四十八話
そんな彼女の助言を耳にすると同時、ぽつり、と水滴のようなものが突如として俺の頬を撫でる。ふと、空を見上げると暗澹と蠢く鈍色の雲が彼方此方に散見され、空模様は怪しいものへと移り変わっていた。
「……雨」
ひとりごちるように俺が呟く。
「タイミングが良かった、と捉えるべきかしらね」
僅かに顔を綻ばせながらそう口にするリレアの言う通りであった。
もし仮に熱に浮かされた状態であったならば、雨など度外視して手合わせに興じていただろうから。そして気づいた時には土砂降り、という事も今となっては十二分にあり得た話である。
「二人とも、本降りになる前に、宿へ戻ろう?」
そして、ソフィアが言う。
俺やソフィアはリレア達が住居としている宿にて個々で部屋を借りており、二年前に俺が打ち倒したオーガの討伐報奨金をそのまま俺達の生活費に彼女らがあててくれている。
その為、俺達の帰る場所は全員同じ。
「そうね。……にしても、この様子だと明日まで長引くかしら」
俺には全く違いは分からないけど、リレアや彼女の連れであるロウなどは空模様を目にしただけで、明日も雨が降りそうだとかそう言った事を当たり前のように予想し、当ててみせる。
コツを聞いても勘としか答えてくれない為、もう「どうして」と聞く事こそしないけれど、彼女のその言葉にはそれなりの信を置いていた。
「明後日は、足場が不自由になるかもしれないわね」
「でもそれは、みんな同じ」
「ただの独り言よ。邪推はやめて貰える?」
その返しに、俺は喉の奥でくつくつと笑い、破顔してみせる。
〝魔法使い狩り〟が行動を起こすのは恐らく明後日。故にあえて明後日と言い表したのかと思ったんだけれど、どうにもそれは邪推だったらしい。
「ま、ぁ、本音を言うとやっぱりまだ、不安が残ってる。だけれど、私が攻めきれなかった上、キミは色々とまだ、余力も残してた。キミって多分、窮地に陥って漸く真価を発揮出来るタイプだと思うの。だからただの勘でしかないけれど、どうしてか大丈夫な気がするのよね」
とどのつまり、彼女が言いたい事は————俺という人間の実力が未知数。そこに帰結する。
未知数故に、可能性があると言い、どうにかなるのではと収束が出来てしまっていたのだろう。
「そりゃどうも」
やや遠回りではあったが、その賛辞を受け入れる。
「……話すのも良いけど、早くしないと雨に濡れるよ」
すっかり蚊帳の外になっていたソフィアが呆れ混じりにそう口にする。
剣が関わると何をするにせよ冗長になってしまうのが俺とリレアの悪い癖。
あたしは先に行くからねと若干不機嫌に、宿へと向かってソフィアは先を歩き始めていた。
此処は王都の離れに位置する開けた場所。
それなりに宿まで時間がかかるだろうから、気持ち急ぎ目に。
そんな事を考えながら、ソフィアの背を俺とリレアは追いかける————。
そのまま、どれほど歩いただろうか。
十分。十五分。
下手をするともっとかもしれない。
不幸中の幸いにも、雨の勢いは終始変わらず、であったけれど、その確固たる違和感を言葉に変えて指摘したのはリレアであった。
「————一体、誰の仕業かしらね」
歩いても歩いても、視界に映る景色はひたすらに緑一色。木々ばかり。
本来であればもう既に宿に着いていても良い頃合いだというのに、前に進んでは————元いた場所に戻ってきてしまう。
リレアとの手合わせの余波により、大気と共にズタズタに斬り裂いてしまっていた木々の残骸が残る場所に一定時間歩くと何故か戻ってきてしまうのがその証左。
初めは何の冗談かと思っていたが、やがて胸に嵌まり込む違和感と不審の念。
「喧嘩を売られる覚えはないのだけれど、もしかしてユリウス君、キミ誰かから恨みでも買ってたかしら?」
「……なんで俺なの。それに、喧嘩を売られる?」
「……どこからどう見ても私とキミとソフィアちゃんの三人とも〝認識阻害〟の魔法掛けられてるじゃない。これを喧嘩を売られてると言わずして何と言い表せと?」
ぐるぐるぐるぐる——繰り返し。
リレアと剣を交わした場所を起点として、後にしたかと思えば帰ってきて。後ろに見えてるはずなのに、どうしてか前にもずっと進んだ先にも同じ光景が待っている。
ぐちゃぐちゃに頭の中が攪拌されてしまう現象。それはどうやら、リレア曰く————魔法の仕業であるらしい。
「……ここに来る道中に、私達の後を追う気配はこれっぽっちも感じられなかった。だとすれば、仕掛けられたのは剣を交わしていた最中……?」
ぶつくさとひとりごちるリレアは、いや、それだけはあり得ないと浮かぶ考えを否定するべくかぶりを振る。
剣を手にしているという事は、目の前に映る対象以外の気配を感じ取る余裕というものを例外なく捨て去っている状態。
確かに、人の気配に対して疎くはなるものの、だがその分、外からの害意に対しては恐ろしいまでに敏感になっている。
故に、〝認識阻害〟なんて魔法を掛けられていた場合は、間違いなく気付く。
だったら、どうして、こんな状況に陥ってしまっている……?
分からない。
あまりに謎が多すぎる。
焦燥感を感じさせるリレアの表情が、全てを物語っていた。
「……要するに、その〝認識阻害〟って魔法が原因なんでしょ? 使い手についてとか、リレアは知らないの?」
一瞬でこの現象は〝認識阻害〟という魔法によるものであると結論が出てくるぐらいだ。
多少なり、彼女は情報を持ち得ているだろう。
故の発言だったのだけど、
「……使い手については、知ってるわよ」
「なら、」
話は早いじゃん。
つまり、そいつが犯人だと俺が言葉で断定しようとして。
しかし、その発言はあろう事かリレアの言葉によって遮られた。
「————でもその魔法使いはね、キミが〝ミナウラ〟に向かってる最中に既に殺されてるのよ」
だから、リレアの知る〝認識阻害〟を扱う魔法使いはもう存在しない筈なのだ。と、彼女は言う。
魔法とは、一人につきひとつだけ許された——いわば、御業である。
ソフィアのように〝治癒〟の魔法であれば使い手がかぶる事もあるだろう。
しかし、フィオレ・アイルバークの〝屍骸人形〟や、先の〝認識阻害〟といった魔法の場合は使い手が二人以上いる事が稀である。
特に、魔法使いは希少な存在だ。
誰しも平等に可能性は与えられているが、使える人間は本当にひと握り。
故に。
都合よく〝認識阻害〟などという珍しい魔法の使い手が二人も三人も出てくるわけがないとリレアは決め付けている。
だからこそ、足を止めて考え込む。
これは一体、何の冗談かと。
「……殺されたって言うと」
「キミが頭に浮かべて想像してる通りだと思うわ。その魔法使いは〝魔法使い狩り〟に殺されてる」
「でも、現実俺達は〝認識阻害〟の魔法を使われてる」
幾ら進めど、同じ場所に戻ってきてしまうこの状況の原因の心当たりは他にない。
「……もしかして、死者が生き返った、とか?」
ふと、ソフィアがそんな恐ろしい事を口にする。だが、魔物を目の前で生き返らせていた魔法使いをこの目で見ている手前、頭ごなしに否定は出来なかった。
「……それは、誰かしらが〝死者蘇生〟なんて馬鹿げた魔法を所持していて、死んだ筈の魔法使いを私達に嗾しかけた、って事かしら」
「……あくまで、あたしの予想だけど」
「可能性としてはなくは無いと思うけど、もしそんな事が出来るとすれば、私なら〝認識阻害〟なんてチンケな魔法使いじゃなくて、それこそとんでもない過去の偉人を蘇生するわね」
しかし、それは恐らくしていない。
否、ここは出来なかったと捉えるべきか。
きっとそれは、魔法特有の欠陥故に。
「ま、それも全て、死者蘇生なんてとんでもない魔法を使える人間が本当にいるなら、の話だけれど」
死者蘇生でなくとも、まだ様々な可能性が残っている。早合点をして視野を狭める事が得策でない事は明らか。だから一旦、その可能性は彼方に追いやる。
蘇生し、操る。
見た魔法を模倣。
相手の魔法を奪う。
または、恐ろしく低い可能性ではあるが、偶々同じ魔法を使う人間がいた、等。
すぐに思いつくだけでも、これだけの選択肢があるのだから。
そんな折、がさりと不自然な音がした。
本来であれば極々自然な葉擦れの音のように思えた筈なのに、今だけはそれがあまりに不自然過ぎた。
雨に濡れるからと場を後にしようと試みてから今の今まで一切耳にすることの無かった音。
故に、俺とリレア、そしてソフィアの三人ともが一斉に後ろを振り向いた。
「—————」
そこには、見覚えのない男が立っていた。
騎士服のような衣服を身に纏った男性。
ただ、これも〝認識阻害〟の影響なのか、俺の視界に映る彼の面貌は、まさしく能面のようなものであり、尋常とは程遠かった。
「なる、程ねえ……? なーんか、色々と事態が飲み込めてきた気がするわ」
特に、どうして、王都の治安を守る為に存在している騎士団が動こうとしていないのか。
その理由とか、ね。
そこにいる筈なのに、まるでそこにはいないような。そんな不思議な印象を受ける視線の先に存在する男へ焦点を引き結んだまま、俺はリレアの独り言を聞き流した。








