ヒーローの条件
ラーフラの視線が、じろりとオショウを射抜く。
捕らわれた腕を敢えて振りほどかず、魔皇は天敵へ口を開いた。
「今ひと度、問おうか。どういうつもりだ、テラのオショウ」
逃亡した霊動甲冑の存在は、既にしてラーフラの注意より外れている。そもそも魔皇にとって、あんなものは路傍の石と遜色がない。意識を裂いてやる必要もない。
「……尊公は、殺める心積もりであろう」
辛うじて絞り出されたオショウの言いに、ラーフラは口の端を上げた。
「無論だとも。私の言葉を聞いていなかったのか? あの法を見なかったのか? 我法使いとは最早変わらざる者だ。如何に弱かろうと、哀れだろうと、あれは断つべき憂いなのだ。だというのに、君は一体何をしている? 私を邪魔立てすることに、何の意義があるというのだ?」
「……」
オショウの沈黙が、彼が答えを持たないことの雄弁な答えだった。我法使いの精神性は、ひとつことに凝り固まるという点で、魔族のそれと大差ない。いくら時を経たところで、改心も融和もありはしない。
そうした事実を踏まえ、それでもと煩悶するオショウのさまは、ラーフラにとって快いものだった。ようやく一矢報いた心地である。
取捨選択を行えぬのは、万人を救おうとする善人に共通する欠点と言えよう。
ゆえにラーフラはそれを指して刺す。いささかの自嘲を含む嘲笑を込めて。
「これもまた、再度述べよう。君の手は二本しかない。誰も彼もを救いはできない。今この瞬間にも、どこかで誰かが非業の死を遂げている。だが斯様がひとつふたつ――いや、いくら増えたところで、君が心を痛める必要はないのだ」
鋭く責めたのち、魔皇の声音が優しく変わる。
「それにあの甲冑を屠るは、君たちの益に繋がることだ。ならば選んで、受け入れるといい。命の価値には比重がある。君はそろそろ、諦めを学ぶべきだ」
目を細めつつ、ラーフラは思う。
一度選んで折れた心は、折れるに慣れる。慣れて摩耗し、理想を忘れる。
人に敵する存在としては、是非この男にもそうなって欲しいところだ。
その光景を甲冑の内から見やりつつ、ネスはやきもきとするしかできない。
緊迫を孕む空気と、オショウが舌戦で押される気配は彼女にもわかる。この場をなんとかしなくてはと思いはするが、しかしネスにはどうすることもできない。想念を伝うべき言葉を、彼女は忘却し果てている。
だからと言って、機体を動かしてどうこうできる場面ではない。そもそも霊動甲冑の挙動など、あのふたりは歯牙にもかけまい。いや、それでも彼なら、セレスト・クレイズなら、双方の頬を殴り飛ばすくらいの無法はしてのけるだろうか。
思い惑うネスの横を、黒く大きな影が走った。
(あー、もう。予想通り喧嘩してるし。貧乏くじ以外の何物でもないよねえ、これ)
大型肉食獣めいてほとんど足音のない影の正体とは、ソーモン・グレイである。
イツォルの伝声を受け、驚異的な速度でここまで駆けつけた彼の目にまず映ったのは、二機の霊動甲冑だ。一機は大破し、一機は無事。戦闘の形跡がありつつも後者に動きはなく、こちらは当座無害と判断できる。
次いで見えたのが、彼の愚痴の源となった魔皇とオショウの睨み合う姿だ。オショウがラーフラの腕を掴み、最早一触即発の状況としか思えない。
よって、ネスよりも人生経験に富むグレイの決断は、彼女のものより短絡的だった。
走る勢いをそのままに抜剣。大上段からふたりの間に振り下ろしてのけたのである。
刃を大地に埋めんとするような一刀に対し、どちらも瞬時の反応を見せた。オショウは腕を離して半歩退き、ラーフラは解放を得るなり、数歩の距離をひと飛びに飛び下がる。
見切るように躱したオショウは異なり、剣呑にもラーフラは跳躍ざまに反撃を置いている。鉈のようなその踵を大剣の腹でじゃらりと流し、グレイはふうと大きく息をついた。
「……」
「不作法だな、ソーモン・グレイ」
両雄の視線に揃って射抜かれ、彼はやれやれと頭を振る。
どうにか作戦成功だ。こちらに注目を集め、そして互いに距離を取らせることができた。
常人なら両断されかねない一剣を振るいつつ、グレイの感慨はその程度のものである。彼の感覚から言えば、犬の喧嘩に水をかけたようなものだった。オショウとラーフラが自分の剣で傷を負うなどとは、ほんのわずかも思っていない。徹底して客観的な戦力判断は長く生き延びる秘訣のひとつである。
「私はテトラクラムのために、後顧の憂いを断とうとしていたのだ。責められるべきはそれを押し留めた彼だろう?」
「着いたばかりだ。判断はしかねる。が、貴殿らが険悪になる方が、余程に今後の障りだ」
努めて冷静に、平坦な声調で返しつつ、グレイは剣を納めた。
無論、内心は少しも平静ではない。
(いやこれどうするの。仲直りさせられるの!?)
オショウという人物は、自分と同じ人種だ。口がまるで上手くない。要するに、こうした場で気の利いた仲裁案を出せる人間ではない。
対してラーフラの舌鋒は鋭い。のみならず緩急自在で、時に甘やかですらある。よって彼が仲直りの手を差し伸べてくれればありがたいのだが、オショウに対してだけは、当然ながら魔皇は辛辣この上なかった。
敵対に至りはするまいが、それでも一時停戦の空気を敢えて作らず、ねちねちちくちくと、針の筵のような空気を保ち続けるのは想像に難くない。
そしてそのいたたまれなさには、グレイも同居させられるのだ。正直、無実を叫びたい心持ちである。
グレイが二の句を練り上げる前に、がしゃんと甲冑が寄ってきた。
機体はグレイに続くように、彼の行動に賛同するようにオショウとラーフラの間へ位置取って停止した。
間近でよくよくと見れば、その装甲にはアーダルの紋章がある。とするとこれは魔皇討伐に参戦したというカダインの甲冑であり、搭乗するのはアーダル第三王女、ネスフィリナ・アーダル・ペトペなのだろう。
(意志表明はありがたいけども、確かネスフィリナちゃんって……。いや三人揃って弁舌能力皆無ってどういう布陣かなあ……?)
ほんの少し前まで戦場だったその場へ、ゆったりと夜の帳が下り始める。虚しく風が吹き抜ける。
どうとも言い難い膠着状態に楽しげなのは、ラーフラただ一名のみである。
「困ったことだ。私はテトラクラムのため、君たちのために一臂を貸したつもりだったが、どうやら責められる気配のようだ」
腕を組み、人差し指で我が肘をとんとんとノックしながら、魔皇が嘯く。
「ひとつ、理念の説明を希うとしよう。君たちにとって、人とは全て平等なのか? その命は等しく尊いのか? いずれも我と我が身を擲って救わねばならぬほどに? だというのなら、私も考えを改めねばなるまい。改めて、今後は行動せねばなるまい」
そうでないことを確信しての言いだった。
その上で敢えて序列をつけさせ、それを言明させ、のちの行動を縛ろう、後に批判の刃としようという目論見である。
「そんなこと、いちいち考えて動く方はありませんわ。ええ、ありませんとも!」
答えを返したのは、しかしオショウでも、グレイでも、ネスでもなかった。
深まり始めた夜闇の向こうから、ひとりの少女が歩み出る。
「わたくしだって、いつも何も考えておりません。でも、義を見てせざるは勇なきなり、ですわ。目の前で起きていることくらいは何とかしたい。誰だって、そう思うものではありませんかしら?」
ラーフラが露骨に眉を顰めた。
姿を見せた娘の名はケイト・ウィリアムズ。魔皇が地上で苦手とする、ただふたりのうちひとりである。彼女は単身で魔皇と相討ちできる存在なのだ。
「その意味で、今回のご助勢に感謝いたします、魔皇様。あなたのおかげで、ネスフィリナ様とミカエラ様が救われましたもの!」
まったく他意なく微笑む娘に、魔皇の眉がますます寄った。
が、ケイトはそれを気にも留めない。軽やかに甲冑の前へ歩を進めると、ふわりとカーテシーを披露する。礼法に長けた者たちと比せば気品に劣るが、体術の研鑽のぶんだけ、すっと芯が通って優美な仕草だった。
「遠路お疲れさまでしたわ、ネスフィリナ様。あちらにミカエラ様がいらっしゃいますから、どうぞご一緒にお待ちいただけますかしら。あ、ミカエラ様の火傷には、もう治癒を施術しておきましたのでご心配なく!」
慌てて礼めいたものを返す甲冑に、指さしてケイトは告げる。それから今度はグレイへ向かい、
「グレイ様も、ありがとうございました。申し訳ありませんけれどもうひと手間、ネスフィリナ様とミカエラ様の護衛をお願えますでしょうか。お二方とも、とてもお疲れの様子ですもの。ちょっぴりだけ休んで、それからテトラクラムへ戻りたいと思うのですわ」
「承知した」
おっとりした風情のまま、有無を言わせぬ指示である。この娘が現れてから、場の主導権は完全に彼女にあった。ついその行動を追ってしまって、誰も口を挟むことすらできない。
流石は猛獣使いだと心の中だけでグレイは呟き、頷きを返して行動に移る。
「お待ちいただくのは少しだけ、ええ、ほんの少しの間だけですから」
グレイの背へ向けた言葉に何を予感したものか。
「ならば私も引き上げると――」
「正座」
言いかける魔皇の言葉を、小娘が遮った。
「正座ですわ、魔皇様。それから、オショウさまも」
有無を言わせぬ笑顔だった。生意気盛りの対処には、弟の面倒見で慣れ切っている。彼女にしてみればオショウもラーフラも弟と大差ない。
うむ、と居住まいを正すオショウを横目に見、ラーフラもその姿に倣って隣に座る。まかり間違って手を組めば容易に世界を滅ぼしうるふたりが、揃って説教待ちのさまだった。
「わたくし、とても怒っておりますの。何故だかおわかりですかしら?」
「ラーフラと、騒動を」
「違いますわ」
言下に切り捨てるや、ケイトは腰に手を当て鼻息を吐いた。
「喧嘩はいけませんと、確かにいつも申し上げております。でも今回はそれが主ではありませんわ」
「むう」
困り果てたようにオショウが唸る。
では、とばかりにケイトは魔皇へ視線を移した。
「魔皇様からは、何かありますかしら」
「う、うむ。それはだな、そう、反省すべき点はだな」
明らかに何も考えていなかった輩の反応である。沈黙を保ち存在を消し、自分に矛先が向かぬようやり過ごそうという浅知恵だった。
「……まあ、言を弄した過ぎたは詫びよう。が、君たちの偽善行為については思うところがだな」
「偽善の何が悪いのですかしら。だって善ではありませんか。善とついておりますわよね」
相変わらず、人の話を聞かない娘だった。
「それで誰かが助かるのなら、偽善だろうと何だろうと結構ですわ。大いに結構です。見ているだけで何もしない、もしくは口しか出さない方の億万倍よいと思いますわ。ええ、よいに決まっています」
よろしいですか、とラーフラへ向け、ケイトは指を一本立てて見せた。
「英雄の条件というものが、わたくしの家には語り継がれておりますの。それはただふたつだけ。ひとつはその時そこにいること。もうひとつは、何かしようと思えること。それだけで、誰でも誰かの英雄になりうるのですわ。強くなくとも、賢くなくとも、ちょっぴりの言葉と厚意で心が救われることがあります。そうして皆で皆の目の前のことに手を伸べていけば、誰かひとりがうんと頑張らなくても、世の中よくなっていくのですわ」
「極論が過ぎると思うが?」
「いいえ。いいえ、魔皇様! わたくしテトラクラムの皆様は、そうなさるように見えますわ」
「……それは、依怙の沙汰だろう」
ラーフラが、ぐっと詰まった。詰まってから、負け惜しみのように吐き出す。
「あら。親しい方の肩を持つのは、ごく普通のことではありませんかしら」
にっこりと、またしても一刀両断である。
魔皇はケイト・ウィリアムズが甚く苦手だ。戦力的にも、性質的にも。
「いや、待て。話が暴走している。アプサラスの巫覡、君の怒りの根とは、結局どこにあったのだ」
「ああ、そうでした! そうでしたわ! わたくし怒っていたのです!」
ぱん、と胸の前で手を打ち合わせ、ケイトが思い出した顔をする。
オショウの視線が痛いほどラーフラの横顔を刺したが、流石の魔皇もそちらを見れない。
「負傷したままのミカエラ様と命の危機を脱したばかりのネスフィリナ様、どちらも放っておくなんて! 助けに行って、助ける相手を忘れて喧嘩とはなんたるざまですか。本当に、とんだざまです!」
「うむ」
オショウがようやく得心して声を漏らした。
痛みに耐える怪我人を、死地に陥り震える幼子を蚊帳の外に、自分は一体何をしていた。言われてみれば反省しきりの行いである。
「おわかりいただけましたかしら?」
「うむ」
「う、うむ」
改めて両名の顔を覗き込み、言質を得たケイトは満足して頷く。
「なら結構ですわ。過ぎたことをいつまでも言っていても始まりませんもの。それでは!」
力強く言うと、しっしっ、とパケレパケレでも追い立てるように男どもへ手を振った。
「オショウさまと魔皇様は気の済むまで殴りっこして友情を培ってきてくださいまし。わたくしその間に、準備を整えてまいりますわ」
「待て。本当に待ってくれ。何故殴り合いだ。何の準備だ」
「決まっておりますでしょう? ネスフィリナ様とミカエラ様の歓迎会ですわ! あ、終わったら仲直りの握手を忘れずにしてくださいましね!」
問いの一方のみにケイトは回答。並んで正座するふたりに言い置くや、軽やかに走り出す。行く先はもちろん、ネスフィリナたちが待つ一角だ。
駆け寄りながら大きく、屈託なく手を頭上で振り回し、
「お待たせしました。そして申し遅れましたわ、ミカエラ様、ネスフィリナ様。カナタ様がご不在ですから、代わりにわたくしが申し上げます。ようこそ、テトラクラムへ!」




