43 牢の中
アリーシャが呼んだ神殿兵にあっという間に捕まり、暗く湿った神殿地下牢獄に投じられたロザリンドは、壁にもたれかかりながらため息をついた。
(どうしてこんなことに)
――罪状は、聖女に危害を加えようとしたこと、だ。
神殿内では聖女アリーシャの言ったことが真実となる。
ロザリンドが何を言ったところで、誰も聞く耳を持たない。
しかもいまのアリーシャは、女神の御使いである精霊を肩に乗せているのだ。
その神々しさに、ただの公爵令嬢が対抗できるはずもない。
ロザリンドは冷たい石壁をぼんやりと見つめながら、深くため息をつく。
(女神様にとって、私たちは本当にただのコマなのね)
女神は世界を守ることを最優先に考えている。ロザリンドのような一人の人間の運命など、取るに足らないことなのかもしれない。
女神ナヴィーダに助けてほしいと頼んでも、祈っても、きっと無視されるだろう。
こんなことならあの時ナヴィーダを拾わなければよかったと、ほんの少しだけ後悔し、ロザリンドは苦笑した。
言っても仕方のないことだ。自分には、時間を巻き戻してやり直す方法なんてないのだから。
「……地図表示」
『――管理者により【勇者システム】へのアクセスは制限されています』
感情のない声が虚空から響く。
いつも現れていた地図は、表示されない。
ロザリンドはうつむき、深くため息をついた。
(これはいよいよ詰みかしら……さすがに公爵令嬢を裁判なしで処刑とかしないだろうけど、有罪は確定よね。でも少なくとも、魔王になるまでは殺されないはず)
鉄格子の向こうの薄暗さを見つめながら考える。
モブの魂に魔王の意志を入れて、魔王化させたうえで倒す――それが女神の計画だ。
だが、いったいどうやってロザリンドを魔王にするつもりなのだろう。
ゲーム中のクリストファーは、力を求めて魔王と化した。
しかし、ロザリンドはそんな力など望んでいない。望むのは、平和で平穏な生活だけだ。
(魔王になりたがるぐらい、絶望させるつもりかしら……? 死なないように気をつけながら、拷問されるとか……?)
想像しかけて、身体が震える。
「痛いのは嫌だな……」
小さく呟き、目を閉じて、暗闇に身を委ねる。
いまにも心が折れそうだった。
魔王になるから拷問はやめてと言ったとしても、本当に魔王になるまでは終わらないだろう。
絶望しか見えなくて、泣きそうになる。
やはり、なんとしてでも脱獄するべきか。
だが、もし脱獄できたとしても、その先どうすればいいのかわからない。
両親はロザリンドを温かく迎えてくれるだろうか。それとも神殿に返すだろうか。家に戻れたとして、ロードリック家がこれから神殿と対立することになったら――
(どうなるの? もしかして、戦いになる?)
自分のせいで戦いになったら、それこそ絶望しかない。
ロザリンドは膝を抱え、石造りの冷たい壁に背を預ける。
深い不安と孤独に包まれる中に、遠くから足音が響いてくる。
地下牢獄にいるのはロザリンド一人だ。
面会人か、警備の神官か、緊張しながら待つ。
「ロザリンド、大丈夫か」
春の日だまりのような柔らかな光を纏って、ロザリンドを呼ぶ。
「エドワード様……? どうしてこちらに」
やってきたのはエドワードだった。護衛も連れず、たったひとりで。鉄格子越しに見えるその表情は、憤りと安堵、不安と焦りが瞬く間に変わっていっている。
「君が拘束されたと聞いて急いで来たんだ。すまない。これはあまりにも不当な扱いだ」
「エドワード様が謝られることではありません」
エドワードがロザリンドのために怒ってくれていることに安堵する。
「……すぐに解放されるように働きかける。もう少しだけ辛抱してほしい」
「はい。あの、エドワード様こそ大丈夫ですか? 私はあの後の記憶があまりなくて……」
学園でロザリンドが最後に見たのは、まだ目を覚ましていないエドワードの姿だった。無事とは聞いていたが、この目で見るまでは不安が残っていた。
「……ああ。僕はなんともないし、他の皆もだ。君と、クリストファーのおかげだ」
「お兄様の?」
――クリストファーはまだ王都には戻っていない。
ロザリンドが見たのはただの夢で、学園にも来ていないはずだ。
そうでなければ説明がつかない。
「いや、これは秘密だった……名前を出したこと、クリストファーには内緒にしておいてくれ」
「は、はい……」
よくわからないが、エドワードに困ったように言われれば頷くしかない。
「クリストファーも今度は正式に王都に戻ってきた。すぐに会えるようにする」
エドワードは安心させるように言う。
しかし、誠実な眼差しと言葉は、ロザリンドを別の不安に駆らせた。
クリストファーは強い。こんな牢獄壊してしまいそうなほどに。
だが、ここは神殿――女神と聖女の領域だ。
「――いえ」
ナヴィーダとアリーシャは、ロザリンドを魔王にしたがっている。クリストファーが干渉してくれば、何をしてくるかわからない。
「お兄様には、私のことは気にしないように言ってください。ロードリック家のためにも、お願いします」
「ロザリンド……」
「エドワード様も、無理はなさらないでください。ご自分のことを一番に――」
それ以上は、言葉が出なかった。
エドワードの表情に、ロザリンドへの深い思いやりと決意が見て取れて、それ以上何も言えなくなった。
「クリストファーは君のことを大切に思っている。君のためなら、本当に何でもするだろう」
冷たい牢獄の中に、声が静かに響く。
「そして、僕にも自分の正義がある。神殿とロードリック家が対立したら、僕は君たちの方に立つ」
「で、でも、エドワード様は……」
聖女アリーシャの婚約者だ。
エドワードは聖女を守るために、王家と神殿との繋がりを確固たるものにするために婚約したはずで、その彼が公爵家側に立ったら、政争の火種になるのではないだろうか。
「皆のために率先して戦ってくれた君が、理由もなく誰かに危害を加えようとするわけがない」
「それは……」
「何かやむをえない理由があったか――誤解か、もしくは……」
それ以上は言葉にはしなかった。
だが、何を言いたいかは伝わってくる。
エドワードは、ロザリンドの無実を信じてくれている。
「ロザリンド、僕たちは君の味方だ。あの事件で、皆がお互いの勇気を称え合い、自分の無力さを噛み締め、君の姿に励まされた」
「私の、ですか?」
「ああ。もちろん僕もだ」
胸に、熱いものが込み上げてくる。
わかってくれる人がいる。
信じてくれる人がいる。
自分のために、戦ってくれようとしている人がいる。
それだけで、無限の力が湧いてくる。
「私だけではありません。あの場にいた全員が、皆のために、自分にできる以上のことをしたのです」
言いながら、ロザリンドは決意を固めていく。
(――そうよ。諦めるなんて嫌)
このまま女神の思惑通りになるなんて嫌だ。
世界に絶望させられて、魔王になって、殺されて、元の世界に災厄を運ぶかもしれないなんて、絶対に嫌だ。
(自分の道は、自分で切り拓く)
たとえ相手が神だろうと、抗ってみせる。
ロザリンドはようやく心を決めた。
どんなに強大な相手だろうと、やれることをやる。やりきってみせる。
顔を上げると、エドワードのどこか嬉しそうな顔が見えた。
「君は、覚悟を決めたんだな」
「はい」
「なら、僕も覚悟を決めよう。少し鉄格子から離れてくれ」
エドワードは長剣を抜く。
剣は光の魔力を帯び、牢獄内で一際明るく輝いた。
ロザリンドは驚きを隠せなかった。
エドワードは剣で鉄格子を斬るつもりだ。普通に考えれば無茶な行為だが、魔法を帯びた剣ならそれも可能だろう。
だが、まさか実力行使に出るなんて。
これでは立派な脱獄幇助だ。
だがエドワードは、どこか楽しんでいるようにさえ見えた。
だから、何も言わずに鉄格子から離れて奥へ行く。
エドワードが剣を振る。光の魔力が鮮やかに煌めく。
一撃で数本の鉄格子が切り裂かれ、もう一撃でロザリンドが簡単に通れそうなぐらいの空間が開く。
「さあ、ここを出よう」
「はい!」




