27 グランドール地方へ
グランドール地方までは、馬車で三日。貴族に人気の避暑地でもあるので、交通の便はいい。
旅行の名目で、ロザリンドはクリストファーと共に、公爵家の馬車でグランドールの街へ向かう。
もちろん、ナヴィーダも一緒に。
とはいえナヴィーダは姿を消しているので、ロザリンド以外には存在も感じられないだろう。
(乗合馬車も出ているから、そちらでもよかったんだけど)
大型馬車に護衛とメイド付き。いかにも貴族の旅行である。
途中宿場町に泊まりながら、三日目にようやく到着する。
グランドールの中心都市は、緑豊かで、美しい庭園や公園が点在している街だった。建物は白い壁とオレンジ色の屋根という建築様式で統一されている。
通りには高級な商店やレストランがあり、遠くには山々の美しい景色が広がっていた。
滞在するのは、公爵家の別荘だ。
しっかり手入れが行き届いていて、何不自由ないバカンスを過ごす準備が整っている。
「まずは領主に挨拶だ。前もって話を通してある」
着替えが終わると、クリストファーはロザリンドを伴って領主の邸宅に向かう。
(根回しもばっちり……)
ロザリンドは完全にお忍び気分だったが、クリストファーは公人としての立場も忘れていない。両親の信頼が厚いのも当然である。
グランドールの領主の邸宅は、堂々とした石造りの外壁に囲まれていた。広大な庭園には色とりどりの花々が咲き誇り、小川が静かに流れている。
内部は静かで落ち着いた雰囲気で、豪華な装飾が施され、広間には大きな絵画が飾られている。
「ようこそ、グランドールへ」
応接間にはグランドール侯爵と、その夫人、そして生徒会副会長でクリストファーの右腕の才女であるイザベラが、清楚な白いドレスを着て微笑んでいた。
気候の話とか名産品の話とか当たり障りない会話で場が和んでいく。
ロザリンドはにこにこ笑いながらそれを聞いているだけだった。
下手に口を開くと、余計なことを言いそうなので黙っておいた。
「もしよかったら、どうぞこちらに泊まっていってください」
「配慮をありがとうございます。ですが、この地では別荘に滞在する予定です」
侯爵夫人の誘いを、クリストファーはにこやかに断る。
「それでは、この辺りで失礼します」
「よいバカンスを。おっと、忘れるところでした」
侯爵がクリストファーへ何かを渡す。
「ありがとうございます」
クリストファーはそれを丁寧に受け取った。
(……きっと、ダンジョンのある場所への通行許可証かしら)
ダンジョンのある北部は危険なため、通常封鎖されている。
ゲームではそんなこと気づかずに侵入してしまうのだが。
応接間から玄関までは、イザベラが送ってくれた。
「クリストファー、今日か明日に夕食を一緒にしませんか? お父様もお母様も、もっとクリストファーと話がしたいって言っていますもの」
「いや、ここで失礼する。また学園で」
あっさりと断ってしまう。
しかも、この地ではもう会うつもりはないことまで言って。
イザベラがショックを受けているのが、ロザリンドにもわかった。少し、いたたまれない気持ちになる。
クリストファーが歩き出すのについていく。
彼は一度もイザベラの方を振り返ることはなかった。
「どうして断ったりしたんですか?」
「婚約者がいるのに、他の女性がいる邸宅に泊まったり、一緒に夕食を取るわけにはいかないだろう」
クリストファーは、特に家の外では、ロザリンドを義妹ではなく婚約者として扱う。
イザベラがロザリンドに向けていた視線も、義妹にではなく恋のライバルへのものだった気がする。
(こういうところは、すごく真面目だわ)
――その日は、別荘で旅の疲れを癒す。
翌日の朝食後、クリストファーは言う。
「――少し、出かけてくる。夜までには戻る予定だ」
「デートですか?」
「馬鹿を言うな」
クリストファーの服装は、動きやすく防御力の高そうなものだった。剣も装備していて、とても街に遊びに行く格好ではない。
「私も一緒に行きたいです」
「駄目だ」
即、却下される。
「お前も、出かけるのは構わないが、危険なことはしないこと。約束できるな?」
「はい、もちろん。いってらっしゃいませ」
ロザリンドは出かけるクリストファーを見送る。
(でも私、悪い子ですから)
すぐさま戦闘用の服に着替えようとしたところに、客人が訪れる。イザベラだ。
「朝早くすみません。クリストファーはどちらに?」
「義兄は、ついさきほど出かけました。夜までには戻ってくると」
ロザリンドはにこやかに玄関先で対応する。
イザベラはとても悲しそうな顔をした。
(なに……? 何か約束していたの、お兄様)
――いや、何か約束していたのなら、それを忘れるクリストファーではない。
最低でもロザリンドや使用人に言付けしていただろう。
「……ロザリンド様」
「は、はい」
真剣な眼差しがロザリンドに向けられる。
「わたくしは、クリストファーのことを愛しています」
――愛を告白するイザベラは、堂々としていた。目はわずかに潤み、ロザリンドにすら深い愛情と情熱が感じ取れた。
そして、わずかに手が震えていた。
「婚約者がいる男性に、はしたないこととお思いでしょうが――この気持ちは本物です」
「…………」
「おふたりが真に愛し合っているのなら、わたくしの入る余地はありません。おとなしく身を引きます」
「…………」
「ロザリンド様は、クリストファーのことを、どう思っていらっしゃるのですか」
ロザリンドはしばらく一言も発せられなかった。
イザベラの真剣な気持ちに対して、いい加減なことは言えない。
「私は――」
いままでのロザリンドなら、無邪気に応援しただろう。
実は私も婚約解消を考えているのです――と、クリストファーのことも考えずに話していただろう。
なのに。
「……まだ、よくわかりません」
出てきたのは、優柔不断な言葉だった。
「私は、義兄の幸せを願っています……イザベラ様みたいな素敵な方が、お義姉様になってくださるのなら、とても嬉しいです」
「では、協力してくれますか?」
前のめりに懇願される。イザベラの必死な気持ちが伝わってくる。だが。
「――いえ、私も、いまは……お力にはなれないと思います。ごめんなさい」
「…………」
――沈黙が、怖い。
「申し訳ございません。私も次の予定がありますので。それでは、失礼します」
ロザリンドは逃げるように別荘の中に入った。
そして、急いで部屋まで戻り、しっかりと鍵をかける。
(き、緊張した……)
ぐったりしながらドアに寄り掛かる。
――どうして、協力すると言えなかったのだろう。
二人はとてもお似合いで、二人が幸せになってくれるのなら嬉しい。
そう、本気で思うのに。
(ここで疲れている場合じゃない。本番はここからなんだから)
ドアから離れ、部屋の中央に立つ。
「地図表示」
目の前に地図が表示される。
目的地『黒曜のダンジョン』はこの近くのはずだが、地図上には表示されていない。
(フリーマップは近くに行ったことがあると、ストーリーの進行と共に姿を現すけれど、ストーリー進行でしか出てこない場所は、実際に行かないと地図に表示されないのね)
となれば、実際に行くしかない。
だが、それには時間と労力がかかる。
「ナヴィーダ、『黒曜のダンジョン』をマップに表示できる?」
『はい』
試せるものはすべて試す。誰もいない虚空に向けて問いかけると、頭の中に女神の声が響く。
次の瞬間、地図に『黒曜のダンジョン』のシンボルが表示される。
(さすが女神様)
ロザリンドは微笑み、『黒曜のダンジョン』に神経を集中させる。
「――『黒曜のダンジョン』へ、座標転移」




