ヒロイン、逃げる
閉じ込められていた扉を開け、こそこそと壁際を歩く。どうやら地下らしい。
「あの、ユーリって……」
「あっ、おいガキが逃げてるぞ!」
私の声にかぶせるように、男のがなり声が背中にかかった。それに弾かれるように駆け出す。つい加速の魔術を使ったが、私たちには必要だと思う!
ビュンビュンと角を曲がりつつ男の視界から消える。
もしこの華麗な逃走劇をユーリが何も考えずにやっているなら、かなり天才だと思う。
美形で、殿下って呼ばれてて、他の人間とはちょっと違いますよーって孤高な雰囲気(ロイヤルな身分になるとボッチでは無く孤高になる)出しちゃってて、なんだか暗そうな過去もありそうで。
それってもうヒロイン級のキャラ設定では!?
私より意味ありげな設定を背負って来るのはやめてくれないかな!
どちらがヒロインかハッキリさせないとと思うが、今は今を生き延びる方が先決である。哲学的!
こちらの葛藤などお構いなしな逃走劇の中、上階に繋がる階段を見つけた。
駆け上がろうとするが上にはニヤつくあのおじいさんが立ちふさがっていた。
そう、あの憎きおじいさんである!!
今度は私が手を引き階段を一目散に駆け上がる。ユーリは私の急な殺る気……じゃなかった、やる気に怯んだようだったが、後ろから追手が来る音が聞こえたのだろう。私と駆け上がることにしたようだ。
「おー、おいでおいで。こっちだよ」
あのしわがれた声でニヤニヤするおじいさん。
私はもう優しさを捨てたのだ。荷馬車で痛めた頭が疼くわ!
指先からシュルリと紐を伸ばし、パァンとしならせおじいさんに巻き付けた。
そして
「ユーリ!しゃがんで!」
平民育ちの強靭な肩で引っ張り落としながら、紐を釣りの要領でしならせ私たちの後ろへ落とす!オラァ!!
「ぁあああ!!?」
「おい!ばか、じいさんが落ちてくるぞ!戻れ!」
おじいさんの悲鳴と追手がしっちゃかめっちゃかになっている声が下から聞こえて満足です。
「……よし、行こう」
ユーリは至って冷静に先を急いだ。まあ、荷馬車で頭をぶつけたのはユーリが私を押したからなんだけどね。守ろうとしてくれたんだもんね!
ダダダと駆け上がれば、どうやら上階は酒場のようだった。
何人かがこちらを振り向いた。ポカンとしていたり、焦った顔をしているのが何人かいた。どうやらここはまだ敵地だ。
そのままテーブルの影に走り寄り、厨房を駆け抜け、裏口へと出た。
裏口は私が知っている農村や男爵家の周辺とは違って、民家の密集地のようだった。板で打ち付けられた民家が重なり、うず高く空を遮る民家には洗濯物が所狭しと干されている。
初めての光景に一瞬、ポカンとしていたらユーリに手を引かれ思い出したように駆ける。
そして一拍後に派手な音を出しながら男たちが追ってきた。
慌てて角を曲がり、魔術で風を起こす。
「おい!まて、クソが……!?」
ビュウーーーと建物の間を突風が吹き、空に渡されていた洗濯ものが巻き上がる。衣類や布は通りを舞い上がり、男たちの視界を塞いだ。
「ぶわっ!おい、まて!」
ユーリは慣れたように角を曲がり、壁を超え、人や物の音のする方へ、土煙が濃い方へと走った。
追手たちの声が離れると同時に、遣り込める高揚感の代わりに疲労が強くなる。足がもつれはじめたのが伝わってしまったのか、道端の荷の影に隠れ呼吸を整える。
荒い息を飲み込み、張り付いてしまう喉をはがそうと唾を何度も飲み込む。
そんな時に、空気が変わったような気がして荷の影から日の当たる通りを覗き込んだ。
彩度の低い平民の服とは違う、揃いの仕立ての隊服。
歩くたびに鳴る金物の音。
姿を見れば、平民たちはさわさわと私語を止め、視線を下げた。
騎士団だ。
────私たちの、勝ちだ。
****
どうやら騎士団の巡回に間に合っただけでは無く、巡回路を当てたらしい。
「……あの二人のところへ、走れ」
巡回する騎士二人の姿はユーリにも見えたらしい。安堵で身体が重くなる。でも、まだだ。
「ユーリも行こう!」
「いけない」
は、と一瞬固まる。そういえば、騎士団の中に因縁の相手がどうとか、あのヤンデレ野郎が言っていた気がする。
「……ユーリは戻るの?男爵家に。でも、いつかまた偶然を装って殺されちゃうかもしれないよ。だから一緒に、」
ユーリは行く気はないのだというように、腰を下した。
「いいんだ、もう。何回も殺されそうになってたし。ここに来たのも、男爵家に俺の死の原因をなすりつけるためというか……だから、死に場所がかわっただけだ」
そう言うユーリの目は、あの最初に見た湖面のようで。
全てを諦めた、あの目だった。
ぐわりと、肩に、耳に、頭に血が上る。痛いくらいに。
「諦めるな!馬鹿!!!」
「なっ、」
隠れているというのに大声で怒鳴ってしまった。
ぴゃ!と身体を跳ねさせたユーリは驚いたようにこちらを見て、へにゃりと眉毛を下げた。
「泣くなよ……」
ぐしぐしとユーリの袖で顔を拭われる。もうちょっと優しく拭ってほしい。
「アンネリーゼは、魔術を使えるんだろう」
もう少し言ってやらねば気が済まない、と口を開こうとしたがユーリの鋭い指摘にピタリと止まってしまう。いかん、黙ってしまえばそうだと認めているようなもんじゃないか!
あわわわと誤魔化そうとするも、ユーリは今までに無く、優しい顔をした。
「隠すな。魔術が使えるとなると男爵家を飛び越して公爵が喜んで迎えるだろう。だから、そこに行けばアンネリーゼは助かる。騎士団にそう言うんだ」
そう言い聞かすユーリの表情を見て。
あぁ、本当に、ユーリは行かないつもりなのだとわかってしまった。
「やだ。ユーリも一緒に行くの」
口が勝手に駄々をこねる。ただの子どものように。何度も何度も、ユーリに続きを言わせまいと、嫌だと駄々をこねる。
嫌だ嫌だと顔を振るたび、ユーリの優しい顔が、悲しそうに歪んでいく。
「公爵家の人に、身を粉にして働くからユーリも守ってって言う。だから、一緒に行こう。ユーリが行かないなら私も行かない」
「なんでいつもアンネリーゼは……」
歪んで歪んで、苦しそうにそう言うと下を向いてしまった。
「……うんざりだ。いつもいつもまとわりついて邪魔だったんだ。そうやって恩着せがましいのも、心底面倒だ。もう顔も見たくない」
繋がれていた手が強く、振り払われた。
ハッと視線を上げるのと、ユーリが私を睨み上げるのは同時だった。
「───アンネリーゼなんて、大っ嫌いだ……ッ」
ユーリの千切れるような声を、私の心が受け止めるところだった。
「みーつけた」
ニチャリと粘ついた声が真後ろからまとわりつくように落ちた。
振り返ろうとしたが、目の前にヌッと出てきた刃物に息を飲む。
「ひッ!たすけ……っ」
「やめろ!離せ!!」
騎士たちがこちらを見る。
「ほら、どこに行ってたんだ。探したぞ。遊んでばっかりいないで家の手伝いもしなさい」
慣れたような声色で、まるで父親かのように振舞う。騎士たちはこちらに気付いたのに、親子喧嘩だとでも思ったのか、やれやれと視線を流した。
追手は騎士たちに背を向け、あの臭い布を口の中につっこんで来た。
「……声を出すなよ。騒いだら片方を殺してやる」
ぐぅ、と生理的な吐瀉感が込み上げてくる。
私を布でくるむと「ん?眠くなった?そうかそうか、早く家に帰ろう」と担ぎあげた。
騎士は私たちに背中を向けた。こっちを見て!!気付いて!!
ユーリを、助けて
願いは空しく、騎士たちは去っていく。
もうダメなのだ。何もかも。弱い立場に産まれたら、こうしてなぶられ他人の都合で死んでいくのだ。あんまりじゃないか。
男の肩越しに騎士団の背中を見続ける。そこに、もう一人。見るからに上級の騎士が現れた。その騎士は私たちを一瞥し、眉を寄せた。
あきらかにその上級の騎士が現れた瞬間に、男たちは小さく目くばせをして足早に去ろうとしている。
今しかない。
今残っている魔力でユーリを助けたら、私は気絶する。
これがユーリとの最後だ。
こちらを怪訝そうに見ている騎士を見つめる。
その脇に携えられている剣に、意識を集中させる。
浮遊。
「……ッ、アンネリーゼ!やめろ!」
「な、なんだッ!?」
「団長の剣が!」
ユーリの慌てた声と、状況を把握できない騎士二人の声。
剣の持ち主は一瞬驚いたように目を見開き、こちらを見た。私の目を。
気づいて。
くるりと回転させ、切先をこちらに向け、引き寄せる。
「あッ、おい!」
「なんだありゃあ……飛んでる……!?」
騎士たちの慌てる声で、やっと状況の変化に気付いたのか男たちが浮遊する剣を見た。
加速。
「ヒッ」
ヒュンッと、よく磨かれた剣の切っ先がこちらに向かって飛んで来る。
そのままユーリに刃を向ける男へと向かって行った。
ガツンだの、喧々囂々とした人の声や馬のいななき、あとなんだろう。たぶん、また落とされたかも。優しく扱ってよね。あと口の中に入ってる布をどうにかしてください。臭いのは布の方なので。私じゃないからね。
────ヒロインは、ここぞって判断を間違えないの。




