龍に挑みし者/Don Quixote de la Mancha.
女はまぶたを閉じたまま。
苦痛をかみ殺した。
感覚。
焼け火箸を押し付けられた時、その体験を越える熱さ。
氷雪の中で痛みを失いつつある時、その思い出を凌駕する冷たさ。
まだ、脚の感覚がある。
それを脚と言ってよければ。
その辺りから生じる、漠然とした悪寒。
それは曖昧で、溶け崩れたような、痛みのカタチ。
痛くて痛くて痛いのに。
苦しくて苦しくてたまらない。
もっと泣き叫べば。
もっと痛くなれば。
もっと冷たくなれば。
この後悔は
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――消えるわけがない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いっそ、狂ってしまいたい。
逃げ場がない。
忘れようがない。
救ってはくれない。
彼女自身が、彼女自身を、ただただ責めさいなむ。
こんなことになったのは、彼女自身のせいだった。
男がかまってくれないから、面白くなかった。
街で起こった騒ぎに気を取られた男に、邪険にされたと感じた女。
だから皆に付いてきた。
略奪に参加する気はない。
理由は判らないが、男がダメだって言うから仕方ない。
荒らされた略奪跡が狙い。
略奪跡での拾い物もダメだ、と言っていた。
理由は判らないが、でも、男がかまってくれないんだから仕方がない。
理由自体は簡単なこと。
気の利いたものなら、誰でもわかる。
つまり大半の貧民にはわからない。
つまり「略奪品は危険」だから。
「略奪が」ではなく「略奪品が」だ。
暴力と流血と放火を乗り越えて、仲間と協力して成し遂げたとしよう。
一生かけても手にできないお宝を、最初で最後にその手に掴む。
まず持ち歩き中、次に持ち帰った後。
同じ貧民たちに襲われる。
それは略奪のセオリー。
それが略奪者同士の奪い合い。
別に略奪品が不足しているから、ではない。
他人の得物は良く見える。
それは異世界でも変わらない。
皆が皆、両手に抱えた略奪品を抱きしめながら、他人の腕の中に手を突っ込もうとする。
例外なく、自分の腕の中から取りこぼしつつ、他人の略奪品をぶち壊しにするだけだ。
賢明な人間ならやらないだろう。
つまり、やらない人間はいない。
暴徒の数が多すぎて、略奪対象が少なければ?
かえって、奪い合いは起らないくらいだ。
一番強く、一番素早い奴が、一番良いものを攫って行く。
そこから奪えるわけがない。
そして?
命を懸けて、幸運に味方され、手傷を負いつつそれをしのいだとしよう。
一生かけても手にできないお宝を、最初で最後にその手に掴む。
略奪品の処分が待っている。
もちろん難しいなんてモノじゃない。
不可能だ。
略奪品が宝物なら?
富裕層の家財道具。
それを貧民たちが自ら使うわけにいかない。
ならば、換金するしかない。
出来ねば意味がない。
それが出来るのは、中堅以上の商人たち。
盗品略奪品を誰が買うのか、誰に売るのか。
信用命の商人は、判り易い盗品になど手を出さない。
貴重品で身を飾りたがる客、富裕層も盗品など飾らない。
この異世界、中世準拠の世界においては、大量生産の既製品などない。
家具、宝飾、服に至るまでも一点モノのオーダーメイド。
だからこそ中古市場も発達している。
というより耐久消費財は市場=中古市ではある。
征服国家の登場と、世界征服がもたらす交易路の整備。
爆発的に加速拡大する世界貿易。
それでもなお、それだからなお、生活用品は同じ都市の中で決まった職人が造り上げ、同じ商人が決まった時期に売り渡す。
追跡しようと思わなくても、経験を積んでさえいれば品物の身元は判るモノ。
貧民が貴重品を店に持ち込めば、そのまま用心棒に吊される。
回収した貴重品は、略奪元の遺族に贈られ宣伝につかわれるだろう。
「貴方様が奪われた品でございましょう。もちろん、一目で判りましたとも。いえいえ、当たり前のことにございます。手前どもは、いつもお客様のことを考えておりますれば。何かお困りのことがありましたら、是非お声をおかけくださいまし」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんなところだ。
略奪品が通貨なら?
金貨に銀貨に銅貨。
手形証書証券軍票などの高額紙幣とは違う。
帝国政府鋳造のモノから、旧諸王国時代のモノまで。
貨幣の形をとらない小分けしたインゴットもある。
来歴出自を調べるのは困難で、もちろん名前も書かれない。
だから出所は証明出来ないが、だからこそ、もっと悪い。
名前が書いてないのを幸い、衛兵たちが巻き上げる。
出所を確認できなければ、返還できない。
返還できないならば、市の物になる。
それはよほどの大金でなければ、衛兵が管理する。
つまりは役得、丸儲け。
いっそ盗品よりも盗金をこそ、衛兵たちは一生懸命探し回る。
銅貨では割に合わないけれど、銀貨金貨なら見逃さない。
略奪直後、もしたまたま拾った銀貨を持っていたら?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・いうまでもない。
結局、略奪品を捌けるのは特異な専門商だけ。
アシが着かない貸し借りや信用で支払いが出来れば、リスクを回避できる。
アシが着かない場所に隠して寝かせてほとぼりを冷まし、遠所に運んで売りさばければ問題ない。
独特の信用経済が回る場所へのアクセス権。
ブラックマーケットを利用するどころか構成するメンバーシップ。
知る人ぞ知る、専門商人。
つまりは盗賊ギルドのフロント商会。
彼ら以外に窓口はない。
貧民たちにギルド構成員は、いない。
息のかかった連中がいるだけだ。
経験を積む余地のない環境では、人間は育たない。
道徳を理解し、倫理を知覚し、法と秩序を身に付ける。
それは「犯罪者」の根幹をなす、必須にして最低限の条件。
弱肉強食の野生動物には、犯罪など犯せない。
罪と罰を理解する人間にこそ、犯罪は行えるのだ。
故にこそ、盗賊ギルドに餌で飼われた連中が、貧民街では幅を利かす。
獣よりも野良犬。
野良犬よりも飼い犬。
略奪が終われば、略奪品は連中の元に集まる。
脅さなくても、他に行き場が無いからだ。
直截危険を冒した略奪者に渡るのは、運が良くて手間賃程度。
普通は、口先程度の貸し借りお礼。
拒絶したところで、衛兵に密告されるだけ。
そうなれば、普通になぷり殺し。
そして貧民から集めた連中も、すべてギルドに巻き上げられる。
せっかく集めた品々を二束三文で売らざるを得ない。
もちろん、この段階まで来れば、量をまとめることで利益は出る。
この段階まで来れば、だ。
誰がそこまで至れるものか。
それが現実。
頭があれば、略奪者になどなりはしない。
だからこそ、貧民街の住民全体が暴動に参加した。
冷笑して眺めているのは一握り。
慌てて街を出ようとしたのは、ほんの数グループ。
そんな事情を、彼女は知らない。
男も話さなかった。
理解も出来なかっただろう。
ただ、止めただけ。
そう言われた女は、いつもとおりに頷いただけ。
軍曹は顔を顰めた。
ナイフを突き立てられた直後。
全周に気を配りつつできるのは、表情を変えることくらいだ。
さすがにこの時点で油断はできない。
弾のないAA-12を左手に持ち、盾に転換できるようにする。
右手に握る拳銃は矛の代わり。
軍曹に一番打撃を、文字通りに、与えたのは少女の体当たり。
それは効果があった
――――――――――姿勢を崩すくらいには。
ナイフが精確に突き入れられた場所。
プロテクターの隙間。
そこは化学樹脂の被膜。
防刃防片対火対爆。
そこは間違いなく、弱点だ
――――――――――現代戦を想定すれば。
魔法や拳銃なら危なかっただろう。
もちろん、ナイフは意味がない。
どんな力を込めたにしても、被膜を破れやしない。
異世界一の怪力が、異世界で一番鋭い刃物を使っても、だ。
日本刀をモデルに、黒旗団のドワーフたちが造り続けている「ドワーフ刀」なら別かもしれないが。
ただ、その威力が伝わってはいた。
専門家になら判る。
パワー、タイミング、レンジ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・良い一撃だった。
――――――――――子供にしては――――――――――
プロテクターが無ければ、死んでいた。
プロテクターが無ければ、やらせはしないが。
だがしかし、これが合衆国だったら。
中央アジアなら。
アフリカなら。
中南米なら。
この少女は自爆していただろう。
どんなに雑な手作り爆弾でも、軍曹は致命傷を負う。
それが「明日の異世界ではない」と誰が言える?
国連軍、いや地球先進国の歩兵装備。
世にいうミリタリーマニアは、外見を見てパワードスーツを夢想する。
が、そんなわけがない。
やってやれないことはないが、やって見せても意味がない。
人ひとりに十人力を与えたとして、戦車が倒せるわけではないし重機にかなうすべもない。
人をどれだけ加速しても銃弾より早くなれはしないし、感覚が追い付かずに制御不能
人を戦場で飛びまわさせれば、遮蔽隠蔽地形効果を捨てた演習標的ができるだけ。
コストパフォーマンスは言わずもがな。
プロテクターの主眼は情報化。
丈夫な外殻は電子機器を守るためにある。
個々兵士を戦闘/索敵単位として統合すること。
兵士たちを組織体として制御。
情報を絶対に共有させない。
指揮上部構造に従属させる、認識操作システム。
故にこそ、パワーアシスト機能などない。
防御は主に破片断片を防ぐことだけを考えている。
故に、決して強くはない。
まともな小銃が相手なら、流れ弾では死なない。
その程度だ。
だから防げなかった。
全身の体重をのせた衝撃を。
子供とはいえ、全体重をかけた運動エネルギーを。
少女の筋組織がそのまま爆ぜてしまうような、渾身の一撃を。
装甲の隙間に高伝導性ゲル状物質を挟み込み、衝撃を拡散吸収する装備もある。
自動車に跳ねられたとしても、全身でその衝撃を拡散して受け止めるから骨折しない。
※全身打撲で気絶し、戦車に跳ねられた場合は全身粉砕骨折で即死した。
一部で導入されている特殊装備。
が、ここにはない。
そんな量産品プロテクターに身を包んだ軍曹。
だからこそ、打撃を側背脇でもろに受けてしまった。
とても痛い。
やれやれ、と体をひねる軍曹。
足元のナイフを蹴ることすらしなかった。
そのナイフは錆びており、手入れの跡がない。
鉄製品は貴重な時代。
当然、使う者は手入れを欠かさない。
貴重な物は少ない。
だから、使い方を知っている者は少ない。
少なくとも、貧民にはいまい。
盗品を換金せずに、酷使し続けた、というところだ。
貧民にとっては、一番強力な武器。
だが現代地球人である軍曹は、そこまで見て取らない。
一瞬ナイフに、ゴミを見る目を向けただけ。
中世をイメージして設えられた異世界教育。
派遣前教育にUNESCO研修も、そこまでカバーしていない。
一般兵士向けには必要ないからだ。
だからこそ地球人兵士たちは、むしろ帝国軍のイメージで異世界すべてを捉える。
地球人兵士たちは、恐れる。
魔法使いの赤い瞳に、魔法をこめられた兵器。
斬り裂けないと知るや、剣で殴りかかってくる剣士。
プロテクターの中を打つ為に戦鎚まで調達し始める帝国軍。
ましてやプロテクターを脱がせる為の、投擲塗料まで用意し始める連中。
それは地球の中世と大差ない異世界では、異常な例外
――――――――――と見なされない。
国際連合も、日本の与野党も、国連加盟各国も。
――――――――――帝国と戦争しているからだ――――――――――
例え現状においては、戦死者より処刑者が多いことを考えても、戦場を知れば知るほど深まる疑問。
地球人から見て、異質な戦場への異常な適応進化を見せる帝国軍と帝国兵。
誰にでも使える電子機器ではなく、個々人の資質によらざるを得ない魔法。
そんな圧倒的不利を、全て人力、手足と文字と言葉でカバー。
戦訓を共有し、組織を維持し、曲がりなりにも対抗してくる。
そもそも「対抗し得る」と考え続けるのが異常だろう。
しかも対抗しているとはいえ、凌駕できていないのに、まるで姿勢が変わらない。
「一歩一歩進めれば、たどり着けない場所などない」
まるでそう思っている、いや、信じているのではなく、それしか知らないようだ。
異世界を劣った世界と嘲るのは、本土で自分好みの情報を漁る、何も知らない連中だけ。
異世界大陸に派遣された兵士の大半には「異世界人おそるべし」と認識されている。
※一部マニアには別の感想もあるが
だから異世界と対峙する地球人の、一般的な感覚。
異世界とは、帝国が基準。
まずもって、帝国軍と同じことができる者として考えられる。
――――――――――異世界人全般が対帝国軍基準で対応されるのだ。




