ヒロイン、裁く 2
まだ本調子ではないというのに、アリアお母さまがヤンデレ野郎……ゲフンゲフン。ベンお父さまに面会するという知らせを受けて急いで来たのだ。太陽が沈むより速く走った。心情の例え話である。もちろん走ったのはアダムだ。私は肉体派ではない。
間に合ったようでよかった。ヒーローは遅れてやってくると聞くけれど、私はヒロインなので間に合うらしい。もちろんアダムの脚力あっての結果でもある。
何に間に合ったかというと、二人の間に決定的なヒビが入ってしまう前にである。ここで二人に仲たがいされてしまうと困るのだ。こちらにも事情があるのでね!
「アンネリーゼッ!なぜここにいるの」
アリアお母さまは、険しい顔をこちらに見せた。
ベンお父さまは私の登場に心底驚いたように目を見張った。アリアお母さまの足にキスでもするのかという姿勢で伏せているのは気になるが、夫婦間にはそういう変化球も必要なのだろう。たぶん。お互いが良いなら他人が口を出すことではない。ウン……。
そう、我々は他人になるのだ。
そのために私は二人の前に滑り込むようにやってきた。
ひたりと、あの奴隷商人のアジトとやらぶりにベンお父さまの昏い瞳を見据える。
「ベンお父さま、この様子ではまだアリアお母さまにお話していないのですか?隠さなくても良いのですよ。計画は大成功です」
ピクリとベンお父さまの眉が動く。
アリアお母さまは私とベンお父さまを交互に見て、なぜか私だけ睨んできた。そんなに仲間外れが嫌だったのだろうか。理不尽だ。
気を取り直して。
ごほん、と息を整え両の手をゆるく握り心臓の前で構える。
腰を落とし、重心を低くした。
念のため言っておくが、これは古武術ではない。ヒロインの構えである。
スゥーーーー……
「アリアお母さま、ベンお父さまは悪くありません。私が公爵家に行きたくて、騒ぎを起こしたのです……っ」
イメージは【私のために争わないでっ】と瞳に涙を貼り付けておくヒロインだ。広い意味で適している。
演技に深みが増している自信があったというのに、アリアお母さまの目は厳しい。
「今はあなたの遊びに付き合っている暇は無いの。後で迎えに行くから待っていなさい」
「嫌です」
「返事は”はい”しか許していないわ、アンネリーゼ」
アリアお母さまが苛立ったようにこちらに手を伸ばした。またあの手で私を掴み上げるつもりなのだろう。二度同じ手に引っかかる私ではないのですよ。
”何もついていない手”を一振りすると、部屋の中の僅かな光源になっていた燭台の火がボワリと大きく沸き踊った。
何が起きたのかアリアお母さまが理解する前に、ベンお父さまがアリアお母さまをかばうように抱きしめた。
燭台の火はシュルルと先ほどまでと変わらない大きさに戻るが、二人の瞳は先ほどまでとは違う色があった。
その二人の瞳の中にある”恐怖”をじっと見返す。
「────嫌です。私、魔力があるんですよ?あんな田舎で終わるなんてまっぴらです」
ジジ、と火が蝋をあぶる音だけが聞こえた。
長い長い時間に感じた無音の空間に、ポツリと一言だけ「なんて馬鹿なことを」と呟く声が落ちた。
それを溜息で返す。
「……アリアお母さまも、田舎は嫌だと夢を見て公爵家に行ったのではないのですか?」
アリアお母さまを抱きしめ続けるベンお父さまの手が、がわずかに反応する。
だいたいの事情は男爵家の使用人から情報を収集して把握しているが、あえて知らない風を装う。アリアお母さまお墨付きの”小賢しい”部分である。
「公爵家のあった王都生活は楽しかったですか?物も人も多い王都とはどのようなところなのでしょうか。流行りのドレスも、歳の近いお友だちも多いと聞きました。それに王子様がいるそうです。アリアお母さまもお会いになったのでしょう?」
王子様に、と言外に匂わせ無邪気にほほ笑む。
煽ればどんどんアリアお母さまの柳眉が寄っていく。ベンお父さまの瞳も昏さが増してきた。アリアお母さまだけではなく、ベンお父さまの虎の尾も踏んでいたらしい。
「今は私のことは……」
「もういい。いいんだ、アリア」
ベンお父さまの落ち着いた声が掠れて響く。
緩んでいた腕が、一度だけアリアお母さまを抱きしめる。
そして、その腕はずるりと落とされた。
「ぼくはこの子を消そうとした。君の中から消したかった」
アリアお母さまがストンと表情を消して、見上げた。
「私は、そんなこと望んでないわ」
望んでない、という言葉の意味をどうとらえたのか。ベンお父さまは苦しそうに視線を下げた。
「そうだ、アリアはこの子と一緒に公爵家に行くつもりだったんだものな。結果、ぼくは失敗した。でもこれでアリアを縛る枷は無くなった。これでよかったんだ。馬鹿なことをして迷惑をかけてごめん」
吐き出す泥をかけてしまわないように、一歩一歩と下がるベンお父さまに「違うわ」という細い声が追いかける。
「もういいんだ!もう無理するな。ぼくはアリアの邪魔をしたくない。またアリアは飛び立つんだ。幸せな時間をありがとう」
世界を拒絶するように、もういいと繰り返しつぶやく声が苦しそうに床を這う。
アリアお母さまは無表情でそれを見ていた。
思わず頬が持ち上がっていくのが抑えられない。
地獄のような二人の様子を見て、ついにはクスクスと笑いが漏れてしまった。
それを幽霊かのように見やるアリアお母さまの顔を覗き込んだ。
「……アリアお母さまが、今、何を考えているか当てましょうか」
アリアお母さまの顔には力や感情のようなものは残っていなかった。初めて見る表情だ。媚びてもいない、傲慢でも、怒りもない。
「ベンお父さまの告白を聞いて、アリアお母さまが今なにを考えているのか。娘の私にはよくわかりますよ」
ええ、この天才ヒロインである私ならね。
両の手で弧の字をつくり、弧と弧を合わせ中心に力を込め心臓の前で構える。
これは古武術の構えではない。『愛のポーズ』である。
「ベンお父さまのこと、可愛いと思っていますね!!!」
『愛のハンドサイン』をアリアお母さまに突き出し、ウインクをお見舞いする。
刮目せよ。このヤンデレ仕草。
ベンお父さまはアリアお母さまからの最後通牒を恐れて、自分の殻に閉じこもったのである。自分んの殻の中にアリアお母さまを引き込んでしまいたいと思っているのにも関わらず、最後はアリアお母さまの心を守ろうとしたのだ。
天才ヒロインにはズバッとお見通しである。
「は?」
「え?」
ヒロイン偏差値が低い凡人夫妻は、照れて誤魔化そうとしているのかキョトン顔である。
「アリアお母さまったら以前おっしゃっていたじゃないですか。『ベンが不安になっているところを見るのが好き』と!!」
「は?」
「え?」
は?と言ったアリアお母さまは、頭を傾げ、何のことだか思い当たったのか眉間に触れ頭を抱えた。
え?と言ったベンお父さまの視線が戸惑ったように、アリアお母さまに注がれる。
「今まさにベンお父さまは不安が爆発してますよ!しかも、アリアお母さまが幸せになるならと勝手に早とちりして怯えて震えています!こういうところがアリアお母さまはたまらないと、そういうことなんですね!」
天才ヒロインたる私が理路整然と状況を解説しているというのに、凡人夫妻はそれぞれ顔を覆ってしまっている。
「愛し合う夫婦は仕草まで似てくると聞きますが、本当なのですね」
アリアお母さまにキッと赤い顔で睨まれたが、ニヤニヤと『愛のハンドサイン』を向けておく。照れるなって。
「いい加減にしなさい!」
「そうですね、話を戻しましょう。今回の顛末を説明します」
キリッと顔に力を入れ、話と空気を戻す。
今回の顛末とは、もちろん私の考えた筋書きのことである。
「ベンお父さまは、最近のアリアお母さまご様子が変わられたことに気付いていたそうです。その上で、アリアお母さまの心を守ろうとしてプレゼントを贈ることにしたのです」
プレゼントは【私を消す】ということだったが。
「私もずっと部屋にいるのは嫌だったので、ユーリも入れて三人で街へ行きました。私から一緒に連れて行ってほしいとお願いしたのです。そして運悪く巷で問題になっていた人さらいに遭遇して、偶然通りがかった騎士団の方に助けて頂きました」
嘘は言っていない。言っていないことはあるが。
「そして、ベンお父さまは自分の行動が裏目に出てアリアお母さまが離れていくんじゃないかと怖がっているのです」
これも嘘ではない。要約の問題である。
あくまでアリアお母さまとベンお父さまには仲違いしてもらっては困るのだ。
だって、二人が男爵家からいなくなってしまったら、男爵家を中心としてつくられていた使用人家族たちはどうなるのだ。
「違うんだ、アリア、ぼくは……」
「違いません」
予想通り、だいぶベンお父さまの都合の良いように脚色……じゃなかった、情報の切り取られ方をした筋書きを訂正しようとしてきた。
キッと睨み、ベンお父さまのところへツカツカと近づく。
ぐわしっとベンお父さまの手を握り引っ張……れ、なかったので、もう一度ギロリと強く睨み上げる。
「ベンお父さまは、アリアお母さまが大大大好きなんです。私ぐらいの頃から好きみたいですよ。違いますか?」
「いや、それは違わないが……」
話を逸らし、畳みかける。
「そして、男爵領で問題になっていた奴隷商人は壊滅しましたが、領主としてやるべきことは山積みです。ベンお父さまをここにお留守番させている場合ではありません」
今度はアリアお母さまの手を反対側の手で握る。
とっさに逃げられそうになったが、忘れてもらっちゃ困る。
二人の手を繋ぎ合わせ、魔術でちょっと結んでおく。
「私には魔力がありますので、魔力がある本当の父の元で学ぶことがあります。今までありがとうございました。お二人で末永く仲良く暮らしてください」
アリアお母さまは驚いたように手を引こうとするが、反対にベンお父さまは「アリアの手が傷ついてしまうよ」とどさくさに紛れて手を握っていた。隙あらばヤンデレだ。




