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天才魔術師、ヒロインになる。  作者: コーヒー牛乳
第一部 男爵家編

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23/25

ヒロイン、裁く

3/20 鬼の誤字修正


 半地下の石畳に女物の靴の音が混じって響く。音が近づくにつれ、その足音と男の鼓動は速くなった。

 その音に耳を澄ませていた男は、食い入るように扉を見つめていた。


 その扉から一人、女性だけが滑り込んだ。

 外套を取ると、陽の光が入らない室内でもわかるほど赤く色づいた髪がこぼれた。


「ベン」

「アリア!アリア!ごめんよ。悪かった、話を聞いてくれ……!」


 男は妻の足元へ膝をつくと、懇願するように手を床についた。

 それを妻は見下ろし、ゆっくりと口を開いた。

 

「なぜこんなことをしたの」

「ごめんよ……」


 男は妻の”汚点”が許せなかった。


 今は妻となっているアリア・サルージには、汚点となる過去があった。

 

 二人は所謂幼馴染という間柄であり、地方貴族で歳も近い二人はゆくゆく結婚するのだろうと周囲もお互いも、そう思っていた。


 もっとも、幼馴染の父親である前サルージ男爵は違ったようだが。


 だが、あの日。

 王都にある公爵邸へ花嫁修業と称し行儀見習いとして奉公に行っていたアリア・サルージは憔悴しきって帰郷した。


 男は突然の帰郷に驚いたものの、花束を持って幼馴染に会いに勝手知ってる男爵家へ向かった。


 しかし、もうそこには男の愛していた幼馴染の少女はいなかった。


 お転婆で、堂々と、勝気な少女だったはずの幼馴染は”女”になっていたからだ。


 退廃的な、諦めたような瞳で男を見て、作り笑顔で甘える幼馴染が他人のように感じた。


 会えていなかった時間を埋めるように、都合があえば顔を見に行った。毎日、毎日、女の中に少女を探した。だが、異変を感じるのはすぐだった。


 幼馴染は身籠っていたのだ。

 当時のサルージ男爵は隠そうとしていたが、男は疲れ切った様子の幼馴染の傍にいた。とても傷ついた顔をしていた幼馴染を放っておけなかったのもあるが、一番は自分の知らないアリア・サルージが許せなかったからだ。


 そして男の献身と度量を見直した男爵は、男をサルージ男爵家へ迎え入れることにしたのだった。


 男はもちろん、妻の汚点ごと受け入れるつもりだった。

 しかし妻は汚点を隠すことにした。


 汚点が目の前からいなくなった妻はだんだんと以前の”幼馴染”に戻っていった。


 やっと元の世界に戻ったのだと思っていたのに。

 汚点は再び、妻の前に現れた。


 妻に似ているようで、どこか似ていない少女。

 妻のことを愛しているからこそ、違う部分に気付いてしまう。


 あの日。妻が傷ついた顔で帰郷した日。

 妻の心に棲みついていた男の影に。


 それでも男は受け入れようとした。それが妻の望みなら、否は無かった。

 だが、だめだったのだ。


「なぜ、と聞いたのよ。答えて」


 妻は冷たい目で男を見下ろしていた。

 だが目の奥には、あの少し傷ついたような顔をした幼馴染がいた。


 妻は少女を見るとき、少し傷ついたような顔をすることに男は気付いていた。

 あの日のような顔を見せる妻が心配だった。


 それが決定的になったのは公爵家から来た手紙の内容だった。

 公爵家当主の奥方が儚くなったという知らせと、サルージ男爵家をとりまとめる宗家である公爵家に少女共々顔を出すようにということだった。


 アリア・サルージが帰郷してから、ほどなくして妻を迎えた現公爵は実子が二人いたはずだ。

 まさか妻に母親代わりでもさせるのかと、目の前が暗くなる思いだった。


 だから。


 男は妻に何も言わず、汚点を目の届かないところへやってしまおうと考えた。

 公爵家と、ただ一つの縁をもつ少女を。


 男爵家が経営している商会から商人の繋がりを辿り、後ろ暗いツテに当たるのは容易だった。


 公爵家との縁を切ってしまえばよいのだと男は思った。

 妻を悩ませる存在をどこかにやってしまって、元に戻せばよいのだと。


 しかし、それは崩壊した。

 奴隷商人のアジトで捕縛された状態で発見された男は重要参考人として保護されたが、この待遇は公爵家が手を回したのだろうと男は気付いていた。


 あの男にまた隙を与えたのだ。

 ”また”妻を奪われる隙を。


 男は手から幸せがこぼれていくような感覚を覚えた。

 積み重ねた信頼も、時間も、想い出も。全てが指の隙間から落ちていくのだ。


 それを保つ力は、もう男には無かった。

 諦めに近い。


 どれだけ望んでも妻は飛び立つのだ。

 そういえば。自由気ままに飛んで、ふらりと自分の元で羽根を休める小鳥のような幼馴染が好きだったのだと幼い想い出が男の瞼の裏に過る。


 男が口を開いたと同時だった。


「────ベンお父さま、そこで遠慮している場合ではないですよ。アリアお母さまには押して押して、更にもう一押しが必要です」


 緊迫した空気を壊す、まだ幼い少女の声が聞こえた。



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