24 主人公とモブ
――モブ。
この世界の人間なら出てこない単語。
うまく反応ができず固まるロザリンドに、アリーシャは一瞬不思議そうな顔をして、次に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「エドワード様、あたし、ロザリンド様と少しお話してみたいです」
エドワードを見上げ、甘えた声で言う。
「ああ。いいかな、クリストファー」
「もちろんです」
「じゃあバルコニーに行きましょう、ロザリンド様」
軽い足取りでバルコニーに向かうアリーシャの後ろを、ロザリンドは複雑な気持ちでついていく。
バルコニーに元々いた人々も中に戻り、外側に護衛が立つ。誰も立ち入りできないように。
外に出ると、涼しい夜風が顔に当たる。
二人きりになると、アリーシャは無邪気な笑みを浮かべた。
「ねえ、やっぱりあなたも『エターナル・リンクス』をプレイしていた?」
どう答えようか逡巡する。シナリオのモブに徹するか、すべてを明らかにするか。
(……こちらの手の内を見せないと、何も進まないわよね)
自分のことを知ってもらわないと、向こうも情報を教えてくれないだろう。ロザリンドに選択肢はない。
「はい、そうです、私もプレイしていました。せっかくゲームの世界にいるのにモブだと気づいたときは、心底がっかりしたものです。しかもよりによってロザリンドに転生しているなんて」
「あははっ。どうやっても雑に死ぬものね」
アリーシャは心から嬉しそうに笑う。
ロザリンドの末路もしっかり知っているらしい。
「仲間がいてよかった。あたしも自分が主人公になってるって気づいたときは、それはもうびっくりしたわよ。よりによって主人公だなんて」
「いいじゃないですか、主人公。特殊なスキルもたくさんあって、最強で。私はモブだからそういう才能もないですし」
「やっぱりそうなの? じゃあ大変だったでしょ?」
「はい。でもきっと、これからの方が大変です……」
実感を込めて言うと、アリーシャはうんうんと頷く。
このような話ができることが嬉しくて仕方がない様子だった。
――きっと、彼女も彼女で孤独だった。
「――聖女様は、どちらのルートに進むつもりなのですか? どうして学園に入学していないんですか?」
「ふふっ。あたしはね、どのルートにもいくつもりはないの」
自信満々に胸を張って、アリーシャは得意げに語る。
「ど……どういうことですか?」
「そもそもね、あたしは戦いたくなんてないの。痛そうだし、怖いし。だから、聖女を名乗って、神殿に保護してもらったの。七色の魔力とゲーム知識があるから楽勝だったわよ。それで、エドワード様と婚約したの。ふふっ」
嬉しそうに笑う。
それは戦いから逃れられた喜びか、思い通りに事が運んだ喜びが、好きなキャラクターと婚約できた喜びか。
きっと全部だ。
呆然とするロザリンドに、アリーシャは語る。
「だって、もし死んだらどうするの?」
「え……?」
「ちゃんと考えたことある? 復活するの? それとも、最初からやり直し? それとも元の世界に戻れるの?」
「……わかりません。死んだことはありませんし」
そもそも、死ぬことに、それ以外の可能性を考えたことなどなかった。
復活してやり直せるならどれだけいいだろう。
元の世界に戻れるなら――
(――元の世界のことなんて、ほとんど覚えていない……)
ゲームをプレイした記憶はあるのに、自分のことも家族のことも覚えていない。
「元の世界に戻ってパパとママに会えるなら、一度死ぬのも我慢するけど……痛いのは嫌だし」
「…………」
――よく、わかった。
(私とアリーシャは、まるで別)
目の前にいるアリーシャは、主人公ではない。ゲーム知識のある、ただの人間だ。
主人公としてシナリオを進めるつもりは一切なく、自分の身の安全が第一で、死ぬのが怖い。ただの人間。彼女の心は転生前の世界にある。
ロザリンドはゲームシステムと知識を生かして、ゲームを攻略しつつ、自分が死なないようにしている。
アリーシャが間違っているとは思わない。状況と、記憶と、生きていく方法がまるで違うだけだ。
「聖女様は、どうするつもりなのですか?」
アリーシャの選択を責めるつもりはないが、そのせいでゲームのシナリオが根本から変わってしまっている。
その結果、主人公不在のままシナリオが進行していっているという状況になってしまっている。
「あなたは仲間だから教えてあげる。あたしは、戦わないまま、エンディングに辿り着いてみせるの。ゲームをクリアすれば、きっと元の世界に戻れるはずだし」
アリーシャの瞳には迷いはない。
「そんなことが可能なのでしょうか……」
――戦わないままエンディングを迎えることも。
――元の世界に戻ることも。
「だって、魔王さえ倒せばエンディングでしょう? ちゃんとシナリオは考えてるわ。何年もかけて考えたの。あたしの能力は【ストーリーテラー】だから。自分の思い通りにシナリオを変えられるのよ」
アリーシャは無邪気な笑みを浮かべる。子どものような笑顔だった。
――【ストーリーテラー】
そうやってシナリオを変えて、聖女になったのだ。
学園に通わずに、戦わずに、エンディングを迎えるつもりなのだ。
だが、現実問題、魔族はゲームのシナリオ通り襲来している。
ロザリンドも『燭台のグレイシア』を倒した。
これからも継続して魔族は訪れ、いずれ魔王が降臨するだろう。そこはきっとアリーシャの能力でも改変できない。
「どんなシナリオにするつもりですか?」
「それは言えないけど、安心して。あなたのことは助けるわよ。協力者ができたならすっごく心強いし。ふふっ、一緒にラスボスを倒そうね」
アリーシャが手を伸べる。握手を求める手だった。
(――ラスボスを、誰にするつもりですか?)
そう聞こうとしたのに、言葉にできない。
彼女が語ればそれが真実になってしまうような気がして――いや、なるのだ。それが、アリーシャの能力だ。
クリストファーをラスボスにしないでほしい、と言ったらどうなるだろう。快く了承してくれるかもしれない。だが、もし、アリーシャの気が変わったら?
アリーシャはロザリンドのことは助けると言ったのに、その上クリストファーを助けてほしいと言ったら、どのような顔をするだろう。
彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。
ロザリンドはアリーシャの手を取り、握手した。
――アリーシャのことはまだ信頼できないが、ここで敵対姿勢を見せて、敵と認定されてしまえばどうなるかわからない。
アリーシャは聖女であり、第二王子エドワードの婚約者であり、シナリオを自分の思い通りに変えてしまう能力を持つのだ。
下手な真似をすれば、ストーリーから消される。
自己保身のための作り笑顔は、きっと醜悪だったことだろう。
アリーシャの無邪気な笑みを見ながら、そう思った。
舞踏会のその後のことはよく覚えていない。気分が悪くなって、すぐに帰ったことぐらいしか。




