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話を聞いた太宰の目は点に。
夏目も珍しく、どうコメントしていいのか分からない様子で目を逸らしてしまい、遂には幸田の所に行って来ると逃げてしまった。
「大丈夫か…。甘粕…。休むか?。」
「いえ…。仕事してた方が気が紛れますから。」
夏目を見て、いつも通り青い顔で仰反った幸田だったが、そこは一応プロなので、現状の報告はする。
「前回同様、現場にもビニール袋にもガイシャにも、指紋やDNAの類いは一切無し。
足跡も、周辺一帯にタイヤ痕も無し。
ビニール袋はどこのホームセンターでも売ってる量産品。
ただ、不思議な事にビニール袋の内側に静電気で貼り付いてた女の毛髪があってだな。」
ここへ来て、漸くの物証だ。
「はい。」
「現在分析中だ。暫し待て。」
「宜しくお願いします。」
幸田は眼鏡の奥の細い目で夏目を窺う様に見た。
「なんだ、小僧。いつもの迫力が無えな。」
「そうですか…。ー実は少々戸惑っています。」
「お前さんが戸惑う?。なんで。」
「幸田さんは失恋した事がおありですか。」
幸田は真っ赤になって立ち上がらんばかりに、怒鳴る様に返した。
「あったりめえだろお!。結婚するまで何回振られたか知れたもんじゃねえよ!。」
「そうですか…。やっぱり、かなりショックなものですよね?。」
「そりゃもうこの世の終わりみてえだぜ!って、お前はまさか…!。」
「はあ。した事無いので、なんとお慰めしたらいいのか、フォローの仕様もなく。」
失恋した事もなく、あんな可愛い奥さんを貰うとは、蹴り飛ばしたい位憎たらしいが、夏目は嫌味でもなく、真剣な様子なので、一応そこは抑えて、話を聞いてみる幸田。
「誰だよ。甘粕?。」
「はい。」
「どしたんだよ。お嬢と上手く行きかけてんじゃねえのか。」
「いえ、それは遅々として進まず。甘粕さんは少年の様に奥手でしたから。」
「んな事やってる間に他の野郎に取られたのか?。」
「う〜ん…。正確には取られていたって所でしょうか…。」
「お嬢に男が居たのか。」
「その様です。しかも知り合い。」
「誰。」
仕事にもならないんじゃないかと思われた甘粕だったが、夏目が戻った時には原田への業務連絡をしており、顔色は悪いままだったが、普段通りだった。
公表した被害者の特徴に合う行方不明者に該当しそうな男性が居ないかという問い合わせをしている様だが、返事は芳しいものでは無い様だ。
夏目が幸田から聞いた、女性の毛髪発見の件を報告すると、太宰も言った。
「柊木の検死も前回と同じだ。腕を切った時の生体反応あり。断面も全く同じ刃物。
刃物の特定ついては幸田の班が引き続きやってくれてる。」
甘粕はいつもと変わらない口調だが、遠くを見る様な、ここに居ないような遠い目をして、呟く様に言った。
「女の毛髪か…。新たなガイシャなのか、共犯者なのか…。」
「女が共犯て、あり得るんですか。」
「分からない。同居人で巻き込まれただけかもしれないし、主犯格でやらせてるのかもしれないし、ガイシャの事も分からない現時点だと、どうとでも取れるな。」
さっきの落ち込み様や、霞の状況等から考えると、不気味な程普通の甘粕は、唐突に席を立った。
「ちょっと原田の所行ってきます。行方不明者の洗い出し、難航してそうなので。」
「うん…。」
甘粕を送り出し、太宰と2人で顔を見合わせる。
「大丈夫なんですか、甘粕さん…。」
「駄目に決まってんだろお?。でもまあ、昔から何があったって仕事に支障は出さねえ奴だけどな〜。」
「前にもあったんですか。」
「失恋は無いよ。あの顔だもん。でも、お袋さんが亡くなった事あった。病気とかじゃなく、自殺でさ。」
それは病死よりもショッキングだろう。
それでも、甘粕は休む訳でもなく、仕事には全く出さずに事件を解決してから、一日だけ供養の為と休んだだけだそうだ。
「甘粕さんのお宅は…。複雑なんですかね…。」
「じゃないかな…。高校生から1人で暮らしてるって言うし…。貿易会社かなんかやってる金持ちの1人息子なんだけど、家庭はずっと壊れてたという様な事はチラッと話してくれた事あった…。」
「ーそうですか…。」
そういう複雑な家庭環境で、子どもが1人というのは、想像しただけでも辛そうだ。
甘粕がなかなか人を信用しないのも、そこから来ているのだろう。
本気の恋愛もしたことが無かったのかもしれない。
そんな甘粕は霞の事は公私共々信頼し切った。
そして、初めて自分から本気で好きになったのに、思いも告げない内にこの展開では、あまりに不憫だった。
太宰もそう思っているのだろう。
さっきからずっと眉間に皺が寄りっ放しなのは、事件のせいだけではない。
「甘粕の家庭の事情も、お袋さんの自殺の理由も、誰も知らない。あれだけ仲の良さそうだった弁護士の逢坂君でも聞いたことが無かったそうだ。
それを霞ちゃんには全部話したみたいだった。
よっぽど信用したし、もしかしたら、あいつは初めて人に甘えられたのかもしれない。」
「ーそうなんでしょうね…。」
霞は貧血で倒れたのだが、検査結果で妊娠3ヶ月と判明。
しかも切迫流産という事で、そのまま入院してしまったのだ。
勿論、甘粕の子ではない。
ノックの音がした。
ノックの後、こちらの返事を待つ人間は、五課に出入りする人間では殆ど居ない。
訝りながら太宰が返事をすると、五課担当の様になっている森検事が顔を覗かせた。
「お忙しい所申し訳ない…。太宰さん、ちょっと宜しいですか…。」
太宰が覚悟をした様な、諦めた様な顔をして返事をしながら席を立ち、パーテーションを隔てたソファー席に森検事を案内する。
「ー霞の事ですが…。」
森検事は、戸籍上は霞の兄だが、2人に血の繋がりは全く無い。
「甘粕から概ね聞きました。」
「急に申し訳ないです…。医者とも相談して、妊娠中は刑事の仕事は無理だろうというのと、霞の希望で子どもは自分の手で育てたいという事で、辞職の方向という事になりました…。」
「そうでしょうね。それでご結婚されるんですか。」
「はい。やっと首を縦に振ってくれました。」
「というか、森検事とそういう仲とは、予想外だったんですが。」
「霞がうちに引き取られて来た瞬間に恋に堕ちたんです…。」
「血縁無いですもんね…。」
「ええ…。」
「逆に、どうして今まで結婚されなかったんですか。しかも、霞ちゃん1人暮らしなんか…。」
森検事は、太宰を泣き出しそうな目で見た。
鬼検事の森しか知らない太宰は、こんな顔は初めて見るので、思わず驚いてしまう。
「一回、振られたんです…。」
「そうなんですか…。でも、ヨリが戻ったという事なんですよね?。赤ちゃんできちゃうって事は…。」
「はい…。数ヶ月前に…。」
「ツー事は、ヨリ戻って、直ぐ作っちゃったって事ですか!?。」
「ええ、まあ…。勢い余って…。」
その台詞を聞いた瞬間、太宰の何かがプツっと切れたのが、パーテーション越しに話を聞いていただけの夏目にも分かった。
「勢い余ってって、貴方ねえ!。うちの甘粕はどうなっちゃうんですかあ!。折角じわじわと、決して焦らず、霞ちゃんとの関係を温めていたっつーのにい!。
振られたんだったら、黙って引き下がってくれてりゃいいのにさあ!。」
今度は森検事の方が驚いてしまう。
「そ…そっちなんですか!?。急に仕事に穴を空ける件ではなく!?。」
「それは女の子だからとか関係なく、体調如何で誰にでも起こり得る事だから、いいんです!。
甘粕はねえ!。霞ちゃんとの事は本当に大事に大事に慎重に進めてたんですよお!。
貴方の横槍が入らなかったら、あと少しって所だったのにい!。」
あまりの言いように、森検事もカチンと来たらしい。
「そうかなあ!?。ちっともハッキリしないから、ハッキリ言う俺の所に戻って来たってだけだと思いますけどねえ!?。」
「あーたみたいに、勢いで子ども作っちまう様な軽率な男と、うちの甘粕を一緒にしないで下さいよお!。」
「軽率とは心外だな、太宰さん!。」
これは止めた方がいいかもしれないと夏目が席を立った所で、音もなく戻って来ていた甘粕が、夏目を手だけで止めて、パーテーションの中に入って行った。
「霞さん、お加減如何ですか。」
太宰は固まり、森検事の顔色も流石に変わったが、なんとか答える。
「お陰様で落ち着いています。お世話お掛けしました。」
「いえ。どうぞお大事にして差し上げて下さい。」
「退院したら、ご挨拶に伺いたいと申してました…。」
「ご無理の無い様にとお伝え下さい。」
森に形式的に頭を下げると、直ぐに太宰を見る。
「何人かガイシャ候補が出ました。第一被害者の方だけですが。」
パーテーションの向こうでは賑やかに幸田の声もし始め、森検事は簡潔に挨拶をして帰って行った。
柊木が見立てた、第一被害者の身長と、年齢、成長期にバレーボールをやっていたなどの特徴と合わせ、ここ1週間で出ている失踪等の行方不明の届出を照らし合わせた結果、3人程条件がピッタリの青年が居た。
所轄にその3人の家族からDNAサンプルを取りに行って貰う算段をつけながら、幸田の報告を聞く。
「聞いて驚け。」
「いいから早く言え。」
「太宰にしちゃノリが悪いなあ。女性の物と思しき毛髪だが、警視庁のデータにヒットしたぜ。」
「前があんのか。」
「その通り。高校の同級生へのストーキング行為で接近禁止令が出てる。
白川愛美、現在20歳。」
「有難よ、幸田〜!。やっと動けるな!。」




