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「甘粕、まさか…。」
それまで、どんな会話になろうとも食べる事をやめなかった逢坂が箸を落とし、不安げに甘粕を見上げて、言葉を詰まらせた。
甘粕は悲しそうな目で逢坂を見、ただ頷いた。
「警視庁戻るんだろ!?俺も行く!」
言い終える間もなく、逢坂はボロボロの重そうな肩掛けカバンを肩に掛け、甘粕を見つめて席を立ち、甘粕はやはり何も言わず、どんどん青ざめて行く顔で頷いた。
3人は無言のまま店を飛び出して、車に乗り込んだ。
甘粕達3人は、検死室に直行した。
「柊木先生!。」
太宰から甘粕の大学の同期だと聞いていたのか、準備室にいた柊木は、手を洗いながら、珍しく労わるような、悲しい目をして、甘粕を見た。
「甘粕、悪い…。」
「ーえ…?」
「ごめんな、なんも見つけられなかった…。
落ちた瞬間にトラック2台に続けざまに轢かれちまったみたいで、殆ど原型も留めてねえ…。グチャグチャだ…。
落ちて頭打ったのが死因か、トラックに頭轢かれたのが死因か、それも分かんねえ。
亡くなる前の傷なんかも、轢かれた傷で上書きされちまって、あったか、無かったかすら分かんねえ。
申し訳ねえ…。」
そして、柊木は頭を下げた。
甘粕の旧友の死の解明をする事が、自分に出来る、甘粕への唯一の慰めと思ってくれている気持ちがひしひしと伝わって来た。
普段とはかけ離れた、誠意溢れる優しさに、甘粕は泣きそうになり、押し隠す様に笑顔を作り、優しい声で言った。
だが、その声は、甘粕を知っている人間には、か細い、泣き声の様にも聞こえた。
「ー柊木先生に分からないという事は、誰にも分からないって事じゃないですか…。ホシは、それを目的にしていたのかもしれません。仙崎の為に手を尽くして下さって、本当にありがとうございます。」
柊木は目を伏せ、黙って首を横に振った。
重い沈黙が流れそうになった時、遥か廊下の先からけたたましく走ってくる音が聞こえ出した。
太宰だ。
「あまかーす!!幸田がなんか見つけたぞおお!」
走って来た太宰は、挨拶する間も惜しいという様に、何も言わず、そのまま甘粕の手首を掴み、また元来た廊下を一目散に走り出した。
夏目と逢坂も行きがかり上それに着いて走る。
「課長さん?」
逢坂が夏目に聞いた。
「はい。五課の太宰課長です。」
「ああ…。甘粕が警視庁入った時から、いい人なんだって言ってた人か…。」
走りながらだから、逢坂の息は切れている。
だが、表情はとても柔らかく、優しかった。
「甘粕さんは、課長の事を話されていたんですか。」
「ああ、会う度にね…。甘粕は…ああ見えて…凄え慎重だからさ…。入ってすぐにいい人だって信用するなんて、珍しいんだ…。」
夏目には納得出来る気がした。
入って暫くーと言っても、夏目の場合はそう長い間ではなかったが、甘粕が見えない壁を作り、そこから夏目をじっくり見ているような感覚を感じた事があった。
事件を追う内、直ぐにその壁はなくなったので、そこまで慎重とは思わなかったが、言われてみれば、その壁は結構分厚かったかもしれない。
「そうかもしれませんね。」
夏目は元来語らない男だから、それだけ言った。
逢坂はまた微笑んだ。
「君もあの分厚い壁から覗かれて、気がついたら、中に入れてもらってた口か…。俺もだよ…。
でも、あの課長さんは、ほんといい人なんだろうなあ…。」
「ー何故分かるんですか。」
「だって…目の淵真っ赤になってたよ…。泣いたみたいに…。仙崎が死んだ事に甘粕がショック受けたの、自分の事の様に思ってくれたんじゃねえのかな…。」
確かに、太宰は顔色も悪くなっていたし、あの性格ならきっとそうだと夏目も思う。
太宰の事を良く言われるのは、夏目としても嬉しい。
お礼でも言っておこうかと思ったその瞬間、逢坂は非難がましい目で夏目を見て言った。
「って…、遠くねえ!?」
いきなりの苦情に、一瞬面食らう夏目だったが、相変わらず、表には出さない。
「すいません。検死室から科捜研て、ここのほぼ端から端なんです。非常に非効率だと誰もが思ってはいるんですが。」
逢坂は既に足が縺れ始めている。
「せめてお荷物お持ちしましょうか。」
「お願い!もう食ったもん全部出そう!勿体ねえ!」
ー苦しいではなく、勿体ないと言うのか、この人は…。
こういう人物、夏目も嫌いじゃない。
幸田の所に走って行くと、未だに夏目アレルギーの幸田は、夏目の顔を見た途端、うっという様に顔色を悪くしたが、咳払いをし、気にしていない風を取り繕って、パソコン画面を見せながら話し始めた。
「甘粕。この踵の所見てみろ。よーく見ると、靴跡みてえのがあんだろ。」
「はい…。そうですね…。」
「これ、要するに、こうした時のと同じ足型なんだよ。」
と言うなり、幸田は甘粕の背後に周り、甘粕の靴のかかとの部分を両足のつま先で体重をかける様にして踏み、尚且つ、甘粕を前に押した。
当然、甘粕は靴を脱いだ状態で、前につんのめった。
「幸田さん!流石だ!」
かなり上物の靴を踏まれた上、転ばされそうになったのに、甘粕は上機嫌で幸田の肩を揺さぶった。
「だろお?多分この様にして、仏さんを押して、靴を脱がせた状態で突き落とした。」
「仙崎は泥酔状態でした!女の力でも落とせますか!?」
「いや、それはどうかねえ…。あの柵の高さじゃ、この段取りに加えて、足持ち上げなきゃなんねえだろう。男の両足なんて、結構重いぜ?」
「それもそうですよね…。」
「うん。ただ、この踏んづけた靴の足型は現在照合中。恐らくイギリス製のハイバランスというメーカーのスニーカー。」
「イギリス製のスニーカー?なんでそんな詳しく分かるんですか。つま先だけなのに。」
「あまかーす。俺を舐めんじゃねえぞ、こら。俺はね、ハイバランスのスニーカーコレクターなんだよ。この特徴的な波打つ美しいレリーフ。これは恐らく、ハイバランスの514。」
「凄えな…。」
夏目がボソッと本気で呟くと、幸田は若干顔を引きつらせながら仰け反った。
「だ、だろう?クソガキ夏目。ま、参ったか!」
「はい。参りました。」
ところが、そう言った夏目は、肩を揺らして苦笑しているものだから、幸田の精一杯の強がりも砕け散ってしまった。
幸田からの手土産を引っさげて、5課に戻る途中、夏目が言った。
「甘粕さん、て事は全員の被疑者に、愛って女は面会に来てる可能性があるわけですよね。」
「だと思う。原田に…。」
「面会者リストと愛って女っぽい該当者の有無、調べて貰っておきます。」
「頼んだ。」
夏目は原田の部署に走って行き、甘粕は逢坂を連れて5課へ急いだ。




