28 ダンジョン
黒曜のダンジョンの入口は、岸壁に開いた暗い穴だった。
ところどころに黒いガラス質の輝きが浮かび、それゆえに黒曜の名がつけられたと思われる。
「すごい迫力……」
堅牢な門のような入口を見上げながら、ロザリンドは呟いた。
ダンジョン内部は暗く、湿った空気が立ち込めている。
古代の遺跡のような壁には怪しげな彫刻が施され、不気味な静けさが支配していた。
奥の暗闇を覗き込んでいると、得体のしれないものがこちらを見つめているようで、身震いする。
(大丈夫。いまはまだ夏休みで、ストーリーは中盤も行っていない。そこまで強い敵は出ないはず)
――その時、人が近づいてくる気配を感じる。
振り返ったロザリンドは、訪れた人物に向けて微笑んだ。
「あら、お兄様。奇遇ですね」
笑いかけると、クリストファーは口元をわずかに引きつらせる。
「ロザリー、どうしてここにいる」
「お兄様こそ。私は単に、ダンジョンで自己鍛錬をしたくなっただけです。この地にダンジョンがあるということは、学園で聞いていましたので」
ロザリンドは明るく言い切る。
「やっぱり貴族たるもの、たまにはダンジョンで修業しないといけませんから」
「――本当に、困ったやつだな」
クリストファーは、どこか面白がるように息をついた。
「俺から離れないようにしろ」
「はい、もちろんです」
意外とあっさり了承され、ロザリンドの方が驚く。
てっきり怒られるかと思っていたのに。
クリストファーはむしろこうなることを予想していたかのようだった。
(まあ、いいわ。後は、お兄様と魔人が接触するのを見届けるだけね)
本当は、魔人となんて接触もさせたくない。だが、このイベントはどのルートに行くとしても、必要なことだ。
見届けた後は、すぐに倒す。ハンドキャノンでもいいし、距離があればスナイパーライフルでもいい。簡単なミッションである。
(アリーシャが何か別の展開を考えて、お兄様に指示しているかもしれないから、慎重に動かないとね)
ロザリンドがいることで魔人が警戒して姿を見せない――ということはないだろう。ロザリンドは加護がないモブ。背景。空気。いてもいなくても同じ。
安心しながら、ふたりでダンジョンに足を踏み入れた。
ダンジョンの中は、意外と明るかった。壁の石がキラキラと輝きながら光を発していた。
クリストファーの後ろをついていきながら、ロザリンドはふと思う。
(そういえば、お兄様が戦うところを見るのは初めてだわ)
剣技の訓練風景は時折見かけるが、強すぎて何の参考にもならない。
(王国騎士団の指南役に勝ってからは、お兄様自身が時々騎士団に訓練をつけに行っているみたいだし)
どこまでも規格外である。
だが、訓練はあくまで訓練。実戦とは違う。
(ゲーム中では、このダンジョン内で三回連続戦闘があるのよね)
考えた傍から、物陰から蛇のモンスターが飛び出してくる。
それとほぼ同時に、クリストファーの水魔法によりモンスターは凍りつく。そしてそのまま魔石となる。瞬殺だった。
その後も同じようにモンスターが現れるが、登場と同時に魔石となる。
モンスターは近づくこともできず、やがて姿すら現さなくなった。
(危険人物警報が流れたかのように、モンスターが出てこない)
あまりにも圧倒的な戦闘力。さすがラスボスになる人物。
――ストーリーを思い返せば、そもそも複数人で挑戦するのが前提のダンジョンの最下層に、クリストファーは一人でいたのだ。
これぐらいの戦闘力、あって当然だった。
(いったい、お兄様のいまのレベルはどれぐらいなのかしら)
純粋な興味を抱く。ゲームでは仲間に入った場合は、自動的に主人公と同レベルになる。敵として出てくる場合は計測不能。
ならばいま、本当のところどれぐらい強いのか。
(……レベルの話を他の人から聞いたことがないから、レベルの概念は【勇者システム】の中だけよね、きっと)
努力や才能がわかりやすく数値化されているのなら、それをもとにした社会システムになっているはずだ。
それがないということは、レベル――それどころかステータスの概念すらないだろう。
迂闊なことを言って変に思われたくないので、黙っておく。
「お兄様は、どうしてダンジョンにきたのですか? それだけ強ければ修行も必要ないでしょう?」
「言っただろう。調査任務と」
「どうしてお兄様が選ばれたのですか? こういうのは、王国騎士団とか、神殿とか、冒険者とか……とにかく、大人がやるべきものでは?」
いくらクリストファーが強くても、彼はまだ一介の学生だ。
まだ守られるべき存在だ。
「俺が行うのが、聖女の予言の内だからだ」
クリストファーの返答に、ロザリンドはため息をつきそうになった。
(やっぱり、お兄様と魔人を接触させて、闇落ちさせるつもり……? 何が【ストーリーテラー】よ)
あんなに自信満々なわりに、やっていることはロザリンドの想像の範囲内だ。何年もかけて考えたという割にはお粗末ではないか。
聖女にジョブチェンジしてエドワード第二王子と婚約したところまでは流石と言えるが。
(そういえば、ナヴィーダもアリーシャの計画はうまく行かないって言っていたわね……)
色々驚きすぎて、ナヴィーダの話はまだ飲み込み切れていない。
本当は、もっとちゃんと考えるべきなのに。
――この世界は、どうやっても破滅を迎えるなんてことを、どう受け入れれば、どう阻止すればいいかなんて、まだわからない。
(私が世界を救えるかもなんて思わないけれど……死にたく、ないなぁ)
何がどうなって滅びるのか、今度ゆっくりとナヴィーダに教えてもらわないといけない。
「ロザリー、足元に気をつけろ」
途中、片側が断崖絶壁の通路の前で、クリストファーが警告する。
下は底が見えない穴になっていて、落ちたら助からなさそうな高さだった。ゲーム中ではこういう穴に敵を落としたら倒した扱いになっていたことを思い出す。
「――はい」
返事をした刹那、ロザリンドの足首に何かが当たる。
何かと思ってみてみると、黒い蛇がロザリンドの足に巻き付いていた。
驚きで、悲鳴も出ない。そしてそのまま強い力で、崖の方へ引っ張られる。
「ロザリー!」
クリストファーの手がロザリンドをつかもうとするが、届かない。
ロザリンドはそのまま崖から落ち、深い深い穴の奥に引きずり落とされた。




