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賭けものになった側妃

 






 ネレイス・オウディアス。それがいまの後宮でもっともうわさされ、また帝王陛下の寵愛を一身に受ける女性の名前でした。

 もはやクヴァル帝王陛下は、ほかの妃の寝所に赴くことはありません。ネレイス妃の元をおとずれるだけではなく、彼女を宮殿の自室、彼のための寝所に連れてゆくことすら多くあります。


 こんなことが許されるのか、という声は良く聞きました。他国の妃だった女を寵愛するなどあり得ない、このままではグランヌスはライワールトに乗っ取られてしまう、そんなことは決して、決して許されない。あの女性を排除すべき、と何人もの妃に言われました。


 帝王陛下のために家を離れたのに顧みられないなんてあんまりです、―――このままでは私たちは、あの方に愛されなくなってしまう。

 憤る彼女たちの言葉に、ほんとうかしら、と思うのです。愛されなくなる、ではなく、はじめからわたくしたちは、愛されていなかったのではないかしら。

 だって陛下はわたくしたちなど、最初から政の道具としか見ていなかった。とはいえ、ネレイス妃にどうしてここまでのめり込まれるのか、彼女に向けるものは真実の愛なのかは、まったく分からないのですけれど。

 わたくしがクヴァル様を愛していたら、違ったのでしょうか。愛は人を盲目で愚かにすると言い、わたくしもその通りだと思います。ワーシュ様がおらず、美しいクヴァル陛下に恋焦がれていたら、ネレイス妃を憎いと感じていたのでしょうか。


 ネレイス妃を虐げ、後宮から追い出すべきなのでしょう。それが後宮唯一の最高位の妃の務めで、正しいことのはずでした。けれど彼女たちの願いに、わたくしは応えませんでした。

 後宮のためという彼女たちの言葉には私情しか感じられませんでしたし、わたくしにネレイス妃を憎く思うだけの熱量は存在しませんでした。ベツェリ妃がいなくなり、後宮は穏やかな場所になりました。それ以上は何も望みません。

 なにより、何より―――怖かったのです。ネレイス妃のことが。あの美しい人はいつも穏やかに笑んでいましたが、その瞳にはなにか、底知れないものがありました。


 今の地位に、ずっとともに居てくれる侍女。

 一番の望みは叶わずとも、わたくしにも失いたくないものはあるのです。臆病と、怠惰と言われようと、現状の維持以外、何も望まないのです。




 だから、これも、当然のことだったのでしょう。




「後宮を解体する」


 本当に久しくわたくしの部屋を訪れたクヴァル様は、淡々とそうおっしゃりました。

 驚きはありませんでした。嘆き怒る妃たちは多いのだろうな、とは思いましたが、ずっと、この日が来る気がしていたのです。


「そう、ですか……。他の妃たちは、納得するでしょうか」


「理解する必要はない。受け入れなくとも、俺がそう決めたのだから。……喜ばないのか?ずっと望んでいただろう」


 家のため残虐な男に嫁がされ、惚れた男とは両想いにもかかわらず結ばれることが出来なかった。


 淡々と彼は言いました。どうして知られているのか、という恐怖と、やはり知っていたのか、という納得。ベツェリ妃のように裁かれるのだろうかと考えましたが、クヴァル様の瞳には、常にそうであったように、何の感情も浮かんでいませんでした。


「あの男は……。ワーシュと言ったか?いくら本家に結婚しろと命じられても、頑として拒んでいるらしい。次の季節より早く後宮を離れるなら、俺が直々に、お前とそいつの婚姻を命じよう。従うならレスティカ公爵家の当主はどいつでも構わないんだ。お前をレスティカ公爵家の次期当主にすえて、2人であの家を牛耳らせたっていい」


 うっすらと笑って、彼はそう言いました。可能なのですか、なんて問いを投げかけられるほど、わたくしは愚かではありませんでした。どうするのか、は全く分からなくとも、彼が言葉にするなら、そうすることが出来るのでしょう。

 だから、問えたのは、一つだけでした。


「それ、は……ネレイス妃の、為ですか?」


 あなたはネレイス妃を愛したのですか。

 わたくしが、ワーシュ様を愛したように。


 本当は、そう聞きたかった。けれど返事を聞いて、言葉にできなかった問いの答えもまた、わたくしは得ることが出来ました。


「いいや?」


 クヴァル様は、瞳を細めて仰いました。それは、初めて見る顔でした。


「俺のためだ。……初めて、どうしてもほしいものが出来た。それだけの話だ」






   ∮







 鮮烈な青紫に、今も囚われている。


「グランヌスの帝王、私には貴方がこの国を、侵略したがっているように見えます。ライワールトの王も民も、それに気付かず束の間の平和を享受している。戦火はすぐそこまで来ているというのに」


 つまらない友好の証の、つまらない舞踏会で、その女はつまらなさそうに立っていた。退屈なだけの時間のなかでダンスに誘った時、女は誰よりも美しい所作でその手を取った。そうして曲が最も響いた時、俺にしか聞こえない声で、囁いたのだ。


「………だとしたらどうする。その細腕に、なにが出来る?」


 返したのは嘲笑だった。細い腕が絡められる。四方から向けられている視線の一つが、剣呑なものになった。


「なら、この後の賭けに勝って、私を連れ帰っていただけませんか?」


 くるりくるりと回りながら、それでも女は笑った。

 曲が終わる。聞き返されるよりも腕を伸ばされるより早く、一歩下がってカーテシーをした。


 この夜が顔を合わせる最初だったが、この女については知っていた。美貌と才覚で名を馳せ、けれど平民の血を引いていることから婚約を破棄された女。哀れまれ、蔑まれているはずの女。

 利用できると思った。使えなくとも、酒やら馬やらよりは面白い。憎しみの籠った視線を背に向けながら、この女を連れ帰るための算段をつける。どう活用するかも。


 その時は、本当にそれだけだったのだ。




 









「お前が賭けるのはその側妃だ、帝王!去年奪ったその女を、天秤に掛けるが良い!」



 ああついに、と口角をあげる。

 ネレイスの故郷を訪れてから、数月。最愛の妃が隣にいる日々は、瞬きのようだった。

 そうしてあの賭けの日、俺がネレイスを連れ帰ってから、丁度1年。王が代わってから2度目の賭けの夜が、今だ。


 ライワールトから送られてきた使節団の中には、オウディアス辺境伯の姿もある。

 かつての夫やこちらを睨みつける正妃を、腕の中のネレイスは淡々と見下ろしている。その温度にも気が付かず、ライヒムはネレイスを寄越せ、と叫んだ。 

 かつてネレイスと踊った時より数段強い、憎悪すら込もった目は愉快で、滑稽だった。そうして返事は決まっている。


「断る。賭けるのは国を左右しないものと決まっているだろう?ネレイスは俺の、唯一の妃だ。愛する妻を失ってはとても俺は正気ではいられない。この国も立ち行かなくなるだろう」


「なっ……!昨年は、その女を賭けさせただろう!」


「それは国王、そなたの側妃の話だ。ネレイスはそなたにとっては替えが効いた、が俺にはそうではない。それだけの話だ」


「替えだと……?まさかネレイスを心から愛しているとでもいうつもりか?!お前のような残虐な人間が、国益にもならない平民の血を引く女を、本気で愛するわけがないだろう!」


 残虐な王、平民―――言葉のつまらなさに口角が上がる。国益こそがどうでもいいというのに、半端に常識やら愛国心を覗かせるこの男にも。生憎グランヌスにとって善いものであろうとしたことはない。


「愛しているとも。心からな」


「なっ……!い、良いから早くネレイスを返せ!まさか、子を孕んでいるわけでもないのに……!」



「――――――分からんぞ?」



 膝に抱いた妃の、薄い腹をなぞる。ネレイスに懐妊の兆候こそないが、2日と明けず夜を過ごしているのは事実だった。1年以上側妃にしておきながら1度も触れたことの無かった、この国王と違って。

 込められた言葉の意味に気が付いたのか、金の瞳がまた憎悪に染まる。


「…………なら、ネレイスを賭ける必要はない。代わりに、これから行う賭けで俺が勝ったのなら、ネレイス1人でライワールトに戻ってもらおう。身勝手にも突然この国を離れたから、公務が溜まっている。それらすべて終わるまで、ライワールトの為働いてもらう」



 返す気などないのだろう。にこり、と笑ってやる。


「断る。そちらが何でも賭ける、というなら話は別だが」


「くそ、良いから早くしろ!」




 国王がーーー男が今年の賭けに選んだのは、的当てだった。


 互いの矢は3本。的の中心をより多く射たものが勝者となる。裏庭に的が用意され、兵や観客がずらりと周囲を取り囲む。長椅子を用意させ、ネレイスを膝に乗せたまま、ライヒムが弓を引き絞るのを見物した。


 1射目、射芸が得意という評に違わず、国王の矢は的の中心をいぬいた。面白がる観衆、男は満足げに前髪を掻き上げてから、横目でネレイスに視線をやった。

 2射目、矢は見事に最高得点を取れる円を射抜いたが、わずかに中心をそれた。

 3射目、国王が弓を引き絞り、指を離す寸前で、膝の上の妃に口づける。一瞬瞠目したが、ネレイスは嫌がらなかった。その光景が視界に入ったのか、国王の金の瞳は見開かれーーー矢は、的の右上に大きくそれた。


 ざわざわと、やかましく群衆は思い思いの言葉を放つ。最高点ではないが充分では、ああきっとライヒム様が勝つだろう。けれどネレイス妃を望むとは、いやこれは意趣返しではーーー。全て、どうでもいいことだ。


 絡めていた指を外し、妃の頭を撫でる。


「少しだけ待っていろ。すべて、望み通りにしてやろう」










 ∮










 1本目の矢を引き絞る。なぜか、昔のことを思い出した。



 クヴァル・レヴェスターは……俺は、前王の五人目の妃の子で、九番目の皇子だった。父は多くいる息子のうちの一人など気にも留めず、母は身体の弱い兄のみを溺愛した。

 乳母もその息子の乳兄弟もいたが、ハズレの王子、と見下された。物には恵まれ、けれど誰にも愛されず、視界に入りもせず。何も与えられなかったから、第一妃に母と虚弱な兄が殺されたときでさえ、なんの感慨も浮かばなかった。

 幸か不幸か、容姿には恵まれた。碌な教育を与えられずとも賢しく、生き延びられるだけの才覚があった。そうしないと惨く死ぬしかなかったから、性悪な第二妃の息子の従者になった。そいつの元で多くを奪い取って奪われて、気がつけば両手の指よりいた王の子供は、俺と主人である第二妃の息子しか居なくなっていた。

 第二妃の息子は帝位を目前にして最後に邪魔になった腹ちがいの弟を殺そうとして、逆に第二妃に敵対する家を味方につけた俺に処刑された。


 絶対に死にたくない、と願ったわけではない。帝位に執着もなかった。けれど第二妃の息子は俺を拷問の末餓死させようと考えていたから、醜悪な権力欲塗れの人間を利用して、醜悪な権力欲塗れの兄を殺した。


 そうしてたった一人、血塗れの玉座を手に入れた。臣下と名ばかりの老害どもに形だけ敬われ、彼らの望むままにその娘や孫を後宮に入れた。優れたクヴァル・レヴェスターに女たちは夢中になって、寵を求めて醜く争った。

 新しい王に反発する家を潰し、俺を暗殺しようとする者を殺し、他人を蔑み、他人に憎まれ恨まれて。


 遂に他国に手を伸ばそうとした矢先、因縁の国の絢爛豪華な城で、ネレイスと出会った。


 全てに恵まれた。地位も、才も、容姿も。玉座を狙う兄弟の多さから幾度も命を狙われ、その全員を捩じ伏せた。立ち位置を脅かすことを恐れた父に処刑されかければその首を落とすことに躊躇いはなく、親殺しすら容易に出来た。

 敵対している勢力にも関わらず、甘い言葉一つで頬を染める女を見下した。口先だけの約束で、容易く主を裏切り俺に媚びへつらう臣下を蔑んだ。

 とうに何もかもに飽きて、けれど終わらせるあてもなく、そんな時にネレイスに出会ったのだ。同じだけの才覚を持ち、けれど正反対の彼女に。


 最初は疑問からだった。俺に惚れたとぬかすくせにその瞳に恋情が浮かんでいなかったから、なら何を企んでいるのだろうと不思議に思った。身体に触れて、俺からも彼女を気に入っているフリをして。けれどネレイスはその才能こそ見せても、祖国への恨みも夫だった国王への怒りも、ちらりともみせなかった。



 2本目の矢を放つ。ほんの少しも外れる気はせず、また中心を射抜く。



 俺と同等の才や容姿を持って、その全てをなにかのために使う女。疑問が好奇心になったのは、いつからだっただろうか?得体が知れないからこそ、分かりやすく腹のうちを見せる家臣たちよりもずっと、ネレイスと共にいると安心できた。愚かなものたちの中で、彼女だけが唯一、知りたいと思える人間だったのだ。

 そうして、あの夜。変わり映えのしないベッドのなかで唯一を教えられた夜。その時初めて、俺はネレイスという人間を見た。その献身を、忍耐を、狂気を。

 あの瞬間を思い出すだけで笑いだしそうになる。彼女はあまりに美しく、健気でイカれていた。そうしてその魂の有り様は、ただ美しく賢い青紫の瞳の女の姿形よりも、ずっと魅力的だったのだ。


 なぁ、ネレイス。

 俺の妻、どれだけ誹られようと決して折れなかった、そんな日々を幸せだったと言い切れる、狂気じみた俺の唯一。



 放つ3本目の矢は、過たず中心を射抜いた。



 喝采。瞳を細める。

 哀れな男の顔は、笑えるほどに蒼白だった。


「さて。何でも賭けると言ったな?なら、そうだな……グランヌスとライワールトの国境の山脈を、そこに住む民も含めてもらい受けようか。勿論、いま、この時からだ」



 12時を告げる、鐘が鳴った。


 男はすぐにその意味に気がついたのだろう。はくはくと口を開くが、言葉が出ないように何もいえずに立ち尽くす。ネレイスの父であるはずの辺境伯は、鬼か悪魔かという形相でむざむざと国境の土地を奪い取られた国王と俺を睨んでいた。が、そんなものはどうでも良かった。


 振り向き、彼女を探す。真っ先に視界に入った女は青紫を見開いて、クヴァルだけを見つめている。宝石に形容される瞳、人形めいた美しい容姿。それら全部どうでもいいと言わんばかりに、俺だけを。



「ネレイス!待ってくれ、俺は……!」



 見向きもされない、哀れな男が叫んだ。必死に手を伸ばす女の肌には、一度も触れられなかった男が。

 この男はネレイスが側妃になった夜、その寝所を訪れたらしい。

「あの夜ですか?側妃として与えられた仕事の中に、孤児院支援に関するものがあり夢中になっていて。陛下は確か……丁度現れたので政策をどこまで進めて良いか意見を聞いたら、何も言わずに帰られましたね」


 どうでもよさそうに話した彼女に腹を抱えて笑ったのは、記憶に新しい。

 この男は、彼女の愛を知っていたのだ。けれど狂気には気付かず、凡庸な物差しで測った。

 平たくいえば、嫉妬したのだ。従順でお気に入りの婚約者が、故郷の平民なんかに夢中になっていると知って、許せなくなった。だから、平民の血が混じっていると貶めて側妃にした。

 焦がれていたからこそ、自分を見ないのが許せなかった。虐げることで、どこかでネレイスが謝罪し、愛を乞うことを期待していたのだろう。そうしてほかの女にうつつを抜かして、ついに愛を踏みにじった。


 若く、傲慢で、愚かだった。そうしてこの男はあったかもしれない、クヴァルの姿だ。

 もしも若い頃にネレイスに出会っていたら、いま膝をついていたのは、俺だったのかもしれない。






 なぁ、ネレイス。家族しか不要と、俺を見ない妃。

 俺は善い王になろう。民も国も愛せずとも、心底どうでも良くとも、グランヌスの繁栄のために力を尽くそう。孤児院を増やし、貧しいものに職を与え、飢えるものを無くそう。

 だって賢王と呼ばれるようになれば、妃1人しか持たないことも、美談となるだろう?

 そうしてお前も、お前が気がついていないだけで優しいから、そんな王を気にいるのだろう。


 宮殿の一角に、孤児院を用意したんだ。

 兵にはすでに、12時の鐘を合図にお前の家族を迎えに行けと命を下した。彼らが常に傍にあり、脅かされることのない暮らしをお前に捧げよう。

 平凡な日々の中で、初めて安堵を覚えると良い。そうしてやっと、お前は家族以外に目を向ける。


 お前が俺に、俺だけにあの笑顔を浮かべる日が、楽しみで仕方ない。

 それはライワールトを侵略するより、世界を得るよりずっと、満たされるだろう。











 なぁ、ネレイス。

 お前は、賭けに勝った!








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― 新着の感想 ―
短編の時にもこの最後の2行に撃ち抜かれましたが、 連載版になっても際立ちますね! 愛のためだけに戦ってきた妃に捧げた勝利 物語が一気に収束して花開く 本当に凄い2行だと思いました!
短編のはずなのに壮大な長編を読み切ったかのような素晴らしい読後感を与えていただいたお話が連載になると知り、あの続きを読めるのだと心の底から嬉しくて嬉しくて感謝の気持ちでいっぱいになりました。 ネレイス…
このラスト、何度読んでも感動で鳥肌が立ちます。 これまでの様々な想いが巡って集約されて。 クヴァルの気持ち、ネレウスの想いが昇華されていくように感じました。 これからの2人の満たされて穏やかな日々を想…
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