七十二話
そして時刻は少し遡る。
王都郊外にあたる場所にて。
鋭い鷹を思わせる瞳を眇めながら、器用に怒涛の連撃を躱し続け、反撃の機会を窺い、女性に相対する一人の男。
お互いに、身体をべっとりと鮮血で濡らしながら、剣をひたすらに振るい続ける。
そして、男————〝魔法使い狩り〟と呼ばれていたオリヴァーは怒気と殺気の塊を周囲に容赦なく放ちながら、彼女の名を叫び散らす。
「ベルナ、デットオオオォォオ!!!」
怒りで我を忘れているのか。
憤怒に冷静さを灼かれ、本来の攻撃のキレは何処にも見当たらない。
あの夜、ユリウスを相手に圧倒していたあのオリヴァーの姿はそこには存在していなかった。
しかしそれでも、無数の魔法を扱う〝蒐集家〟。
冷静さを欠いて尚、一筋縄ではいかない上、ユリウスの時とは異なり、全てが殺す為の一撃。
故に、一瞬の油断すらも命取りであった。
「……なぜ、」
大振りの一撃と共に、憤りの滲んだ呟くような声音が一つ。
「なぜ、あのクソどもの下にお前がついている……? なぜ、貴族の犬として動いている!? ……そも、そもだ。なぜ、お前らはあの時、兄を見捨てた!? 答えろ、ベルナデット!!!!」
青筋を浮かばせるオリヴァーの言葉は、それだけで終わらない。まだ、終わらない。
「親友じゃなかったのか。家族じゃなかったのか。なのに、なのにどうして、貴族についた? なぜ、見殺しにした。なぜ、兄は死ななければならなかった? な、ぜ、お前は今もなお、騎士団に存在している?」
それを問いたかった。
どうしても、問いたかったのだと告げる眼差しは失意の感情が湛えられていた。
そして、それこそが、オリヴァーがアムセスという偽名を使うアルステッドに協力する理由。
否、精神系統の魔法に掛かった理由だろうか。
「おれは貴女達を尊敬していた。兄が死んだと聞かされた、あの瞬間までは……!!!」
事実無根のでっち上げだ。
だが、ベルナデットはそれを否定しない。
ただ、嵐を思わせる猛撃を受けるだけ。
それは己の罪であると肯んじているのか。
はたまた、リューザスからあの夜の出来事を聞いた上での判断なのか。
ただ、ただ無言。
しかし、その行為こそがオリヴァーの激昂に燃料を注ぎ足す行為であったのか。
怒りは更に膨れ上がり、怨嗟の咆哮が轟く。
そして、火花を散らす衝突音が二度、三度と続き、
「わたしはお前の兄を救えなかった。それが事実だ。それだけが、揺るぎない事実だ」
抑揚のない声で、ベルナデットが答える。
「そして、これが、わたしに出来る最大の贖罪だと考えている」
「贖罪、だと……?」
「ああ、そうだ。だからこそ、わたしはこうして騎士団に今も尚、醜くしがみついている」
怒りは最高潮に達したのか。
一体どこから出しているのだと疑いたくなる程の地鳴りに似た声がやってくる。
「それが答えか。それがお前の本心か。民一人守れぬ騎士団に属し、団員一人に全ての罪をなすりつけ、罵倒し、貶め、己の平穏を守るような薄汚い貴族を守る為にお前は存在していると!? 分かった。なら、なら、おれが全てを殺してやる!! 全てを壊してやる!!」
故に、オリヴァーは限定的に殺しを肯定する。
理由はただ、戦う手段を持ち得ない弱者を守りたいと願い、志した今は亡き兄の意志を貫く為に。
そして今や、魔法使いを殺し回る悪名を冠するオリヴァーであったが、その本心を見抜いてか。
ベルナデットは初めてそこで笑みを見せた。
「お前は変わらないな」
その言葉に、嘲りはない。
敵意もない。失意もない。
それはただ、純粋な慈しみと優しさに塗れた声だった。
「民を想って戦っていたのか。ああ、お前らしいな。実に、お前らしいな。そして、最後にわたしを殺すつもりだったのか」
騎士団長を任されるだけあって、ベルナデットの戦闘能力は騎士団にいた人間の中でもかなり突出している。王国内でも、五指に入ると噂される程。
だから、〝蒐集家〟の能力を持つオリヴァーであっても、一筋縄ではいかない相手だろう。
それこそ、騎士団にかつて所属していた魔法使い。その全ての能力を奪うくらいしなければ勝てないと思わせるくらいには。
「確かに、そういう事ならこれまでの事も含め、お前に殺されるのであれば、受け入れるのも吝かではなかったかもしれない」
ここでのかもしれないは、拒絶の表れ。
故に、生き恥を晒してまで、醜く生にしがみつくのかと、オリヴァーのこめかみに浮かぶ血管がおどろに膨れ上がる。
「だが、それは応じられない。生憎だが、わたしは騎士団長という地位に醜くしがみつくと決めているんだ。それが、わたしに出来る唯一の贖罪だろうから」
そして再び、贖罪と口にする。
その向かう先は、オリヴァーの兄に対して。
あえて言葉にせずともオリヴァーは理解する。
理解をして、わなわなと身体を震わせる。
どの口が言うのだと。
けれど、それも刹那。
「わたしが貴族や王族の犬として一応、動いてやっている理由は、バミューダを失ったあの日から何一つとして変わらない。団員の————家族の死をもう二度と侮辱させない為にわたしはここにいる。だから、たとえバミューダの弟の頼みであっても、それだけは聞いてやれないな?」
ベルナデットの本心からの一言に、オリヴァーは身体を硬直させる。
まるでそれは、彼女の言葉が予想外に過ぎたと指摘しているようであって。
「本来であれば、碌に守る事も出来ない無力な騎士団なぞ、潰してしまえと思っていた。だが、一部の貴族や王家がそれを許さなかった。仮にわたしがこの地位を辞したとしても代わりの騎士団長が据えられるだけ。薄汚い貴族の息が掛かった人間が、騎士団長に据えられる。だからあえて、わたしだけは騎士団に残った。残らざるを得なかった」
……もっとも、ゼノアだけはわたしの下から離れようとしたかったがなと言葉が付け足された。
そして、その言葉に誰よりもオリヴァーが驚いていた。
「わたしは守らないといけなかったからな。バミューダの代わりに、この街ってやつを」
直後、ぶわりと空が黒い何かで覆い尽くされる。それは魔物だった。
限定的に掛けていた〝認識阻害〟の魔法が解け、あらわになる。
数える事もままならない程の数の魔物。
種類も膨大。一体どこからこれ程の魔物をかき集めたのだと思わず問いかけたくなる程。
ただ、ベルナデットに関しては然程、その変化に驚きの色はなかった。
その様子は、まるで初めからそこに何かがあると知っていたようでもあった。
「アルステッドは、民すらも殺す気だぞ」
「民、を、殺す?」
ユリウス達の時とは違う言葉がトリガーとなって、オリヴァーの余裕を刈り取る。
錯綜する。
錯乱し、目は虚ろとなる。
「あいつの根幹は「犠牲」だ。犠牲を是とするあいつは、全てを殺すぞ。お前の兄が守ろうとしたものも、すべて。そうする事で、貴族の見せしめを行おうとしている。現に、頭上に広がるコレや聞こえてくる鳴き声が証拠だ。これは脅しでも、なんでもない」
「……ちが、う。それ、は、ちがう」
気付けば、剣戟の音は止んでおり、逃げるようにベルナデットから距離を取っていたオリヴァーは、頭を押さえ、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「わたしを恨むのは構わない。元より、恨まれる覚えはある。だから、それを責める気は一切ない。ないが、本当にそれでいいのか、オリヴァー。アルステッドに同調するということは、兄が守ろうとしていたものを全て壊すという事だぞ」
「うる、さい。だまれ。だま、れ。だまれだまれだまれだまれ!!! あいつは理解者だ。あいつだけがおれを理解してくれた」
乱暴に剣を振るう。
その姿は、認められない事実を必死に否定するだけの駄々っ子にしか見えない。
「理解者ならば、ではなぜ、今お前精神系統の魔法が掛けられている?」
信用出来ない人間と言っているようなものだ。
至極当然とも思える問い掛けに、オリヴァーは偏頭痛に堪えるように、言葉を紡いでゆく。
「おれが、頼んだ」
「頼んだ?」
「そうでもしなければ、お前達を殺せないと思ったから」
「……成る程。そういう理由か」
容赦を取り除く。
平和主義者であり、元騎士団の人間に少なからず情を抱くオリヴァーにとって、アルステッドの能力はお誂え向きだったというわけだ。
しかし、既にリューザスと言葉を交わしているベルナデットだからこそ、なのか。
「お前は、殺したくないのだろう。わたし達や薄汚い貴族は兎も角、関係のない人間は何があっても」
そこに気づく。
故に、オリヴァーはあの夜、ユリウスを殺せなかった。
殺せるタイミングはあったかもしれない。
あの時は、殆ど終始、間違いなくオリヴァーが優位であった。
しかし、傷を与えこそすれど、殺せはしなかった。殺す気でいたが、それでも殺せなかったのだ。あの夜、ユリウスが指摘していた事は嘘でも勘違いでもなかった。
「だが現実、アルステッドの奴は、お前が守りたかった民を一人でも犠牲とする事で「犠牲」という名の「悲劇」を作り上げ、単なる一つの脅し文句として使うつもりだぞ。それで良いのか。それに同調するのか。それでも、お前はあいつを理解者と呼ぶのか?」
「違うと言ってる……!! あいつは、あいつは、お前らとは違って今の世界を変えようとしている!! この間違った世界を!! あいつはおれと同じ、理不尽に家族を奪われた悲しさを知る人間だ!! 出鱈目を言うなよ、ベルナデット……!!」
奪われる苦しみ。悲しみ。
それらを知っているからこそ、アルステッドは道を間違えない。
そう信じて疑っていないとオリヴァーは言葉を並べ立てる。
そして、その苛立ちをぶつけるように再度肉薄し、剣を振るう。
一撃一撃が加速し、重さが増してゆく。
「————〝重力制御〟————ッ!!!」
魔法の使用。
異様なまでの威力を作り出した一撃に、剣で受けたベルナデットの足下はミシリと陥没。
やがて、向けられる力に押し負けたベルナデットの身体が、後方へと吹き飛ばされる。
「〝加速〟!!!」
しかし攻撃は終わらない。
怒りに塗れた瞳は遠のいてゆくベルナデットを捉えており、持ち前の魔法を用いてその距離を再度詰めんとオリヴァーが距離を詰める。
「アルステッドのやつの気持ちは、これでも分かってるつもりだ。貴族を罰したい。何かを変えたい。そう考えた時、この手段が有効だろう事も。だから、これは正しい。正しいと思う。だが、この選択によって齎されるのは最悪の結果だ。だから、わたしは正しいが間違っていると思う。無辜の民を犠牲にしてまで得られる結果に何の意味がある。それは、お前達が忌み嫌う貴族像と、一体何が違う?」
「……ッ、だまれ……!!!」
一閃。
縮められた間合いの中、お互いの得物が火花を散らす。
力任せに吹き飛ばされ、体勢を崩されて尚、如何なる状態であっても迫る一撃を防いでみせるベルナデットの力量は恐るべきもの。
「ここにバミューダがいたならば、間違いなく止めただろう。だから、代わりにわたしが止める。それだけだ」
「お、前が、兄の名前を口にするなあああぁぁぁああああ!!!!」
得物同士による悲鳴染みた衝突音は更に強まり、激化。
ベルナデットか、オリヴァー。
その何方かが死すまで終わらないと思わせる程のやり取りであったが————しかし。
けたたましく響き渡る爆音が二人に割り込むように、巻き起こった。
続く悲鳴と、獣の唸り声。鳴き声。
それらの音の介入により、闘争は唐突に終わりを告げた。
「アルス、テッド?」
オリヴァーにとって、ベルナデットの言葉の一切が信用に値しないもの。
だから、全く信用を寄せていなかった。
時折、心に残る言葉こそあれど、殆ど信用していなかった。アルステッドこそが正しいと。彼だけが己に共感してくれる唯一の同志であると。
そう信じていた彼は、果たして一体、アルステッドからどのような話を持ちかけられたのか。
〝ど〟がつくほどの平和主義者であった彼は、何を吹き込まれたのか。
……それが嘘であった事実は、手を止め、呆けるオリヴァーの姿からも一目瞭然であった。
「何を、してるんだ。何を考えてるんだ。アルステッド」
魔物が街を襲っている。
人を襲っている。
戦う手段すら持ち得ない民に猛威を奮っている。
「それは、貴族を罰する為に用意したもの……だろう?」
なぜ、それを用いて街を襲っている?
なぜ、人を襲っている?
分からない。
オリヴァーには、理解が出来ない。
そしてだからこそ、その脳内で巡る思考と現実との差異に苦しみ、これまでで一番と言える程の頭痛がオリヴァーを襲った。
「ッ、ちがう、違う違う違う違う違う!! これは、何かの間違いだ。あ、ああ、そうだ。きっと、アルステッドの魔法の制御が狂ってるんだ。これだけの物量だ。そう言うことも、あるだろう。ああ、助けないと。アルステッドは、おれが助けないと。おれを救ってくれた、あいつを助けないと」
混濁した眼で、虚ろに言葉を呟く。
それでどうにか我を保とうとしているのか。
しかし、その行動は最早、ベルナデットからすれば痛々しいと言う他なかった。
オリヴァーの中で、優先順位がベルナデットからアルステッドへと置き換わる。
やがて、殺意を撒き散らしていた筈のオリヴァーは、アルステッドの下へ向かうべく、背を向けた。
そして、〝加速〟と一言。
「っ、待て、オリヴァー!!」
ベルナデットの制止の声に、一顧だにせず、オリヴァーはアルステッドの下へ向かって駆け出した。








