7-3 ガスパチョ
翌々日、アルが予定通りレビ商会を訪れたが、通されたのはいつもの応接室ではなく、何故か、以前、バーバラに呼ばれて来たこともある護衛たちの詰め所だった。そして、そこに居たのはルエラとパトリシアではなく、レビ会頭とデズモンドであった。
「どうしたんですか?」
「いや、忙しいのにすまないね。アル君がパトリシア様に会う前にすこしお願いしたいことがあってね」
そういって、レビ会頭はアルに詰め所の椅子の一つをすすめ、アルが頷くのを見て話し始める。
「実はね、うちには防犯の為の警戒の魔道具が設置されているのだが、今朝、パトリシア様が来られた時にその一つが反応したのだよ」
レビ会頭のいう魔道具は、以前、エリックが言っていた透明発見、幻覚発見、魔法発見といった効果を持つ魔道具のことだろう。かなり高価な装置だという話だったが、さすがレビ商会といったところだろう。ということは、パトリシアに何か危機が迫っているということだろうか。慌てる様子のアルにデズモンドが慌てなくて良いと制する。
「感知したのは魔法発見なのだよ。これはよく魔道具によって反応するのだ。おそらくパトリシア様は何らかの魔道具をお持ちなのだと思う。だが、問題はうちで雇っている警備の者で魔法が使える者は出払ってしまっていてそれ以上、調べることができないということでね。パトリシア様の存在は秘密になっているので、誰にでも頼んでよいというわけではない。なので、パトリシア様とお会いした時に、ついでに魔道具がどれか確認してくれないだろうか」
魔道具も反応するのか……。アルはすこし首をひねった。アル自身も魔道具を持っている。この間手に入れた釦もそうだが、グリィの宿る水晶、パトリシアから預かったままの水晶ももちろん反応したはずだ。
「君が魔道具を持っているのは知っているが、君を信頼しているので問題とは思っていない。腕の立つ者なら、光の魔道具など持っていることが多いからね。だから今回もそれほどは慌てていない。とは言え、万が一のことがあるからね。確認をしたいのだよ」
レビ会頭は大したことはなさそうに喋っているが、本当にそうなのだろうか。アルにはよくわからなかった。とりあえず、慎重に事を運んだほうがよさそうだ。
「わかりました。魔道具を持っていないか魔法感知呪文で見て連絡します」
アルが答えるとレビ会頭は頷く。
「ああ、よろしく頼む。パトリシア様は中庭でルエラといるはずだ。案内させよう」
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アルが通された中庭には四阿があり、中に置かれたテーブルにはルエラとパトリシア、そしてパトリシアの護衛役の女騎士、ジョアンナの3人が座っていた。パトリシアの後ろには領主館でもみたことのある女性の召使が2人立っている。タラから付けられたのだろう。一人は40代後半、もう一人は20代前半に見えた。この召使2人は共に硬い表情であった。冷静に仕事をこなしているということなのだろうが、パトリシアとの関係は良いとは言えない感じである。
アルが近づいていくと、パトリシアは目ざとく見つけたのか、身軽にひょんと立ち上がった。ブロンドの髪がふわりと風にゆれる。
「アル様。お元気でしたか?」
「はい、ありがとうございます」
アルは思わずにっこりと微笑む。
「ナレシュ様をお助けして大活躍だったと伺いました。さぞたくさんの蛮族を退治してこられたのでしょう」
「いえいえ、大したことは無いです。それよりナレシュ様はすごかったですよ。槍を構えて一気にゴブリンスローターを貫いたところは圧巻でした」
パトリシアの言葉にアルは軽く首を振る。彼女の言うように魔法の竜巻でたくさんの蛮族を殺してきたが、残虐すぎてアルは13才の女の子にあまり説明する気にはなれなかった。どちらかというとナレシュのほうが英雄的だ。アルはナレシュを助けてゴブリンスローターを倒したときの話をした。ナレシュの活躍に、ルエラが嬉しそうに微笑む。しばらく、ナレシュの英雄譚や遠征で困ったことなどをわざと可笑しく話したりして会話が進む。アルはそれとなくパトリシアの服装などを確認して魔法発見呪文に反応して青白く光るものがないかを探す。それに反応したのは、ブロンドヘアに編み込みをして後ろで束ねている髪飾りであった。かなり豪華なもので、おそらく逃亡してきた際には着けてはいなかったものだ。
「その髪飾り、似合ってるね」
アルがそういうと、パトリシアはにっこりと微笑んで嬉しそうにアグネス様からお似合いですと頂いたのですと答えた。ルエラが一瞬驚いてカップを落としそうになる。
「アグネス様って?」
アルが問うと、すぐに気を取り直していたルエラがレスター子爵の第2夫人だと教えてくれた。つまり彼女はナレシュの異母兄であり、嫡男でもあるサンジェイの生母であるということだ。同じ領主館に住んでいるのでパトリシアの事は知っていて不思議ではないだろう。だが、ルエラがかなり驚いた反応を見せたのは気になった。とはいえ、とりあえず魔道具の贈り主もはっきりしたので、レビ会頭からの依頼はこなせたという事で良いだろう。
「お会いできなかった間、パトリシア様はいかがされていました? 暑かったので大変だったでしょう」
アルの問いにパトリシアは顔を赤くしてすこし俯いた。ジョアンナが彼女の耳元で何か囁く。パトリシアはちらちらとアルの方をみてからジョアンナから折りたたんだ布のようなものを受け取った。
「あの……どうしました?」
アルは思わずパトリシアに聞いてみた。彼女はまだしばらくモジモジとしていたが、ようやく勇気が出たのか顔を上げ、折りたたんだ白い布をアルに向けて差し出した。
「実は、アル様の為にハンカチに刺繍を……」
辛うじてそこまで言うと、パトリシアはそれ以上言葉が出せずに真っ赤になって俯いてしまった。
「わぁ、ありがとうございます。広げてみても良いですか?」
アルは嬉しそうに受け取った。それは真っ白なシルクのハンカチで、青い糸で精密なバラの花模様、そして、パトリシアの名前が刺繍されていた。
「アル様は遠くにお出かけになられることが多いと伺いましたので、私の代わりにそのハンカチを……」
消え入りそうな声でパトリシアが言う。
「姫様はとても刺繍がお得意なのです。それは姫様が心を込めて一針一針、刺されたのです」
ジョアンナがそう付け足した。刺繍といった事に心得のないアルにも丁寧に作られたものとわかる品であった。アルはパトリシアに微笑み、大事にしますと返事をして受け取った。そのようなやりとりをしていると、ルエラの召使がワゴンに何かを載せて運んできた。
「アルフレッド君の持ち込んだスープが来たわよ。何か変わった料理みたいだけど……」
にこにこしながら2人の様子をみていたルエラが言った。彼女の召使が4人の前のテーブルに皿とカトラリーを並べ、そこに白くどろっとした液体を盛っていく。
「びしゃびしゃしたパンスープ です。テンペスト王国の家庭料理らしいのですが、国境都市パーカーに行っていた友人から美味しかったと聞いたので用意してみました。パトリシア様とジョアンナ様の故郷の味で元気を出していただければよいのですが」
「まぁ……」「懐かしい……」
早速手を付けようとするパトリシアとジョアンナ。だが、それを彼女の後ろに居た年配の女性の召使があわてて止めようとした。
「このあたりではこの料理は……」
不安そうな彼女にアルは軽く微笑む。
「これは大丈夫ですよ。僕の泊っている宿の料理人が、幸い、このスープについて知っていたんです。ガスパチョは火を通さずに作る料理、だから、水の悪いレスターで作ると、お腹を壊してしまう。それを心配されているのですよね。なので、そうならないように朝から渡し場のある町まで行って水を汲んできたんです。あちらならシプリー山地から流れてくる水なので大丈夫です」
「おお……、本当に食べて大丈夫なのですか……ガスパチョが……」
その召使は少し涙ぐんでいるように見えた。それほど懐かしいということだろう。
「もしかして、タラ様と一緒にこちらにこられた方?」
ルエラの問いに年配の召使が頷く。
「はい、タラ様がこちらに嫁がれた時に側仕えとして一緒に参りました」
意識していなかったが、嫁いできたタラと一緒に来た彼女たちも生まれ故郷を出てきているのだ。意外とパトリシアと境遇は近いのかもしれない。アルはルエラに目配せをし、彼女もそれに頷く。
「ご一緒にと申したいところですが、パトリシア様と一緒にとなると皆様も遠慮されるでしょうね。たくさんあるので、領主館に持って帰っていただきましょう。家庭料理ということですが、タラ様も食べられたことがあるかもしれませんし、他にも同じような境遇の方もいらっしゃるのではないでしょうか。是非御一緒にどうぞ。井戸水で冷やすのがお勧めだそうですよ」
年配の召使の方はルエラの言葉に嬉しそうに頷いた。このガスパチョの話が出る前とはまるっきり反応が違う。これをきっかけにしてパトリシアとタラの召使たちの関係はうまく行くようになるかもしれない。アルとルエラは期待に胸を膨らませたのだった。
※ガスパチョは現代のものではなく、この世界とおそらく中世ヨーロッパにも存在したであろうパン、ニンニク、食塩、酢、水だけで作られた冷製スープを想定しているため、赤くありません。
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