第七十六話 見学
第七十六話 見学
サイド 大川 京太朗
赤城さんに案内され最難関迷宮、『東京駅』を脱出。人工的な光ではない太陽光が高層ビルの間からこちらを照らし、目を細めながらほっと息をはく。
「出られた……」
「大げさ、とは言えないかな。大変だったね」
クスリと笑い、赤城さんが軽く肩をすくめる。
「さ、ここで立ち止まっていてもしょうがない。車を待たせているから、ついてきなさい」
「あ、はい」
彼女に促され駅の駐車場と思しき場所に行く。
はえー。人、多い。車、多い。ビル、高い。うちの県庁の方には何度か行った事があったが、あまりにも違い過ぎだ。あそことて十分人が多いはずなのに、ここはケタが違う。
都会……いいや大都会。それが東京。これはニューヨークとかになったらもう『魔界』呼ばわりしてもいいんじゃないか?……今の時代、不謹慎って言われそうだからやめとこ。
赤城さんの後ろではぐれない様に注意しながら進むと、黒い高級車が止まっている。あいにくと車の種類なんてわからないが、一目でわかる上品さがあった。
老紳士然とした運転手さんが後部座席のドアを開けてくれる。咄嗟にその人にお辞儀を返した。運転手さんまでいるのか……。
「し、失礼します」
先に乗った赤城さんが土足で入ったので、自分もそのまま乗りこむ。いや、テレビで偶に『土足厳禁』な車が紹介されていた事もあるし。
小さな音と共に閉まった扉を横に、皮張りながらやけに座り心地の良いシートで背筋を伸ばしながらシートベルトをしめる。
「……そう緊張しなくていいよ。リラックスしてくれ」
「いえ、えっと、あの、はい」
子供に向ける様に慈愛の溢れる笑みを向けてくる赤城さん。
無茶を言わないでほしい。『リアルでは見た事もない高級車』に、『隣に乗るのは就職したい大企業の部長さん』。そのうえ『相手はレイラに匹敵する超絶美人』。僕の様な一般ピープルにこれで緊張しない鋼の胃袋やぼさぼさな心臓は期待しないでくれ。
戦闘能力が一般人じゃないって?今の時代はそうでもねぇんだわ。
……戦闘能力?
「……赤城さんって、覚醒者だったりします?」
音もなく走り出した車の中で、彼女にチラリと視線を向ける。
それに対しに赤城さんは少しだけ視線を鋭くさせた。殺意の類はない。むしろ楽しんでいる風でさえある。
「やはりわかるか。随分といい『眼』を持っているようだね」
「……もしかして試されていましたか?」
「ストレートに聞いてくるね。君は」
肯定はしないが否定もしない、と。深く聞かない方がよさそうだ。
先ほど自分が無意識に戦闘態勢に入ってしまった原因を察する。この人、わざと『起こりを見せた』な?
思い返せば彼女の歩き姿は次の瞬間にはこちらに襲いかかっている物だった。間違いない。
当然魔眼は発動しなかった。赤城さんに本気で自分に攻撃をしかける気はなかったのは間違いない。
だが自分が普段ダンジョンで戦うモンスターの、魔眼が発動する瞬間の姿……筋肉の動き、呼吸の仕方、視線の動き。それらとそっくりだったのだ。
つまりこの人、こちらに攻撃する振りをしてどういう反応をするか試していた、と。
「……まあ、不快にさせてしまったのなら謝ろう」
「いいえ。貴女はただ僕を迎えに来て下さっただけじゃないですか。むしろご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」
全力の営業スマイルを決める。不格好だろうが知った事か。ここは己の意志を示す事が重要である。
あのタイミングで試したという事は……まだワンチャンあるな?
方向音痴な冒険者など不要と契約を持ちかけても断られると思っていたが、戦闘能力を買ってくれるかもしれない。反応も悪いものではない、はず。
沈んでいた気持ちが持ち直していく。やれる、まだやれるぞ。僕の戦いは終わっていない……!
え?突然試された事を怒らないのかって?先に迷子になって目上の人に案内させる失礼をかましているのはこちらである。これで相手に怒りを覚えるのならそいつは政治家にでも立候補する事をお勧めしよう。
……ただ、アレが試しだったとすると、だ。
「あの……すみません。もしかしてですけど」
「なにかな?ああ、すまない。先に質問しておきたい事があるんだ」
チェシャ猫の様に意地の悪い笑みを整った顔に浮かべ、赤城さんが流し目を向けてくる。
どうしよう。美人にそんな事をされたのに微塵も嬉しくない。胸が高鳴っているのはどう考えても恐怖が原因だ。
「これから向かう先は、『桜井自動車の普通の工場』と、『桜井自動車が最近手を伸ばしているダンジョン関係の施設』。どっちがいい?」
「………こ、後者でお願いします」
「素直でよろしい」
彼女の白く綺麗な指がこちらの頭をくしゃくしゃと撫でる。
ぞんざいに撫でられているはずなのに、妙に気持ちいい。
「若いうちからあまり擦れた考えをするものじゃないよ。君みたいな子は特に、ね。矢島さんには今度きちんと謝っておきなさい。他者の善意を利用するやり方はいけないよ」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
「私に謝罪は不要かな。だって鴨が葱を背負って来たと思ったし」
「え?」
こちらの頭を撫でていた指が離れる。
「君が将来の為に色々頑張っていた事は察したよ。けど、己の価値を見誤っちゃいけない。自分には常識となっている事でも、一度姿見の前で立ち止まってみるといい」
「は、はぁ……」
「単純な話さ。君は『B+のモンスターと戦い、自分の戦力のみで勝利した経験を持つ民間の冒険者』って事」
……戦闘能力を褒めてもらっている?まあ、否定しないけども。
確かにミノタウロスもファイアードレイクもとんでもない強敵だった。だが、それは自分にとっては……いいや。大半の覚醒者にとっては、という話。
花園さんみたいに片手間で潰せてしまう人だっている。上には上がいるのだ。それに、目の前の彼女も花園さんほどではないが、単騎で龍殺しをやりかねない。先のプレッシャーはそう思わせるに足るものだ。
だからこの人に戦力についてを言われても……あっ。
実力ではなく、実績……経験?
「『Bランク』のダンジョンってそう言えば普通立ち入り禁止でしたね」
「そう。君の中の間違った常識だ。普通、人はそんなポンポン『Bランクダンジョン』の氾濫に巻き込まれないし、ほとんどが脱出を主目的に動くものだよ」
「いえ僕も脱出の為に動いていたのですが……成り行きで戦っただけで……」
三カ月、いいやもう四カ月に四回。
我ながらアホみたいなペースで氾濫に巻き込まれたものである。流石に今回はないだろうと、普通に東京まで来たけれど。それでもチラッと『もう一回お祓いに行ってからの方がいいかな』と迷ったし。
「自衛隊やイギリスの軍隊。海外に雇われた上位覚醒者なら、同じような経験があるだろう。でも日本の冒険者でそんな強敵と戦った人は両手の指で数えられるぐらいさ。私は氾濫自体一度しか巻き込まれていないからね」
「そう、なんですか……」
言われてみれば納得はいく。どうも思ったより自分は貴重な存在だったらしい。
ありがとう、腐れ牛……クソ蜥蜴……お前達のこと大っ嫌いだし絶滅すればいいって思っているけど、今だけは感謝するよ。二度と現れんじゃねぇぞカスども……ついでにドラウグルも消え失せろ、この世から……。
「ま、そんなわけでうちとしても君みたいな人材は欲しかったのさ」
「けど、なんで僕が御社の契約冒険者になりたいとわかって……?」
「ん~……」
赤城さんは溜める様に言葉をのばし、天井を見上げた後。
「ひ、み、つ」
ニンマリと笑いかけてきた。
……ちくしょう!明らかにやべー内容だろうにそれより先に『キュン』ってきてしまった!
この人確信犯だよ。自分の面の良さ理解している上で行動しているタイプの人だよ間違いない。
「さ、話している間についたよ」
「え、もう?」
この車ブレーキもアクセルも静かすぎてどこをどう移動しているのか、窓の外を見ていないとわかりづらいな。
気が付けば、東京だというのにあまり人通りのない所にたどり着いていた。東京にもこういう場所があるんだ……。
ドアを開けてくれた運転手さんに慌ててお礼を言いながら降りれば、大きな建物の正面だった。
「ついて来てくれ。見せたい物があるんだ」
そう言ってツカツカと歩いていく赤城さん。慌てて彼女の後を続いて歩く。
受付やガタイのいいガードマンも全て顔パスでスルーし、どんどん建物の奥へ。清潔感のある廊下を進み、エレベーターに乗り込む。
彼女は地下へのボタンを押しながら、何でもない事の様に喋り始めた。
「東京駅。実は前よりも利用する人がかなり減っているんだ。半分ぐらいかな?」
「え゛」
あれで?嘘でしょ?
だが彼女がここで変な嘘をつくとも思えない。あの人の波ですら全盛期じゃないのか……。
「新宿の大規模氾濫、覚えているかな。アレ以来東京の各地でダンジョンが見つかってね。なんだかんだ小さい場所だから、人が住める場所というのが随分と減ってしまったんだ」
「は、はぁ」
「ダンジョンは次々とうまれ、しかし消える事はない。かつての神代は現代に至るまでの過程でその神秘を失っていったけど……今回は、それが起きない可能性がある」
「え?あの……それはどういう?」
「人は増え過ぎた。それだけさ」
ニッコリと笑いながら彼女は肩をすくめたのと、エレベーターが目的の階に到着したのがほぼ同時。
開くボタンを押しながら体を横にずらす彼女に、軽く会釈をしてから降りる。
「ここは……」
天井のLEDライトに照らされた廊下には、いくつも窓があり外の景色が見えていた。
それは壁に画面を張り付けて自然環境を映し出した物ではない。窓ガラスに近づき覗き込めば、それがハッキリとわかる。
牧草地帯が広がりそこにはホルスタインが放牧されており、のんびりと草を食み思い思いに歩き回っていた。
ここ、地下のはずだよな……?
「魔力に集中してごらん。そうすればわかるはずだよ」
いつの間にか背後に立っていた赤城さんに言われるまま、拙いながら魔力探知を行う。
すると、ここが少しだけ普通の場所とは魔力の流れが違う事に気が付いた。この感じは……。
「人工異界、ですか?」
「大正解。もしかして君も個人的に持っていたりするのかな?」
「はい……けどこんな大規模な……」
窓の外から見える景色は、かなり遠くまで続いている。魔眼持ち特有の視力でもってしても、端がよくわからない。
「安全に住める土地は減っていき、人の生活圏は変化を余儀なくされている。だが人口は未だ多いままだし、私はそれを減らそうとは思わない」
隣に立つ彼女が、どこか愛おし気に窓を……その先にある景色を撫でる。
「そこで人工異界さ。超常の力で土地が減ったのなら、超常の力で土地を増やせばいい。『無いなら作れ』。うちの社訓だよ」
そう赤城さんは言うが、これはそう簡単な事ではない。
生命の誕生には魔力が不可欠だ。それは両親から分け与えられたもの、大気中のもの、龍脈から漏れ出たもの。魔法には詳しくないが、それでも魂が生まれるのには様々な要因と魔力が不可欠だ。
それは動植物とて同じ事。人工異界ではそれらの調整や調達はかなり難しいと、レイラから聞いている。
自分が異界で『白銀の林檎』を育てられているのは、アレが特殊だからだ。マンドレイク等も少し難しいが、魔力を帯びている植物は比較的異界でも育ちやすい。だが、普通の植物は中々実らないし芽吹きもしない。そのはずだ。
どうやってか知らないが、桜井自動車はその問題を解決しようとしている。
……ここなんの会社だっけとは、ちょっとだけ思ったけど。
「凄い研究ですね……」
「今は牛や豚がこの異界で採れた植物で生育しても問題ないかのチェック中。ここからまだいくつも超えなきゃいけない項目があるけど、市場に『異界産の肉』が出てくるのもそう遠くないんじゃないかな」
これなら、食料や土地不足を解消できるかもしれない。
それがどれだけの意味をもつのか、生憎と一介の学生には理解しきれない。だが、それでも人類にとって非常に有益なものだというのはわかる。
だって、これで焼肉が安くなるから……!
男子高校生的には、焼き肉や牛丼の値段が重要だった。
「それでも金属をはじめ人工異界での採取が難しい物はたくさんある。そっちは普通の採掘地以外だとダンジョンで冒険者に取って来てもらう事になるけど……いつかは、人工異界とダンジョンからとれる物だけで人が生活できる世界がくるかもしれない」
「なるほど……」
「ちなみに、他の階では魔法植物の栽培や排気ガスをどうにかする為の異界なんかもあるけど、見ていくかい?」
「是非!」
すげぇわ、ここ。思った以上だ。
間違いなく人工異界の発展はこれからの社会とは切っても切り離せないものになる。その最先端を駆けているかもしれないのだ。
海外でどうなっているかはわからないが、そこは考えてもしょうがない。
「はーい、異界ファーム巡りツアーごあんなーい」
どこかから出した小さい旗を振りながら笑顔で歩き出す赤城さんに連れられ、各異界の見学に向かうのだった。
* * *
凄かった……まさか自動車会社に見学に行って農場巡りをする事になるとは思っていなかったが、それでもいい物が見られた。
「ここが契約冒険者達の事務所兼宿泊施設だね」
「ほえー」
先の人工異界研究所の近くにある、これまた大きな建物。四十メートルぐらいだろうか?
語彙の足りていない自分では上手く表現できないのだが、なんだか西洋の城と要塞を混ぜたみたいだった。
堀に囲まれた中にコンクリートの武骨な台座があり、その上に高い塀が『コ』の字に出来ている。正面からは塀の内側にある城がハッキリ見える形だ。
城、と言っても古めかしい感じはしない。白と青で彩られた中央の尖塔以外四角い外観をしており、塀との間の庭もかなり広い様に見える。
そしてその城との間にある堀を超える道だが、大きな橋が一つだけ。二車線分の道路と、その隣にエスカレーターがある。今回は車で道を進んで行ったのだが、はたしてこの堀は何の意味があるのかと思ってしまった。
正直、最初は『ここも覚醒者を隔離する感じの場所か』と思った。だが、それにしては堀が狭い。泳いで渡る事は覚醒者なら容易だろうし、人によっては一足で跳び越えられるだろう。まあ、金槌とかならわからないが。
普通の城ならこの程度で十分だろうけど、ただのファッションだろうか?それとも生活用水とかそういう関係?
「塀と堀が気になるのかな?」
「あ、いえ、別に……」
「わからない事はどんどん聞くといい。答えられる範囲なら全て答えるから」
「いや、その……この堀って何に使うのかなぁ、と」
「ああ。もちろん、『攻め込まれづらい様にするため』だとも」
「え、ええ?」
攻め込む?モンスターが?
「対人用だよ。未だ覚醒者への偏見は多いからね。君も来月には冒険者専門学校に通うからわかると思うが、非覚醒者によるデモ活動は多いからね。万が一ここを狙われた時、トラブルを起こされる可能性を少しでも減らしたいのさ」
「な、なるほど」
そういう事か。
確かにデモ隊ぐらいならこの堀で十分防げるし、この橋も上り坂だ。バリケードを組めばそうそう突破される事もないだろう。
思ったよりガッツリ防衛が考えられていた。
「うちの会社としては覚醒者を大事にしたいからね。別に非覚醒者を蔑ろにしたいわけじゃないんだよ?『賢者の会』だなんて怪しい所じゃあるまいし、ね。ただ、それぞれ『人間』だ。互いに礼節をもって接するべきだと思っているよ」
長い脚を組み、赤城さんがニヒルに笑う。
「なんせ、ビジネスに異能の有無なんて関係ないからね」
パチリとウインクする彼女に曖昧な笑みで答える。
彼女の、というか桜井自動車のそういう考えは個人的に受け入れやすいものだ。こっちとしても両親が非覚醒者なので、覚醒者至上主義というのはどうにも受け入れがたい。かと言って迫害もされたくない。
世の中、難しいもんだなぁ。
* * *
「最初に、私のパーティーメンバーと顔合わせでもしておこうか」
「え?」
建物に入ってエレベーターに乗るなり、そんな事を言ってきた赤城さんにギョッとする。
「おや、駄目だったかな。私としては君と契約したいと思っているんだけど、早とちりだったかい?」
「い、いえ。ただ、いいんですか?道中見学させてもらっていただけで、自分はなにも」
「経歴は十分。後ろ暗い所もないし、話した感じ人格面も大きな問題は無し。戦闘への心構えも民間としては一人前。『会長』から冒険者雇用に関して一任されている身としては、採用しない理由がないんだよねぇ」
会長……桜井自動車の会長!?
その人から人事まで一任されているとか、何者だとこの人。
思わず赤城さんの顔をマジマジと見たら、何故か『テヘペロ』された。可愛いけどそうじゃない。
なんか質問する気も失せた。雇ってくれるのなら文句はない。深く考えない様にしよう。
「さ、ついたよ。これでも桜井自動車専属の冒険者としてはエース部隊でね。最上階があてがわれているのさ。ついでにメンバーの一人は冒険者専門学校の授業に呼ばれる予定でもあるしね」
「……というか、赤城さんも冒険者なんですね」
「そうだよ。おかげでハードワークだけど、週休二日は必ず確保しているから問題ない。そういうやりくり得意なのさ」
すげぇ、どこぞの自衛隊にも……いや、あっちはやりくりのしようがないぐらい火の車なだけだ。頑張れ、顔も知らない皆さん。一国民として応援しています。
僕はホワイトな大企業さんちの子になります!グッバイブラック組織!コネだけ確保するけど所属するのは絶対にノーなスタンスでいかせてもらいますね!
「ここだ。皆気のいい奴らだから、緊張は不要だよ」
「は、はい」
赤城さんが扉を開けてくれる。
それにしても、大企業の専属冒険者。そのエースチーム。いったいどんな方達なのだろう。
赤城さんが指揮を執っているのだろうし、きっと強くて立派な人ばかりに違いな―――。
「死ねや愚妹がぁ!!」
「耳から脳髄を引きずり出してやる!!」
少女が二人、クロスカウンターをしていた。
いや、少女?わからない。片やドワーフ、片やエルフかハーフエルフだ。見た目で年齢は判別できない。
わかるのは、クロスカウンターから流れる様にノーガードで殴り合いを続行している事である。金髪のドワーフ女性と緑髪のエルフ女性がその顔に殺意を溢れさせて、互いに顔も腹も関係なく攻撃を仕掛けていた。あ、噛みつきまでしだしたぞ、あの二人。
音でわかるが、じゃれ合いの領域を超えている。マジで殺りにいっている拳だ。
「そこです!私のデータではボディからのアッパーで決着がつく可能性が75%あります!」
それを少し離れた所で見ながら野次を飛ばす獣人の女性。猫科の耳を頭頂部から生やし、理知的な顔には細いフレームの眼鏡がかけられている。黒髪のボブカットには青いメッシュが入り、きっと普段なら美人だけど恐い印象を受ける人だったのだろう。
今はどう見ても喧嘩を肴に酒を飲む阿呆である。つか酒くさっ!?
廊下では何も感じなかったのに、部屋の中からもの凄いアルコールの臭いが……!。
「も、え、ちゃぁぁぁぁぁあああんん!!」
そして、部屋の惨状に固まっている自分達に跳び込んでくる人影。
高い動体視力が、そこからの事を正確に捕捉していた。
跳びかかって来たのは、長い髪の美しい女性だった。赤毛だが赤城さんよりも色素が薄く、光の加減ではピンク色に見える髪は跳躍の勢いで空を踊っている。
アメジスト色の瞳はキラキラと輝き、白く柔らかそうな頬は恋する乙女の様に朱に染まっていた。満面の笑みを浮かべるその女性の顔に、自分は見覚えがあった気がする。具体的に言うと桜井自動車のブログかなんかで。
だが、それを思い出すよりも前に。その女性が赤城さんに抱き着いて――。
「ふんっ!」
「あげっ」
ヘッドバットで撃墜された。
人体が出しちゃいけない音を出しながら床に大の字で転がる女性。白のワンピース姿という清楚な装いとはかけ離れた醜態である。
だが、それよりも不自然に痙攣している事が問題だ。まさか脳に異常が!?
「だ、大丈夫で――」
「ふ、ふへ。萌恵ちゃんがおでこコツンって。そんな人前で少女漫画みたいな事をされちゃったら私、困っちゃうよぉ~」
……脳に異常が出ている!!
おでこを押さえてくねくねと悶える女性。嘘だろ、この僕が……爆乳美女が笑顔で体をくねらせているのに、興奮より恐怖と驚愕が勝っているなんて。
愕然とする自分の前で、扉が力強く閉められた。その音でようやく我を取り戻し、赤城さんに視線を向ける。
「あ、赤城さん。今のは」
「大川君。部屋の掃除があるから、少しだけ待っていてくれるかな?」
赤城さんが、それはもう綺麗な笑顔でこちらを振り向いた。だがその額は先ほどの頭突きのせいか少し赤くなっている。
……血管が浮かんでいる様に見えるがきっと気のせいだ。
「下の階に売店があるから、五分ぐらいそこでのんびりしていてほしいな。本当にごめんね。あ、お釣りはいらないから」
そう言ってお財布から一万円を取り出してこちらに握らせると、彼女は扉を開き中に体を滑り込ませ、顔だけこちら側に覗かせた。
「それじゃ、片付けが終わったら呼びに行くから……絶対に、それまでこの扉を開けないでね?」
無言で必死に頷くこちらに、赤城さんは改めて微笑みかけて扉をしめた。
防音がしっかりしているのだろう。聞こえていた醜い罵り合いも飲んだくれの野次も変質者の奇声も途絶え、廊下には静寂が訪れた。
………売り込む会社、間違えたかもしれん。
そう一抹の不安が胸によぎるも、何故か地元の様な安心感を覚えている自分もいた。
……よし、帰ったらカウンセリングを受けに行こ!
あの光景で地元愛を感じていたら人として終わっている気がするのだ。
シリアスさん
「定時過ぎたので帰ります」
読んで頂きありがとうございます。
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