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黒衣の王女  作者: 時満
本編
17/24

エピローグ

 王都の貴族街と裕福な庶民の住む地域の丁度境目あたりに、エバルト王立音楽学校は建っている。その名の通り今は亡きエバルト賢王がその設立に尽力した学校で、平民が通うことでも有名だ。音楽というのは金が掛かる分野なので、普通であれば平民には手が届かない学校なのだが、エバルト賢王の強い希望で創立以来その入学には試験の結果だけが考慮される仕組みになっている。入学試験に合格すれば、一定の収入以下の家庭の子供は授業料が免除され、楽器も貸与されるのだ。当初対象は平民に限られていたが、今では経済的な困難があれば貴族の子弟であっても授業料免除の恩恵にあずかれる。

 運営資金は生徒らの納める授業料と、これもエバルト王が設立したアンジェリカ劇場から上がる利益の一部、そして寄付金で賄っている。優秀な成績で卒業出来れば、宮廷音楽家や劇場付きの楽団員への道が開かれる。

 もっとも、庶民に広く門戸が開かれているかといえば、実際はそうでもない。入学試験には、学びたい楽器での演奏が含まれる。 

 手習い用とはいえ女性がたしなむ代表的な楽器のハープで、一般的な庶民の一月の収入と同じくらいの値段がする。整備や弦の張り替えなどで、定期的な出費もある。その上教師について習うとなれば更に出費がかさむため、実質的には貴族か、平民の中でも富裕層に当たる家の子供が受験者の九割以上を占めているのだ。

 孫であるレオンにエバルト賢王が生前語ったことには、最も貧しい階層の子供が入学試験に十分な準備が出来る程豊かな国が理想だということだった。そしてそれが目標だとも。子供の頃は良く分からなかったが、王太子となり、政務の一端を担うようになってから、レオンはそれが恐ろしく遠大な目標だということが分かるようになった。

 生きている内にそれが実現出来なかったことを祖父は悔やんでいたが、レオンに言わせればそんなことが実現出来ていたら祖父は賢王どころではなく、神と崇められていただろうと思う。

 あの絵の女性が怖いとべそをかいていた幼い王子はとうに成人を過ぎ、結婚もして既に子も成していた。この秋には三人目が生まれる予定だ。

「王太子殿下、ようこそおいで下さいました」

 出迎えた校長にレオンは笑顔で応える。名誉理事長という職を祖父から受け継いだレオンは、入学式に来賓として呼ばれたのだ。

「うむ。今年の入学者は粒ぞろいだと聞いた。楽しみにしている」

「ええ、特に主席入学の女生徒が素晴らしい才能の持ち主で……」

「なるほど。多くの生徒を見て来たそなたが言うなら、間違いないだろう。名は?」

「アンジェリカ・ソロンです」

 その名前にレオンは思わず苦笑する。アンジェリカという名前は女の子の名前としてとても人気がある。『琴姫』にあやかって、娘にハープを習わせたいと願う親は特にこの名前を付けたがるのだ。自然とこの学校のアンジェリカ率は驚く程高くなっている。前年のハープ部門の最優秀成績者もアンジェリカという名の貴族の娘だった。

「またアンジェリカか……ソロンというのは聞いた事が無いが」

 ミドルネームが無いという事は、その女生徒は平民の出なのだろう。貴族ならば母方の血筋を示す名をミドルネームに持つ。おそらく富裕層の出身なのだろうが、その名前にレオンは覚えが無かった。富裕層は貴族の数に比べれば多いが、殆ど全て記憶しているはずのレオンは首を傾げた。

「彼女はエターシュの出です」

 校長の返答にレオンは驚く。確かに一割ほどは才能を買われて貴族に援助を受け、入学してくるごく一般的な庶民の子供もいることはいる。だが、彼らの置かれた境遇は厳しい。気位の高い貴族や富裕層の子供達の中で、突出した才能を見せることは自殺行為とも言って良い。入学試験で良い成績を出しても、入学後は下位に甘んじる事が恒例のことだった。

 入学試験となれば手を抜く事は出来ないから全力で当たるのであろうが、さすがに主席を取れるほどの者となれば、幼い頃からの英才教育の賜物であることが殆どで、いわゆる底辺に属する彼らがその地位に躍り出る事はほぼ不可能だ。その不可能を可能にするほどの才能となれば、自然と風当たりも強くなろうというもの。ましてや、王都の西にある貧民街、エターシュの出身ともなれば反発は大きいだろう。

 その女生徒の才能の行方を懸念して校長を見れば、校長も何とも言えない顔でレオンを見ていた。校長は教育者としては一流だとレオンは認めていたが、政治力は弱い。学内は実力主義で身分による差別を禁じてはいるが、生まれてからずっと刷り込まれ続ける特権階級意識は度し難く、教師達の目も万能ではない。

「後ろ盾は?」

「特には。彼女にハープを教えたのは平民出の我が校の卒業生で、たまたま通っている教会が一緒だったことがきっかけだそうです」

「なるほど。その才能が花開くか開かぬかは我ら次第というところか」

「はい。出来ましたら殿下のお力添えを頂ければと……」

「確か二年にキャメロン伯爵家の娘がいたな。伯爵に話を通しておこう」

「ありがとうございます」

 これは、祖父が語った理想の時代の先触れだろうか。平民出の卒業生という種が育ち、次代の才能を発掘する。これからそういった事例は増えて行く予感がした。

 ほっとした顔をする校長を横目で見ながら、レオンは祖父から譲り受けたあの絵を思い浮かべる。

 祖父はアンジェリカ王女が生まれ変わって来ると本気で信じていたわけではないが、もしかしてという思いも捨てきれなかったに違いない。レオンの知る賢王は結構なロマンチストでもあった。

 祖父がはっきりとそう言ったわけではないが、庶民に生まれ変わって来ると言ったアンジェリカ王女がハープを学べるようにとこの学校を建てたのは間違いないだろう。あの理想も、結局はアンジェリカ王女の生まれ変わりの為に実現したかったに違いない。祖父は生まれ変わってもアンジェリカ王女ならハープを愛すると信じて疑わなかったから。

 様々な政策を打ち出して国を豊かにした祖父の成した業績の中で、唯一何故と首を傾げられるのが、このエバルト王立音楽学校の事だった。賢王には珍しい気まぐれだとか、道楽だとか色々人は言うが、むしろレオンにしてみれば祖父がこの学校を建てたのは必然だった。

 祖父とアンジェリカ王女の間で交わされた約束を知っている、レオンだけにしか分からない祖父の思いだ。

 そして、その約束は孫のレオンに受け継がれた。いつ王女が庶民に生まれ変わっても良いように、この国を平和で豊かな国に。あの肖像画と共に祖父から託された約束は、いずれレオンから息子に、あるいは孫に託されるだろう。

 果たされる予定の無い、だがこの国を幸せに導く約束だ。かの王女がそこまで見越していたかどうかは知らないが、素晴らしく賢い人だとレオンは年を重ねるごとにその思いを強くしている。そして、その約束を受け継ぐ事を、とても誇らしく思うのだった。







ーーーディンドリオン王家時代の発展期において、音楽界の主役といえばアンジェリカ・ソロンをおいて他にいないだろう。エバルト王立音楽学校に歴代最年少の十歳で主席入学したアンジェリカ・ソロンはキャメロン伯爵家の後ろ盾を得て、神童とまで呼ばれるほどの才能を開花させた。卒業試験もまた主席の成績を残し、アンジェリカ劇場付きの楽団に入団。現在も知られる当時の人気演目『琴姫』で、琴姫役に抜擢される。その素晴らしいハープの演奏で琴姫のモデルと言われるアンジェリカ王女の生まれ変わりと、絶賛された。実際、彼女が引退するまでアンジェリカ劇場では琴姫の役を彼女以外が演じる事はなかったらしい。

 貧民街の出でありながら時代の寵児として一世を風靡した彼女は、貧しい人々の英雄であり、最も憧れる人物として長く尊敬を集めた。巨匠ララファイエの手による”ハープを持った希望の天使”の彫刻は彼女がモデルだとされている。アンジェリカ・ソロンの生きた時代とララファイエの時代は百年以上離れているが、彼女と同じ貧民街の出のララファイエにとってアンジェリカ・ソロンは特別思い入れのあるモチーフだったようだ。現在残っている彼のデッサン帳には、彼女がモデルと思しきものが多数見受けられる。

 また、平民の為の学校を普及させ、初等教育の二年間を義務化した教育王として知られるレオン王は、王太子時代に音楽伝道師制度の原型となる音楽使徒を提唱している。あまり知られていないが、即位後エバルト王立音楽学校の卒業生三名を音楽使徒に任命し、試行錯誤しながら各地の子供達に無償で音楽を教える活動に尽力した。その活動は息子であるロアール公に受け継がれ、時の教皇の賛同を得て音楽伝道師制度が誕生したのである。各地の教会には無償で子供達に音楽を教える音楽伝道師が派遣され、才能の早期発掘が可能となり、第二、第三のアンジェリカ・ソロンを世に送り出すきっかけとなった。

 我が国の音楽をこよなく愛する国民性は、この時代に産声を上げたと言って良いだろう。

「腹が膨れるだけでは、人は幸せとはいえない。音楽という喜びのない人生のなんと味気ないことか」

 我々が好んで挨拶のように交わすこの言葉は、一般的には音楽王の異名を持つロアール公が言ったものと思われているが、レオン王である可能性も無視出来ない。

 レオン王が同時代を生きていたアンジェリカ・ソロンに宛てた書簡に、これに酷似した内容が出て来るのだ。また、娘であるアンナ王女の手記には父であるレオン王の口癖として『麦粥は腹を満たし、音楽は心を満たす。これ、すなわち幸福なり』という言葉が上げられている。

 いずれにせよ、この時代に音楽が我が国の隅々にまで行き渡り、レオン王の孫にあたるハーベリック王の時代には我が国の王都は世界屈指の音楽の都として花開いた。ディンドリオン王家の黄金期の到来と共にーーー。


(パトリック・クレメンス著『我が国の歴史と音楽』より)

 





ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

地味な話にも関わらず、多くの方に読んで頂けて本当に嬉しいです。

番外編などもしかしたら増えるかもしれませんが、これにて完結とさせて頂きます。

途中二度ほど更新が遅れてご迷惑をおかけしましたが、無事完結を迎えられて今はほっとしています。

もしよろしかったら、是非感想などお寄せ下さいませ。

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