第二十三話 初めての死闘
第二十三話 初めての死闘
サイド 大川 京太朗
自分が血と臓物をばら撒きながら天井に放り投げられる姿を視た直後、その幻影を突き破りミノタウロスの巨体が眼前に迫る。
「主様!」
「っ!」
レイラの警告が聞こえたのとほぼ同時。体がほとんど条件反射で動き、右斜め前に前転。自分のすぐ隣を蹄が通り過ぎていった。
音と衝撃に背筋を凍らせながらも、勢いそのまま立ち上がって奴へと向き直る。ちょうど、ミノタウロスが壁に頭から突っ込んだ所だった。
前にテレビで見た、艦砲射撃に匹敵するんじゃないかという程の衝撃と轟音。頑強な石壁に巨大なクレーターが出来上がり、それを中心に蜘蛛の巣状にヒビが入る。上の方から、ガラガラと瓦礫が降って来た。
人ほどもあるそれらが奴の頭や体に当たっているのに、ミノタウロスは動じた様子もなく振り返ってくる。
そして大斧を肩に担ぐように構えると、また奴が突っ込んできた。
「『大地よ』!」
レイラが、左手に持つステッキの石突きを床へと叩きつける。波打つ様に魔力が広がり、いくつもの石柱が出現した。
咄嗟にその意図を理解し、それに身を隠す。真横を他の石柱を蹴り砕きながら怪物が通り過ぎ、振りぬかれた大斧が頭上で唸り声をあげて通り過ぎた。自分の隠れた石柱もまた、中ほどでへし折られたのだ。
バラバラと破片が降ってくるのを感じながら、目の前にあるミノタウロスの足に斬りかかる。
「お、おおおおおお!」
震える腕を強引に動かしたそれは、自分でもわかるぐらいへっぴり腰で情けない太刀筋だった。辛うじて刃がたっていたから、斬撃として成立しただけ。
それでも。
『ブオオオオオ!?』
ミノタウロスが、痛みで声を上げる。
かすり傷としか思えない小さな傷。太ももからわずかに血を流し、奴が腕を振り回す。
魔眼で軌道を読んで後退。すぐ目の前を通り過ぎていく巨大な斧。そして、涎をまき散らしながら追撃をしかけてくるミノタウロス。
見間違いじゃない、奴の足に、自分は傷をつけられた。
「や、やった……!」
そう、傷をつけられた!血が流れた!なら、殺せる!!
「『大地よ』!」
新たに石柱が生え、砕けたそれらと入れ替わりに視界を狭める。新旧の石柱に隠れる様にして、ミノタウロスの正面を避ける様に全力で走り回った。
今の攻防で少しだけわかった事がある。あいつはあのでかさもあって、小回りが利かない。そのうえ、牛頭だけあって五感でこちらを追っているのだ。スパルトイとは違う。
石柱を利用して、ヒットアンドアウェイを繰り返せば……!
『ブルル………!』
突き出した石柱を煩わしく感じたか、ミノタウロスの視線がレイラに向かう。
やらせるか!
「ふぅっ……!」
叫びそうになる喉を抑え、小さく息を吐く音と共に奴の左膝裏を斬りつける。
やはり浅い。それでも、血は流れる。
『ボァッ!』
振り向きざまに放たれた斧を後退して回避。鼻先を風圧が通り過ぎ、兜の下で口元が引きつる。
「は、ははっ」
やべぇ、怖すぎて笑えてきた。
これを、ひたすら繰り返す。そうすれば、いつかこいつを倒せる……!
そこから、ひたすらに走り回った。
黒鉄の刃がすぐ近くを通り過ぎる度、石柱が砕け散る。雨の様に散るそれを突っ切って、通り過ぎざまに足を、脇を、背を斬りつけていく。
石柱が減ればレイラが足し、それに苛立つミノタウロスを行かせまいと膝裏を狙い狙い続けた。その間にレイラも場所を移動し、石柱に隠れて相手に的を絞らせない。
どれだけこれを繰り返しただろう。五分か、十分か。
ミノタウロスの胸から下は裂傷にまみれ、血が黒金の毛皮を濡らす。
「はぁ……はぁ……!」
「っ……!」
だが、その両足でどっしりと地面を踏みしめ、こちらの動きを目で追ってくる奴と比べ自分達の疲労は既に限界が近い。
レイラは集中力と魔力が。そして、自分は精神が。
「ぁぁ……ぁぁぁ……!」
目の前で自分の首が飛んでいく。
両腕を斬り飛ばされた僕がいる。頭蓋を食いちぎられ、胴を貫かれて、斧で両断され、蹄で踏み潰されて死んでいく。
魔眼がみせる、数々の死。自分が迎えるはずだった未来を、延々と更新するのだ。
一秒生き延びれば、二秒先の死が。その死を超えればまた次の死が。何度も何度も、僕が死ぬ姿を幻視する。
頭がくらくらする。恐怖が心臓を握りつぶしそうで、今にもここから逃げ出そうと足が勝手に動きそうになった。その度に、逃げる背に投げられた斧が突き立つか、石柱を突き破って突進してきたミノタウロスに轢き殺される姿を視る。本能のまま逃げ出せば、待っているのは死しかない。
己の生と死が眼前で繰り返される。気が狂う寸前で、何よりも狂った存在の脅威ゆえに現実へと引き戻された。
ミノタウロスの背を切り裂こうとした瞬間、鞭のように奴の尻尾がしなったのだ。
魔眼で視た光景を否定する為に、引き戻した剣を斜めにしてそれを受ける。逸らしきれなかった衝撃が兜を襲うが、耐えた。
たぶん、頭の左側がべっこりとへこんでいる。このタイプの兜は内側にクッションとなる布を大量に詰められるらしい。それがなければ、頭蓋を割られていた。
小指の甘皮ほども気を抜けば次の瞬間には死んでいる。段々と、これは未来で視た光景なのか、あるいは今起きている事なのかの境目が曖昧になってきていた。
『ブォ、オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛―――ッ!』
「っ!?」
その時、新しい自分の死ぬ姿を視る。黒焦げになり、倒れ伏した自分の姿を。
急停止するも勢いを消しきれず仰け反りながら地面を滑り、左手でダガーを引き抜いて上へと投げる。
それとほぼ同時。バチリと奴の体毛が放電し、頭にそそり立つ角の間で極光が瞬いた。
何かが弾けた音。宙を舞ったダガーが稲光に飲まれ、砕け散る。直後、四方八方へと雷撃の残滓が飛び散った。
自分の周囲に降り注いだそれが、石柱を砕いて回る。
雷撃まで使えるのかよ、こいつ……!
付近の障害物は一掃された。開けた視界の中、ミノタウロスと目が合うのを感じる。
「やばっ」
『ブオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛―――ッ!!!!」
一瞬鼓膜が破れたと思う程の、咆哮。標的を定めた暴れ牛は、真っすぐとこちらへ突っ込んでくる。
地面を踏み砕き、石柱を蹴散らして巨獣は駆けた。喉が引きつる。これは、駄目だ。躱せない。防御も間に合わない。
自分は、死―――。
「『フラッシュ・レギオン』!!」
周囲に、数十もの蛍火が灯る。魔眼が告げる未来が、『真っ白なそれ』へと切り替わった。
「『弾けろ』!」
いつの間にかタクト型の杖を掲げていたレイラ。それを視界の端に入れ、硬く目を閉じる。
直後、瞼ごしでもわかるほどの光と、今度こそ鼓膜が破れるほどの大音量が響き渡った。
『ガアアアアアアアア!!??』
ミノタウロスの絶叫が耳ではなく、全身に打ち付けられる。
この暗闇だらけのダンジョンで、松明がつけられているのは何故か。スパルトイに光源などいらないだろう。
理由は一つ。こいつが、視力こそ最も頼っているからに他ならない。
「お、おおおおおおおおお!」
見開いた目で、たたらを踏みながら左手で顔を覆い、右手の斧を振り回すミノタウロスを捉える。
弾けた鼓膜の痛みは、急速に引いていく。いいや、たとえ残っていても気にならない。繰り返し視てきた己の死ぬ姿が、脳内麻薬を狂ったように吐き出させているのだ。
一歩目で加速。二歩目で魔力をまき散らし、三歩目で最高速度へ。
最大最高の好機!この一撃に、ありったけを懸ける!!
魔眼でもって最高速度のまま振りぬかれた斧を屈みながら走って避けて、奴の右膝に足をかけた。
左手は鍔に。右手は柄に。全身全霊をもってして、巨獣の鳩尾へと刃を通す。
『ガ、ア゛ア゛……!?』
深々と刀身が突き刺さり、背まで貫通する。だが、足りない。こいつを殺しきるには、まだ足りないのだ。
ミノタウロスの左手がこちらを掴もうと迫り、斧を握る右手は高々と掲げられる。
いいだろう。出し惜しみは、しない!
「ぶち、ぬけぇ!」
ありったけの魔力を、刀身へ。
貫いた刃を起点とし、風が荒れ狂う。それは内側から骨を砕き肉を裂き皮を剥ぎとって、遂には人の腕を数本いれられるほどの大穴を築き上げた。
どばりと、怪物の背後へ血潮が舞う。こちらに迫っていた腕が止まり、ミノタウロスの体から力が抜けるのを感じ取った。
勝った。これで……。
「――まだです!主様、さがって!」
再生した鼓膜が彼女の声を聞く。そして、魔眼が自分の死を告げた。
咄嗟に下がろうとした自分の右腕を、巨大な腕が掴む。そして、宙へと放り投げた。
ぶわりと浮遊感を覚えながら、怪物の瞳とかち合う。
黄金の瞳は爛々と輝き、その生命の火が未だ燃え尽きてはいないと告げていた。
――怪物は、この世の常識が通じないから怪物なのだ。
それを、この時ようやく理解した。たとえ体に風穴をあけようが、心臓を跡形もなく消し飛ばそうが、『動けるのなら、死んでいない』。
魔眼が、ミノタウロスが斧を振るってくる事を告げている。その軌道はしかと読み取れた。
なのに動けない。防御も回避もできずに、ただの人形の様に宙で無防備に固まっている。
奴の眼に射貫かれてしまったのだ。生まれて初めて、こんなにも強烈な『殺意』を向けられた。
圧倒的なまでの敵意、害意、憤怒、憎悪。それらが濃縮された、この世にこれほどの密度をもった感情があるのかと思う程の、猛烈な殺意。
恐怖で身が竦む。動けない。
ダメだ、死ぬ。
「主様!!」
「っ」
斧が振り抜かれる瞬間、咄嗟に腕が動いた。
軌道上に差し込んだ剣の柄と斧の刃が衝突する。戦車だろうと容易く引き裂くそれに耐えられるはずもなく、柄はへし折られ黒い刃が脇腹に食いついた。
肉が潰れ、ごきゃりと骨が割れる感覚。一瞬意識が飛ぶが、壁に叩きつけられた衝撃で目を覚ます。視界の端に、自分がバウンドしてついたのだろう床の傷と血の跡が見えた。
「ご、ぶぅぇ……!?」
兜の下。口の中が鉄臭い。目の前が強く明滅し、涙がぼたぼたと落ちていく。
抉り飛ばされた肉が新たに構築されていく奇妙な感覚を覚えながら、歪む視界で怪物を視た。
石の鎖がまとわりつき、その鼻先で炸裂する閃光。それらに不快感を最大にしたのか、あるいは僕は放っておいても死ぬと判断したのか。ミノタウロスは別の方向を向いた。
銀髪をたなびかせ、杖を握る彼女に。
「―――」
一瞬だけ、視界が交差する。そして、確かにレイラの口がこう動いた。
『に・げ・て』
囮になるつもりだ。固有異能の力ですぐに治癒する自分なら、隙をついて走り抜けられると。その間に己が殺されていれば、怪物にも隙ができると。
ああ……それは、とても甘美で優しい提案だった。
彼女は守護精霊だ。死んでも、また再生する。僕さえ生きていれば、何度だって蘇れる。だって人間ではなく、まがい物の命なのだから。
きっとそれが正しい選択だ。自分が死んだら元も子もないのだから、ここはレイラの覚悟を信じて走り出せばいい。ここを脱出してしばらくすれば、また会えるのだから。
自然と足が動く。ふらつく視界。おぼつかない足元。それでも、剣を杖にして立ち上がる事ができた。
柄の短くなったそれを手に、走る。
走りながら――左手で、彼女が作ってくれた袋から一個の果実を引き抜いた。
何度でも言おう。僕は、愚者なのだ。
「これを視ろ、化け物がぁ!」
治りかけの傷口から血が溢れるのもいとわず、投げたそれ。
殺したと思ったのに立ち上がった剣士。そして何度も邪魔をしてきた魔法使い。それらへの殺意に満ち溢れた、怪物の意識は外敵の殺害にのみ向けられる。
それが、その猛烈な殺意が、捻じ曲げられた。
松明だけが照らす薄暗い迷宮の中でも、その『白銀の輝き』は摩訶不思議な力でもって怪物の眼に焼き付く。
石柱を踏み砕く足が止まり、獰猛な叫び声をあげていた口は呆然と開かれて。
ついには武器を振り上げていた腕さえも、怪物はだらりと下げた。
その無防備な背に向けて、ただひたすらに駆ける。
「レイ、ラぁ!」
「『大地よ』!!」
奴が動きを止めた時間は、ほんの二秒。その全てをかけて、レイラが石の鎖を作り出す。
数十にもおよぶそれらがミノタウロスの巨体に纏わりつき、更にはその消費分が奴の足元へ。突如脆くなった足場を踏み抜き、更には上半身に巻き付いた鎖によってバランスを崩した。
だが、斧を持つ右手の一薙ぎで鎖は全て引きちぎられて、無手の左が地面について体を支える。
『ブオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛―――ッ!!』
金の瞳が向けられたのは、己を跪かせようとした下手人へ。迷宮の主を伏せさせようとした、慮外者に圧倒的な殺意が再度向けられた。
だが、彼女の視線は既にミノタウロスには向いていない。向けられた先は、その背後。
――無防備に丸まる、巨大な背中を駆け上った自分へと。
「づぁぁ……!」
右手は短くなった柄を、左手はリカッソを。両方とも逆手で強く握りしめ、狙う先はミノタウロスの首の後ろ――『大後頭孔』。
この怪物は通常の生物とは内部構造が異なる。それでも、牛と人に近い骨格をしているのなら!
ずぐりと、分厚い皮と肉を貫いて。その先の骨へと刃先がぶつかり――ずるりと、何もない場所へと淵を削りながら滑り込む。
『ゴッ』
ミノタウロスの口から、奇妙な声がもれる。だが、それを無視して剣を起点に逆上がりの様にして回転。体ごと剣全体を回し、最後に奴の後頭部を蹴りとばした。
ずるりと刃が引き抜かれ、空中に赤い弧を描いて落下。両足で踏ん張る事もできず、片膝をついて着地する。
杖の様についたボロボロのツヴァイヘンダーと、脇腹の傷口から流れたのが小さい血だまりを作るのを見つめて、無防備に怪物へと背中を晒す。
だが、背後から聞こえてきたのはずしりという重い音だけ。
魔眼は――僕の死を、予知しない。
「っ、はぁぁぁぁぁ………」
全身から力が抜け落ちて、その場に崩れ落ちそうになる。
「主様!」
それを、レイラが抱き留めてくれた。だが彼女も限界だったようで、その場に座り込んでしまう。
図らずも膝枕みたいな体勢になってしまった。こんな事なら、兜を脱いでおけばよかったかな。
「どうして……あんな無茶をしたんですか。私を置いて逃げればよかったのに」
彼女の胸で表情は視えないが、声音から困っているのだと察した。その問いに少し考えてから、思ったままを答える。
「正直、特に考えてなかった……ただ、君が殺されるのは嫌だったから……」
誤魔化しでもなんでもなく、本音である。そもそもあんな数瞬の間に思考をまとめられるほど、僕は頭の回転が速くない。
相変わらず彼女の顔は見えない。数秒の沈黙のあと、兜越しに頭を撫でられた。
……やっぱ今からでも兜脱ごうかな。
「後でお説教です、主様。そういう感情を私に向ける必要はありませんよ?」
「いやぁ……反省はするので、お説教の前に抱きしめながらキスしてほしいんだけど」
視界の端で、ゆっくりとダンジョンが崩壊し、粒子に変わっていく。そこで片角を落として消えていくミノタウロスと同じように消滅していく様は、迷宮が縮小するのを実感させた。
景色が、元の地下街のそれへと戻っていく。
「構いませんが、理由をお聞きしても?」
「いやぁ、だって」
今日見に行く予定だった、映画のCMを思い出す。
「怪物を倒して無事に帰れたのなら、お姫様からのキスがほしいじゃん?」
映画みたいなキスがほしい。それぐらいの役得はあっても許されると思う。我ながら、物凄く頑張ったので。
また兜の上から頭を撫でられたので、太ももと手の感触を味わおうと慌てて魔装を解除するのだった。
読んで頂きありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
Q.あの倒れていたスーツ姿の遺体って例の女性警官?
A.いいえ。彼女とは別の警官で、男性です。本筋には大して関係ないので書いてしまうと、彼女の部下の新人警官でした。
Q.なんでミノタウロスが電撃を?
A.ミノタウロスの人間としての名前が、『雷光』という意味らしいので。『星』の場合もあるそうですが。




