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紅旭の虹が産まれる前のお話

「でね、トルコの建国の父って人が信長と秀吉と家康を足したような凄い人なんだって」


 もう一昔前のこと、ヨーロッパに旅行に行った母が私にトルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクに対してそう言ったのが、おそらくこの物語を考える上での発端となったことは間違いない。

 信長と秀吉と家康。戦国の世に終止符を打ち、三百年の太平をもたらすうえで欠かせぬ三人の英傑。いずれも甲乙つけがたく、それぞれの信者同士で誰が一番優れているかをめぐる論争の絶えぬ三人でもある。

 ちなみに私は指導者として持つなら信長、共に偉業を成し遂げる仲間としてなら秀吉、太平の世に上司に持つなら家康が良いと思います。

 ともかくもその三人を足したら物凄い人物になるぞ・・・と思い、私は急いでアタテュルクに関して調べ周り、その業績を調べた。


 調べてみて驚いた。確かにアタテュルクという人物は時代の英傑である。トルコが欧米列強の支配から免れえたのも、オスマン帝国から続くその栄光ある歴史を脈々と引き継ぎ、イスラム圏でありながら、イスラム教の影響力を政治に介入させない国家となったのはアタテュルクがいたからといっても過言ではない。

 だが三英傑を足した人物とまでは言い過ぎではなかろうか、とも思った。

 三人を足したならば、あのモムゼンをしてローマが生んだ唯一の創造的天才と評したカエサルでさえも届かないのではないかとすら考えてしまう。

 これは私が日本人だから日本の英雄を身びいきしているのでは決してない。

 三英傑の中に一人、規格外の人物がいるからである。

 三英傑は乱れきった戦国の世を鎮めた歴史に名を残す偉人だが、その中でも特筆すべきは信長だ。彼一人の存在でカエサルとためを張ることが出来るのではないかとすら思うからだからである。

 信長は開明的な君主である。

 え? そんなこと、言われなくっても分かってるって?

 もちろん、そんなことは今更、私ごときが言うまでもないことであるけれども、怒らずに最後まで聞いて欲しい。

 軍事的に見てみると、槍の長さに着目し、他国より長い三間半の槍を導入した。鉄砲でくまなく武装し、常勝無敗の武田騎馬軍団を撃破した。数百年にわたって海を支配してきた瀬戸内の王者、能島来島の海賊衆を中核とする百戦錬磨の毛利水軍を、当時ヨーロッパにも存在しなかった鉄でくまなく覆われた装甲船をもって粉砕した。内政や統治面では、出身、身分に関わらず能力主義を取り、楽市楽座を導入し、街道を整備して商業活動の促進を図った。天皇家と密接に結びつき鎮護国家の寺として、また民衆の信仰の対象として高い権威を保持していた延暦寺を浅井朝倉に味方したことを理由に何のためらいも無く焼き払った。

 ・・・と言われてきた。

 これも信長に詳しい人ならば知っていることでは在ろうけれども、かつては開明さの代名詞であったそれら諸政策は信長に先立つこと既に戦国の各地に分散して存在したことが確認されている。

 朝倉孝景条々を制定し実力主義、家臣集住を推し進めた朝倉孝景、楽市楽座の六角定頼、撰銭令ならば大内氏をはじめとする各諸大名、比叡山焼き討ちは足利義教が既に行っていたし、長い槍も、鉄砲でくまなく武装することも戦国時代には既に先駆者がいた。確実に先駆者がいなかったものは実在が少し疑問視されることもある鉄甲船くらいのものである。

 ならば信長は開明的な君主ではなく、先行者の(わだち)を辿っただけの模倣者に過ぎなかったのであろうか?

 実は信長がこの時代の人物と大きく異なるのはその考え方なのである。

 井ノ口を周の武王が岐山で兵を挙げ殷を滅ぼし天下を得た故事から岐阜と改名し、天下布武という印章を使い始めたことから分かるように、信長は尾張美濃を手に入れたその段階で既に天下統一を考えていた。

 畿内は三好一党が政権を握っていたし、地方では中国地方に毛利元就、甲信に武田信玄、関東に北条など実力、評判共に信長の身代を遥かに上回る存在がいるこの時期にである。

 確かに応仁の乱以降、足利将軍家の力は落ちる一方でもはや天下人とは名ばかりの存在であったが、遠祖八幡太郎義家から続くその高貴なる血と将軍と言う名の権威はその時代に生きた人々にとって果てしなく重いものである。

 細川、三好、松永、大内。足利将軍を廃し、あるいは立て、天下の権を握ろうとして存在を利用はしたものの、それに取って変わろうなどとは露ほども思わなかったのである。

 そんな中で三管領の一つである名家斯波氏の家臣織田大和守家のそのまた家臣という出であるにもかかわらず、信長だけが考えていたのだ。

 武田、上杉、今川、長宗我部、大友、島津は言うの及ばず、中国の覇者となった毛利、五代にかけて関東を制圧した北条も天下を統一するというグランドビジョンをもって戦争を組み立てたり政治を行ったりと言う形式がまったく見られないにも関わらずである。

 他の二人の覇者、秀吉も家康もその彼の敷いた道を辿ったに過ぎない。しかも秀吉は信長の死後、家康は秀吉の死後という目の上のたんこぶが無くなった中で天下取りを選択したに過ぎない。それも同格同僚よりも格段に有利な立場にいたという、言うなれば天下というものが目の前にぶら下がって始めて、その行動を起こしたのである。

 信長だけが戦国の世の中でただ一人、戦国と言う混迷の世界がいつか終わることを知っており、そして何よりもそれを自信の手で成し遂げようと言う強い意思を持っていたのである。

 それに信長の取った政策において、何よりも異質なのは一貫してある一定の方向を指し示した特異な宗教政策である。

 信長と宗教といえば一般的にキリスト教に対する深い理解を示したこと、あるいは比叡山延暦寺の焼き打ち、当時京で力を所持していた日蓮宗系の宗門に結果として打撃を与えることになった安土問答、一向門徒との足掛け十年以上にわたる長い抗争、あるいは自らを神格化しようと試みた安土城総見寺の建立などを持って知られている。

 それら全ては無心論者であった信長が旧勢力である仏教を押さえつけるために取った政治的な手段であり、信長は戦国の世という情義や慈愛など一切通用しない厳しい世界で生きているからこそ不合理な宗教というものとは一線を画し、現実的に民衆支配の道具として宗教を利用しようと思い立ったと思われている。

 本能寺の変によって俗世だけでなく精神世界にまで踏み込んだ真の絶対権力者として君臨するという信長の夢は打ち砕かれることとなったが、秀吉、家康のバテレン追放、キリスト教の禁教によって牙を抜かれた宗教組織だけが日本に残ることになり、結果としてヨーロッパが何百年に渡って苦労することになる政教分離をあっさりと日本だけが世界に先駆けて成し遂げることになる要因となった。

 だがそう考えるのは大いなる誤りであると私は思う。

 信長は秀吉や家康と違い、一度たりとも宗教弾圧をしていない。意外なことにこれは事実である。

 信長は比叡山再興を許さなかったが、天台宗の信教を禁止はしなかった。安土問答で敗北した、法論をしかけた日蓮宗側の首謀者を処刑し、日蓮宗側に以降の法論の禁止と罰金を科したが、日蓮宗を信じることをやめさせはしなかったのである。何よりも信長包囲網の一角となり今川の尾張侵攻以来の大きな危機をもたらし信長の天下統一事業を十年近く足止めさせ、信長の弟信興、信治、寵臣森可成などが亡くなる原因を作った本願寺ですら最後には赦免し和解している。信仰の自由も宗門の継続も許したのである。

 そこから見えてくることは宗教団体が武力を持つ、あるいは世俗の権力と結びつくことは信長は決して許さなかったが、個人の信仰の自由は尊重したという意外な事実である。

 総見寺の件も眉唾である。

 もし信長が本当に自己を神格化し、政治宗教の絶対的支配者であらんとしたならば、仏教もキリスト教も儒教も全てを禁教しなければ話があわない。

 宗教と言うのは個人の行動の規範となるものであり、他の宗教とは根本的に相容れぬもの。一神教、あるいは日蓮宗などを見てもわかるとおり宗教と言うものは基本的に自らの正しさを信ずるあまりに他の宗教に対しては不寛容であるという側面を持ち、信者は間違った考えを抱いている他者を救い出そうという使命感に燃えた結果、争いが起きるのが常なのである。

 信長が自身を地上に現れた新たな神であると本気で思っていたならば、あるいはそう民衆に思わせたかったのであるならば、信長は他の宗教全てを弾圧するしかなかったはずなのである。

 信長が示したのはあまたある宗教の一つの選択肢として己の存在を示しただけである。家臣に改宗を強要したことは一度も無い。

 そこにあるのは信教の自由と言う時代にそぐわぬ進歩的な考え方のみ。白人社会が幾多の国家間戦争と階級闘争、民族紛争を経てようやく二百年後に手に入れるはずのものである。しかも秀吉、家康を見て分かるとおり、その後の日本から瞬く間に失われていく思想だった。

 信長はまるで未来からきた人物のようにこの時代の他の人間とは考え方の基本が違うのである。

 未来・・・まるで異世界から来た人物・・・か。

 私はその時、少し興味深くも感じながらも、その時はそれ以上、このことについて思考するのをやめた。

 アタテュルクという偉大な人物の業績を知識として知ることが出来ただけで満足してしまったからである。


 さてさて紅旭の虹の雛形になった物語が生まれたのは、今となってはもう遠い昔のことである。

 私にはエロゲーの原画を描く仕事をしている友人がいるのだが、彼が喫茶店でひとつのラフ絵を見せたことから話は始まった。

「な~○○(私の名前)、こんなのはどうかな?」

 彼はちょうど前の作品が終わったところで、次のプロジェクトが動き出すまで時間があり、尚且つ、その作品がいろいろあったことで(ライターが途中で変わっただったかな?)不満な出来になったことを悔やんでいたのか、自分が主体となって作品の色、テーマ、物語、ヴィジュアルなどトータルデザインしようと意気込んでおり、参考にでもならないかとなんらかの意見を私に求めたようであった。

 それはローマ、ギリシャ風の列柱に空に浮かんでいるような大地のヴィジュアル、空の青が薄いながらも透明感溢れるファンタジックなイラストだった。

 なるほど、確かに友人の絵にぴったりの光景であり、実に優れた他に追随の無い色彩設計である。

 色彩のセンスに絶望的なものを持つ私としては羨ましい限りの素晴らしい出来栄えのキービジュアルであった。

 だが問題があるな、と私は思った。

「これだと設定はファンタジーということになるけど、ファンタジーってのは売れるのはなかなか難しいぞ? 編集に持ち込んでも、まず嫌われる分野だし」

 ファンタジーが難しい? 売れない? 嫌われる?

 ここ最近のラノベの流れを知っている皆様方からは疑問の声が投げかけられるかもしれないが、かつてはそう言われていたのである。

 いや、その真理は今も変わらないと言ってよい。

 馬鹿いってるんじゃないよ、ラノベでもマンガでも一杯あるよ、むしろそうでないほうが少ないという反論が返ってきそうであるが、それは違うのである。

 そのファンタジーとして指されているものの多くである、いわゆる転生もの、魔王と勇者ものなどは古代の伝承、トールキンらファンタジー作家、そしてTRPG、ゲーム機のRPG、さらにはそのノベライズやコミカライズ、そういったものの積み重ねで形作られた、日本人がファンタジーと聞いて思い浮かべる世界観を利用して作っているだけの物に過ぎないからである。いっちゃえば二次創作に過ぎないのだ。

 誰もが見たことない土地や怪物、種族を始めて読む一般読者に分かるように書くと言う、トールキンやC・S・ルイスがした労苦をしていない作品をファンタジーなどとは言って欲しくない。

 その後の記憶が特に無いことを考えると、おそらく会話は別の話題に切りかわったか何かであったろうと思われる。

 だが私は友人が少し不満げな様子を見せたことが気にかかった。

 それもそうであろう。他人に見せたと言うことは自信があったと言うことである。それを一言の下に否定するようなことを言われたのだ。不快にならないはずが無い。

 私は帰りの電車内で少し悪かったかなと思った。

 それに単なる批評家や読者ならば批判や意見も好きに言えばいいのだろうが、私も少しは物を作る仕事に携わっていた。友人は私にきっとなんらかの建設的な意見や対案を期待していたに違いない。

 それに彼はキーヴィジュアルやキャラクターデザインはともかくも物語を作ることにも長けていない。

 もし彼が私に助力を求めてきたら、何らかの手助けになれるようにくれてやれる簡単なプロットやアイディアを作っておくことを思いついた。

 家に帰るとカウントダウンTVを見ながらさっそく幾つか考えたことを今でも思い出す。

 今ではありきたりになった魔法少女バトルもの、今では絶滅してしまった日常生活におけるたわいない出来事の解決を主題とするような魔法少女もの、宗教戦争とその背後に渦巻く悪魔との戦いを戦争当事国両者の視点から描くことで保管しあうRPGちっくな物語、人間を遥かに上回る獣耳の一族と人間との差別や悲劇を描く物語、そして最後がこの紅旭の虹の雛形となった異世界へ現世人が転生し、信長と家康と秀吉が行った天下統一事業を一人で体現すると言う物語である。

 私としては友人の絵柄の雰囲気からもノンバトルもの魔法少女が第一候補だったのだが、候補も何も友人が私に助力を求めるような事態は起こらなかったため、結局全てお蔵入りとなり、私の頭の中のゴミ箱に棄てられる結果となった。


 時が経ち、往年の創作意欲が戻りつつあった私の前に、このサイトが現れ、何を書こうかと思った時にそのゴミ箱から引っ張り出してきたのが紅旭の虹だった。

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