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外伝:沈黙

 中書令を辞したラヴィーニアは、代わりに機内のごくありふれた農村の校長になった。

 有斗が未来のアメイジアのためにと設けた義務教育機関だったが、ラヴィーニアが赴任した当時の学校の惨状は目を覆わんばかりだったという。

 ほとんどの親が子供を学校に行かせずに生徒の影は疎ら。教えるほうの教師は学問とは自分たちのような特別な人間のみが習得できるものだと考えて、気を入れて教えようとはしなかったし、当の教わる方の子供たちも教師がいきなり押し付ける学問の難しさに理解できずに寝るか隣と遊ぶのが関の山だった。

 ラヴィーニアはこの状況は根本から変えないと変わらないと判断した。

 そこで子供相手にではなく、その親を相手に農学を指導したり、取引で商人相手に損をしないように初歩の計算を教えたりするなどして、親の理解を取り付けることから、まずは始めた。

 将を得んと欲すれば、まずその馬を射よというわけである。

 これは教育法で定められた校長という職を、官界における閑職や腰掛けとしか考えておらず、決められたことを投げやりに行うだけの官吏たちには考えもつかぬことだった。

 農政のことなど何も知らなかったラヴィーニアだったが、セルウィリアの許可を得て国庫に納められた莫大な数の蔵書から数々の農書の写本を得て勉強し、経験と勘に頼っていた農業をきちんと体系づけられた学問に基づくものに変えるだけでなく、養蚕、水利など農民が考えもつかなかったこと数々の事柄を導入した。

 また中書令時代の伝手をフル活用して各地から土地にあいそうな農産物を取り入れて栽培を試みるなどした。

 五年経つころには、その村は機内きっての裕福な、繁栄した村として知られるようになり、ラヴィーニアは村民の尊敬を勝ち取り、子供を学校に預けることの同意を取り付けた。


 教師としてのラヴィーニアの評判もまた、良かったようである。

 外見が自分たちとさほど違わぬことに親近感を覚えたのか、生徒たちに大層慕われたと伝わっている。

 色気づいた男の子から告白をされては困ったように眉を寄せて懇々と道理を説いて諦めさせると言ったことも多々あったようだ。

 とにかく有斗に対して示したような嫌味も説教臭さも無く、褒めるべきは褒め、誤ったところは正し、気長に子供の成長を見守るいつも温顔を向けている教師であった。

 どうして自分の時にそれが出来なかったのだと有斗が見たら文句の一つも言いたくなるほどの温厚な先生ぶりだったという。

 もっとも有斗がそんなことを言おうものならば、一国の主たるものが年端もいかぬ、ものの道理も弁えぬ年若の子供と同じ扱いでよいなどといった、情けないことを申されますなとクドクドと説教されるのが落ちであったであろう。ラヴィーニアはそういう女である。


 朝は子供たち相手に実学を中心とした学問を教え、昼は農民を相手に農政を指導し、夜は古学となった魔術の勉強に没頭するといった決まった生活を送っているラヴィーニアだったが、たまに来客が訪れることもあった。

 友人の少ないラヴィーニアを訪ねる客は、私的なものでなく、公的なものばかりである。

 ひとつはセルウィリアから政治的な事柄に関する相談の書簡を持ってやってくる使者であり、もう一つはラヴィーニアが校長を務めている村落がある県、あるいは郡に新しく赴任した官吏たちであった。

 前者は朝廷には己に代わる人材がいないのかとラヴィーニアに疲労感を感じさせ、後者は面倒な儀式に付き合わねばならないとうんざりさせる、どちらも招かざる客である。

 その日の午後、ラヴィーニアを訪れたのは後者、新しく任じられた県令である。

「また来たのか。用があるならばこちらから出向くから、わざわざ足労する必要はないことを前任者には伝えたつもりだったんだがな」

「聞いております。ですがラヴィーニア様といえば先帝陛下の右腕として共に天下一統を実現なさった偉大なお方、その才能、功績はどんな山よりも高く仰ぎ見るものです。官界に身を置くものとしては敬意を表すために自然と足が向かざるを得ません」

「昔のことだ。今の官は一農村の校長に過ぎない。郡司と言えば、諸侯で言えば伯領に匹敵する広大な土地を差配する重要な役目、地方では王にあたると言っても過言では無いほどの立場。一介の校長ごときにわざわざ挨拶に来るのは筋が通らない」

「ですが位階は従三位、私など足元にも及ばない雲の上のお方ではありませんか。そう言って困らせないでください」

「ならば位階を盾にして帰れと命じたら、今すぐ帰ってくれるのかい?」

 ラヴィーニアの言動から己が歓迎せざる客であることがありありと分かり、その新任の県令は困ったように眉間を寄せた。

「またまた、そのようなことを・・・私を困らせないでください」

 何しろラヴィーニアは中書令を辞したとはいっても、朝廷で容易には解決できぬ難事が持ち上がるたびに今でも女王から諮問が来るのである。

 その知恵を拝借するだけでなく、これは自分が出ていかねばどうにもならないと思えば、朝廷に乗り込んで官吏から直接に情報を集め、その辣腕をふるって解決することさえあるのだ。

 つまり隠居したと言ってもセルウィリアに直言を言える立場にある数少ない人物である。女王に対して今も並の尚書以上の影響力を保持していると言ってよい。

 言葉の額面通りの敬意云々では無く、自身の出世や身の安全のためには少しでも不興を買うわけにはいかなかった。もし万が一、地元の役人が勤務を怠けているなどと書簡を送られたら、間違いなく首が飛ぶ。是非とも挨拶をしておく必要があるのである。

 もっともラヴィーニアからしてみれば、くだらない話をして自身の貴重な時間を削っている今の状況こそが十分に不興を買っていると言いたいところであるのだが。

 とはいえラヴィーニアだって宮仕えの経験ある身だ。彼らの考えや苦しい立場は十分わかる。これ以上、不毛な会話の遣り取りで時間をロスしないためにも粗茶を出して適度な歓迎で早々にお引き取りを願うのも、またいつものことだった。


 だがたまには嬉しい客が来ることもある。

 東京龍緑府から来た客は、いつものセルウィリアからの難問を持ってきたのではなかった。

 年若い、といってもアメイジアにおける年齢は外見だけでは判断できないし、見かけ上はどう見てもラヴィーニアのほうが若いのだが、とにかく年若く見えるその官吏は自分は史官であると名乗った。

「この度、陛下が正史を編纂するように命じられました」

「そうか・・・とうとうその時が来たのか」

 感慨深げにラヴィーニアは呟いた。

 正史は時の権力者が自身の都合が良いように歴史を改竄(かいざん)しないようにという建前で、一つの時代が終わった後に次の時代の人々が書くことになっていた。

 つまり正史編纂が命じられたということは、戦国の時代が完全に終わったということを政権が公的に表したこととなる。

「正史は東西王朝の分裂をもって途絶えていた。東朝の荘王から始めるのかい? それとも西朝の懿王から?」

 史書は編年体でなく紀伝体で書かれる。その頭を飾るのは代々の王、支配者について書かれた本紀である。本来ならば即位順に書かれるのが通例であるが、戦国時代のように東西に王朝が別れ、更には一方が断絶し、地方では覇権を狙った姦雄が跋拠していたとなると話は難しくなる。どういった順番で本紀が書かれるのかラヴィーニアには大いに興味があった。

「第一巻は聖帝本紀です」

 聖帝とは有斗のことである。

「ということは陛下は戦国を終わらした覇者たる先帝陛下をもって王朝の始祖と考えたということか。東西王朝にて即位された代々の王は二巻以降に記載されるということか?」

「第二巻は巻名は決まっておりません。何故なら陛下の事績を記載することになっておりますので」

「なんだって!? 陛下が?」

「陛下たってのご希望により、そうなりました」

 セルウィリアは天下統一を成し遂げた有斗から位を譲られて即位した。つまりセルウィリアは戦国期の王では無い。次の時代の王である。

 本来ならば新王朝の開祖として次の史書の第一巻を飾るのが筋であるはずだが、セルウィリアはどうあっても有斗の後ろに来たい、有斗の後ろで無ければ嫌だ、自身は戦国時代に生まれ、一度は関西の王として即位したのだから、戦国史に入るべきだとさんざん駄々をこねて無理矢理にねじ込んだのだ。

「次いで東王本紀、西王世家と続きます」

 東西に分裂した王朝に正閏を定めるのは歴史家ならば難しい問題だが、天下一統を成し遂げた有斗は東の王朝を継承したという形をとっているため、その王権を受け継ぐ形となった今の朝廷は東王朝を正統として本紀とし、西王朝の歴史を世家としたのだ。

 だが関西を実効支配していたことや、セルウィリアの先祖であることを(はば)って世家の前に王の一文字を入れることでバランスを取ったというわけである。

「併記することで釣り合いを取ったか。まぁ、どちらもアメイジアの半分を支配していたことを考えると妥当な措置だねぇ」

「次いでカヒ、オーギューガなど各地で覇を唱えた諸侯の世家が続きます」

「・・・そこはまぁ形式通りだからね。それよりあたしが知りたいのはその次だよ。歴史に多大な影響を与えた人物は列傳(れつでん)の前に世家に加えられるだろ? あたしはそこに入っているのかいないのか?」

 世家とは本来、世々家禄を受ける諸侯について書かれたものである。個人として歴史に足跡を残した人物は列傳で入れられるのが通例だ。

 だが一代限りの諸侯であっても功績が大きく、歴史に大きな関わりを持ったと見做された人物、あるいは民間で大きく尊崇されるような人物は世家に入れられることがある。

 自身が史書に名を残すだけの存在になったと自負しているラヴィーニアだったが、己が挙げた功績が世家か列傳にあたるかは編纂を命じたセルウィリアや実際に記述する史官らが決めるところであるから、そこを訊ねたのだ。

「お喜びください、ラヴィーニア殿はアリアボネ殿の次に螺後中書世家という独立した巻が与えられることとなりました。おめでとうございます」

 自身の言葉に喜ぶとばかり思っていたその若い史家だったが、その言葉を聞いたラヴィーニアは天を仰いで深く(まぶた)を閉じて嘆息した。

「またしてもあんたの後か。どうやらあたしとあんたとは最後までそういう宿命にあるらしいね」

 科挙の成績ではアリアボネが榜眼でラヴィーニアが探花であった。有斗に仕えたのもアリアボネが先でその後をラヴィーニアが継いだ。だからというわけでもあるまいが、史書でもラヴィーニアはアリアボネの後塵を拝することになるというわけだった。

 世間一般ではどうやらラヴィーニアよりもアリアボネの方が有斗の天下一統になした功は大きいと見做しているようだった。

 残念ではあるが不当では無い、とラヴィーニアは思った。有斗の天下一統の長い道程を支えたのはラヴィーニアだが、その土台を作ったのは彼女のたった一人の親友なのである。その偉業は正当に評価されるべきであろう。

 ほんのちょっとだけ、美人なぶんだけアリアボネのほうが得をしたのかなとも考えたりもしたが。


 さて世家として単巻を与えられた人物はアエティウス、アリアボネ、ラヴィーニア、テイレシア、ガニメデらであった。

 カトレウスは天下を有斗と争ったということで本紀に入れられることとなった。

 アリスディアは他の教団幹部と共に教団世家に、十一神将は出身地ごとにまとめられ列傳(れつでん)に入れられた。

 セルノアが列傳で単巻を与えられたのは、その臣下として優れた行いは後世の手本とすべきであるとセルウィリアが横車を入れたためであることは記録に残っているから確かなことであるが、アエネアスがベルビオ、プロイティディスと同じダルタロス将軍列傳に入れられたのに留まったのは、有斗とのエピソードのほとんどが不敬であるからという理由で削られたためか、あるいはセルウィリアの何らかの意趣が働いていたかは歴史家の判断の分かれるところである。

 そして列傳で単巻を与えられた人物がもう一人いるのを忘れてはならないだろう。それはマシニッサである。

 とかく書くべきエピソードが多く、文章量の関係で単巻になったというのが通説であるが、他の列傳対象者の本人や遺族が同じ巻に入れられることをことごとく拒否したという説も根強く語られるところである。


 だがこれら全てが出揃ったのはこれより幾年もあとのことだ。

 史官がラヴィーニアを訪ねた時には、まだ全体の巻数も、構成も細かく決まっていなかった。アエティウスやガニメデといった重要人物も列傳に入れるか世家に入れるかさえ決められてなかったようである。

 史官の下に資料や情報が十分に揃っていなかったからなのだ。

 つまり史官が今回、ラヴィーニアを訪れたのは、公的機関に残っていないような情報をラヴィーニアから得るためである。

 有斗王にもっとも長く近侍し、当時のことをもっともよく知る人物として、その話を聞き、日記など書類を見せてもらうのが目的だった。

 何しろ最も長く近侍し、精神的距離が近かったアリスディアは公的に死亡していることになっていたし、内向きのことはともかくも政治的なこととなるとグラウケネにはさっぱり分からなかったからである。

 それにグラウケネだって『陛下はどのようなお方でしたか』と尋ねられても、『お仕事に息詰まると庭に出て蟻の行列を眺めておいででした』だの『女官が近づけば、顔よりももっぱらその胸ばかり見ては顔を赤くしておられました』だの『それに気付いた近衛将軍(アエネアス)様にいつも殴られておいででした』などと起こったことを馬鹿正直に答えるわけにもいかなかったであろうから、あまり有意義な話を聞き出せなかったかもしれない。

「というわけでして、先の中書令殿には陛下やご自身についてお話を伺いたいとお邪魔した次第であります。是非ともお話をお聞かせ願いたい」

 アリアボネの後という付帯条件が付いたことは残念であったが、それでも史書に、それも世家に単巻にて名前を残せるというのは人としての栄誉これに勝るものはないと感じたラヴィーニアは快く史官の要望に応えることにした。

 話す前にラヴィーニアは考えた。

 あるがままの有斗の姿を知っている者は少ない。偉大で厳格な王、生涯のほとんどを馬上で過ごした武断な王だと民衆は思っている。

 実際の人間臭い、ある意味、大いに甘いところがある寛容で心優しい人物だと知らしめるエピソードを多く並べることで、人民に慕われるように仕向けるのがいいか、あるいは有斗のしたことで少しでも悪い解釈ができそうな事例、例えばオーギューガの件とかは、自身が裏で悪巧みを働いたせいだと嘘を言い、自身に後世の人の悪感情を集めることで有斗をより一層、偉大な存在に見せるか、どちらのほうが得失が大きいか計算を始めた。

 自身を良く見せようだとか、自身が不利になることは口を(つぐ)もうだとかいった(さか)しらな考えはまったく思い浮かばなかった。

 ただ、どうすれば有斗の流れを組むセルウィリア以降の王の権威を高められるか、それだけを考えた。

 有斗の存在が大きくなればなるほど、後世の王も民草を統治しやすいはずである。自身が史書に書かれる、ただそれだけのことまで謀略の種にしようとしたのである。

「ではさっそくお聞かせ願えますか?」

 促す史官の声にもう一度大きく頷いて見せると、ラヴィーニアは口を開いた。

「先帝陛下が召喚の儀で呼ばれた折には・・・・・・」

 だが、それっきりラヴィーニアは目を見開き、口を大きく開いて黙りこくった。

 いつまで経っても言葉を発しないラヴィーニアに史官は怪訝な視線を向けた。

 ラヴィーニアは語る言葉が無くて言葉を発しなかったのではない。心中に沸き起こった感情のせいで発せなかったのだ。

 これはやばい感情だ、とラヴィーニアは心底震えた。生まれてから感じたことが無い感情だった。

 カヒよりもオーギューガよりも教団よりも・・・今まで戦ってきたどんな相手よりも強敵だとラヴィーニアは感じた。

 反乱を起こして追放した有斗が勝利者として王都に戻って来た時にさえ感じたことが無い感情だった。

 それはなんとも言えない感情だった。

 悲しく、懐かしく、そしてどこか暖かい。とにかく胸が締め付けられるような苦しい感情だった。

 それはどことなく恋と言う感情に似ていた。

 ラヴィーニアは今更、気付いた。ラヴィーニアにとって有斗を支えて過ごした日々は難事に囲まれ、物わかりの悪い同僚と理想論を振りかざす有斗に挟まれ振り回されるという、長く苦しく辛いものだったが、だが同時に毎日が楽しく心躍る日々だった。

 彼女が産まれてから求め続けた自分の居場所は有斗の中書令という形になって、あのとき、あの場所に確かに存在したのだ。

 常人とは違ういびつな形だったが、それが彼女のずいぶんと遅い青春だったということが言えるかもしれない。

 有斗に王としての心構えを説いたり、過ちを指摘し、正しさを称賛する。そういった遣り取りを思い出し、そしてもう二度とそんな日々が帰って来ないと思うととても切なかった。

 不敬な考えだったが、ひょっとしたら自分は有斗のことを好きだったのかもしれないなどと今になって思った。

 今、口をこれ以上開くと、言葉と共にこういった感情が泪と共に溢れだして、とんでもないことになるとラヴィーニアは思った。

 自分は先帝の懐刀、誰よりも非情で、冷徹で知られた女なのである。そこらの十把一絡げの女のような姿を、他人に見せるわけにはいかないとラヴィーニアは強く思う。

「話す様な事は何もない」

 ラヴィーニアは勇気と気力を振り絞って、目の前で不思議そうな顔をしている史官に辛うじて、そう告げた。

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