ヒロイン、窮地に陥る
「これどうかしら」
「似合いますよ」
天使の羽根のような睫毛をパチパチとさせ、手に持っていた怪しげな夜の仮面舞踏会にしか出番の無さそうな豪奢な羽飾りをおろした。
「やっぱりこっちかしら」
「似合いますよ」
うるうると常に潤んだみずみずしい新緑の瞳を……半分隠し、じとーっと見る。
頭に刺していたロウソクを戻した。ユーリの中の私は、頭にロウソクを刺して歩く美少女なんだろうか。未知の扉を開けてしまいやしないか心配だ。
くるりとユーリに向き直り、周囲に聞こえないよう頭を寄せる。
「ちゃんと見なさいよ!」
「俺に聞かないでくださいよ!買い物ならアニーを連れて来ればよかったじゃないですか!」
ガヤガヤとした市場の中、身を寄せ合い言い合いをする美少女と美少年のセットが珍しいのか、通行人の大人たちはニコニコとしながら「仲良くするんだぞー」と通り過ぎていく。
いけないいけない。ここは中身が大人である私が大人になってあげなければいけない場面である。
コホンと息を整え、ユーリの袖を掴む。ちょいちょいと引き寄せ、耳を寄せてもらう。ユーリはムスッとした顔をしつつも素直に耳を寄せてきた。しめしめ。
ガヤガヤと騒がしい市場の中、小さな声がユーリだけに聞こえるように手で耳を閉じ込めた。
「……馬鹿ね。ユーリと一緒なら、きっと楽しいと思ったから連れて来たんじゃない」
ガチンと固まったユーリはそのままに、今度は大人っぽい装飾の髪飾りを目の高さまで持ち上げ、「どう?」と振り返る。ユーリはまだ耳を傾けた姿勢で固まっていた。
ふふん。あのアリアお母さまの夫を誑し込むテクニックを間近で吸収している私には、少年を唸らすなんて赤子の手をひねるようなものだ。どうだ!
得意気な顔が隠れていなかったのか、固まっていたユーリは一転して悔しそうな顔になった。頬は赤いままなので全く怖くない。へへーん。
「…………全っ然、似合ってません」
「ケンカ売ってるのかしら」
ユーリはムスッとした顔のまま視線を売り場に流し、迷わず何かを掴んだ。
「アンネリーゼ……お嬢様、は、こちらかと」
おずおずと差し出された手の中には藍色のような深い青に白い花弁の素朴な花がモチーフになったカボションピンがあった。
いままで私が手に取ったアクセサリーの何よりも地味である。
「……私ってこういうイメージなの?」
そっと摘んで日にかざせば、藍色が透け、花の白さが際立った。
「綺麗」
ね、とつぶやきながらユーリに視線を移せば、同じ色がこちらをまっすぐ見ていた。
その視線は私を見ているようで、見ていない。
「────おや、おチビさん。趣味の良い髪飾りだね、似合うじゃないか。店主、こちらも」
「おっ、君らのオヤジかね。いやー、安心したよ。まいどあり」
ベンお父さまの登場にぴゃっと二人同時に肩が跳ねた。
私たちの様子をハラハラと見守っていたらしい店主が、ベンお父さまを見てホッと安心したように肩をすくめた。
「売り物で遊んでごめんなさい」
「いやいや、可愛い子が店先にいてくれるのは宣伝になるからいいんだ。だけどね、ここらで最近派手に人さらいをやってるやつがいるらしくてね、なるべく大人の近くにいた方がいい」
ベンお父さまに聞こえるか聞こえないかの声量で店主はそう漏らした。
「二人はとても仲が良いんだね。だが、二人とも。本来の目的は忘れていないかな?」
「はい、ベンお父さま。もちろんです!アリアお母さまをあっと驚かせる特別なプレゼントを探すのです」
きゅるりん★と効果音でも鳴りそうなほど強めに”可愛い娘”感を出して返事をしたというのに、隣にいるユーリはまるで奇怪な未知の生命体でも見たかのような目でこちらを見た。
これが処世術。生きる力ってやつなのだ。そんな目で見るんじゃない。
「うん、いい返事だ」
ベンお父さまはニコニコと人好きのする爽やかな笑顔でうんうんと頷いた。
そのやり取りを見ていたユーリが『嘘だろ……』とも言いたげな表情をしていたが、安心してほしい。ユーリはユーリの良さがあるのだから。
我々一行は男爵家が管理を任されている街にやってきていた。
交通の要所らしく人も物も多く賑わっている。
今日はいつものワンピースでは無く、平民の子どもが着るような服装だ。だとしても村にいた時より確実に良い生地なのだが。
入念に準備を重ね、ベンお父さまとおねだりで連れてきたユーリと私の三人でお忍びというわけだ。
ベンお父さまは用事も兼ねているらしく、時たま先ほどのように大人だけの会話をしに私とユーリから少し離れることがあった。やっぱりユーリを連れてきてよかった。一人だけだったら暇死にしていた。
先ほどまで見ていた露店には本日の目的である、アリアお母さまを唸らせそうなものは無かったが、やはり買い物は楽しい。
次は何が見れるのかと、やや跳ねながらベンお父さまの後に続く。
ユーリは私が衝動のままどこかに駆けていくとでも思っているのか、今日も私の手を握っている。手綱ともいう。心配性め。
「さて、目星をつけている店まで馬車をつけられたらよかったのだけれどね。裏道だから、もう少し歩けるかな……っと」
ぶはっ、と急に立ち止まったベンお父さまにぶつかってしまった。
また知り合いを見つけたらしく、申し訳なさそうに振り向く表情を見るのはこれで何回目だろうか。本当に今日中に賄賂……じゃなかった、贈り物を用意出来るんだろうか。心配だ。ただでさえ軟禁の刑から逃亡しているのに。
「また知り合いだ。少し、そうだな、二人でそこの噴水で待っていてくれ。小さな騎士さん、おチビさんを頼んだよ」
「はい。旦那様」
ユーリは何回目になるのか同じように返事をした。
ピシッと礼儀正しく受け答えをしていたと思ったら、ベンお父さまが見えなくなるとムスッとした表情でこちらを見た。
「なによ」
なんだその目は。文句を3時間でも言いそうな顔だ。身に覚えはある。先に言おう。ごめんなさい。
「……ん!」
ムスッとした表情で拳を目の前に突き出されたので、思わずサッとよけたがピタリと止まったまま動かない。時を超越して動いて見えないわけでも、私の顔面を狙った一撃というわけでもなさそうだ。
反応が鈍い私に焦れたのか、繋がれていた手を押し広げるとポトリと何かを置いた。
そこには先ほどの深い青のカボジョンピン。
ずっと握っていたのか、ユーリの手の温度が移っている。
それを見て開口一番に出たのは「これって……」だとか、トキメキきらめきのふわふわした雰囲気でも無い。気持ちは嬉しいが、そうじゃない。そうじゃないのだ!
「はぁ~~~。ユーリ、女の子のこと何にもわかってないのね」
ユーリはピシャーンと雷に打たれたような顔をして固まっているが、ここはしっかり言わないといけない。
「これではさっき買った時のままじゃない。これはまだ贈り物じゃないわ。しかも買ったのはベンお父さまだし」
もしユーリがこのまま成長して、年頃になっても「ん!」と贈り物を投げてよこす青年になったらどうするのだ。目も当てられない。ユーリの心のお姉さんとして、ここは心を鬼にせねばなるまい。
「こういうのはね、こう、お花畑とか、綺麗な神殿の前とか、湖のほとりもいいわね。今だ!って時に跪いて、渡すの。特別な言葉も添えてね」
やり直し、と髪留めをユーリの胸ポケットに入れて、ポンポンと送り出す。
ポカンと口を開けて胸ポケットを上から抑えたユーリは恥ずかしそうに口をへの字に曲げた。
「……アンネリーゼお嬢様は夢見がちですね」
「夢は口に出すと叶うのよ」
ユーリは難しそうな顔をしてブツブツと文句を言っていた。いや、もしかしたら早速、ロマンティックで花畑が溶けそうなぐらい甘い言葉を考えているのかもしれない。さすがに植物の生態系は崩さない程度でおさめてほしいところである。
「……ほどほどにね」
「俺には出来ないと思って言ってるな?見とけよ」
ムキになったユーリが可愛かったので、ふふんと頭を撫でてあげた。
と、まあこのような感じに我々一行は誰にも知らせず、街に潜伏していたのだ。
こうして、ほのぼの下町お忍びデート回で終わればよかったのだが、それで終わるはずが無かったことはまた次回。
────ヒロインは夢のビジョンが明確なのだ。




