26-1 おつかい仕事 その1
アルはケーンの髪の毛を利用して変身したケルの姿で、テンペスト王都の大通りを少し鼻歌交じりの軽い足取りで歩いていた。パトリシアと話をしてから3日後の昼すぎの事である。維持している呪文は動物変身呪文、魔法発見呪文、浮遊眼呪文、魔法感知呪文の4つ。もちろん4つとも探知回避呪文で魔法発見呪文には反応しないようにしてある。いままで3つの呪文にまでしか使えなかったのだが、最近熟練度が上がったようで4つの呪文に使えるようになっていたのだ。
アルはとても機嫌がよかった。新しい呪文の書を2つも買うことができたからだ。今回の王都で入手できたのは機動補助呪文と呼吸確保呪文であった。水中で活動するときに手助けとなる呪文はないかと尋ねて勧められた呪文であった。前者は水中で水の抵抗を受けずに行動しやすくなる呪文、後者は水中で一定時間呼吸ができる呪文という話で、共に第3階層、30金貨だった。少し高い気もしたが、両方の呪文とも呪文名に”水中”というのがついていないので、もしかしたら他の状況でも使えるかもしれないという期待もあり、アルとしてはすぐに買う事を決めたのだった。
そして、他にすることもあった。王城に潜入することにしたアルだったが、王都にいくのであればと、パトリシア(リアナ?)からは他に2つの仕事を頼まれたのだ。1つ目は王都に残っていて表向きプレンティス侯爵家に従っているものの味方になりそうな相手に手紙を届ける事、2つ目はプレンティス侯爵家を糾弾し、パトリシアの生存とテンペスト新生第一騎士団の誕生を宣言する事であった。
頼まれた事はアルからすればそれほど大したことではない。問題があるとすれば数が多いことぐらいだろう。手紙はパトリシアだけでなくドイル子爵やペルトン子爵からのものもあり、その届け先は20か所、パトリシアからの宣言が示されるところは3か所だった。手紙を先にと言われていて、手紙は朝から順番に届けており、これから向かうところが最後の相手だった。
“昼になったけど、相変わらず人通りがないわね。かなり寂れている感じがするわ”
グリィの言葉にアルもそうだねとおもって軽く頷いた。王都についてはひと月ほど前まで王都で暮らしていたドイル子爵の部下たちにいろいろと聞いており、その説明どおり昔からの整った街並みはとても風情があったのだが、通りにはほとんど人が歩いておらず、都市の規模は大きいものの、活気という点では地方の街にすぎないマーローやミルトンにも劣るほどであった。1年以上続く内乱の影響か、商店でも営業している数も少なく、開いている店に並べられている商品の値段もレイン辺境伯の領都や辺境都市レスターに比べると3倍ぐらいであった。
“そこ、右よ”
グリィの道案内は極めて的確だ。アル自身はテンペスト王国の王都に来るのは初めてだったが、上空から見た都市についてグリィは細かい裏道に至るまですべて記憶しており、それと事前に聞いていた届け先の情報を元に的確に誘導してくれるのだ。今日は一度だけ、上空からみれば通れるだろうと思った路地が実際には通れなかったことがあったが、それでも、長い間この都市で暮らしている人間に比べても効率的に手紙を届けることができていたのではないだろうか。
グリィの誘導にしたがってさらに何回か路地を曲がった末に到着したのは、これも王都の街並みと同様かなり時代を感じさせるこじんまりとした邸宅であった。手入れは綺麗になされていて、あまり古びたという印象はない。中には人の気配があり、アル(ケル)は軽く扉についたアザミの花を象ったドアノッカーを打つ。待っているとすぐに扉を開けられた。白い髪を綺麗に撫でつけた小柄な男性がアル(ケル)に向かって丁寧に会釈をした。服装からして執事だろう。
「冒険者の方とお見受けしますが、何か御用でしょうか?」
「こんにちは。ケルと言います。こちらはラムジー元伯爵閣下のお家でしょうか?」
アル(ケル)もそう言って礼を返す。ドイル子爵から話は聞いていたものの、アルはいろいろ不安だった。元とは言え、本当にそれほどの立場だった人がこのような所に住んでいるのだろうか。伯爵といえば、広大な領地をもち直属の部下も数多く召し抱えているものだ。
アルの表情を見て、執事らしい男性は優しく微笑んだ。
「はい。間違いございません」
「閣下は御在宅でしょうか? 不躾とは存じますが御面会を賜りたくお願い申し上げます。こちらはドイル子爵閣下に頂きました紹介状でございます」
そう言って、アル(ケル)は封蝋をした羊皮紙を一つ取り出し、執事らしい男性に差し出した。ラムジー元伯爵宛てには、パトリシアだけでなくペルトン子爵やドイル子爵からも手紙を預かっていた。それも、できれば会って渡してほしいという希望があったので、面会できるようにと紹介状を貰って来たのだ。
「ご丁寧にありがとうございます。どうぞお入りくださいませ」
そう言って執事は邸宅の中にアル(ケル)を通してくれた。調度品の類の数は少ないがどれも素敵なもののようにアルには見えた。きっとかなり高価なのだろう。少し待たされた後、60才前後のかなり年配の男性が執事らしい男性と一緒に出てきた。彼がラムジー元伯爵だろう。
「よく来てくれた。そなたがケルか。ドイルからの手紙には信用できる冒険者で魔道具を多く取り扱っていると書いてあったが?」
そういう彼の息からはまだ昼だというのに酒の匂いがした。心なしか顔色にもすこし赤みがある気がする。ドイル子爵から彼は信頼できる人柄だと聞いたが、本当にそうだろうか? それに執事らしい男性も当然のことながら横で立っており、二人きりの状況ではない。どこまで話していいのかまるっきり判断が付かない。
「はい。若輩者ですが、冒険者に多く伝手がありまして、いろいろな魔道具をご提案させていただいております。ドイル子爵閣下にはタガード侯爵領で面識を得まして、この品質ならラムジー元伯爵閣下にも興味を持っていただけるだろうとご紹介いただきました。本日はその見本をお持ちさせていただいたのです」
そう言ってアル(ケル)は光の魔道具を一つ、背負い袋から取り出してテーブルに置いた。 メヘタベル山脈の植物園らしい古代遺跡でみつけた物である。もちろん魔力は補充済みで触れることによって点灯/消灯できるようにしてある。
ドイル子爵とペルトン子爵たちの話ではラムジー元伯爵はテンペスト王国騎士団の先々代の騎士団長であったが、25年ほど前に大きな失敗をして騎士団長の座を辞し、その際に伯爵領も王家に返上したという人物らしい。その後を継いだ先代の騎士団長は長らくその座にあったが、プレンティス侯爵がテンペスト王を弑逆した際に王を守って死んでしまい、現在の騎士団長であるスペンス子爵はプレンティス侯爵に任命され、彼の意のままに動く人物だという。
ドイル子爵には外出の際にプレンティス侯爵家の見張りがずっとついていたらしく、今回の手紙の配達ではそれをかいくぐるために偽装の話を用意していた。それが、この魔道具の販売という話である。
「成程な。他にもいろいろなところを回っているのか」
そう言いながら、ラムジー元伯爵は周囲を見回した。何か言いたそうな口ぶりだ。アル(ケル)が提案した話は偽装だと考えていそうである。この状況で何かを切り出すということはこの執事らしい人物は信用してもよいと考えているのかもしれない。だが、部屋の中には魔道具の反応が1つあった。部屋にある鉢植えの中である。この状況であれば発見系の警戒用の魔道具の可能性は低く、盗聴か盗撮……いや、鉢の中ということは盗聴の魔道具だろう。アル(ケル)は軽く首を横に何度も振ってラムジー伯爵に眼で合図を送った。それを見てラムジー伯爵は何か話そうとしたのを止めた。
“ケルです。念話で失礼します”
“驚いた。魔導士か”
慣れた様子で返事が返って来た。念話呪文での会話は経験があるようだ。さすがは魔法の盛んなテンペスト王国といったところか。
“失礼ですが、お隣に居る執事の方は信用しても大丈夫ですか?”
“ああ、大丈夫だ。この者は儂が子供の頃から仕えてくれている。友と呼んでも良い間柄である”
その答えを聞いて、アル(ケル)は2人を手で制止しながら、魔道具に近づいていく。手に取って魔道回路を確認するとやはり盗聴の魔道具だった。ということは音や声さえ偽装すれば大丈夫そうだ。
“盗聴の魔道具です。御邸宅の中に魔道具の反応はこれだけのようです。壊すと余計警戒されるかと思いますのでそのままにしておきます。カモフラージュするために、執事の方と何かお話をして場を繋いで頂けませんか?”
“未だにか……わかった”
アル(ケル)が発見した魔道具を指さしてラムジー元伯爵に念話でそう伝えると彼は頷いた。羊皮紙とペンをもってこさせると筆談でこの事を執事に伝える。執事も少し驚いた様子であったが、偽装の会話のつもりらしくアルが見せた光の魔道具についての評価などを話し始めた。
“お手紙を3つ預かっています。ドイル子爵閣下、そしてタガード侯爵家の保護を受けられていたペルトン子爵、そしてパトリシア王女殿下です”
“なんと!”
時間を稼いでくれている執事の横で、アル(ケル)は三巻の羊皮紙の束をラムジー元伯爵に手渡した。
“この場で読んでも?”
“はい”
ラムジー元伯爵は封蝋を確認して解き、じっくりと読み始めた。特にパトリシアからの手紙については、数秒の間、頭の上に押し戴くようにしてから開封し、何度も読み返しては涙を拭いている。
“このような老骨に……なんとありがたき事かな。全てかしこまった。ドイルが心配していた領都に残った家族たちについては儂と共に少しの間自重するように連絡をとっておこう。パウエルが離脱したと判った時は大騒ぎだった。今回の話が伝わったら又騒ぎになるじゃろう。助かったわい”
念話でそう話しながらラムジー元伯爵は何度も頷いた。謀反した第2大隊の家族たちが投獄されないか懸念するのではなく、自重するように伝えるのか……。アル(ケル)は不思議に思ったものの、考え方の違いだと思う事にした。
“よろしくお願いします。そのように伝えておきますね”
「では失礼します。ご購入を検討頂けますようよろしくお願い致します」
アル(ケル)は念話呪文と言葉でそう伝え、ゆっくりとお辞儀をすると、ラムジー元伯爵の邸宅を離れたのだった。
さて、手紙の配達はこれで終了だ。次はパトリシアからの様々なお知らせの提示である。場所はだいたいわかったし、これだけ人通りがすくなければ見つからずに作業をすることは簡単そうだ。とは言え、まだ日は高いし、潜入に時間がかかるかもしれない。続きは少し仮眠をとって暗くなってからとりかかることにしようか。
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