とある家出息子の話(中編)
王子の話は、俺が言うのもなんだが全く芝居じみていた。
死体になった前王の忘れ形見の王女、王女の身柄を押さえられずとも偽者を立てても侵略の足がかりにしたい好戦的な隣国、それを回避したい王子殿下。
これだけの材料を前にして脚本家の血が騒がないわけがない。しかも、恐れ多くも王子殿下でさえ俺の脚本で役者を演じるのだ。どんな高名な劇作家だろうとこんな経験出来ないだろう。
これが面白く無くて何が面白い?
その面白さと比例して条件は阿呆かと思う程厳しかったが。
二日以内に脚本を書き上げ、打ち合わせをして三日後には計画を始動させよという驚くべき強行軍だ。一ヶ月後の王女の葬儀までに国民に王女の存在と、その死を浸透させろという命令も頭がイかれた内容だ。
王子は“芝居”を上手く利用して民に広く浸透させることを思いつき、それで俺が引っぱって来られたわけだが。人々がこぞって観に行く芝居となれば、それだけ話題性と評判が必要になる。評判を作るには時間が無い。となれば、まずは“魅力的な噂”が必要だ。特に女の噂話は侮れない。拡散速度たるや我が国の守護獣である神鳥も真っ青だ。特にレギスの女はお針子が多く、単調で根気のいる作業をこなしながら良く囀る。
「王女の存在を広範囲に広めるなら、噂を流すのが手っ取り早い。ただし、女が目の色を変えてしゃべりたくなる噂が必要だ。噂話は何と言っても女の得意分野だしな。噂の内容は恋愛。王女殿下は死体になっちまってますから、悲恋の王道で行きましょう。恋のお相手は王子殿下で。少なくとも半年以上の恋人期間があって、最後は王子を庇って王女が刺され、死ぬ。まずはこれが“真実”のあらすじだ。ここまでは良いですかね?」
俺はその場の面々を見渡す。脚本を書いてから打ち合わせだと時間が無駄になるから、先に打ち合わせを持って来た。この場にいるのは、王子殿下、ランツ、駄犬、それに死んだ王女に仕えていたという侍女さんだ。俺を見下すように顔を顰めやがった男は駄犬呼ばわりで十分だ。ランツの上司らしいから、我が弟は駄犬の更に下の駄々犬か。
「俺を庇って死ぬのか?」
「ええ、そういうのが女は大好きですからね」
王子は不満げだが、無視した。
俺はさして広くも無い室内をぐるぐる歩きながら考えをまとめる。
「次は噂の起点だな。レギスの町で始めるなら、お針子に的を絞りたい。お針子に接触するには衣装製作の依頼主が自然だ。衣装を着る人物は王女。悲恋のヒロインの死体が着る衣装とくれば、花嫁衣装だ」
「待て、王女の衣装は喪服以外は駄目だ」
思考を中断され、俺は苛つきながら王子を見た。
「馬鹿言わんで下さい。喪服みてぇな辛気くさいもん縫って、お針子の意気が上がるかってんだよ。噂する気も萎えるってもんだ。あぁ、でも喪服しか着なかった王女に最後くらいは極上の花嫁衣装をってえ流れは悪く無いな」
「駄目だ! 喪服は王女の誇りだった。そこは譲れん」
俺は天井を仰いだ。これだから出資者のいる芝居を書くのは嫌なんだ。横槍ばっかり入れやがる。
喪服が誇りだぁ? はっ、俺が知ったことか。俺が聞いたのはつい二日前に王女が死んだことだけで、王女がどんな人物だったかなんざ聞いてねえし、聞く気もねえ。
「殿下、ただでさえ不可能としか思えない案件なんですぜ? これ以上文句言うなら打ち合わせからあんたを外す」
「兄上!」
「貴様!無礼にも程があるぞ!」
駄犬どもの怒声に、俺の切れやすい堪忍袋の緒はブッツリ切れた。
「あー!! ぎゃーぎゃーうるせえ! 殿下の依頼はすこぶる厄介な上に時間がねえんだぞ! なりふり構っていられるか! 仕切るのは俺だ! 俺が指揮官だ! 黙って従いやがれ、この愚図どもが!」
「何だと!?」
「お、お静まり下さい!」
「よせ!」
湯気でも出そうに真っ赤な駄犬の手は既に剣の柄を握っていたが、ランツに後ろから羽交い締めにされた上に王子に止められて渋々引き下がった。睨み合いは続いたが。
「確かに、お前の言う通りだ。今後も意見は言うが、強制はしない」
王子は引き下がったが、発言権を確保してきやがった。小癪な判断をしやがる。やるじゃねえか、王子殿下。
「殿下直々のご意見ねぇ。まぁ、実のあるモンなら歓迎だ、殿下」
仕切り直しとばかりに、俺は自分の両頬を軽く叩いて思考を戻す。今までの騒ぎに顔色も一切変えず、身動きもしない女に目を向けた。
貴人に仕える人物っていうのは、どんな事態にも動揺しないように肝も鍛えているのかと感心する。刃傷沙汰になりそうだったら、普通女は馬鹿みたいに悲鳴を上げるもんだ。特に美人でもないが、妙な迫力がある。
「次は依頼をしにいく人物だが。侍女さん、あんたにやってもらう」
「はい」
「まずは普通に花嫁衣装を依頼してもらう。花嫁が誰かは伏せて、期限は二十日。絶対無理じゃないが、ギリギリの期限だ。そのかわり金に糸目は付けないと言えば、おそらくは受けてもらえる。その辺は大丈夫ですよね、殿下?」
「ああ、金のことなら心配ない」
「そんで、時間が無いからすぐにも採寸をという話になるはずだ。そうしたらあんたは渋ってみせろ。花嫁には会わせられないとな。死体は今ここに無いんだから最初から無理だしな」
王女の死体は既に王宮に運ばれたとかいう話だし、死体の採寸なんざ誰だってしたかねえ。何より直接お針子が死体とご対面しちまったら、絶世のとまでは言わないまでも凄い美女という印象作りに支障が出る。物語のお姫様は美人じゃねえと話にならねえ。
「自分が採寸してくるとでも言って小一時間ほど粘れ。それ以上は断られる目も出て来るから、お針子達がうんざりして嫌気がさす直前を見計らって“これから話すことは内密に”という触れ込みで俺が創作する“真実”を話す。“ここだけの話”ってやつほど噂が広がるのは早い。ここであんたが涙の一つも零して王女の話をすれば仕込みは十分だ。あんたは素人だし、長台詞を暗記した上で芝居もなんて無理だろうから、要点だけ外さなきゃ良い。もう少し煮詰めたらその話をする」
「分かりました」
次はただの噂で終わらせない為の仕掛けだ。いくら侍女さんが真実だと言っても登場人物が王子に王女、夢物語のような内容だからな。噂としては面白いから広めてくれるだろうが、信憑性が無きゃそのうち消える。
「殿下に質問なんですが」
「何だ」
「殿下は王女と何処かへ出掛けたりしましたかね? その姿を目撃されていた、というような」
「ある。半日程だが王女を連れてレギスの町を見て回った」
「そいつは良い!詳しく話して下さい」
詳しく話を聞くと、おあつらえ向きについ数日前に馬で相乗りという実に目を引くことをやらかして下さっていた。
その時の様子を同行していたランツに聞いた。実際に何があってどんな会話をしたとか、そういうことはどうでも良い。回りからどういうふうに見えていたかが重要だ。上手い具合に食事をとった食堂は人気のある“フェルナンド洋裁工房”の近くで、そこのお針子達はよくそこを利用している。もしかしたら、目撃者がいるかもしれない。
それから王女の特技を侍女に聞いた。王女はハープが抜群だったらしいから、即座に劇中劇の題名を『琴姫』に決める。何事も覚えやすい特徴があった方が人の口に上り易い。何も無ければ刺繍という設定にするつもりだったが。刺繍が得意なら、素晴らしい刺繍の施されたハンカチを拾った王子様がお姫様を探して出会うって寸法だ。悲劇で終わる恋の始まりは、お互いの身分を知らずに恋に落ちるのが定石の一つで、女が好きな状況設定だ。
その他にもいくつか役に立ちそうな情報を仕入れ、俺は早速執筆に取りかかった。
細かい詰めはまだだが、筋書きは出来た。
俺は一晩で一気に台本と劇中劇を書き上げた。我ながら何かが乗り移ったとしか思えない勢いだった。
劇中劇を読んだ王子殿下は、随分と渋い顔になっていた。
「王女はこの女のように恋に現を抜かす愚か者ではなかった」
「へえ、そうなんですか」
俺は目の疲れを少しでも取ろうとこめかみを揉みながら、おざなりに返事をした。
「それに、王女の死に様はこんな陳腐なものではなかった」
「はぁ、それが何だって言うんです?」
どんな死に様だったか知らねえが、この期に及んでぐだぐだうるせえ餓鬼だ。
昨日のようにまた変えろと吠えたら叩き出す気でいたが、王子は恨めしげな顔で俺を見ただけだった。
それから数秒間目を閉じていた王子は深々と溜め息を吐き、顔を上げた時は何かを吹っ切った顔をしていた。
「……そうだな、そんなことは俺一人が知っていれば良いことだ」
改めて俺に向き直った王子は、結構良い面構えをしていた。
「いくつか変えて欲しいところがある。琴姫は落ち延びたのではなく、王が慈悲を掛けて命を助けたことにしてくれ。琴姫がそれに感謝して身を慎んで暮らしていたことも書き加えろ。それと、琴姫は謀反を企んだ大貴族の娘ということに変更だ」
「ははぁ、随分とあからさまな」
「だから何だと言うんだ?」
俺の台詞を盗みやがった王子に、思わず口の端が上がる。
俺が書いた劇中劇では、琴姫は後継者争いに敗れた国王の兄の娘ということになっていた。だから密かに匿われて生き延びた姫を守っていた者達が、王子の名乗りに逆上して襲いかかったわけだが。亡き主君の敵の息子であれば当然だ。しかし、王の慈悲で生き残った謀反人の娘となれば、名乗りを上げた王子に襲いかかるのはちぃとばかり不自然だ。だが、王子の希望通りに変えたとしても大筋に変化はない。大勢に影響は殆ど無いだろう。少しは依頼主様のご機嫌をとってやるか。
俺はそう思って王子の希望通りに劇中劇を変更してやった。何だか知らねえが、吹っ切れたらしい王子の面構えは気に入ったしな。
役者としては素人の侍女さんは、思いのほか良くやってくれた。当初の予定よりも一日前倒しで始まった噂の仕込みは上々で、三日後には町の女達の殆どに噂が行き渡っていた。俺は俺で、書き上げた劇中劇を手に団長に掛け合い、芝居の稽古を役者達に始めさせ、“侍女の話を聞いて芝居を書いた劇作家”という芝居を酒場や食堂で繰り広げた。俺の演技はどうにも嘘くさいらしいが、事前に蒔いた噂のおかげで上手く注目を集められた。
強行軍で仕上げた芝居は、依頼から五日後に初日を迎えた。狙い通り芝居は大当たり、連日満員御礼で団長はホクホク顏だったが、こんなのは序の口だ。王都での芝居の公演の話が初演から十日も経たない内に来て、団長は目を回した。王子の方で密かな根回しをしてくれたこともあり、レギスでの公演は十五日目で一旦打ち切り、身軽な我が劇団は芝居小屋ごと王都へ引っ越した。
目の回るような忙しさだったが、それ以上に充実していた。だが、まだ最後の大一番が残っている。
王都の奥まった所にある小さな宿屋で、俺は再び王子殿下と対面した。




