ブッダカウント・ツー
「お前、心底ネス公がおっかねェんだなァ」
ひとつ、大きなため息をついてから、セレストは肩を竦めた。
ネスフィリナを含めて、ナハトゥムは一男三女を成している。
が、直系異能を現したのはネスフィリナひとりであり、ナハトゥムが固執し続けたのもまたひとりきりだ。
「一体何を証左にそう思い込むのだか、伺いたいものだけれどね?」
「その我法が何よりの証拠じゃねェか。お前の法の作用は、カダインの同調と大差ない。つまりお前は欲しかったんだろ、自分に期待されていたものが。自分の価値の証明が。だから法に至ったってのに、ネス公が生まれちまった。お前の欲しくてたまらねェもんを、生まれつき持ち合わせた子供がよ。羨ましくて妬ましくて、直視できなかったんだろ」
王は、どうにかネスフィリナを無価値に貶めようと足掻いている。セレストの目には、そのようにしか映らない。
導法・至福――セレストの言う物忘れの法を得たナハトゥムは、他者のみならず、自身もその法に影響されている。都合の悪い嫌な体験を、思い返したくない心の棘を、ほぼ無意識に忘却してしまっている。
我法使いとは己が思念を至上とし、そもそも変質しない存在であるが、ナハトゥムの学習のなさはその中でも飛びきりだ。その気質は齢と比して明らかに幼い。
だというのに、と言うべきか。
だからこそ、と述べるべきか。
王は娘に固執している。
それほど忌み嫌う子であるならば、すぐさま忘れ果ててしまえばいい。それで王は幸せになれる。だのに彼女は、いつまでもネスを忘れられない。
治らないかさぶたを弄るように、いつまでもじくじくと膿む傷口を、自ら開き続けている。
「だから小娘が虫に怯えるように、必要以上の力で潰そうとする。目に入るたび何度でも、同じ真似を繰り返さずにいられない。悪い習性だ。どこぞの婆が存命だったら、三日は椅子に座れねェほど尻を叩かれたろうよ」
「見当外れだ。見当外れもいいところだ」
言い募る声が、甲高く裏返った。
「ネスフィリナは失敗作だ。出来損ないだ。空臼と同じだよ。使えそうで使い道のない鶏肋に過ぎない。そんなものにボクは――」
「あら陛下。どうして陛下が他人の成功失敗を決めるのですかしら。幸不幸と同じく、それは懸命に生きた当人にしか量れないことですわ。それにネスフィリナ様はいい子です。わたくしを含めた皆が、その頭上に幸あれと願うほどに。それはとても価値のあることだと存じます。ええ、とっても素晴らしいことだと思いますわ」
ネスを見るケイトの眼差しは慈愛に満ちて、その言葉に嘘偽りがないことを如実に告げる。
誰からも顧みられなかった王にとって、誰にも助けられなかったナハトゥムにとって、幸福を願われる他人のありさまは、この上なく苛立たしいものだった。
「……もう十分だ。これ以上の御託は要らない」
澄んだ高音が響かせて、甲冑両腕のブレードが伸長する。建築物ごとセレストを斬り払おうという構えだった。
自陣は術師と幼子と見て、ケイトが前へ進み出んとする。
が、真横に突き出した腕で、セレストはその動きを押し留めた。
「悪い。ちょいとここは任せてくれ。嬢ちゃんは、そのまま続けててくれ」
「はい、承りましたわ」
素直に頷くやネスを引き取り、ケイトは幼子の手を引いて後方へ下がる。
空手のセレストをネスが見やったが、彼はその不安を笑って流した。
「へぇ。独力で勝つつもりなのかな? 言っておくけどこの機体に、君の霊術は通らないよ。何故って全面に封術牢と同じ、拒霊呪紋を刻み込んであるからね。だからと言って装甲だって脆くはない。KB式錬鉄をふんだんに――」
自慢げに語る最中、がきんと王の兜が音を発した。
「あら、本当に丈夫ですわ!」
わずかに仰け反った首を戻してナハトゥムが見やれば、視界に映るのは剣を投じた姿勢のままのケイトである。またしてもケイトである。
霊術無効と小耳に挟むなり、彼女は己の武器を投げて寄越したのだ。兜の立てた金属音は、これが直撃した折のものである。
しかもこの投擲は、甚く剣呑だった。
刃にはしっかりと術式強化が施され、ケイト自身の腕力も、同じく霊術により増強されている。王の繰る甲冑の装甲が高言通りの代物でなかったならば、それは甲冑の頭部を貫通していたに違いない。
「おまえ……!」
繰り返される邪魔立てに対し、王が激情を発した。そこには投剣に反応できなかった屈辱も内包されていたろう。
殺気に満ちて、甲冑がケイトへと向き直る。その瞋恚に対し、彼女は抗ずるための武器を持たない。手にしていた一剣は、最前好奇心のままに投げてしまったからだ。
自身の得物を放り出すなど、言うまでもなく考えなしの勇み足、先を考えない無分別である。
もちろん、それはケイトが単身だったなら、という前提の上での理屈だ。
王がケイトへと注意を逸らしたその瞬間、何の行動を起こすよりも早く、甲冑を囲んで十数の炎珠が生じた。
セレストが執行した霊術砲火である。
事前に打ち合わせての行動ではない。ただ互いが互いの呼吸に合わせただけの動きである。だが喧嘩慣れしないナハトゥムには、察するべくもない連携だった。
杖なくしての執行なれば、炎珠の精度と強度は平素より劣るが道理である。けれど即座に爆裂したその火炎は、とてもそう思えぬほどの威を伴っていた。
しかしながら甲冑の装甲もまた、この上なく堅牢である。
呪紋の霊術遮蔽が、発生した霊炎をほぼ完全にシャットアウト。火も熱も、王の甲冑に影響をもたらさない。が、副産物としての爆風は霊素の影響を伴わなぬものだ。外装で防ぐべくもない。
加えて、セレストは炎珠の裏で、複数の障壁を同時展開していた。気流は吹き寄せる方角を制御され、凄まじい大気の拳と化してナハトゥムの甲冑を吹き飛ばす。
先刻、ケイトがセレストとの交戦した折に、「されたら厄介」と危惧した通りの戦法だった。
「く、この……ッ」
それをまともに受けながら吹き飛ばされず、ただたたらを踏む程度に留めたもまた、新型甲冑の高い性能の現れと言えよう。
が、繰り手たる王が立ち直り切らないそのうちに、爆炎に次いで肉薄する影があった。
霊術飛翔で迫撃するは、言うまでもなくセレストだ。
拳ひとつぶんだけ身を宙に浮かせ、高速の水平移動を行うその術式は、オショウの迦楼羅天秘法の粗悪な模倣だった。速度は遅く、高度は低く、本家の機動力に比するべくもない。
が、そんな未完成の術式であっても、間合いを詰めるだけの役になら十二分立つ。
最前のケイトの投擲を回避できなかったことからも知れる通り、王は基本的に対応が鈍い。
尊大を気取るだけの才覚を備え、自ら攻めかかるなら十分な強さを誇る。しかし敵を侮り、自身の判断を最善と信じるあまり油断が多い。意表を突かれやすく、反応が遅いのだ。あらゆる意味で対人経験が足りない、と述べることもできよう。
セレストのような叩き上げからすれば、精神面で隙だらけの相手である。
未だ残留する炎を追い抜き、セレストは王の眼前へ降り立つ。同時に彼の両前腕を、螺旋状に白い烈火が取り巻いた。
真昼の月。
真夜中の太陽に匹敵する高出力ながら、数音節で執行可能なセレスト独自の霊術式である。火力と執行速度の代償として射程は短く、刀槍の間合いで用いることを強いられはするが、その欠点を補うべくの疑似迦楼羅天秘法だ。
すくい上げるように振られた双腕に一瞬遅れて、翼めく炎の軌跡が奔る。それは甲冑の左右の腕を、いとも容易く両肩から焼き斬った。
次いでセレストは左旋回。右手刀が一閃し、頸部関節を溶断。跳ね跳んだ頭部が音を立てて床を転がり、火の粉が、抜け落ちて舞う羽々のように空間を彩る。
炎珠の爆炎すら無効化する装甲を障子紙のように破砕する、一瞬の攻勢だった。
「舐めてんのかクソッタレ。封術牢の投影と、呪紋流れが同一じゃねェか」
初手の炎珠で装甲呪紋を確認し、読み解いた防護の脆弱を続く真昼の月にて穿つ。してのけたのはただそれだけと言わんばかりの口ぶりだったが、同じ仕業を、果たして誰が為せようか。
セレスト・クレイズは、明確に霊術師として頭抜けている。
知覚部位を切除されると、甲冑への正確な運動指示は不可能となる様子だった。残された胴部は転倒し、ただ足をばたつかせるばかりと成り果てる。その胴体へと近づくと、セレストは頸部切断面に手を当て、内部に火炎を流し込む。そうして、哀れな生体部品を灰燼へ帰した。
瞬殺以外に言葉のない状況だった。けれど。
「舐めてるのは君だよ、セレスト」
床に転げた首が、王の声でくつくつと笑った。
次第に高まる哄笑を押しのけ、がしゃがしゃと聞こえ出したものがある。それは具足の立てる重い足音。それはアーダル王の居室、その奥から響くものだった。
次の瞬間、部屋を閉ざす重く豪華な石扉から、何ものかが突き出した。長く伸なされた霊術刃であった。
そして、その正体を見極める間もあらばこそ。
刃は無造作に、縦横に閃いた。熱したナイフをバターに沈めるような切れ味で、それは堅牢な石材を文字通り切り開く。
形を失った扉、その向こうから姿を現したのは霊動甲冑である。
小型にして新型。先ほどまでセレストたちと対峙していたものと同型――では、ない。
そのフォルムはより鋭角的に洗練され、袖鎧めいた肩盾が追加されている。霊術刃形成の呪紋も左腕のみに留まり、右手には弩に酷似した兵装が備えられていた。霊術矢を装填し、射出する武具であろう。
「さっき、『もう十分』と言ったろう? あれはさ、支度が整ったって意味だよ」
床に転げたままの頭部に代わり、先頭の機体が明瞭な発声する。
そう、甲冑は単体ではなかった。その数、十七領。いずれもが起動し、戦闘態勢に入っている。
「一斉起動は時間がかかるし、骨が折れるからね。それでくだらないやり取りに付き合ってあげたんだよ。ともあれこれで、君たちの勝ちはなくなった」
無論、この数の甲冑全てと同調できるはずもない。これらはナハトゥムの思考を最優先とする半自動制御で動いている。
アッシャードマン学派独自の、自意識分割型コントロ-ルシステムを取り込んだ技術だった。
本来ならば小動物やシキガミと呼ばれる生成型霊素獣に個我を感染させ、使役するための技法を、霊動甲冑の制御に落とし込んだのである。
「確かにまあ、君たちの実力には驚かされたよ。でも圧殺が叶ったのは、甲冑が一領きりだったからだ。一気呵成に、単体を複数人で攻めえたからだ。だけれどもほら、その数の利も消え失せたようだね」
王の傲岸は、この物量を擁するに由来する。
「ついでに言い加えると、こちらこそが完成形だよ。今壊された試作機とはものが違う。長きを重ねてついにここまでに至った、ボクの最高傑作群さ」
ナハトゥムの意を代弁する甲冑は、振り返って十六領の同志を眺めた。実に得意げな仕草だった。
「ああ、そういえば当代の魔皇は女の腹より生まれた者には傷つけられないそうだね。それならボクの甲冑たちはどうなのかな。人の手になる器物として扱われるか、こうなってもまだ、母親からひり出された人間と見做されるのか。試してみたいね。干渉拒絶がどういう裁定をくだすのか。うん、試してみよう。君たちを調べ終えたら、テトラクラムに試しに行こう。ボクは前者の判定だと思うけれど、でももし仮にそれであっさり魔皇を殺してしまったとしても、別に構わないだろう? 魔皇は悪い奴だって、皆言ってるしね」
セレストたちへまた目線を戻し、甲冑は大仰に両手を広げる。
実にスムーズな、ひどく人間臭い仕草であり、それだけに異常な嫌悪感があった。
「うん、名案だ。元々テトラクラムにはお邪魔する予定だったんだよ。セレスト、君から預かったロードシルト文書に記されていたんだ。大樹界の中心部には、旧王都の残骸があると。ロードシルトはそこで、大樹界の主に出会った。今も霊素を生み続けるものと、はじまりの竜と邂逅し、そして呪いを受けた。生きながら腐りゆく呪いを。一体何がどうしてそうなったのか、実に興味深いじゃないか。ボクは是非とも、大樹界を解き明かしたい。だからテトラクラムには、ボクのために頑張ってもらいたい」
クリアになった王の声音に宿るのは、まるで恋慕の情である。
解明の先にある拍手喝采を、全世界からの賞賛を夢見て、彼女は恍惚の息を漏らしていた。
だがそんなひとり語りに、セレストたちの反応はない。最前から話の腰を折り続けてきたケイトですら、一言も発さぬままでいる。
怯えて声もないのだろうと観察し、ナハトゥムは意外を覚えた。
この圧倒的戦力を前に、誰も絶望の色を見せていない。
セレスト、ケイトのみならずネスフィリナまでもが、何の不安も示してはいなかった。
王に勝ちの目はないと、心底から確信するようだった。
「それがとっておき、それで全部だってんならな、陛下。やっぱ、舐めてんのはお前だよ」
肩を竦め、セレストがケイトへ目線を送る。
「憂さ晴らしは、もうよろしいのですかしら?」
「ああ。待たせちまって悪かったな」
「いいえ、いいえ。鬱憤の解消は、健康のために大切ですわ!」
「……おう」
状況にそぐわない、呑気なやり取りが交わされる。
――嬢ちゃんは、そのまま続けててくれ。
先ほど、セレストはそう告げた。
彼がケイトに何を継続させたかと言えば、それはイツォルとのコンタクトである。
王の闖入時点で、途絶した霊術通信は回復していた。ミカエラたちが心魂工房洞主、ヨアヒム・セルズを打ち倒し、その陣図より抜け出たためだ。
そしてケイトは抜け目なくこれを活用している。これまでのやり取り全ては、イツォルを経て、テトラクラムの一味総員に中継されていたのだ。無論ながらケイトたちの正確な位置情報も、リアルタイムに更新され、送信され続けている。
このことが意味するのは、つまり。
「虎の威を借るようでちょいと癪だが――じゃ、遠慮なく呼んでくれ」
「ええ、承りましたわ。こちらもお呼びいたしましょう。とびっきりの味方を。とっときの援軍を」
びしりとケイトが指を突きつける。王の甲冑群を指し示す。
「やっつけちゃってくださいまし!」
刹那、どん、と彼方から、腹に響く鈍い音。
しかしその大気の震えの知覚より、分厚い石天井が踏み砕かれるのが先だった。
迦楼羅天秘法最大戦速。音を置き去りに、それは最短距離でやって来る。
ぱらぱらと降り注ぐ天井だったものの欠片と、もうもうと立ち込める砂埃。
その中心に。呆気にとられるナハトゥムの眼前に、仁王立ちする影がある。
彼はゆるりと周囲を見渡し、ケイトの、ネスの、そしてセレストの無事を見定めた。わずかに目元を緩め、頷く。
「うむ」




