9-2 呪文の書の誘惑 再び
翌日朝早く、アルは北1番街にある商店に立ち寄った。例の呪文の書を取り扱っている商店である。こちらの店は正規な呪文の書を取り扱っているので品揃えがあるが値段はかなり高い。それはわかっていたのだが、昨日、アルナイトの納品を済ませた際、その足でララの店に行ってみたのだが、相変わらず呪文の書の入荷はなく、新しい呪文が欲しくて我慢できなかったのだ。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
いつもの店員がアルを出迎えてくれた。飛行呪文を求めて顔を何度も出していた頃と比べて何故か今日は丁寧な対応である。呪文の書が欲しくてやってきたのだとアルが正直に言うと。その店員はにっこりと微笑んだ。
「いつもありがとうございます。残念ながら、まだ飛行呪文は入荷していません。えっと、春過ぎに、運搬呪文を買って頂いた方ですよね」
「ええ、そうですけど?」
かなり前の話だと思うのだが、良く憶えてくれていたものだ。そう思っていると、店員はにっこりと微笑んだ。
「実は、お客様が実際に南門や西門あたりで呪文の説明にあった三十キロをはるかに超える品物を円盤に載せて運んでいるという姿を見た方からの注文を多く頂いたのです。お客様のお陰です。本当にありがとうございました」
「あはは、それはよかった。呪文の熟練度が上がれば載せれる量も増えますからね。便利な呪文を紹介してもらって助かってます」
アルが呪文を使う姿を見て呪文の便利さが伝わり売れるようになったのでありがとうございますということか。だが、たしか、この店員はアルに勧める時にこのあたりでは人気だと言っていたはずだ。それは売り文句でしかなかったということか。
「今日は、何かおすすめの呪文などありますか?」
「そうですね。定番なところでいうと、魔法の衝撃波呪文か魔法の竜巻呪文ですね。こちらは25金貨です。あとは、魔法解除呪文は25金貨、念話呪文、念動呪文は20金貨、透明発見、幻覚発見、魔法発見といった発見魔法があり、これらは15金貨といったところでしょうか」
ずらずらと魔法の名前がでてくるところはさすがに魔法使いギルドと正式に提携している店というところだろう。眠り、麻痺の名前が出ないところを見ると在庫がないのか。アルは迷った。アルナイトを納品してコーディからもらった報酬は10金貨であったが、土産なども買ったので今の全所持金は45金貨ぐらいだ。これではどう考えても1つか2つが買えるだけである。それも値段はララの店で中古を買うのに比べれば3倍ぐらいなのだ。飛行呪文のためにはお金を残しておく必要もあるだろう。だが、何か呪文を得ることで生き残れる可能性は増えるはずだ。生き残れなければいくら残しても……。
「えっと、防御系の呪文とかは?」
「そうですね……」
店員は少し考えた。
「物理攻撃に有効な盾呪文が30金貨、魔法への抵抗力が上がる魔法抵抗呪文なら25金貨でしょうか。それ以外の防御系の呪文は在庫にありません」
アルはさらに悩んだ。盾呪文なら、剣や矢だけでなく魔法の矢呪文や魔法の竜巻呪文にも有効で、ある程度のダメージを軽減する効果がある。憶えればかなり安心である。そして、眠りや麻痺といった致命的な効果のある呪文には魔法抵抗呪文が有効なのである。どちらも欲しい。
「あとは第一階層の便利な呪文として暑さや寒さを軽減できる上に、煮炊きまでできる温度調節呪文、物の損傷を防ぐ梱包呪文、物の温度や湿度をそのまま維持できる保持呪文といったものがございます。これらは本来10金貨ですが、運搬呪文を広めていただいた礼として8金貨にさせていただきます」
アルは腕を組み、何度も頭を掻いた。当然だが全部はとても買えない。説明してもらったものの中で言うと盾呪文が一番欲しかった。自分だけでなく、オーソンたち前衛に使えばかなり有効であろう。発見系も必要だと思うが、ある程度魔法感知呪文で補えそうである。逆に煮炊きができるという温度調節呪文というのが気になった。煮炊きは要らないが、倒した獲物を冷やすことができるのであれば肉が傷まずに済む。鹿などを倒してもいつも近くに川があるとは限らないのだ。そうすれば買取金額も上がることが期待できる。
「じゃぁ、盾呪文と温度調節呪文を下さい」
アルは我慢しきれずにそう言ってしまった。店員は嬉しそうな顔をして何度も頷いた。
「ありがとうございます!!」
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呪文の書が2つ入った包みを大事に抱えてアルが店を出ていくと、丁度隣のレビ商会の前にバーバラがいて、周囲を見回していた。そして、アルを見つけると驚いた顔をして急いで手を振ってきた。
「アル! 居たのかい」
「ええ、昨日帰って来たばかりです」
バーバラはレビ商会に雇われている冒険者だ。普段は裏の詰め所に居て店の前には出てこないはずだが、何か事件でもあったのだろうか?
「丁度良かった。手伝ってくれないかい? とりあえず周りに何か隠れているものがないか見ておくれよ」
たしかレビ商会には警備のための魔法による感知装置が設置されていたはずだ。この慌てようは何かがそれに反応したのだろうか。
『魔法感知』
アルは呪文の書を背負い袋に慌てて入れ、呪文を使うと周囲を見回した。店から数メートル先の空中に透明になった丸い球のようなものが浮いている。
「浮遊眼の眼ですね。泳がせます? 魔法解除します?」
アルは透明の丸い球はあまり見ないようにし、口元をそれとなく隠しながらバーバラに尋ねた。浮遊眼呪文なら会話は聞こえないので、こうやって相談するのは問題ないはずだ。熟練度にもよるが浮遊眼呪文はかなり疲労する。術者は近くに居るだろう。
「術者がどこに居るかはわからないかい?」
アルは首を振った。浮遊眼の眼をわざわざ手許に戻すことはしないだろう。用途が終わったらそのまま消すはずだ。あとはこちらが浮遊眼に気付いている事を判らせるか、それともわざと見逃すか……。
「魔法解除はする。でもその前に近くにあやしいのが居ないか調べよう。アルの方でもみてくれるかい?」
「わかりました」
『浮遊眼』
アルは相手と同じように浮遊眼の眼を出して周囲を調べ始めた。このあたり北1番街は立派で大きな店舗の多い通りであり、細い道は少ない。他の店舗の中であればどうしようもないが、そうでなければ身を隠すところは少ないだろう。それも浮遊眼の眼で監視をしながら、歩き回るのも難しいはずだ。
浮遊眼の眼で通りをざっと見て回る。身なりの良い客は多いが、魔法使い然とした服装で立ち止まっている人間は2人だけだ。もちろん 浮遊眼をしながら歩けないわけではないが、それにもある程度の熟練が必要である。1人目は2つ向こうの通りで壁にもたれて立っている男、2人目はレビ商会の裏手で身を隠すように立っている男であった。どちらも2、3人の仲間が一緒である。アルは早口で位置と服装をバーバラに伝えた。
「わかったよ。手下に見張らせる。準備ができたら知らせるからその合図で浮遊眼の眼を解除しておくれ」
「了解」
バーバラは忙しそうに奥に走っていった。アルはそしらぬふりをしながら、誰のかわからない浮遊眼の眼の監視、そして自分の浮遊眼の眼では周囲の警戒を続けたのだった。
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