閑話 一方その頃
京太朗達の争乱から、僅かに経った時間軸。
閑話 一方その頃
サイド 伊藤 胡桃
聖樹女学園。一限目が自習となった教室で、当然ながら花の女子高生が教師の目もないのに大人しく勉学に励むわけもなく。あちらこちらでクラスメイト達が小声で話し合ったり、スマホを操作していた。
「ね、あのニュースの続報来た?」
「ぜんぜん。まだなんも出てなーい」
「恐いよねぇ……先生たちも今それについて話しているのかな?」
「このまま今日休みになったりして」
「私その方がいいなー……数学の小テストあるって話じゃん」
話題のほとんどは、今朝発生した中学や高校計四つでのダンジョンの氾濫。
離れた場所だというのにほぼ同時に発生したこれらは、一部では『人為的に起こされたものではないか』という意見も出ているとか。
隣の席で、彼女が肩を揺らすのがわかった。
「凛ちゃん。行っちゃだめだからね」
「で、でもぉ……」
「だめ。素人がこういうのに首を突っ込んだら、余計に大変な事になるんだから」
「はぁい……」
小声で釘を刺すが、横顔からして頭では理解しても納得はしきれていないな。何年一緒にいると思っているのか。
……彼女は。郡凛ちゃんは助けを求める誰かの声を無視できない。
昔からそうだ。かく言う私も小さい頃虐められていて、それを助けてもらったのがこうして一緒にいる様になった切っ掛けでもある。
でも、どうしてもわからない。ずっと一緒にいる私でも、これだけはわからない。
凛ちゃん。なんで貴女は、『今でも人を助けられるの?』
その疑問は、ぐっと胸に押し込んだ。
「それより、美咲ちゃん今日も来てないね」
「うん、心配だね。先生もなにも教えてくれないし、帰りに家の方に寄ってみようか」
「そうだね……」
金谷美咲ちゃん。私達の友達はここ数日学校に来ていない。
あくまで噂だけど、彼女の家にこの辺ではあまり見ない人達がよく出入りしているらしいのだ。変な事件に巻き込まれていないといいけど……。
なんとなく。本当になんの根拠もないのだけれど、ある男の人の顔が浮かぶ。
『賢者の会教祖:小山耕助』
あの不気味な人が、まさか関わっているんじゃないか。そんな不安が脳裏をよぎる。
こんなの妄想だけれど、もしも私のせいで彼女に迷惑がかかっているんじゃないかと思うと……。
けれど、警察は頼れない。あの人達は……大人は、助けてほしい時に助けてくれない。
万が一彼らが友達に危害を加えているのなら、私達でなんとかしないと。
そんな事を思っていると、廊下の方からツカツカと足早に進む足音が聞こえてきた。あっという間に教室が静かになり、出していたスマホは鞄や机の中にしまわれる。
ガラリと扉が開き、担任の先生が入って来た。
「えー、皆さん。突然ですが本日は休校となりました」
その言葉に小さくどよめきが起きるが、先生はそのまま続ける。
「理由はお察しの通り、ほぼ同時に発生しているダンジョンの氾濫です。警察の方から可能性は低いが事件かもしれないので、急ぎ生徒の帰宅をする様に要請されました。ですので皆さん、速やかに。ですが落ち着いて家に帰る様に」
眼鏡の位置を直しながら、初老の先生は目を鋭く細める。
「くれぐれも、寄り道をしたりどこかへ遊びに行く事がないように。いいですね」
「「「はーい」」」
何人真面目に先生の忠告を聞くのだろうかと苦笑いを浮かべながら、私も帰り支度を始めた。
「残念だけど、美咲ちゃんの家はまた明日いこっか」
「そうだねー。先生もこっち見ているし」
たしかに。先生は眼鏡をキラリとさせながら凛ちゃんを視ている。目立たないぐらいに口紅のひかれた唇をキュッとしめて、『わかっているな』と念を押しているのだ。
引きつった笑顔で小さく手を振る凛ちゃんに、思わず吹き出しそうになる。普段から人助けで遅刻したりするからそういう目で見られるんだよ?
生徒達が続々と教室から出ていく中、ふと自分は視線を足元に向けた。
「胡桃?どうしたの?」
「あ、ううん。なんでもないの」
一瞬。ほんの一瞬だけ、不思議な気配がした気がするのだ。
それこそ空気がガラリと入れ替わってしまった様な、そんな違和感。まるで別の世界に来てしまった様な……。
首を傾げながらも凛ちゃんに手を握られて教室を出ようとした。その時だった。
「きゃあああああああ―――ッ!!」
絹を裂く様な悲鳴があたりに響く。
私の手を離して、凛ちゃんがすぐさま駆けて行った。その背に手を伸ばして、すぐに自分も足を動かす。
「そんな……!
焦燥に満ちた声を出したのは、誰だっただろうか。
廊下の窓から見える、『巨大な犬の顔』。普段目にする愛くるしいそれとは程遠い、野犬の様な瞳は飢えた獣のそれであり、剥き出しの歯は一本一本が槍の様に鋭い。
その獣の顔が、こちらへと近づいてくる。恐怖と混乱で次々と生徒達か倒れ、あるいは逃げようとして体をぶつけ合いまともに動けない中。そんな事はお構いなしにおぞましい口内が顕わになる。
誰もが絶望の悲鳴をあげるが――それを、一陣の風が引き裂く。
覚醒者としての私の目だけが、その刹那を捉えた。
凛ちゃんが踏み出した足が、床に触れた先から変わっていく。上靴は夜の闇を彷彿とさせるブーツに。そしてカモシカの様な足を這いあがる様に二重螺旋を描いてベルトが巻き付いていく。
スカートは消え去り光沢のあるスパッツが現れ、制服は太もも半ばまでの簡素な白い貫頭衣へ。
黒のベルトは逃がさないとばかりに腰回りにまで幾重にも巻き付き、締め上げる。肩と前腕には黒革の鎧が現れ、右手首に黄金の腕輪がはめられる。
ボブカットの黒髪は後頭部で一まとめにされ、剥き出しの白い首にはチョーカーがきつく纏わりついた。
その華奢な腕が振るわれる。スローモーションの様にゆっくりとした視界が、金色の輝きで覆い尽くされた。
『ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア―――ッッ!!??』
轟音と、絶叫。
砕けたコンクリートの粉塵とガラスの破片を舞わせる衝撃波は、怪物のあげた悲鳴によってもたらされたものだった。鼻先からおびただしい量の血を流して、犬頭の怪物は校舎から距離をとる。
突如現れた戦乙女の後ろ姿。死の具現たる怪物が退く姿に、生徒達は呆然と彼女の背を見つめる。
「皆、大丈夫!?」
そうして振り返るのは、当然ながら郡凛その人である。それを認識したのかしていないのか、生徒達は悲鳴を上げるでもなく彼女の言葉に耳を傾けた。
「『落ち着いて、冷静に逃げて』!あの怪獣は私達がどうにかするから!」
その言葉を聞いた彼女らは頷いたり短く返事をしながら、避難訓練の様に落ち着いた仕草で移動し始めた。
……これは、凛ちゃんが生来持つ人を惹き付ける力ではない。これは、私の罪だ。
「先生、皆をお願いします!」
「え、ええ」
その時、突然校舎が揺れる。怪物が体当たりしたわけではない。地震でも起きたかの様に、校舎というよりも地面そのものが揺れている。
「胡桃!」
「――うん」
彼女の呼び声に答え、共に走り出す。躊躇なく壁に空いた大穴から外へ身を躍らせた。
瞬間、自分もまた魔装を纏う。制服が童話の妖精が着ている様な緑色の衣服へと変わり、下は群青色の足首までのタイツへ。足元は樹皮を編み上げたサンダルに変わり、金色の髪を宝石のついた髪飾りがとめる。
空中に躍り出る二人の体。しかし浮遊感は一瞬だけで、すぐにガッシリと安定感のある背の感触がお尻の下にくる。
「『フォートへスター』!」
『ヒヒィィィィィィ――――ッ!!』
黄金の鬣をもつ白馬。強靭な体をもつ牝馬。これこそが、彼女の『守護精霊』である。
金色の蹄が宙を蹴れば、霞の様な魔力を残して白馬は空を駆けだした。そうして空を駆け上がりながら、私達は眼下に広がる街の光景を目にする。
「そんな……!」
前に座る凛ちゃんが驚愕の声をもらす。
街が、凄まじい勢いで海に飲まれていくのだ。地面から湧き出る様に海水が激しい波をたてながら、せり上がってくる。
この世ならざる光景の中に、あの怪物がいた。
犬頭に、クジラの様な体をしたモンスター。鼻先から血を流したまま、私達を強く睨みつけている。
あまりにも大きい。四階にいた私達と目線が同じぐらいだったはずだが、あの時は寝そべる様な状態だったのだろう。今はひれのついた四肢を踏ん張り、体を持ち上げていた。その体高は二十メートルを優に超えるだろう。全長にいたっては、それすら上回る。
校舎の二階まで海で浸かる中、あの怪物以外にも奇妙な物が視えた。
上半身が馬であり、下半身が魚の尾の様になった怪物。それが屋根の上に逃げていた住民の頭を丸かじりにし、海へと引きずり込んでいるのだ。
そんな馬の化け物が、多数。数えるのも馬鹿らしいぐらい、突如現れた海に溺れる住民たちを襲っている。
いつの間にか、空は黒の天蓋に覆われていた。ダンジョンの氾濫が起きたのだ。
「――胡桃。皆を助けよう。一人でも多く救うために、モンスターを殲滅する」
手綱を強く握り、凛ちゃんが義憤に燃えた瞳で怪物たちを。特に犬頭の怪獣を睨みつける。
その右手には、一振りの剣があった。
シンプルなつくりの、片刃の長剣。肉厚で幅広のそれは緩やかなに反っており、切っ先のあたりで返しがついている。だが、最も特徴的なのは峰に刻まれた幾つものルーン文字だろう。それらが彼女の気持ちに呼応するように、黄金の輝きを放つ。
凛ちゃんは、本気だ。本気でこの怪物たちを撃滅し、街の皆を救う気でいる。それが、分の悪い戦いだとわかっているだろうに。
きっと彼女は、己の命を燃やし尽くしても戦い続ける。
自然と、ベルトに締め付けられる腰に回した手に力が入った。
* * *
凛ちゃんは、私にとってヒーローだった。それは、今でもそう。
苦しんでいる人がいたら走って助けに行って、色んな人と協力して問題を解決する。そういう子だ。
いつも笑顔で、まるで太陽の様だった。傍にいるだけで温かくて、どんな理不尽からも守ってくれる。そんな風に、私は思っていた。
転機が訪れたのは、小学五年生の頃。彼女のお父さんが、轢き逃げ事件を起こした。
後輩さんが苦戦している残業を手伝って帰りが遅くなった彼は、夜の一本道で突然飛び出してきたお婆さんに気づけなかったのだ。
後で知ったが、その人は九十代の一人暮らしで、更には色々な病気にかかっていたらしい。ここで重要なのは、それだけ体が衰えていたという事。
四十キロ制限のところを六十キロで走っていた彼の車は、そのお婆さんを容易く殺めてしまった。
ここですぐに車から降りて助けにいっていたのなら、話は変わっていたのだろう。その場に留まり、警察と救急に連絡をするべきだった。
動いていいのは、近くの安全な位置まで。けれど凛ちゃんのお父さんは一度停車した後、数秒後に逃げてしまった。
そこから三キロぐらい離れたコンビニまで走った彼は、駐車場で動けずにいた。ハンドルを握ったまま呆然としていたらしい。
コンビニの店員さんが、血とへこみのある車を不審に思って通報。ドライブレコーダーと周辺の監視カメラから、轢き逃げが明るみになった。
お婆さんの遺族は、特に何も言ってこなかった。けれど、彼とその家族を周りは糾弾した。
罪を犯し警察に捕まったお父さんだけでなく、奥さんや娘である凛ちゃんにまで、周りはそれが正義だとばかりに石を投げた。
学校では、凛ちゃんを気に入らないと思っていた女の子を中心に虐めが起きた。たしか、その子が好きだった男子が凛ちゃんを好きだったとか、そんな理由。
先生も誰も助けてくれなくて。異様な迫害は一年間続いた。その最中、他人は誰も迫害以外何もしてくれない。
警察に被害を告げても見回りを増やすと言うだけで、学校の先生も見て見ぬふり。彼女の親と仲が良かったはずの私の両親も、凛ちゃんの家には関わるなとしか言ってくれなかった。
そんな暴虐がぴたりと止まったのは、凛ちゃんのお父さんが自殺をしてから。
それまで声高に非難して、家の窓に物を投げ込んだり卑猥な内容を壁に書いていたくせに、誰も彼もが凛ちゃん達家族に関わらなくなった。あの家自体がタブーであるように、触れたくない汚いものみたいに。
学校では授業に関わる必要最低限だけで、皆が彼女を無視する。
引っ越しをしたのは、そのすぐ後。凛ちゃんのお母さんが頑張って貯めたお金で、あの街から離れたのだ。
私も、凛ちゃんが引っ越した先の学校に通うようになった。あの街に、いたくなかったから。
そんな経験をしたのに、どうしてなのだろう。
凛ちゃんは、未だに『ヒーロー』でいる。弱きを助け、狂う強者を諫め、困っている人をできうる限り助けた。
そう、本当に死にかけた、『あの時』も。
「胡桃?」
「っ……」
強く握りしめすぎたのか、凛ちゃんが困惑の声をあげる。
「……ごめん。今、学校の屋上におろすね。付き合わせちゃって、ごめ――」
「それ以上言ったら、怒るよ」
抗議の意志を込めて腰に回した腕に更なる力を籠め、彼女の背に額を擦り付ける。
「私は、貴女から離れない。ずっと、一緒だから」
「……うん。ありがとう」
この言葉の意味は、通じているのだろうか?ただの友情って、思われているのだろうか。
いいや、ただの友情と思っていてもらえた方が、いい。だって私には彼女にこの想いを伝える資格がない。
彼女の夢を奪った、私には。
「付与魔法―――『セイントフォートレス』『ヘイスト・マキシマ』『ドラゴニックハート』」
三重の強化魔法。更に『魔力障壁』――自身の魔力を防壁として周囲に展開。薄緑色の鱗めいた半透明な壁が現れる。
「私は、貴女の力になるから」
「うん。一緒に戦おう、胡桃!」
手綱を振るい、凛ちゃんが犬頭の怪獣へと突撃する。
それを迎え撃つように、怪獣もまた雄叫びをあげて牙をむいた。
恐怖は、ない。どれだけ分の悪い戦いだろうとも。どれだけ強大な敵がいようとも。世界が、彼女の敵になったとしても。
凛ちゃんだけは、死なせない。
だって私は、彼女だけの止まり木になると決めたから。
読んで頂きありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
この少し後に、もう一話投稿させて頂く予定です。そちらも見て頂ければ幸いです。
Q.どうして郡凛の守護精霊は馬なの?
A.守護精霊は『主が望む、傍にいてくれる理想の誰か』の姿をとります。
京太朗は『自分を好きでいてくれる美しい異性』ですが、駄騎士は『自分を全肯定してくれる同性』でした。この様に必ずしも恋人や結婚相手として具現化するわけではありません。
郡凛の場合、あの馬の姿に何かしらの『願い』があったのでしょう。




