十九話
その日の夜は、とても閑かであった。
夢を見る。
『星斬り』の欠けた夢を俺は見ていた。
まるでそれは————胡蝶の夢のようで。
俺の夢の中に存在する一人の男は山の上で咆哮をあげていた。屍山血河の山の上で、咆哮をあげていた。
常勝不敗の『**』此処に在り、と。
誰もが恐れ慄いた。
『**』を前にして、誰もが身を竦めた。
ただ————一人を除いて。
当時、『**』と呼ばれたその男は、天下無双を名乗っても異論は出ないと呼ばれた程の男であった。剣を振れば大地を割り、背を向ければ後には屍しか残ってはいない。
そんな伝説すら残した男。
そんな伝説とも言える人間に立ち向かったのは末端の兵士だった。
何の変哲のない剣士のナリをしただけの兵士。
誰もが思った。
立ち向かおうとするその行為は、決して勇気などという綺麗なものではなく、蛮勇でしかないのだと。
しかし、男はそんな周囲からの視線に当てられて尚、引く事はせず、それどころかさも当然のように宣ったのだ。
『お前を倒す事が出来たならば、私はもう少し前へ進めそうだ————』と。
ただひとつ。
平凡にしか見えないその兵士には常人とは異なる部分があった。
その在り方が、尋常とは程遠く。
どこまでも異様でしかなかったのだ。
『世界に、私の名を轟かせたい』
天下無双とまで呼ばれた男を前にして、倒す事が出来たならばと宣い、静寂に包まれる場。
そんな中で、火に油を注ぐように兵士の男は言葉を付け足した。
己の夢を、当然のように語ったのだ。
程なく、どっと場が湧き、嘲弄といった感情が一斉に兵士の男に向けられた。
しかし、彼は気にも留めない。
それがどうしたと一蹴する。
天下無双が相手だから足を竦ませるのではない。天下無双が相手だからこそ、全てを喰らわんと試みるのだ。
にぃ、と笑む事で彼はそう主張してみせる。
強くなる為には、自身の『限界』以上を、絶対的強者との死闘にて、掴み取る他ないと彼は知っているから。
故に剣を執る。
故に前へ足を踏み出す。
己が持ち得るたった一つの武器——『意思』を胸に、翅を広げる。
『お前にとって私はただの雑兵だろう。それは否定しない。戦場でゴミのように死んでく筈だっただろう一人だ。だが、私を他と一緒にしてくれるな』
少なくとも、己は地べたを見詰めやしない。後ろだって見る趣味もない。
だからこそ、翅のない虫と己は違うのだと、そう宣う。
『最強なのだろう? 天下無双なのだろう?』
なればこそ、天下無双の寛大さを以てして、この私の相手をしてくれよと兵士の男は言ってのける。
……そんな、前代未聞の挑発から始まった命の取り合い。欠けた『星斬り』の記憶はその情景を鮮明に映し出す。
それが、後に『剣鬼』や『星斬り』と呼ばれた男の英雄譚の序章であった。
誰もが不可能であると断じた行為をひたすらに望み、敢行し、傷を負い、それでもと手を伸ばし続けた男の生涯。
その根底に据えられた『星斬り』への情熱の輝きといえば、黄金よりも眩くて。
「…………ん」
気付けば、俺の意識は覚醒していた。
窓からはまだ月が見える。雲の隙間から差し込む月光が俺を照らしていた。
外の景色を見る限り、全然眠れてはいなかったのだろう。眠る直前と然程窓の外の景色が変わっていなかった。
「……久しぶりに見た」
偶に見るのだ。
欠けた夢を、本当に偶に。
己の全盛を以て、全力で、全霊に。
そうして生きてきた男を映す欠けた夢のお陰でぐらりと揺らいでいた心は決まった。
故に、笑う。
「王都の騎士ですら死ぬような場所。そんな場所で、俺という人間が生き延びる事が出来たならば、少しはまた、前へ進めるかな」
問い掛ける。
雲に隠れる星に向かって————俺は問い掛ける。
人は死ぬと星になる。
俺の憧れはそう言っていた。そして俺も、それを信じている。故に、俺は己の憧れに向かって問い掛けていた。
『星斬り』という規格外でしかない行為に憧れてしまった。その時から俺の先は決まっている。
その過程で死ぬのであれば、所詮俺はそこまでの人間だっただけの話。
ソフィアや親父には悪いが、俺の根本は『星斬り』だ。『星斬り』を成す為に剣を執り、『星斬り』を成す為に、二年待ったのだ。今更変わらない。変わるはずが無い。
この熱だけは、変えられない。
これがきっと、俺の天命なのだろうから。
むくりとベッドから起き上がり、縁に腰掛ける。そして右の手に意識を向け——剣を創造。
創り出した剣を腰に差し、俺は立ち上がった。
「……まだ、居るといいんだけど」
玄関から出ると親父や母にバレてしまう危険性があった。だから俺は自室の窓をゆっくりと開け、そこから身を乗り出した。
言わずもがな、辺りは暗い。
ひと気も皆無で、村の入り口へと駆け足で向かおうものの、やはりそこに人影はなかった。
村長であるアレクさんの姿も何処にも見当たらない。
…………遅かったか。
色々と親父に世話になった手前、言う事を無視してあの場で我儘を貫く事は憚られ、今回の事は忘れようと無理矢理に睡眠を取ったのはやはり間違いだったか。
そんな感想が胸の中に生まれ、蠢いていた。
月の傾き具合から察するに、まだ時間はあまり経ってはいない。
間違いなく近くに居るはずだと思い、そのまま村の外へと一歩踏み出した俺の視界に映る三人分の人影。
幸運にも、地図を広げ、何やら話し合っていたビエラ・アイルバークを始めとする者達はまだそこにいた。
程なく、俺が声を掛けるより先に俺の存在を知覚したビエラ・アイルバークが口を開き、声を発した。
「……まだ何か?」
親父やアレクさんが既に彼女と話を付けたのだろう。彼女の表情は相変わらず人形めいており、そこから判断する事は難しい。
けれど、彼女の供回りと言われていた騎士達の様子からそれを察する事は容易であった。
「話があります」
そう言うと彼女は呆れたような息遣いをし、首を微かに振った。
「……既に話は終わりました。これ以上、話す事は何も無いかと存じますが」
「……でしょうね」
村を去ろうとしていたのがその証左。
けれど。
だけれど、それでも、俺はあえて言葉を口にする。
「お願いがあります。……俺を、連れて行って下さい」
頭を下げて頼み込む。
しかし、返ってきたのはやはりそれかと言わんばかりのため息であった。
「私が申し上げるのも変な話ですが、もし仮について来たとして。まず間違いなく、貴方は死ぬでしょうね。あそこは思い上がった馬鹿ほど早く死にます」
「思い上がってません。思い上がってないからこそ、俺は付いていきたい。何より、俺はこの目で、上というものも見てみたい」
夢でなく。
追憶でもなく。
現実世界の、己の目で。
〝戦姫〟なんて大層な名で呼ばれるくらいだ。
きっと、とんでもなく強いのだろう。……佇まいからしても、それがよく滲み出ていた。
故に。
親父の気遣いを無碍にし、ソフィアとの約束も反故にしてしまうと知りながらも、この道を突き進もうと思えてしまう。突き進めて、しまう。
そんな自分に嫌気が差すと同時、どこまでも己が『星斬り』という行為に痴れてしまっているのだと否応なしに理解させられた。








