合理主義という迷信/Disk 3
心の傷。
それが発生する仕組みは単純なもの。
他人の行為によって生じるのではない。
自分の認識から生じるのだ。
当然、そこには合理性はない。
根拠も無ければ理屈も無い。
迷信や妄想と変わらない。
それでも、ソレを共有する人間が多ければ、コレを真実というのだけれど。
ビーフカレーを食べるくらいならば、死ぬ。
死んだほうがマシ、ではなく、死ぬ。
死ねないなら、人ではなくなる。
それが「当たり前」と考える人々が10億人ばかりいた。
貴方がビーフカレーを食べさせてしまったとして、罪の意識を感じるだろうか?
またそれは、逆も然り。
貴方が冒涜だと感じても、それは異なる日常に過ぎない。
かもしれない、ではなく、間違いなく。
《一般兵士向け異世界活動規定定期講習》
【Disk 3/再生開始】
いよいよ武器が無くなった。
肢体も限界を超えた。
女騎士は考える。
増援に助けられるまで走れるか?
不可能
――――――――――即断。
ならば?
原隊復帰の可能性が一番高い方法。
それはすぐに思い付く。
要は、長くても一刻ほど、生き残ればいい。
五体満足で、軽傷ですむ範囲。
彼女は考える。
いけるか?
いける!
気力が残っているうちに、降伏する。
まず、最初の一撃を流せば十中八九、殺されない。
彼女は計算する。
自分は美しい女で、暴徒は全員男。
無抵抗と判れば、殺されない。
いなしてやれば、軽傷で済むはずだ。
時間は稼げるし、争わせることもできる。
死体愛好者でもいない限り、命は確実に助かる。
嗜虐趣味に出くわさなければ、軍務への復帰も2~3日、いや5日とはかかるまい。
一刻とかけずに本隊がやってくる。
予備待機中の帝国軍は、騎兵を中心に三千強。
暴徒化しているのは、多く見積もっても居住区住民の半分。
五千余りの領民崩れが相手なら、結果は見えている。
鎮圧まで半日とかかるまい。
千人ばかりが殺されて、もう千人が首謀者として吊るされれば、誰もが自ら慈悲を請う。
混乱は起きるだろうが、頭が悪くても生き意地は汚い領民のこと。
生き残るために彼女を守る方に転じるまで、さらに一刻かそこら。
何か問題があるだろうか?
走りながら、自分の作戦を最終チェック。
あまり気は進まない。
それだけだ。
この発想自体は、それほど特別なモノではない。
暴力を振るわれること、に対する忌避感は生物学上のモノとして、ある。
暴力を振るうこと、に対する忌避感はいつ逆転するか知れない相対的強弱の中では、ある。
生存を脅かすものを恐れ、ソレを連想させるものを恐れる。
だが、それだけだ。
異世界にはナザレの大工の影響はない。
イスラム教もキリスト教も無い。
キリスト教では、ラテン語が聖職者の必須知識であるという。
余りにも信徒が広がってしまえば、末端で曖昧になるが。
理由は簡単。
イスラム教がアラビア語必須なのと同じ。
聖典がラテン語だったからだ。
つまりはそれが生まれた当時のローマ世界、ブリテン島から北アフリカ、アラビア半島近くまでの標準語。
キリスト教が広まっていく過程で、ローマでは信徒が笑いものになっていた。
その聖典が、あまりにも稚拙な文章で書かれていたからだ。
当時の世界共通語たる、ラテン語。
イスラム教では神がアラビア語で話したので、聖典はアラビア語以外ありえない。
意訳や解釈で、神の言葉を汚すわけにはいかないからだ。
キリスト教では、そうした制限を設けなかった。
豊かで知的な東方、貧しく肉体的な西方。
そんなことをしたら、知的水準が低い世界でキリスト教は普及しない。
しかも、宗派がまちまちでキリスト教というくくりすら怪しい。
そんな中、粗製乱造され伝言ゲームと孫引きの孫引きのうろ覚え、創作と捏造と独自解釈が繰り返し繰り返し。
若い女が子供を産んだ、というありふれた事実。
若い女、という単語が知識階級に遥か遠い信者に誤訳された結果。
処女が子供を産んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・という迷訳が生まれる。
いや、単に「若い女」と「処女」が一つの、同じ単語だったから。
そしてそれは文脈で判断すべきもので、特定の男がいると明記されている女性に、どのような意味が付けられるのかは言うまでもない。
もちろん、単語を拾い読みしている者たちには、文章など解らなかったけれど。
それは主に貧困層や異民族、非知識階級を布教対象にして、それらの階層から布教者を生み出していた中では定着していった。
奇跡。
それはそうした集団には受け入れやすかったからだ。
受け入れる者が多ければ真実となる。
事実とは程遠くても。
それが聖母信仰/処女信仰を産んだ。
それが氏族(血族)組織の血統管理習慣と結びつき。
その氏族血族つまりは貴族が、文字や口伝を伝える知識階級と重なっていた。
伝え伝わると、数百年かけて伝えられたということだけで、単なる偶然が確固たる信仰になる。
その信仰を、倫理や道徳と呼び変えると、まるでそれが普遍性を持つように聴こえる
そしてその偶然は、異世界では起こらなかったので関係ない。
地球世界でも、非キリスト/イスラム教系社会では関係なかった、のだけれども。
知らないほうが幸せないこともある。
欧米系の探検家などが彼等から見て未開の社会を訪れたとき、娘や妻を供されたというような紀行文がある。
そもそも、妻や娘と解釈しているところでアウト。
いや、それは、キミたちが食べられてるんだよ、と。
どんな意味でとは言わないが。
それこそ過去の文献を読めば、貴方の国(が生まれる前の地域)でも昔は普通だったんですよ、とか。
遺伝的多様性を考えて、とかメンデル以前にあり得ないんで、単に好奇心や好みの問題だったんでしょうね、とか。
いくら考えても、自分たちの迷信を前提とする限り絶対解釈できないですよ、などなど。
無知なるものは幸いである。
考える手間が省けるので。
そして異世界では別な偶然が起きていた。
騎竜民族による世界征服である。
氏族つまりは血族。
戦争は組織であり、組織の始まりが血族だった。
近くにいるので。
だから血統管理の発想はある。
略奪婚(婚じゃないが)上等の騎竜民族では、貞節やら純潔崇拝は無い。
ありようがない。
同じ理由で、血統管理を母系で行う。
「誰が父親か」ではなく「誰が母親か」が問われる。
家族という概念が曖昧な世界。
正確に言えば「誰が産ませたか」ではなく「誰が産んだか」というべきか。
それこそ「誰の子か」というのは母親にしかわからない。
それは別に、騎馬民族や略奪婚に限らないけれど。
だからこそ、合理的な考え方ではある。
概ね普遍的でもある。
あるいは、それが原因かもしれない。
純潔主義を自明のことと疑わないエルフ。
その概念自体が全く欠落している騎竜民族。
二人が出会った瞬間に感じる不快感、争い満開鮮血の花。
両者の確執、その一因。
それはさておき、騎竜民族には氏族の継承を考えるうえで二つの潮流が生まれた。
母系による血の継承。
父系による環境の継承。
母系については様々な氏族、民族を積極的に掛け合わせることを推奨。
つまるところ、家畜の交配と発想は変わらない。
父系については統一した生育環境と訓練、思想すら統合するほどの学習継続。
それは母系の多様性を集団にまとめる為に、極端に強化されていった。
その基盤となったのは、記録と実験を重んじる魔法使いたちだったのだが。
そんな常識は、異世界全体の基準となる。
もともとが氏族(血族)ではなく、農耕民族の多数派である地縁でつながる大衆に、血統管理なぞない。
ソレを重んじていた氏族、つまり旧諸王国の貴族騎士は根絶された。
そうなった、というより、そうだった、というべきかもしれない。
だからより極端に、純粋に考え感じる騎竜民族。
ましてや、支配階級として騎竜民族の近くで世代を積み重ねていた女騎士。
暴力を受けることに生物学的な忌避感はあっても、ソレだけだ。
しかも暴力それ自体は、与えるも受けるも、職業柄慣れている。
戦乱のない場所で育った者が、殺人を目にして暴力を振るわれる。
戦いが日常であった歴史を重ねた一族が、殺して殺されかける。
後者にとっては、それが何を意味するか、何を意味しないかのか。
おそらく誰にでも見当がつくだろう。
そんな常識に思いをはせることなく、利害計算を終えた女騎士。
であればまずは暴徒の勢いを殺さなければならない。
彼女の価値に気がつかせなければ始まらない。
振り返り、追手を自らの肢体で躓かせる。
そして手甲の拳に長靴の蹴り
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は、ない。
力を見せれば殺される。
かといって、ただ止まっても、媚態を示す前に棒と拳が振り下ろされる。
勢いを殺し、作為を見せず、悲鳴の一つも上げてやろう。
独りでブリーフィングを済ませた女騎士。
慣れない作戦。
勢いで仕掛けるわけにはいかない。
イメージトレーニングを一瞬で数回。
軽く周りを確かめて、最期の全力疾走。
作戦放棄。
女騎士は知った。
これで自分は生還の可能性が無くなった。
彼女は口の中だけで悪態を突きながら、言うことを効かない肢体を必死に制御する。
が、そもそも必死に走っており、余裕などない。
しかも突然の方針変更。
作戦立案中、肢体は既に備えはじめていた。
停止の予定が全力疾走。
相反する命令。
意識と肢体のズレ。
それは酷使のピークと共に、鍛え抜かれた身体制御を破壊した。
が、それも計算通り。
つんのめったまま地を滑り、肢体を一回転させた。
それは走るよりも距離を稼ぐ。
距離と時間を稼いで、独りで陣を整える。
体力を節約しつつ、在るべき姿勢をとるために。
それは、守るべきを背にする姿勢。
敵との間に壁となる姿勢。
守ろうとした、と示す。
誰に?
女騎士は、自分の生存を絶望的にした相手を無言で罵った。
背中で。
それなら伝わるまい。
一瞬前。
最後の仕掛けを繰り出す前に、見えてしまっていた。
気がつく前に繰り出さなかったのが幸いか。
繰り出して気がついた方が幸いか。
いずれにせよ、優れた五感は無自覚を許さない。
まばらな暴徒、退路に立ちふさがる連中。
追ってくる暴徒が塊なら、立ちふさがる暴徒は木立の様だ。
視線を走らせ肢体を走らせ、隙間を抜け、威嚇と拳で隙間をこじ開け。
だから、突然、前が開けるまで気がつかなかった。
居住地の外郭。
なにもない、遮蔽物も兵の隊列もない、街道に面した空き地。
そこはこの居住区の、出入り口。
そう指定された場所。
今となってはそれどころではないが。
そこから入った巡察隊。
そこから出ていく巡察隊。
それは彼女を含むのだけれど、つまりは本隊に合流する為には街道に出るのが最短。
巡察隊自体が本陣から街道経由で来たのだから当たり前だ。
この居住区に隣接する他の居住区。
そこは騒乱が起きているココと違って作業が進んでおり、つまりは隙間だらけながら外周の囲いができつつある。
距離の問題を置くとしても、逃げ込むには外周の隙間を探して抜けなくてはならない。
寸刻を争う逃走劇で隙間を探すのはいただけない。誰にでも見える隙間を狙えば少人数でふさぐこともでき、退路には向いていない。
第一、暴徒を他の領民たちに突入させれば騒動が波及しかねない。
そんなことになるくらいなら、死んだほうがマシ。
だから、巡察隊は一人残らず同じ退路を目指した。
そこにそんなものがいるとは、そもそも先に敗走していった巡察隊の半数が居たのに、退路を塞いではいないけれどその上にそんなものがいるとは。
ざっと50mほど先に、床几。
座り寛ぐ、黒髪黒瞳。
こちらを見る、青龍。
ヒラヒラ手を振っている。
その瞬間、女騎士は死ぬことにした。
方針転換。
玉砕決定。
青龍に降伏した帝国軍。
女騎士が属する部隊。
生殺与奪権は、青龍が持つ。
青龍が命じた、領民管理。
それに失敗しただけで危険、なのに、そのせいで青龍が殺されたら
――――――――――帝国軍が責めを負うかもしれない。
逆上している暴徒が、青龍に手を出すか出さぬか。
それは判らない。
だから、期待しない。
帝国は期待や希望を嫌う。
草原の論理に、そんなものはない。
生を支えるのは抽象ではなく、具象。
魔法使いの論理。
概知と未知、手順と計画、検証に再現。
ただ可能な事を行えば良い。
他に必要なことなど、ない。
だから、女騎士は殺されることにしたのだ。
可能性に賭ける、訳がない。
例えば青龍が殺されたとして、帝国兵士(彼女だが)が最期の一兵まで戦い、盾となって死ねば、帝国軍の交渉カードになる。
最善を尽くした上での被害なら、命じた者が悪い。
それが帝国の考えかた。
青龍が、そう考えるか、知らないが。
世界帝国を築いた彼等でさえ、いや、彼等だからこそ、当たり前にとらわれる。
最善を尽くすとは、全ての手段を使い切ることを指す。
だから彼女は、座り寛ぐ青龍の将、その盾となり、暴徒に向き直った。
それは空手で、寸鉄身に帯びず、兜も捨てた敗残兵。
言葉を忘れた様な、実際に忘れてしまっているのであろう暴徒の群れ。
上空から見れば最大幅100m程度の紡錘形。
その先端10mほどが手に手に凶器、口々に怒声、目に目に狂気を浮かべて疾走中。
女騎士は気をのまれぬように、相手をあえて見ない。
両手を両脚を左右に大きく開き、存在を誇示。
踊るように両腕を交差させて、10m先まで突進してきた暴徒たちを煽る。
さあ殺されよう。
相手の勢いに頼り、殴られる寸前に身を低くして前へ。
胸に掌底を入れ、心臓を潰す。
後続に踏み殺される前に、暴徒の隙間に飛び込む。
肘と膝でこじ開け、腕を振るえる間をつくる。
2~3人の目を抉り、ソレを盾に。
―――――そこまでできれば、上出来なのだけれど―――――
彼女、女騎士の預かり知らぬこと。
機械の脳には判る。
柵も標識もない、自衛隊/米軍装備を身に付けないものには、判らない。
そのライン。
その時、女騎士の耳には何も聴こえなかった。
いや、鼓膜を叩く振動を、理解出来なかった。
そして目の前に咲き誇る花々。
それも理解を越えていた。




