24-5 アルからの申し出
できれば兄のギュスターブや従士のオズバート、オービル、或いはデュラン卿にも会っておきたいと考えたアルであったが、駐屯地の中でも辺境伯騎士団に割り当てられた辺りに近づこうとすると、すぐに誰かに見張られているような視線に気が付いた。
“アリュ、気付いてる? 見られてるわ”
浮遊眼の眼を通じて周囲をみているグリィもすぐに気が付いたようだ。プレンティスの間諜が入り込んでいるのかもしれない。30メートルも行かないうちに、アルは危険を感じて何か思い出したような演技をしてくるりと踵を返す。そして、そのまま早足でその区画を立ち去ったのだった。
「かなりピリピリしてる感じがするね」
“そうね”
“アル様とは判らなかったものの、パーカー伯爵家の従士の服装から使者の可能性を考えたのではないでしょうか”
いつも聞こえるグリィの声とは別の張りのある女性の声の主はパトリシアから託されたアシスタント・デバイスのリアナである。当然、彼女もグリィと同じようにアルの耳元で囁くような声を発することができるのだ。
辺境伯騎士団がテントを張っている区画に行けないとなると、他に知り合いはナレシュの所の人たちぐらいだろう。ナレシュ自身はまだ王子のテントに居るに違いない。
ナレシュに念話で場所を聞きたいと思ったが、野営地内で呪文を使うと誰かに見つかるかもしれないと思いとどまった。実際に魔道具らしい反応はある。シルヴェスター王国ではまだ発見系の魔法を使って戦陣全体を警戒するというところまでは行き届いていないようだが、それでも少しは意識しているかもしれない。アルは素直に王子のテントの所まで歩いて戻り、そこの従士にセネット男爵家のテントの位置を聞く事にしたのだった。
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セネット男爵家の陣は古びた大型のテントが2張並ぶだけ、立っている旗も急いで作ったのであろう粗末なものが1本だけだった。見張りの従士の姿も見えない。テントの横に繋がれた6頭の軍馬が草を食んでいた。
「おじゃまします」
「誰ですか?」
アルが声かけると、中から誰何の声が聞こえた。クレイグの声だ。
「アルです」
周囲を見回して、遠くにしか人が居ないことを確認したアルは声を潜めて名乗る。テントの中で驚いた声がして、慌てた足跡が複数入口に近づいてくる。テントの中から顔を出したクレイグだったが、不思議そうな顔をしてじっとアルを見つめている。
「えっと……、ああ、茶色に髪を染めたんですね」
「うん。最近、プレンティスの魔法使いに金髪というので憶えられているらしいんです」
そう言ってアルは頭を掻いた。
「なるほど、わかりました。アル! よく来てくれました」
「アル、久しぶりだな」
迎えに出て来てくれたのは、クレイグとナレシュの教育係であったラドヤードの息子、シグムンドであった。テントの中には他に以前の使節団に同行した時と同じゾラ卿の配下の魔法使いが一人いる。
「お二人とも元気にされてましたか? これはナレシュ様に差し入れです」
アルは国境都市パーカーであらかじめ買ってきたワイン数本とナッツ、ドライフルーツの入った袋をクレイグに手渡す。
「ありがとう。閣下も喜ぶよ」
アルは2人に案内されてテントの中に入った。物の少ないテントだが、机の上に羊皮紙の束が大量に積まれている。
「アルはどうして来た? その服だとパーカー子爵からの依頼か? セネット男爵閣下は今、所用で出かけられていないのだ」
勧めてくれた席にすわると、シグムンドが早速そう尋ねてきた。今回のアルが使者として送られた件は彼らには話されていないらしい。ということは、詳細を話すのは憚られる。
「うーん、実はナレシュ様とは先ほどまで一緒に居ました。パーカー子爵経由の話であるのは確かですけど、詳しくはナレシュ様に聞いてほしいです。どこまで言っていいのか判らないので僕からは言えません」
申し訳ないが、そう言わざるを得ない。
「そうか、それはそうだな。戻られたら話をしてくださるだろう。ならばアルはセネット男爵閣下と話をしに来たのか?」
「ええ、夜から別の任務があるのですけど、それまで少し時間があるのです。本当は兄のところに行こうとおもったのですけど、諸事情があって……」
とりあえず諸事情という言葉でごまかしておく。ここは戦陣であるので、シグムンドたちもいろいろ言えないことがあると察してくれるだろう。
「そうか。いいよ、詳しくは聞かない。それより聞いてくれよ。セネット男爵閣下だが、いつの間にか肉体強化呪文を習得されていてな。ほら、前に蛮族討伐の時はアルが閣下にかけて、ゴブリンスローターを一刀両断に斬って捨てたあれさ。それを使って先陣を切り、大活躍をされているんだ。俺はその横で戦う栄誉を頂いて、一緒に敵を蹴散らしている。最近は俺たちの旗を見るとみんな逃げていくんだぜ。俺は超嬉しくてよ」
ほう、ついにナレシュは肉体強化を習得したのか。アルはクレイグをちらりと見た。彼もアルと視線を合わせて嬉しそうに頷く。ということはクレイグも順調ということか。
“テスが、言ってるわ。ナレシュは光呪文と肉体強化呪文、クレイグは光呪文と魔法感知呪文が使えるようになって、今は魔法の矢呪文を勉強中なんだって”
テスというと、ヴェール卿らしき人物がゴブリン・メイジに預けていたアシスタント・デバイスの事だ。呪文習得の助けにと2人に貸していたが、効果はあったらしい。今もクレイグの手首にテスのブレスレットが光っている。アシスタント・デバイス同士であればふれていなくても話はできるようだ。
「それは良かった。素晴らしいですね」
「ああ、俺たちも最初の頃は血筋だけで男爵になったと陰口を叩かれててよ。閣下は気にしなくていいと微笑んでおられたが、俺たちはイライラしてた。だが、今では陣の中を堂々と歩いてる」
シグムンドの顔は本当に嬉しそうだ。
「今は何をされてるんですか? あ、聞いちゃダメだったら言わなくてもいいですよ?」
「うーん、そうですね。アルなら大丈夫でしょう。今は旧セネット伯爵家ゆかりの人物を中心に、セネット家を継いだ事を知らせる手紙を書かれているのです。ナレシュ様がセネット伯爵の次女、タラ様のお子様であると説明し、セネット家を継ぐに値する事を知っていただいた方が良いというゾラ卿の提案です」
アルの問いに、クレイグが答えた。
「クレイグは字が上手いからな。俺の方は書き損じた羊皮紙を削って再利用できないか試してた。男爵領の財政状況はなかなか苦しくてよ。だけど、俺は字を書くのと同じぐらい細かいのも苦手でな。なかなか綺麗にできなくて、よくクレイグに叱られてる」
クレイグの横でシグムンドはそういって苦笑した。そういえば、ケーンも服を作るのに予算が厳しいって言っていた。村が10個だけの所領の出来たばかりの男爵家なのだ。仕方ない面もあると思う。
“アル様、テスから詳しい内情を聞きました。セネット男爵にお金をお貸しすべきです”
リアナが少し切迫した口調でそうアルに話しかけてきた。いやいや、相手は男爵でこちらは一個人でしかない。貸せる金もたかが知れている。仕方ないだろう。 そう思って、アルは膝の上に指を左右に走らせる。グリィと決めたNoの合図だ。リアナにも伝わるだろう。だが、リアナはアルの耳元で囁き続けた。
“アル様。今年のセネット男爵領の税収入は金貨382枚だったそうです。今回の出陣にかかる費用などもあって、レビ商会から700枚ほどの金貨を借り、ようやく体裁を整えているという状況で、手紙を送る費用の捻出にも苦労しています。ですが、セネット家という名前は非常に重い。200年以上、この地を治めてきた伯爵家なのです。ゾラ卿はその価値を把握されての提案でしょう。想像するに今、費用を惜しまずにこの地域に残った旧臣たちに手紙を送れば、セネット伯爵家再興の道も有り得ります”
税収入が金貨382枚?? どうしてそんな情報を……。そうか、テスを身に付けていればアシスタント・デバイスは五感を共有する。見た事や聞いたことは全て憶えているのか。いや、そんなことを知りたくてナレシュにテスを貸したわけではないし、さらにそれを知って何かをしようとするなんて……。
No! No! No!
アルは生理的に拒否感を覚えて膝の上に指を左右に走らせる。
“アリュ、落ち着いて。これはナレシュの為、パトリシアのためと思って提案してくれているのよ”
グリィの言葉にアルは自分の膝の上に載せた指の動きを止めた。目をつぶってじっと考え込む。
「ん? アル、どうしました?」
クレイグが心配そうに尋ねてきた。その視線にアルは罪悪感を覚えて思わず顔を伏せる。知ってしまった事は今更、どうしようもない。そして統治者の助言をしてきたリアナにとっては情報を集めるのも、その上でこういう判断をするのも当たり前なのだろう。そして、お金を貸すべきという提案については、ナレシュやパトリシアの為になるにちがいない。懸命にそう自分に言い聞かせる。ああ、でもやっぱりこういうのは嫌だな。という気持ちもぬぐい切れない。後で後悔するのかもしれないが……。
アルは頭をバリバリと掻き、続いて、グリィとリアナのアシスタント・デバイスをぎゅっと握る。そして急に立ち上がる。
「ちょっと待ってくださいね」
アルはそういって、あっけにとられている2人を残してテントの外に出た。近くにいるのはゾラ卿の配下の魔法使いだけだ。当然魔法発見は使っているだろうが、何の魔法かはわからないだろう。ここは野営地の中でも端の方で探知回避してある魔法発見にも他に反応はなかった。大丈夫だ。
移送呪文を使って研究塔の移送空間である自分の部屋から金貨の詰まった袋を取り出す。重さによろめきながらテントに戻ると、アルはずっしりと重い袋をテーブルの上に載せた。
「これ、使ってください。そして、3年したら返してください」
「これは?」
罪悪感はあったものの、アルはリアナとグリィの言葉を信じる事にした。伯爵家云々についてはどうかとおもうが、少なくともセネット男爵家が力を持てば、それがパトリシアの安全につながる可能性は高い。きっとリアナは今までの経験上からそう考えて提案してくれたに違いない。
「金貨1000枚あります。最近、運よく稼げたので、ナレシュに託すことにします。僕もゾラ卿の提案には賛成です。挨拶はまさしく今、しておくべきでしょう。そのための費用です。3年ぐらいしたらきっとナレシュはこれぐらい簡単に返せるぐらいの立場になっていると信じています」
ついナレシュと呼んでしまった。しかし、クレイグとシグムンドは金貨1000枚入りの袋に注目していて気がついていない様子だ。そのまま流してしまおう。
「……私の判断では受け取ることはできないよ。ナレシュ様が帰って来られるまで待ってくれるかい?」
あっけにとられて、固まっているシグムンドの横で、クレイグが落ち着こうと自分の胸に手をやりながら答える。レビ会頭は金貨1000枚入りの袋を見ても落ち着いた様子だったので、アルもあまり思わなかったが、一般的にはこんな感じなのだろうか。そして、さすがのクレイグも動揺したのか、或いはアルがナレシュと呼んだのに釣られたのかもしれないが、爵位を叙爵する前のようにナレシュ様と呼んでしまっていた。
「わかりました。じゃぁ、後は閣下が戻られてから。それまで、戦陣での閣下やシグムンド様の活躍をお聞かせください」
アルは少し話題を変え、ナレシュたちが戻ってくるのを待つことにしたのだった。
読んで頂いてありがとうございます。
月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
2025.7.1 感想欄にてご指摘を頂いた「髪の毛の色の話」「テスはネックレスではなくブレスレット」「クレイグがナレシュ様と呼んでいる件」について訂正を加えました。ありがとうございます。
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