客人たち
ライワールトを訪れて3日目、会議に赴くと、そこには父である辺境伯当主の姿があった。
久しいなという言葉とは裏腹に、男は憎々しげにクヴァルと私を見た。国境の話をするにあたっては当事者であり、昨日の会議がいつまでも平行線だったから出てきたのだろうか。
口火を切ったのはクヴァルだった。
「はは、そういえば挨拶もしていなかった。初めまして、お義父さんとでもいうべきか?お前の娘の、夫になった人間だ」
にこやかに差し出された手を、辺境伯は取らなかった。
「は!嫌味のつもりか?その娘はオウディアスに値しない、ただの恥さらしだ!」
「それはいいことを聞いた。なら、ネレイスの家族は俺だけだな」
明らかに挑発であるクヴァルの言葉に、男の顔は歪んだ。その表情と家族という言葉への反応を見て、やはり父は―――オウディアス辺境伯は、私が孤児院の人々を愛していたことを知らないのだ、と息を吐く。
この男は、駒の一つになど興味を持たない。引き取られて学園に入るまで同じ屋敷で過ごしたし、最初に辺境伯に引き取られた時こそ、彼にとっては端金程度の孤児院の支援を望んだけれど、それ以外に私が孤児院の話を出すことは一度もなかった。
明確な弱みと気付かれてしまえば、それだけで彼らの身が危険に晒されるかもしれないと思ったからだったが、正解だったらしい。
「ああ、それと今日の会議だが、雁首揃えてつまらない話しかしないなら、もう国に帰ってもいいか?あれほど必死に呼びつけるから来てやったのに、関税どころかおなじ話しかしないとはな」
クヴァルに噛みついたのは、ライヒムだった。
「な、それはお前が!あぁ、いや、そんなことはいい……なあ、ネレイス、今日の会議の後、君を茶会に招待したいんだ。俺と、アンジェと、3人で。君が妃だったころ、俺と君とで話したことも、君とアンジェがお茶をしたこともあったけれど、3人で交友を深めたことはなかっただろう?積もる話も、たくさんあるから」
いからせた声は、私への言葉に変わる。どこか期待を孕んだそれに、表情は変わらないけれど隣のクヴァルの機嫌が1段下がったのを感じた。晩餐会の時から視線は感じていたけれど、直接誘われるとは、と表情には出さず考えた。
「ありがたいお申し出ですが、遠慮させてください。あなたとアンジェ様との時間を、邪魔するわけにはいきませんから」
「そ、そんな…………」
男は肩を落とすが、どうして落ち込むような仕草を見せるのか。
クヴァルの部下からの報告では、数月前の国境を奪ったあの賭けのあと、何も知らない民はともかく王城は荒れ、グランヌスにおけるクヴァルほど絶対ではないライヒムは、臣下たちから相当責められ絞られたらしい。
国境を取り戻さねばというプレッシャーは分かるけれど、やけに私に視線を向ける回数が多い。
グランヌスに送り付けられる手紙も、国境を返せ、はもちろんだけれど、不遇な目に遭っている私を助ける、という内容が一番多いのだったか。
まさか本当に私に好意を持っていて、グランヌスから取り戻そうとしているということはないだろう。公務をするために側妃にして、その後の態度や扱いから見ても、明らかに彼は私を嫌っていた。
あの夜こそ公務をさせるためと話していたけれど、この国にも多くの役人がいる。人間一人いなくなったからと、公務が滞るなんてありえない。なら彼は、どうして私をこんな、もの欲し気、とすら感じる眼で見るのか。
ほんの少し、気味の悪さを感じた。
辺境伯の居る会議も、主題である関税についてはともかく、国境については堂々巡りを繰り返した。
国境国境とあまりにしつこかったから、クヴァルはなかば会議をむりやり切り上げて、午後は私と過ごす、と部屋に引きこもる。
そうして時間が出来た昼下がり、エフィナはまた、私の元を訪れた。また話しましょうとはいったけれど次の日とは思わなかった、とは考えたものの、嫌がる理由もない。
「ネレイス様!あ、あのこれ、もしよければ、一緒に……」
この日のエフィナは、目元に赤味こそ残っていたけれど、幾分か元気そうに見えた。籐のバスケットを腕に抱えて、緊張した面持ちで私を見上げる。ネレイス様は明後日には帰ってしまうから、と彼女は手に持っていたそれを胸まで上げた。
「学園を卒業する前、クッキーを焼いたら食べてくださるって、約束をしたから……。ご、ごめんなさい!もう学生でもないのに、しかも、ネレイス様はグランヌスの王妃様ですもの、こんなもの……」
「いいえ、嬉しく思います。……お茶の、用意をしましょうか」
俺と過ごすのでは、という視線は放置して返事をする。段々しりすぼみになっていく彼女の声にかつてを思いだした。たしかに2年近く前の卒業の直前、お菓子作りが得意なんです、という話題になった時に、この子とそんな話をしたのだ。
毒見はつけるからな、と、クヴァルは私にだけ聞こえる声でつぶやいた。
彼女が用意したクッキーに、侍女が淹れた紅茶。
追加の焼き菓子を用意しますか、と侍女に提案されたけれど首を振る。
国王からの誘いは断ったのに、たかが伯爵家の次男の妻と茶会を開くのかと角を立てないために、場所はここ、クヴァルの部屋だった。
少し騒がしくするけれど、彼だって十分休めるだろう。数年ぶりの後輩と2人のお茶会、の筈だったのに。
「―――そうやって、ネレイス様はみごと、図書室の暗号の謎を解き犯人を突き止めて見せたんです!結局身分違いの2人がひっそりとやり取りをするための暗号だったんですが、彼らの作った暗号が、学園内ではやるおまじないにも関わっていて。それが、学園で起こった次の大騒動に繋がるんです!」
「……どうしてあなたもいるんですか、クヴァル様」
「なかなかおもしろいな、お前の学生時代の話を聞くのも。……それで?結局どうなったんだ?」
彼女の手作りの故郷の味というクッキーは、砂糖が控えめで、どこか懐かしく美味しかった。
毒見済みの菓子、侍女の入れたお茶。それだけならまだいい。
けれどどうして帝王陛下も、私とこの子のお茶会に同席しているのか。そうしてこのお茶会も、どうしてエフィナの語る、私の武勇伝めいたものになっているのか。
「はい!当時の学園では恋占いが流行っていて、暗号の紙を挟んでいた本が恋愛小説が多かったことから、暗号に使われていた古代文字が、おまじないの結果を示していたんです。紙に模様と想い人の名前を描いて学園の池に浮かべて、水の滲んで変化した模様で恋の行く先を占うって。あのころ学園の裏庭の小池はライヒム様の名前が書かれた紙で真っ白だったんですけれど、ライヒム様って書かれていない紙は、男子生徒が浮かべたものでほぼ全部ネレイス様のお名前が書かれていたんですよ!」
「……お前、ライワールトでもたらし込む時はたらし込んでいたのか」
「でもとはなんですか」
俺がたらしこまれたからな、と彼は両手を挙げた。
学園時代の思い出話は、クヴァルが止めなかったこともあって、何時間も続いた。
空がほのかに琥珀色に染まったころ、本当にありがとうございました、と何度も頭を下げて、昨日より明るい顔でエフィナは去っていく。そうしてあの子が帰ってすぐ、知らせが入る。
「ネレイス様。お話があるとライワールトの正妃、アンジェ妃がいらっしゃっています。お通ししますか?」
1刻ほど前に来られていましたが、先立っての連絡もなかったため、エフィナ様とのお茶会の間はお待ちいただいておりました。そう、大変性格の良かったらしいグランヌスの兵士は飄々と言った。
「今日は客が多いな。どうする?」
「あなたが許してくださるなら、是非」
向けられた視線に返事をする。この国を訪れて以来、姿を見せなかったこの国の王妃。彼女とは是非、話をしたかった。
∮
かつて、この国の正妃は―――コウン伯爵家の令嬢、アンジェ・コウンは王太子の一番のお気に入りで、私のことをとびきり嫌っていた。平民の血を引く女、という言葉を何度聞いたかは覚えていない。
彼女は流行りのドレスを愛し、宝石とアクセサリーを愛し、可愛らしく美しいお茶菓子とそれらを並べた茶会を愛していた。そうして何よりも、誰よりもライヒムを愛し、執着していた。
あの賭けの日も、最後まで憎々しげに睨みつけていた彼女のことだ。私たちがライワールトを訪れてから、昨日も今日も顔を見せなかったのに何の用なのか。
あの賭けの日ぶりに顔を見た、エフィナよりくすんだ茶髪の女は、ドレスや身につけた宝石の華やかさは変わらないものの、あの日より明らかに痩せて、やつれて見えた。唇は青く、その目の下にはくまがある。
ライヒムは、彼女と離縁を考えているという。関係しているのだろうな、と椅子から見上げながら考えた。
挨拶より早く、彼女はこちらを睨みつけた。裏返った、それでも変に気迫のある声だった。
「……随分と待たせてくれるじゃない。あなた、どんな顔でこの国に来れたの?」
「お久しぶりです、アンジェ様。お待たせして申し訳ありません。先約がありまして」
ありふれた返事に、女の目の色が変わる。部屋に来た時から青ざめていた唇が、わなわなと震えた。
「なによ……なによ、その態度!私を馬鹿にしているの?そうなんでしょう!?」
「まさか。お姿が見えなかったので、どうされたのかと心配していました。……ライヒム様からは私と貴女とあの方の3人でのお茶会に誘われましたが、私はあなたと、2人で話したかったので」
言葉を重ねながら、彼女の余裕のなさに疑問を抱く。昔から短気なところはあったけれど、グランヌスの王や兵士もいるこの場で醜態を晒すほど愚かではなかったはずだ。やはり離縁の件が影響しているのだろうか?
けれど、選んだ言葉は失敗であったらしい。
「ふざけないで……その顔、その顔が、ずうっと気に食わなかった!!いまもそうよ、すました顔して……!もうすぐ離縁されるざまあみろって馬鹿にしているんだわ。そうなんでしょう!?」
いきなり大声を出した女は、私につかみかかろうとして兵士に両腕を押さえつけられる。
それでも絨毯に唾を吐きかけながら、叫んだ。
「離して、離しなさいよ!グランヌスに寝返った裏切り者、ライワールトを捨てた人間のくせに!平民の血を引いている分際でふざけないでよ、私は由緒正しいコウン家の人間なのよ!?結局私からライヒムを奪い取るのね、ライヒムが好きでもないくせに!」
「帰って、帰りなさいよ!早く、私の前からいなくなって!」
豹変、としか言いようがない彼女の様子に、へえ、とクヴァルが私にしか聞こえない声でつぶやいた。真っ赤だった女の顔は、だんだんと土気色に代わっていく。最後は言葉にならない叫びを続けて、そうして膝から崩れ落ちた。
「どうして……どうしてあんたなのよ、私の方がずっと、ずっとライヒムを……」
しろく尖った爪が、絨毯を力なく削る。憎悪、怒り。悲しみ。いきなりどうしたのかと思ったけれど、吐いた言葉と、瞳を満たす感情から得心がいく。
彼女はライヒムが私に好意を抱いていて、ゆえに自分との婚姻を終わらせようとしていると考えているのだろう。
こんなに追い詰められて、文句を言うためにわざわざ私の元を訪れたのか。
愛しているのに。
掠れた彼女のさいごの言葉は、消え入りそうなほどに小さかった。
2歩進み、しゃがみこんだ。耳元に顔を寄せる。
「愛しているのに、ですか」
言葉を繰り返すと、茶色の瞳がやっと私を見る。
「ふふ。ライヒム様は私のことを嫌っているから、あなたが恐れるようなことは起こらないでしょう。でも、そんなもののために……。面白いですね、そんなことを言うなんて」
まさかライヒムが私のことを好きだなんて、あり得ないことを信じているとは。
言葉を聞いて、なぜか女は全身の力が抜けたようにうなだれた。
本当に面白いな、とその姿を見下ろす。
愛する人が自分を愛してくれない、なんて。
そんなことのために、傷つくことが出来るとは。
∮
「……ネレイス。ライヒム・ミハーレクは、お前を、嫌っていると思うか?」
「ええ。どうしてそんなことを?」
アンジェ妃を追い返して、向けられた問いは、昨日と全く同じものだった。当然の返事を返す。
「―――鈍感というわけでは、無いのだがなあ」
指先で、頬をなぞられる。赤い瞳は不可思議な色をしている。
「恋敵に塩を送る趣味もないが。なあ、ネレイス。俺はライヒムと違って、お前を心底愛している」
「…………知って、います」
いつからか、何度も繰り返されるようになった言葉だ。
「理解はしていないのだろうな。まあいい」
腰に腕が回り、強く抱きしめられる。
「俺はお前の夫で、お前は俺の妃だ。何があっても絶対に。それを、決して忘れるな」




