8-4 湯治客
湯治場では、共同の簡単な炊事場の近くにテントが2つ張られていた。麓のクラレンス村で湯治客が居るという情報は聞いていたので、そのテントだろう。既に少し暮れ始めていたが、付近に人影はなかった。遠くで虫の声がしている。ここ数日、朝晩は今までの暑さが嘘のように涼しくなってきていた。湯治客は川辺の湯の出るところでまだノンビリしているのかもしれない。
「こんにちは」
アルは念のため、わざと大きな声をかけたが特に反応はなかった。そのうちに帰ってくるだろう。アルはカモフラージュのために途中で狩ってきた野生の鹿の死骸、そしてクラレンス村で手に入れた樽を炊事場の横にある台に乗せた。鹿は前回と同じように内臓の処理と皮剥ぎといった下処理を済ませてある。
今回、アルナイトを採取したり、テンペストの墓に潜ったりするのに、アルが気にしたのはこの湯治場に滞在する理由であった。秋から冬にかけて、この湯治場に滞在する客が居ることが多いというのはオーソンから聞いていた。彼の場合は、このアルナイトを発見する前から怪我の療養などでこの地を訪れていた。彼の年頃から、そういった名目で滞在していても不自然ではない。だが、アルの年齢で湯治場を訪れる理由をつけるのは難しかった。
買い物を済ませたアルが、既に湯治客が居るという情報を入手して咄嗟に作った理由が鹿肉であった。まだ鹿の害が多いのか尋ね、鹿を数頭仕留める事を提案したのだ。そして、ついでにという体裁で干し肉を作る作業をこの湯治場ですることの了承を得たのだった。
アルが炊事場の近くにいくつか光を使って明かりを灯し、運搬呪文を使って鹿の死骸を吊るして肉の加工をしていると、川に通じる道をランプの光らしいものが見えた。
その光は徐々に近づいてくる。やってきたのは2人組の人間だった。皆、年配の男性で、そろって少し太っており、ゆったりした服を着ている。腰には護身用とおぼしき剣を下げていた。2人の身体つき、筋肉の付き方からすると、商人などではなく、かなり武芸の訓練を積んでいるように見えた。この近くの衛兵か、傭兵、もしかしたら近くの駐屯所の騎士か従士だろうか。1人は赤ら顔で白髪、もう一人は黒々としたひげを蓄えていたが髪はかなり薄くなっていた。
「こんばんは、お邪魔しています」
アルは作業の手を止めて軽くお辞儀をした。
「やぁ、こんばんは」
先頭を歩いていた赤ら顔の男がにこやかな笑顔で返事をしてきた。後ろのひげの男もアルを見て軽く手を挙げて挨拶を返してくる。2人とも穏やかそうな人だ。
「先程からここに明かりが灯っていたのは気付いていたが、こんな若い男の子が来ているとはね。鹿を獲ってきたのかね」
「ナッシュ山脈の辺りで鹿が増えているらしくて、麓の村でも畑が荒らされて困っているんです。僕は旅の者ですが、以前ここの村で立ち寄ったことがあって、自警団の連中と話をして数頭狩ってきましょうかって話になったんですよ。ちなみに今はその報酬代わりとして作らせてもらってる干し肉の準備をしています」
なるほどと、2人は感心し、運搬呪文でつくった鉤に左右の足を拡げた形でぶら下がり、宙に浮かんでいるように見える鹿の死骸を不思議そうに見る。
「解体台なしで浮かんでいるのは、魔法かね?」
「あはは、そうですよ。運搬呪文というのでぶら下げてます」
アルはそういって頭を掻いた。
「ふむ、いろいろな魔法があるのだな。私は魔法使いとも親交があるが、このような魔法は初めて見た。運搬呪文というのかね。その友人にも教えておこう」
2人はしばらくアルの作業を眺めていた。干し肉は脂があると上手く作れないので、丁寧に脂部分を切りとって薄切りにし、ニンニクで風味付けした塩水を入れた樽に放り込んでいく。脂は鹿脂として塗り薬や蝋燭の材料として売るので別の樽に入れる。内臓やどうしても取り切れない脂の多い肉部分は、ここ数日の食材となる予定であった。
手早く作業を進めているうちに、横の竈で炊いていた端肉と香草入りの鍋がいい匂いを漂わせ始め、2人の腹がぐぅと鳴いた。
「ああ、すまん。一応食べたのだが、匂いにつられてしまった」
「元々、食べてもらおうと思って多めに作ってますので、気にしないでください」
照れ笑いを浮かべる2人にアルはにっこりと笑う。最初からそのつもりであった。むしろ、腹を鳴らしてくれたのはわかりやすくて良かった。アルナイトの採取作業、カモフラージュの干し肉を作る作業を考えれば、数日は同じ場所で過ごすことになる。最初から食事を振舞って仲良くしておくほうが良いという考えであった。どうせ材料はいくつかの調味料を除けば、ほとんど山で採ってきたものばかりだ。特に内臓まわりの肉などは惜しんでも腐らせてしまうだけである。
「いいのか?」
2人ともそろって嬉しそうな顔をする。先ほどのおなかの鳴いたタイミングと言い、この反応と言い、顔は似ていないが、こういった所で2人はかなり似ている。
「どうせ、干し肉にできない所も結構あるので、どんどん食べてください。炙りがよかったら、塩や串はありますけど、焼くのは自分でおねがいします」
「お、良いな。それは儂がやろう」
「儂は酒をとってこよう」
2人は身を乗り出し、いそいそと動き始めた。ひげの男性が、アルから肉の載った皿を受け取った。器用に肉を串に刺し、竈の火の回りに並べ始めた。指は太いがかなり器用だ。
「えっと、君……の名前は?」
酒瓶を片手に赤ら顔の男性がアルに名前を聞く。
「アルと言います。斥候や魔法使いとして働いてます」
「ほう、冒険者か、このあたりだとオーディスの街の冒険者ギルドかね?」
やましいことは何もしていない。身分を偽るのはややこしいことになりそうである。
「いつもは辺境都市レスターに居ます。パーカーが稼げるという噂を聞いたんで来てみたんですが……」
後半に嘘を入れたのはアルナイトがここで採れることを隠すためだ。
「そうか、そうか。儂らは近くの城塞勤務でな。今週はようやく非番になったのでここに骨休めに来ているのだ。若いのはオーディスの街に繰り出したりしているのだが、儂らはもうその元気もないからのう」
そう言って、赤ら顔の男性はふぁふぁふぁと笑った。酒を片手にして笑っている姿は元気そのものに見える。城塞勤務ということは騎士団所属ということか。
「ということは、お二人とも貴族の方ですか? 失礼な言葉遣いをして申し訳ありません」
アルは肉を薄切りしている手を止めた。気さくそうな人柄であるので、特に咎め立てしてくることはないだろうが、そう言っておくに越したことはないだろう。最近は幼い頃に叩き込まれていた行儀作法的な事を思い出し、少し慣れてきていた。
「ふぉふぉふぉ、気にすることはない。聞かれたので言うが、儂はデュラン・フェルディナンド 騎士爵じゃな。こっちの髭はずっと儂の従士を務めてくれているヒースじゃ」
デュラン・フェルディナンド卿。年は50才を超えていそうだ。そういえば、以前、エリックが、辺境伯に仕えた魔法使いが使った伝説の幻覚呪文を使ったのがアルの祖父ではないかと教えてくれたことがあった。まだ村に帰って、父に尋ねる事は出来ていないが、彼ぐらいの年齢の騎士ならそれについて知っているかもしれない。
「フェルディナンド卿、もしかして祖父を御存じありませんか? もう亡くなってしまいましたが、祖父は実は辺境伯の騎士団に居たのです」
「ほう、祖父殿の名前は?」
「はい、ディーン・チャニングと申します」
その名前を聞いて、デュランとヒースは驚きに目を見開き、顔を見合わせた。
「おお、懐かしい名前じゃな。もちろん知っておるぞ。そうか、亡くなられたのか。そなたはかの魔法使い殿の孫か?」
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