同じ世界の別な場所
人殺しの感想、ですか。
いやいや、怒ってないし、機嫌も悪くないですよ。
むしろ、そうあるべき、なのかな?
人間らしさ、としては。
何人に訊きました?その質問。
なら、きっと驚きますよ。
おっとゴメン。こちらが答えるんだった。
つまりね、知り合いに多いんですよ。
自分と同じ人殺し。
法律的な話は結構。
戦争中だから?敵だから?御国のため?
まったく結構。遠慮します。
オレにゃ関係ない。関係したくもありません。
聴こえないとこで、だべりあってりゃいい。
殺してから言え、ばーか、ってさ。
で、まあ、人殺し。
オレですが。
敵を目視して撃った事がある仲間とオレの話。
飯も旨い。
早く寝て直ぐに目覚める。
言われるまで、忘れてる。
いま、聞かれて久しぶりに考えた。以前?いつだっけな?でも、似た様な、そんな様なことを考えた、ハズ。
両手の指じゃ足りないが、たいした数じゃないんですよ。
撃った人数。
あ、だから大したことじゃない、って訳じゃなく。
覚えてないんですよ。あんまりね。
アムネスティの女の子の名前は一度、しかも、司令官に名乗ったのを、横で聴いただけで覚えたのにさ。
まさにアレ、食ったパンの枚数的な話。
中には数えてたヤツがいたな。
過去形?そう、ああ、元気ですよ。
戦死したダチなんかいませんって。
で、過去形なのはね、忘れちゃったんですよ。
数えるの。
そいつ。
日記とか三日坊主なヤツいるでしょう?
まさに。
毎日殺してたから?まさか。
まあ、遥か彼方で吹き飛ばされてる連中、あ、敵が逃げられないように備えるのは良くあります。
ある方向に一斉射撃もあります。
殺人と無関係な日が多かったとは言いません。
でもね。
この戦争で人を目視して撃つ機会なんかほぼないんですよ。
機会があっただけでレアですよレア。
でまあ、死体も見ました。自分が撃った奴。
さっきもね。
普通に人間でしたよ。
でも、殺した感が無い。
ええ、間違いなく撃った。よく相手の顔を見て、魔法使いの赤い瞳に注意しないといけませんから、赤くないかな?ってね。
「あ、普通の兄ちゃんだ、安心」
オレの弾が当たった。倒れた。
倒れたな、だけ、感想。
オレは今まで、この戦争まで、人殺しに会った事がありません。
今度の戦争でたくさん、まあ、両手の指の数ほど、人殺しの友達が出来ました。
みんな元気です。
ウチの司令部に子供達が出入りしてるじゃないですか?
もしかしたら、あーいう子の親兄弟を殺しちゃったのかも知れない。
城のメイドさん達の友人知人を殺したってのは、ありえる。
だけ。
それだけなんですよね。
まあ、大尉殿に言わせれば
「普通だな」
ってね。
いや、昔から今も、あ、転移前って話。
毎日毎日戦争してたわけじゃない?ウチの国はともかく。
日本以外で街を歩けば、石を投げりゃ当たるくらいはいるわけだ。
人殺しが。
でも、その人たちが、初めて人を殺した人が、日常的に人を殺した人たちが、傷ついていたら?
フィクションみたいに、罪悪感に悩んでいたら?
「そんな繊細な人間が多けりゃ、戦争なんて最初からできるわけないだろ」
これも受け売り。大尉殿の。
いや、笑った笑った。
だよね。
殺した相手の人生や遺族を想って、命の大切さをかみしめて、それを奪った罪を自覚し・・・・・・・・・・そんな人間が多数派なら、戦争をどうやって続ける?始める?
いないわけじゃないのは判る。
いつも戦争中のアメリカなんかは社会問題になるくらいに『繊細な人』がいる。
彼らが殺されることじゃなくて、殺すことにも傷ついていたとして、だけど。
でもさ、それ以外の人たちは?
圧倒的な多数のみなさんは?
口では何といっても普通に支障なく日常生活に戻っている方々は?
ドキュメンタリーや映画に取り上げられない一般的な人殺しは?
繊細な人ばっかだったら『いつも戦争』なんかできないよね。
いや、一度戦争しただけでその社会が滅んじゃうか。
幸い?戦争神経症で滅んだ国は聞かないけど、さ。
はは。
今まで、実際、この戦争まで。
人殺した感想を、聞いたことないなぁ。
人殺しを見たこともないなぁ。
殺された人もしらないなぁ。
だから、罪悪感も心の傷も、フィクションなんだよね。
リアルは?
自分たちが圧倒的強者で「殺す側」だけだったら?
「殺される」可能性なんかなかったら?
俺たちだけどね。
「殺す」なんて事に怯えるヤツはいない。
「殺される」のは嫌だ。だから、ソレを連想させる「殺す」が怖いだけ。
だから、
「反省してますから赦してください、自分は殺さないでください」
って天か地かどこかのだれかさんにお願いする――――――――――と気が楽になる。
――――――――――――――――――――ってのが、罪悪感、だって言い方は意地悪かな。
大部分の人、俺みたいなのは、こう。
目の前の、どこにでもいそうな、おっさんや兄ちゃんに軍服と銃、こっちじゃ剣と槍、を持たせただけの相手が敵兵。
それを撃ち殺して確認し、血やら肉やらを見て知って。
さ、帰るか!夕飯なんだろ?
ってね。
「他人を殺した人間も苦しんでいるに違いない」
「人を殺すのは大変なことだから」
いや、よく考えたら、理屈も何もない、意地悪くいっちゃえば妄想なんだけどさ。
でも、『きれいな妄想』は物語っていうらしいね。
うん、受け売り。
残念だ。
いや、好きだったんだよ、そういう物語。
戦場で、人の良さそうなオジサンを、敵兵として射殺して。
時々、思い出して。もの悲しい気分に浸る主人公。
あれはシミジミきたな~~~。
もう、あんな気分にはなれないな。
朝食の握り飯と朝の殺人がおんなじってわかったからさ。
「あー確か、殺したな、うん、たぶん」
じゃしまらない。
まったく。
いや、あんたのせいじゃないよ。
それにさ、あんたが見つけるかもしれないしね。
傷ついて反省してる人殺し。
今のところいない?いいよ、これからこれから。
え?
うまいこと言いますね。
「傷つかないことに傷ついている」
そう見えます?詩的だな。
なら、傷つけたのはだれでしょうね?
現実の戦場じゃなく。
みんなが信じ込んでいるファンタジーが兵士を傷つけるんですか、ね。
帰ったら言われるのかな~。
「人を撃って辛かったろう。だが、お前は悪くない」
って。
「え?あ、はい」
って返すしか、はは。
うわ!帰りたくね~!!笑うわ!我慢できんわ!
しまらないな~コレからは、ちょっと、カッコ付けないとね。
ああ、傷ついたふりとかじゃなくて、さ。
《インタビュー06with国連軍出向中自衛官》
【太守府/港湾都市/倉庫街】
正義に殉じるは尊い。
戦死は誉だ。
敵に殺されるならば、どんな死に方でもかまわない。
一弾を身に受ければ、その瞬間は、敵から一発、一銃、一兵が減る。
地雷を踏めば味方の道が出来る。
スパイに刺されれば恐るべき内通者の正体が判る。
捕らえられ拷問を受ければ最高だ!
敵を攪乱する天佑に他ならない!!
遺された戦友は羨ましがるだろう。
友、恋人、妻、父母、子供たちはどれほど誇らしかろうか?
正義に銃後などない。
一人が兵士となるために、一人が戦場に立つために、一人が殺すために全ての人間が努力してきた。
そしてし続ける。
一人の戦死の為には至高の座に押し上げる幾人もの努力がある。
だからこそ兵士は死に際に想うのだ。
みんなのおかげで死ねました!
仲間が死ねば想うのだ。
みんなのおかげで殺された!
仲間を死なせれば想うのだ。
我が努力で殺させた!
陳腐な生を偉大なる歴史に投じる幸福。それを支える至福。
人が人間としてある限り、これほどの愉快があろうか!
【太守府/港湾都市/南街道/南門から港の間/南岸邸宅街】
港街南岸。
ブルーヘルメット、グレーの都市迷彩で統一した野戦プロテクター、フェイスマスクは光を外から内の一方通行。
化学戦装備ではないので基本的に通気性は良い。
煙や粉塵を避ける場合は手動密閉。
邸宅街を歩く国連軍兵士。
2人ペアが2セット、下士官が1人の5人編成。
下士官はガバメントを腰、左手は反対腰の指揮端末に当てている。
上空を迷彩した偵察ユニットが飛び交い、高空には哨戒気球。
いずれも必要に応じ操作自動/手動切り替え可能。
兵士はAK47J。
銃口が斜め下、真上でペア。
国連軍の標準的な都市警邏行動。
黒旗団オリジナルはAK47Jだけではなく、広角カメラ。
ヘルメットと両肩。
そして、地球人兵士を遠巻きに囲む異世界兵士の人類種。
彼らは港でよくある姿。
船員、職人、下男、下女など衛兵に呼び止められない格好に扮している。
地球人兵士は見通しが良く人目につく場所を練り歩く。
あえて街の衛兵や武装船員、愚連隊は遠ざけて。
注目を浴びる。
ただ現れただけで街を滅ぼしかけた侵略者。
ただ命じただけで街を救った救主。
憎しみ?恐怖?畏怖?崇敬?
いずれにせよ彼らを止める者はいない。
ただそこにある支配者を。
【太守府/港湾都市/倉庫街/医療班】
老人は向き直った。
「占領下の民間人は我々に概ね三つの反応を示す」
老人は頼もしく思う。ドワーフ、エルフ、異世界人、地球人。
精強な若者たち。
「恐怖、憎悪、平静」
正確に言えば『恐怖から怯え』『憎悪から敵意』『平静から興味』。
「単純にひとつひとつがある訳ではなく、三つが混じり合っている。主たる感情は何かを把握することが肝要だ」
だが、感情の幅は次の段階で知ればいい。
「恐怖と憎悪には価値がある」
恐怖する者は通報者に最適だ。
我が身の前に誰かを差し出す衝動をもち、欺く決意は出来ないから。
憎悪する者は協力者に最適だ。
力を理解した上で反発出来る意欲を持ち、しかも理性が感情に負けているから方向づけしやすい。
平静な者は敵である可能性をまず考える。
人間は未知の事象に動揺するら、我らを敵から聴いている可能性が高い。
「従来は極めて曖昧な判別方法しかなかった」
故に『とりあえず』で殺すのが合理的であった。判別できないならひとまとめで扱うのが汚染防止の定石である。
「魔法の導入は一番重要な判別精度を絶対的なものにしてくれる!」
老人の喜びに満ちた断言。
地球人兵士が抱く賞賛の気配。
現地人兵士の表情はほころぶ。
【太守府/港湾都市/奴隷市場/黒旗団戦闘指揮所】
モニターに次々と移り変わる顔。
ソファーに、ゆったりと身を沈めた地球人兵士がモニターを凝視している。
複数人が同じデータを繰り返し繰り返しチェックし、データが更新されると顔が入れ替わる。
マークが付けられる/付けられない。
マークが増える/減る/変わらない。
「憎しみ」「恐怖」「恐怖」「恐怖」「恐怖」
部屋に響く、抑揚のない声。
部屋の反対側にはベッドが並べられHMDを付けた、主にエルフ達が横たえられていた。
呟きは音声入力でデータ反映。
部屋の中央には指揮中枢3Dディスプレイ。
浮かび上がる虚像の港街。
その中央にエルフ副団長。
HMDを付けたまま、腕を組む。仮想のキー、モニターを叩く。
声を出して副旅団長と話す。
指示はしない。
既に出された命令に従い兵士たちは動き続ける。
【太守府/港湾都市/南街道/南門から港の間/南岸邸宅街】
国連軍の隊列が通過。
間を空けて同じ構成の隊列が通り過ぎる。
突然、後から現れた地球人兵士ペアが走り出し、群集が唖然とする中に突入。
全力疾走。
事前に集まり終わっていた黒旗団現地兵士が巧みに、あるいは強引に群集を割り道を作っている。
迫る地球人兵士に怯えて逃げ出した皆が逃げ出す頃には、目標が殴り倒されている。
ソレと知られずに目標の足を引っ掛けた下女姿は、逃げ惑う群集をに紛れて姿を消していた。
支配者達の行動に唖然とした衛兵。
何もできない。
彼らより積極的な盗賊ギルドの愚連隊が駆け寄って来た。
「っ、手伝を、ますか?」
「感謝します」
やや、腰は退けているが、尋ねる。
普通に答える地球人兵士に、息をつく愚連隊。
「彼を丁重に警備本部まで」
地球人兵士は引きずり起こされた男を渡す。
目礼され起立状態の愚連隊。
「逃げたら首だけで十分です」
そう指示した地球人の下士官は群集を、もの陰から覗く皆を見回した。
「彼を知っている人」
誰も名乗り出ない。
「前へ」
地球人兵士に見据えられた女の周りから、皆が逃げ出した。
女は固まっている。
愚連隊の数人が走り出し、女が逃げ出した。
所で背後の男にぶつかり、まとめて転んだ。
愚連隊が引きずり起こした。
「両方警備本部へ」
「「「「「ヘイッ!!!!!!!!!!」」」」」
愚連隊に敬礼した地球人兵士に、愚連隊が真似て敬礼。
警備本部。
昨日の騒乱を受けた港街の有力者たちは、共同で秩序回復(虐殺)あたる衛兵、武装船員、盗賊ギルド愚連隊を統括する必要があった。
さらにその後、治安維持に役目が移ると不審者をただ殺すだけではなく、尋問や収容が必要になる。
元々、衛兵には衛兵本部、武装船員なら船員クラブ、盗賊ギルドはアジトがある。
衛兵は今だけ共闘している連中を本部に入れたくない。
船員クラブは港湾地区であり、今一番護るべき場所に不審者を収容は出来ない。
アジトは隠蔽の為に分散しているし、衛兵の立ち入りなど断じてのめない。
その為に両替商が私邸を解放した場所。
まだ掃討作戦中の南岸より、北岸、邸宅街の方が都合が良かった為に港街の治安中枢がそこに集まっていた。
特に名称を話し合ったわけではないが、『警備本部』と呼び続けられることになる。
連行された人間は、警備本部に待機している黒旗団に引き渡され、特段の事情がなければ解放される。
ただ密室で当たり障りの無い質問をされ、それなりの時間を過ごすだけ。
一応、身元は聴かれるが。
本当にそれだけだ。
【太守府/港湾都市/倉庫街/医療班】
「諸君はどう思うだろうか?恐ろしい支配者に拘束されたらどんな目に遭うか?」
尋問、拷問、処刑。そんなところか。
「諸君はどう思うだろうか?拘束された友人知人家族が『なにも無かった』と言い張ったら?」
恐ろしい支配者から何も聴かれずに、暴力も受けずに、ただただ密室で過ごした。
信じるだろうか?今までと同じように付き合えるだろうか?
【太守府/港湾都市/奴隷市場/黒旗団戦闘指揮所】
示威行軍中の地球人兵士達の周りを固める現地人偽装兵士たち。
彼らを『浸透斥候』と呼ぶ。
皆が現地の民間人に扮し、中には背嚢を背負っている者がいる。
地球人兵士が全周に向けたカメラの映像が指揮所に送信。
解析ソフトが顔だけを抜き出し、三類型のタグを貼りモニターに表示。
オペレーターが目視判断しタグが重なった対象が指揮中枢3Dディスプレイに表示。
自動的に前線にフィードバックされ偵察ユニットか哨戒気球がマーク。
近くの浸透斥候が接近。
背嚢内の索敵機器(複合波長対応カメラ、サーモグラフィ、対人レーダー)に指揮所の通信回線を通し魔法使いがアクセス。
魔法使いは対象の近距離からその感情を読み取る。
恐怖、憎悪、平静。
データにタグが張られ、規定を満たすと自動的に周辺兵士にテンプレートメッセージ。
兵士たちは事前に予定した行動に入る。
そこに人間の判断はからまない。
エルフの副長は基本的に監視だけしている。
【太守府/港湾都市/倉庫街/医療班】
「敵は死を厭う。何故かね?」
命知らずな傭兵集団、黒旗団のメンバーは頸を傾げる。
自分たち以外の連中が命を惜しむのは知っている。知っているだけ。
だが『ただそう言うものだ』としか思った事がないからだ。
地球人兵士とて似たようなものだろう。
「兵士諸君にはわからないだろう。当然だ」
兵士とはそういうもの。
老人にとってそれは自明のことであり、当たり前のことだ。
だからこそ兵士となり軍をなす。
「なぜ死を恐れるのか?」
しかし、足りない。
より良き兵士となるために。
殺す為に、より多く殺す為に、敵を根絶やしにする為に、基本的な教養を若者たちに身につけさせないと。
彼らは先駆けだ。
後に続くもの達に伝える役目がなのだ。
老人と同じように。
老人はなぜ自分が殺されないか誤解しない。
足りないのだ。
死なせる為に、より多くを死なせる為に、敵を根絶やしにする為に、死に逝く皆を導く役目が必要なのだ。
(この瞬間、自分が殺されたら、とても良い教材なのだが)
正義は個人の生き死にに左右されない。
老人が死ねば誰かが引き継ぐ。
引き継がれないなら、正義ではない。
だから、老人は知っている。自分のすべては引き継がれると知っている。
老人は機会を待つだけだ。ほんの少し残念には思う。
「死と痛みは分けて考えたまえ」
爪を剥がし目玉を抉れば片付く事は多い。
若い者は、しばしばここで誤り、回り道をしてしまう。
多い、は全てではない。
ソレを理解しないと、無駄な労力を費やし、結局目の前の敵を殺すだけで終わってしまう。
機会を逃す。
なぜ焼きゴテにすら耐える敵がいるのか?
なぜ情報を得られず頭を撃ち抜く羽目になるのか?
肉を砕いても敵は滅ぼせない。
砕くべきは何か?
「医療において苦痛の抑止は完成している。神経を麻痺させるだけではなく、反応を誘導し、極楽をイメージさせながら体機能を停止させることも可能だ」
老人は、若き同朋、ドワーフやエルフ、現地人をよく見る。
要は痛みが無くせるとわかれば十分だ。
科学的背景は傍らのASEAN兵士が後でフォローする。
魔法、そして竜に代表される巨大生物、エルフやドワーフや獣人のロジックを教育する時と逆だ。
老人は間をとりながら、更に目を細めた。
指図せずとも兵士達が互いに必要な支援に走る様はまったく心強い。
軍はこうでなくてはならぬ。
兵士はかくあらねばならぬ。
「死が恐ろしいのはアイデンティティの喪失をもたらすからだ」
己が何処の誰かという自覚。
人間は、それが無くなればただの肉袋だ。
だから、我々は死を恐れない。
我々が我々であることは不変だから。
『汝、かくなり』
兵士ならば軍がそれを担う。ドッグタグはその為にある。
老人はかくある。
インドネシア国家戦略予備軍特務曹長。
国際連合軍独立教導旅団少尉。
それは死してなお続く不変不朽不動なるもの。
『正義』
敵にはそれがない。
だから、卑小で曖昧な影のごとき『自分と名付けた何か』に執着する。
「多くの敵には我が身一つでしか己を証明出来ない」
まがい物で誤魔化してもボロが出る。
「だから死を恐れる」
確固とした永遠不滅の存在以外にそれを保証できはしない。
国家、軍、そして今は人類。
『死ぬ事を恐れる』
『死ぬ事を避けたがる』
『死ぬ事を免れるだけで他の全てを受け入れる』
そんな不可思議な反応を理解してもらわなくてはならない。
そこから進めば、次のステップだ。
「敵の中の少数派、死を恐れない心象は何によって支えられているのか?」
それが解れば殺さずに済む。より多くを殺すために。
「アイデンティティ、自分自身、彼らがあると信じる内面の自己。死を恐れない敵はソレがあると信じ込んでいる」
愚かなことに。
老人たちのように実在の存在理由(軍、国家、人類)を持たない、持ちえない彼らが頭の中で捏ね上げた幻想。
「ならば、連中に着替えさせたのは」
上官が話しているときに発言?よろしくはない。だが、この場合は大いによろしい。
老人は笑みを抑えようとは思わなかった。
そうだ!
私物を奪い。
番号を割り振り。
互いを孤立させる。
『自分』を確認させない為に。
そして日常にも『現実的な』痕跡を残す。
周囲から、周囲への、不信と猜疑。
体には傷一つ付けずに、心の有り様を切り刻み、釘を打ち、鎖を通す。
若者たちは理解が早い。素晴らしい。
異世界はまだまだ未分化ではあっても、軍と兵士が成り立っている。
軍は永遠だ。
そう思っていた。
違うのだ。
軍は無限だ。
過去から未来へ。世界から世界へ。軍と兵士は皆が同じ存在だ。
老人は老いてなお学ぶ事がある。
知っているようで自覚していなかった自分に驚いた。
まだ未熟であったか、と。
彼らに我らの千年を注げば、世界を満たすに十分だ。
それは無限の世界に充満し、ありとあらゆる宇宙から敵の逃げ場を失わしめるということだ。
国家の敵を駆除し続けていた自分は、人類の敵を絶滅する役目を担っている。
なんと目出度い一日か!
老人は満たされた思いをもてあそぶ。
とても善い天気だ。
楽しみでたまらない。
いつか殺される日が、自分が死ぬ日が、今日かもしれないじゃないか。
【???】
カタリベたる歴史家は老人を、事実を見てなお、信じがたさを痛感していた。
いや、以前から知ってはいた。
資料は山ほどあり、ドキュメンタリー映画にすらなった程だ。
虐殺者が、公然と当たり前に賞賛される社会。
虐殺者の隣に、虐殺された被害者の遺族が住む社会。
虐殺者が、遺族はおろか殺された当人たちに『自分たちが感謝される』と極自然に思いつける社会。
破綻寸前のディストピアではなく、フィクションでもなく、豊かで民主的な南洋の中進国。
それはたまたま老人の祖国であるというだけ。
ただの一例。
一国一地域の特殊な例じゃない。
ある文明や民族を破滅させたことを誇らしく語る歴史書なんかありふれてる。
それは歴史家たちが住んでいた21世紀の地球人類世界なのだ。
様々なドキュメンタリーや資料を見たときに感じた違和感。
事実の重さ。
誰にでも礼儀正しい。
皆に優しく気遣いを見せる。
誰もが自然に敬意を抱く先人。
その老人が抱く禁忌と、歴史家自身が抱くそれ。
まったく一致しない明白な事実。
歴史家は己に問いかける。
彼は、間違っているのだろうか?
彼と自分は、違うのか?
自分は正気なのか?
本当に?
自分は人を殺したことが無いじゃないか。
その時に、その時が来たら、
『フィクションの登場人物達のように』
痛みを感じる事が出来るだろうか?




