6-6 パトリシア
パトリシアの深く澄んだ緑色の瞳にじっと見つめられ、アルはドギマギしながら慌てた様子で頭を掻いた。
「パトリシア様、元気そうでよかった」
「はい、アル様のおかげです。今日はお会いできてうれしい。どうぞ、お座りください」
アルが勧められたのは上品そうな飾り彫りが施された椅子であった。その前のテーブルには真っ白なテーブルクロスが敷かれており、きれいに磨かれ銀色に光ったティーセットが置かれている。
「う、うん……」
アルは周囲に居るタラ子爵夫人や騎士のジョアンナにお辞儀をしながら椅子に座った。刺繍の施された布のカバーがついた椅子は、柔らかなクッションとなっていて座り心地が良い。ふわふわした気持ちのままアルが座っていると、その向かいにはパトリシアが座り、その横にはタラ子爵夫人が座った。2人とも横にいた女官が椅子を引くといった手助けをしていたが、彼女たちとの呼吸も極めて自然で座る動作も流れるように優雅な様子であった。
どうしたらよいかよくわからないまま、アルがきょろきょろしていると、女官の一人がアルの前にカップを置き、そこにゆっくりと茶を注いだ。華やかな紅茶の香りが部屋の中に広がる。
「わぁ、いい匂いだ」
アルは思わず呟いた。その言葉に、パトリシアもタラ子爵夫人もにこやかに微笑む。緊張していた雰囲気が少し和んだような気がした。
「アル君、お茶は初めて?」
「中級学校で体験したような気はするんだけ……するのですが、全く憶えてなくて……申し訳ありません」
アルは途中であわてて言い直した。たしか、授業で数度、マナーの勉強としてお茶を飲むというのはあったような気がする。だが、アルはそのような機会はどうせ無いだろうと思っていたし、どのような事を講師から言われたのかなんて全く憶えていなかった。
「気にしないで。そうね、カップを持つのは片手で、あとは音を立てて啜らない、それぐらいで大丈夫よ。砂糖は入れる? ミルクは入れるわよね」
砂糖? そんな高い物とアルは思ったが、貴族のお茶はそういうものなのかもしれない。よくわからないのでお願いしますと返事をする。
「アル君はナレシュと同じ年よね。お父様は騎士爵だとか?」
「はい、シプリー山地にある小さな村を領地として頂いています。僕は3男ですが、幸い、中級学校には行かせてもらえて、ナレシュ様とは同じクラスでした」
アルの事は冒険者ギルドで聞いたのだろうか。或いはナレシュやケーンあたりが情報源かもしれない。お茶を飲みながら、タラ子爵夫人はここでの冒険の話や、パトリシアと遭遇した時の話などをアルに色々と聞いた。アルは言葉の使い方や周囲の雰囲気に緊張し、背中には汗をびっしょりとかきながらなんとか答えた。そして、パトリシアはそんなアルをにこにこしながらじっと見つめていた。
「わかったわ、アル君。いろいろとありがとう。明日からこの時間にここでお茶を飲んでいきなさいな。ラドヤード卿の仕事はその後で良いでしょう。彼にはそう言っておくわね。パトリシア様もそれで良いかしら?」
パトリシアはなんども頷いた。タラ子爵夫人はアルに視線を向ける。
「とりあえず1週間後に討伐隊が出陣するらしいので、その前日までなら可能です」
アルの答えにそうなるわねとタラ子爵夫人は頷いた。とりあえず今日はこれぐらいできっと良いのだろう。
「じゃぁ、そろそろ、失礼します」
アルはそう言って席を立ち、掌の汗を服で拭った。そしてパトリシアとタラ子爵夫人に礼をすると部屋を出て行ったのだった。
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「まだ15才だから仕方ない部分はあるでしょうけど、覇気がないというか、少し頼りないように見えますわね」
アルが出て行ったあと、タラ子爵夫人はため息交じりに呟いた。だが、パトリシアはすこし微笑んで首を振る。
「アル様はいざとなれば、非常に頼りになる方です。お会いできたのはテンペスト様のお導き、運命でした」
彼女の口ぶりはなにか陶然としたものがあった。その様子にタラ子爵夫人は以前と同じように肩をすくめた。
「パトリシア様はアル君の事に夢中ですね。元気になられたのはよかったけれど、もう少し、王族としての自覚を持っていただかないと……。パトリシア様には婚約者がおられたのでしょう?」
タラ子爵夫人の言葉にジョアンナは頷く。
「タガード侯爵家の御嫡男です。ですが、姫はまだ一度もお会いしたことがありませんでした」
「そうなのね。タガード侯爵家というと西部よね。いったいどうなったのかしら?」
タラ子爵夫人の問いにジョアンナは首を振った。
「わかりません。タガード侯爵の治める御領地は私たちの居たセネット伯爵領とはかなり離れています。今回の政変ではどのような立場をとられたのか全くわからないのです」
レイン辺境伯領はテンペスト王国と直接国境を接してはいたものの、一般にはほとんど情報が入ってきてはいなかった。もちろん、タラ子爵夫人からすればテンペスト王国は出身国であり、セネット伯爵家は自分の生家である。夫であるレスター子爵にできるだけ情報を集めるようにお願いはしていたのだが、プレンティス侯爵がテンペスト王国の王都付近は制圧しているという情報だけで、それぞれの地方の話までは全く聞かせてもらえていなかった。
「そう……。困った話ね。とりあえず情報がもう少し入って来るのを待つしか仕方ないわね。ジョアンナ、騎士のあなたにお願いするのも申し訳ないけれど、うまくうちの女官たちとパトリシア様との間を取り持って早く馴染んでいただけるようにして頂戴ね。できればアル君以外の事でパトリシア様が興味を持たれる事があればよいのだけど……」
「はい、探してみます。タラ様。今回は姫様のお願いを聞いていただきましてありがとうございました」
ジョアンナは丁寧に騎士式の礼をし、タラ子爵夫人は鷹揚に微笑んだのだった。
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