振り返った。
「ああ、一つだけ。一人称は“私”で。“俺”だと琴姫の王子の優しげで誠実な人物像にそぐわないんで」
「それくらいは承知している。会議などでは“私”と言っているぞ」
「それは重畳」
真面目腐った顔の王子に俺も真面目腐った仕草で恭しく礼をし、あっさり俺たちは別れた。
もう二度と道が交わることもないだろう。
葬儀の日は、素晴らしい快晴になった。雨だったら色々と問題だったが、こればかりは神頼みだ。王子はついているんだろう。未来の王様が運が良いのは、国民としては嬉しい限りだ。
俺の役目は、もう殆ど終わったに等しい。今日の俺は、役者の一人であり観客の一人だ。広場に集まった民衆に紛れ、その時を待つ。
遠目に見た王子は、当たり前だが今までのお忍びの格好とは違って王子然とした姿だった。喪服を着た人々の黒い海の中、同じような喪服を着ていてもそこだけ光が当たっているかのように王子の存在感は際立っていた。
大した役者の素質だと思う。いや、ここは王族の資質と言うべきか。
やがて始まった王子の演説は、俺が想像していた以上に心に響いた。
俺は『琴姫』の芝居は嘘っぱちで、流れている王子と王女の悲恋も嘘っぱちだと一番良く知っている。ある程度王子の話すだろう内容も、予想がついていた。それでも尚、王子の言葉が俺の心に響くのは、嘘偽り無く伝えたい思いがそこにあって、その訴えが真摯であるからだ。
虚構の中にだからこそ、一片の伝えたい思いが強烈に光り輝く。それは、俺が惚れ込んだ芝居の本質そのものだった。
俺は初めて見た芝居の感動を思い出す。面白くて、笑いに笑った。だが、面白いだけではないものが、あの芝居にはあった。滑稽の中に必死で生きる人々の生々しい感情が、伝えたい思いがあった。売れる芝居ばかり最近では考えていた俺には、言葉で上手く説明出来ない衝動に突き動かされて家を飛び出した餓鬼だった俺が眩しく思えた。
俺は気付けば泣いていて、万歳を叫んでいた。
「完敗だ。やるじゃねえか、王子殿下」
悔しい気持ちはない。いや、あの場を支配した雰囲気に飲まれて涙まで出したことは痛恨の極みだが。
だが、後味は悪く無かった。いつもより頭が冴えている気がする。そして、猛烈に芝居が書きたかった。
俺は足早に宿に向かう。今日は芝居の公演も休みだし、丁度良い。
「兄上」
その声に、俺は止めたく無い足を止めて仏頂面で振り返る。
「何だ。ああ、口止めならしなくても今後もしゃべらねえぞ」
「いいえ、それは心配していません」
「良いのか、そんなに簡単に信頼して」
「兄上は、一度も家を頼りませんでしたから」
苦笑する弟は言った。世間知らずのぼんぼんが家出をして身ぐるみ剥がされ、夢破れて半年もしない内に実家に泣きついて舞い戻るのは、貴族の家出人捜索をすることもある騎士の間では良くある話らしい。
「兄上は一度こうと決めたら頑固ですから」
「頑固と違うわ。筋の通らねえことが嫌いなんだ。それで、何の用だ」
ランツは少し迷いを見せたが、すぐに話しはじめた。
「あの日、酒場で兄上を見たとき、最初確信が持てませんでした。余りにも……その風貌が変わってしまっていたので」
「ああ」
「なので、しばらく傍に座って兄上と一緒にいた方の会話を盗み聞きしました」
「そうかよ」
「気まぐれには、気まぐれなりに理由があるんです」
「何の話だ?」
唐突な話の展開に面食らう。
「母上の話です」
「ああ……」
そういえば、そんな話をしたかも知れない。機嫌良く酔っていた酒の席だ、ぺらぺら昔の話をしゃべった気がする。
「兄上は芝居小屋に入り浸っていて知らなかったと思いますが、毎日のように父上と母上は言い争っていました」
そりゃ、するだろう。親父はお袋を何で芝居に連れて行ったと詰っただろうし、お袋はお袋で自分を正当化してぎゃんぎゃん吠えただろう。芝居くらい観に行くのが貴族の嗜みだとか言ってたしな。
俺はランツが何を言いたいのか分からず、眉間に皺を寄せて睨む。
そうすると、ランツはやれやれと言いたげな顔で溜め息を吐いた。俺はむっとしてますます苛ついた。だが、続くランツの言葉に俺は間抜け面を晒すことになった。
「母上は、ずっと兄上の味方でしたよ。表情が乏しくなって行く兄上が心配で、気分転換になればと強引に芝居に連れ出した。結果芝居に夢中になったことにも、全く後悔していないと」
「そう、かよ……」
「兄上の書いた芝居、母上はこっそり変装して観に行ってましたし。一昨年腰を悪くしてからは、それも出来なくなってしまいましたが」
知らねえし。いや、そんなどっかで聞いた良い話が俺の身に起こるわけがない。
「会いに来てくれとか、和解して欲しいとは言いません。意固地な上に頑固な兄上には無理な相談だと思いますし。ただ、兄上が思うよりも、母上はずっと母親だったことだけは……覚えておいて欲しい」
そう言った弟の顔は真剣そのもので、喉元まで出掛かった『知るか!』の言葉を飲み込んだ。
「お前……大人になったなぁ」
その代わりに出て来た言葉は、俺も予想だにしない間抜けなものだった。
弟は一瞬面食らった顔をしたが、すぐに破顔して言った。もうすぐ父親になるんです、と。
俺はその後、弟が予想した通りお袋に会いに行ったりもしなかったし、生まれた孫にでろでろになった親父にも勿論会いに行かなかった。だが、たまに弟には会うようになった。
芝居の方は、今まで通りレギスに戻ってぼちぼちやっている。レギスに戻る前、一年程『琴姫』を各地で公演して回る地方巡業もやったおかげでロッケルベル劇団の名も結構売れた。まぁ、俺に限っては特に変わりない。書いた芝居は当たったり当たらなかったりで、相変わらず懐具合は厳し目だ。だが、前よりも二度三度と繰り返し見に来てくれる客が増えた気がする。
レギスは、この国は平和だ。
良い国だ。
予告時間に遅れてしまい、申し訳ありません。
次の番外編は乳母の話になる予定です。




