また、あえるよね。
女は仰向けになり、死体の上に折り重なり、声をあげてあがく。
いや、あがいているつもり。
身動きする力も尽きて、瞼しか動かず、滲んだ視界を必死に求める。
本能的な動作?
いや、意識的動作。
それが必要だったから。
睨みたいのか。
訴えたいのか。
語りたいのか。
彼女は暴動の初めから、暴徒に加わっていた。
だから良い位置取りができた。
暴徒たち、彼女にはなじみの連中の後ろ、ただし後ろすぎない位置。
狙われた館。
「帝国貴族がいる」と、皆が言っている館。
その通りを挟んだ向かい側にある、別な屋敷の前。
そこもまた同じような富裕層の屋敷だが、家人は引きこもっている。
扉や鎧窓の隙間から覗いてはいるだろう。
しかし覗かれていても、暴動のとばっちりを恐れている限り、問題ない。
暴徒たちにとって、暴徒の後ろにいる彼女にとって、脅威にはならない。
とはいえ、そこまで考えた訳ではない。
彼女自身の気まぐれによる、感覚的な位置取りだ。
暴徒たちは標的以外に背を向けて「帝国貴族が引きこもっている」と、皆が信じている館だけを狙っている。
誰が見たわけではなくとも、皆が信じている。
彼女以外は、信じている。
彼女自身は、どうでもよかった。
帝国の意味すら分からないのは、彼女も皆も同じ。
皆はとりあえず帝国を憎んでいた。
なにが帝国かもわからずに、なぜ帝国かもわからずに。
異世界でも地球世界でも、現代でも中世でも、「憎む」というのはそういうことだ。
彼女はその時、皆から一線を引いて、嘲りも隠さず皆を眺めていた。
守られることに慣れ、恐れることが少なくなれば、見えてくるものがある。
見えてきたのは男の薫陶を受けた結果。
表情は直せと言われても、男の前以外では現れてしまう。
もっとも、その嘲りは男の危惧とは真逆に働いていた。
「やっぱりあいつは違う」と一目置かれる要素になっていた。
そして、その時も。
暴動に加わりながら、暴徒から距離を置く。
その役に立っていた。
その時。
その時が来るまで。
命知らずな暴徒の群れが、通りにあふれて千人ばかり。
門を閉ざした目標の館、その門のすぐ内側の庭。
そこには少数でも屈強な護衛が武装しており、一歩も引かない。
彼女は「館の中にはもっと護衛がいるだろう」と踏んでいた。
それは当然、暴徒の一人一人よりは強く、しかも最後まで戦う覚悟を決めている。
いずれはじまるのは、短くも凄惨な戦い。
彼女はそれを高みの見物。
鉄柵に登り、彼女は軽く背をゆだねていた。
そこは通りを隔てた安全地帯。
「われ関せず」を決め込んだ中立の屋敷。
その安全を背にして、通りの向こうを見渡す。
今まさに皆が門を破ろうとしている。
彼女の位置は高すぎず、低すぎず。
埋没していないが、悪目立ちもしない。
小柄な彼女の体格でも、群衆から外れていれば潰されない。
高さを利用して闘えば、いざ争いに巻き込まれても非力を隠せる。
間合いの外を見回して、同じ暴徒から距離を置ける。
しかも暴徒の大半は大柄で、狭い高見に登ってはこれない。
そうして争いを避けながら、逃げていると思わせない。
彼女の弱さを、貧民街の連中には気が付かせず。
そんな絶妙な立ち位置を、守る。
もちろん、高見は動き難い。
守りやすいが、攻めにくい。
暴徒という攻め手の一員でありながら、それだ。
だが、それでかまわなかった。
ただでさえ男の言いつけに背いている。
暴動に加わった
――――――――――なんて知られたら、嫌われる。
だから危険は犯さない。
服を汚さず、怪我もせず、ばれないように上手くやる。
待っていれば、皆が門を破る。
阻止しようとする用心棒や使用人と戦い、皆殺しにする。
帝国貴族は女だというから、侍女もついているはず。
お定まりのお祭り騒ぎが始まるだろう。
だから最後まで、高みの見物。
だから先頭はきらない。
そして館が十分に荒らされ、火がかけられる前。
その時、彼女は、彼女だけは一気に一階、使用人の生活場所を狙う。
きっと競争相手はいないだろう。
皆、もっともっとキラキラした場所に向かうはずだから。
いや、ギラギラしたモノに喰いついてるかもしれないが。
彼女には関係がない。
皆が群がる略奪品はもちろん、酒や食料、帝国貴族。
皆がそれに喰いつく間が、動きどころだ。
彼女は服が欲しかった。
使用人の服なら、それほどは目立たない。
よほど奇をてらわないかぎり、似たようなデザインになるから。
独自のデザインでまとめるようなことは、少なくともこの街ではしない。
それなりの数が出回るだけに、市場に卸されることもそれなりにある。
だから、貧困層より一つ上、下層民でも着ていることがある。
そういうものは、くたびれていてカッコ悪い。
でも卸される前の新品なら。
かなり、質が良くてカッコいい。
彼女は男に言われ、服や髪を整えつつあった。
うまくやれば、もっと格好よくなるだろう。
それは彼女を市民に近づける手順。
だが彼女は単に、誉められて喜んでいた。
だからもっともっと、誉めて欲しかった。
だから誉めてもらうために、暴動に加わった。
だからなにがなんだか、判らなかった。
軍曹が行ったことを、一番はっきりと見ることができた、異世界人。
「異世界人の中では見えている方だった」というべきか。
彼女が見たモノ。
それでも訳が解らなかったこと。
撃たれた後も。
撃たれる前も。
ただただ苦痛にのたうち回りながら、判ったこと。
彼女がいた場所から、通りを挟んだ向こう側。
門の閂が爆発した瞬間。
彼女は反射的に身を縮ませた。
判ったからだ。
隙間なく門に詰め掛けていた暴徒たち。
一塊となった人並みの、一部が、まるで匙ですくった様に抉り抜かれた。
一塊の、巨大な見えない手に持ち去られた、暴徒たち。
瞬間的高熱に灼かれて消えたのだが。
そこまでは解らない。
人体が灼かれて発生した燃焼ガスが、膨張し、さらに大勢を吹き飛ばす。
拘束で吹き抜けたそれは、爆発となり、灼く前に破片を周囲にまき散らした
だが、通りを埋めた千人あまりには、何が起きたか見えていない。
音が聞こえただけで、互いの背中しか見えていない。
十数人分の人体の、焼け焦げた破片肉片が降り注ぐ。
皆が人の血肉を浴びて、恐怖より狂気を迸らせた。
彼女はそれが、見えていた。
解りはしないが、判りはした。
だから彼女は、怖じ気づく。
皆が馬鹿に見える。
降り撒かれた血肉が、自分たちの未来だと気が付いてない。
暴徒たちは一斉に門に向かって押し流された。
押し合いへし合いして、行き場の無かった圧力。
十数人が消えた場所に、その圧力が解放された。
それは館の方角で、皆が目指していた方角。
先頭は否応なし。
何も知らない大半は、喜び勇んで皆が進んだ。
それを上から見ている彼女。
彼女には訳が分からず、ついには怯えた。
まるで皆が、魔法で誘い込まれているように見えたから。
恐ろしいところへ、嬉々として進む。
それが臆病で、用心深くて、狡猾な、貧民街で見知った連中なのだ。
彼女には、見える足場がある、彼女には解らない。
見えていないことが、見えないからだ。
無数の暴徒たち。
その大半。
ひとりひとりが、目の前の背中しか見えないまま。
背中を押して、背中を押されて、ただただ進む。
立ち止まれば、踏みつぶされる。
無数の、と彼女には見えた暴徒たち。
その一部が先頭をきり、門の残骸を越えて、館の中庭を埋めていく。
彼女の位置からは、先頭の、暴徒たちの頭しか見えない。
そして、雷鳴。
中庭を埋めた全員が、瞬く間に見えなくなった。
まるで地にのまれたように。
代わりに地の底から轟くような、悲鳴と苦鳴、助けを呼ぶ叫び。
まるで館に喰われたように。
後続の暴徒たちが、立ち止まった。
のけぞる前方、勢い進む後方。
力が均衡して、止まる。
そこかしこで潰し合いが始まり怒声が加わる。
それは安堵すら感じる、馴染みの声。
また雷鳴。
それはまるで、咀嚼する音のような。
彼女は、門ではなく、口を見た。
そう思った。
館が顔で、門は口。
鉄柵ではなく、鋭い犬歯。
響き渡る、聴くに堪えない人の声。
苦しみもがく声が上がっていく。
馴染みのない獣の吠え声。
彼女の高見とは、身長より高い程度。
立つ人影は見えても、地を這う姿は見えない。
立ち姿の陰にのまれ、人々の泣き声だけが響く。
敢えて、愉しむように、踊り喰いにされた人々が、咀嚼されゆっくり味わわれる音。
今度は、暴徒全員がのけぞった。
なにがなんだが判らないまま。
もう、暴徒はいない。
誰もが怯えて、逃げようとしていた。
彼女も同じだ。
泣きながら降りる為の足場を探す。
逃げようとする人々は、まず通りの向かいへ。
つまり彼女の足元を行き交い、足の踏み場がない。
皆が通りに閉じ込められた。
互いが互いを遮り、下がる場所、在りもしない退路を探し、人々が押し潰し合う。
こんなところに飛び降りれば、彼女は踏み殺されてしまう。
その時、門の方から響いた。
悲鳴や苦鳴をさらに大きくしたような、地鳴り。
館が舌を延ばした。
彼女はそう思った。
再び雷鳴が耳をつんざいた瞬間、彼女は高見から引きずり墜ろされた。
軍曹は耳を澄ませた。
聴き、聞き分ける。
まだ泣き声は続いている。
もがき苦しむ声は、一つしか増えていない。
計画的な奇襲ではないようだ。
なら刺突少女は、単に息を潜めていたわけだ。
小さな体格が幸いし、現在進行形の死体、その影に隠れていたのだろう。
通りの真ん中に倒れていたとあれば、最初の斉射に巻き込まれたわけではなさそうだ。
AA-12の第二斉射。
上肢を狙った連射。
それは小柄な少女の頭上を超えていたのだろう。
だから、無傷でしのぐことができた。
もちろん小柄で、非力な体では群集を掻き分け押し退けられない。
この場を逃れられずに、死体の山へ。
利口なことだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そのまま息を潜めていれば、多少なりと長生き出来たろうに。
わざわざ、捕食者の目の前に出てくるとは。
一見して軍曹の装備のことなど解りはしない。
だから勝算アリ、と考えたにしても、不思議ではある。
ここで軍曹を殺して、何が手には入る?
軍曹。
彼ら、少女たち暴徒からみて、帝国騎士か魔法使い。
倒せば持ち物は奪えるだろう。
それは貴重なものだろう。
そしてそれは奪われる。
大人か、男に奪われる。
暴徒同士の奪い合い。
合衆国ではよくある風景。
軍曹は任務の過程で見飽きていた。
ここにいる全員を殺した軍曹。
そんな者に挑むくらいなら、やり過ごして楽な獲物を漁ればいい。
無数の暴徒の死体から、リスクが少ない戦利品が得られるはずだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あるいは、相応の理由があったのかもしれない。
家族や親子という概念が曖昧な中世。
そんな異世界を基準に考えれば、友人や仲間がこの場で死にかけているのかも。
例えば恋人が地獄に落とされ、それを見せつけられたら。
身を捨てても襲ってくるかもしれない。
もちろん、それは決して判らない。
未来永劫、彼らの存在が意識されることはない。
どうでもいいからだ。
その生も、死も、これまでもこれからも。
地球人にとって。
ならば、そんな些末なことを気にする軍曹は、地球人ではないのかもしれない。
女は高みから落ち、しばらく意識を、いや正気を失っていた。
見えてしまったがゆえに、恐ろしくて恐ろしくて、錯乱していた。
恐慌状態から戻った、きっかけ。
石畳と同じ視界に映った、見知った顔
――――――――――の一部。
散弾で砕かれ、人の形のままで、人の形を失った死体。
運良く、脳漿を撃ち砕かれて、即死出来た。
周りで蠢く死体予定者より、遥かに幸福な死体確定者。
彼女を、敵に見つかりやすい高みから引き下ろしたのだろう。
混乱する人並みに落ちた彼女の身体に、ほとんど痛みがない。
抱きとめて抱えて、自分の身体で庇ってくれていたのだろう。
そんな男の顔を、見間違えることなどありえない。
たとえそれが、一部しか見えなくとも。
暴動を忌避して「暴動に関わるな」と彼女に言い聞かせた男。
今日の足場を固めさせ、明日を彼女に教えようとした男。
おそらくは暴動に参加した彼女を迎えに来た男。
どんな経緯かわからない。
撃った方も、個別認識などしていない。
だが、こうなっているということは、彼女を抱えたまま射線上に跳びだしたのだろう。
小柄な彼女の頭上を越えた散弾が、その頭、顔の一部を捉えたのだろう。
楽に死ねたので、残骸の一部で判別がついた。
少なくとも残った部分は、生前と変わらない。
近しい者になら、懐かしさすら感じさせよう程に。
生きているような、温かい死体。
穏やかで、いつも彼女に向けていた、笑顔のまま。
彼女の頭は真っ白になった。
もう、何も怖くない。
彼女は負けた。
挑む前の事を思いだす。
大柄な騎士。
いや魔法騎士。
杖を一振り。
それだけで皆が顔を抉られて、のたうち回る。
その姿を、再び見上げた時。
男の体越しに見えた、その姿。
魔法騎士は周りを流し見ていた。
騎士の眼には、何も映っていなかった。
皆が皆殺しにされるとき、皆を見てすらいない眼。
彼女はその時、男の背に隠されながら、見えていた。
思えば最初から、殺意も敵意も無かった。
彼女も男も、殺された皆を、騎士は見ていない。
杖を振る時、振った後。
彼女も誰もが、ただ逃げ惑い、命乞いすら思いつかず、肉塊にされていった。
いや、最初から、騎士には、肉塊にしか見えていなかったのかもしれない。
そして阿鼻叫喚の中、意識が戻ってきた時。
同じ眼が、こちらを見ようとすらしない眼が見えたのだ。
彼女は自分が何をしていたのか、判らなかった。
そっとどけ、立ち上がった。
かばってくれた男の体を、傷つけないように。
そして彼女は無言でナイフを身構え、気が付いたら見下ろされていた。
挑んだ瞬間を覚えている。
彼女が放った渾身の一撃。
彼女が持ち得る最高の武器。
彼女の生涯を賭けた強い憎悪。
その結果。
まったく無傷の魔法騎士が、初めて見ていた。
彼女を、彼女だけを、敵意も侮蔑も無く。
見ていた。
彼女は挑むことができた。
彼女はその背後、青い空を見ていた。
だから思えた。
あの人は、なんていうだろう。
背に感じる感触は、似ても似つかぬ懐かしいもの。
彼女は、もどってきた全身を貫く苦痛の中で、思う。
また、誉めてくれるだろうか?




