20-3 偵察
「おいしかったー。じゃぁ、母さん、僕は様子見に行ってくるね」
アルとギュスターブが領都でささやかな宴をした翌々日の早朝のことである。アルは母のパメラが作った朝食を食べると、にこやかにそう告げた。
残念ながらアルとパメラ以外は皆、今朝は起きることができずにまだ寝ていた。というのも、アルやギュスターブは昨日の夕方に領都から到着し、二人が挙げた功績により、ギュスターブが騎士爵を叙爵してもらえそうであり、さらにチャニング村の近くで発見された鉄鉱山の代官にまで任命してもらえるかもしれないという話を父ネルソンや次兄ジャスパーに説明をし、それに驚愕した二人は従士ネヴィルや従士を引退したその父、マイロン、パメラはもちろん、姉のルーシーや妹のメアリーまで加わって今後どうすべきなのか明け方まで話し合いをしていたためであった。
だが、騒ぎを起こした張本人の一人であるはずのアルは、最初その話し合いに参加していたものの、途中からラミアの様子を朝から見に行くからと理由をつけてその話し合いから抜け出していた。家族に対しては申し訳ないが、アル自身は領地の統治については全く興味がなく、どうすべきだというビジョンもなかったのである。そして、それよりは、できればどうやってラミアと蛮族をさっさと片付けるかを検討すべきだと考えての行動であった。
パメラの方は皆の話し合いに参加していたはずだが、アルが朝出発する際にはきちんと朝ごはんを用意してくれていた。アルとしては頭の下がる思いであった。
「気を付けてね」
「うん、慎重にいくよ」
母に感謝しながらアルは家を出た。デュラン卿にみせてもらったラミアの資料には、アルの想像どおり呪文を使うらしいというのと他に、牙には毒があり噛みつかれると危険というのと、しっぽでの薙ぎ払いと巻きつきにも注意が必要だと書かれていた。これは、知能は高い上に接近戦にも強みがあるということで、ゴブリンメイジとは比べ物にならないと考えるべきかもしれない。ただし、もう一つ情報があった、それはパトリシアが持つアシスタント・デバイス リアナからもたらされたもので、彼女がテンペスト王を補佐していた頃、ラミアはテンペスト王国でたまに見られた蛮族であり、腕の立つ騎士にとっては脅威ではなかったという話である。魔法は使うものの、オークやオーガといった戦闘に長けた蛮族と同じような扱いであったと言うのだ。
アルは飛行呪文を使い、ふわりと飛びあがった。浮遊眼呪文と魔法感知呪文はいつも通り使っているが、発見系の呪文は魔法発見呪文だけにして透明発見呪文と幻覚発見呪文は使うのをやめた。それも個人行動なので55メートルの有効範囲に戻している。代わりに使うようにしたのは魔法抵抗呪文と盾呪文だ。
名前はわからないが70メートルの有効範囲を持つ呪文があるという事が判った以上、発見系の呪文だけには頼れない。視界が確保できる単独行動では透明発見呪文と幻覚発見呪文は使わずとも魔法感知呪文で十分対応できると踏んで、維持する呪文を2つ入れ替えたのである。
魔法抵抗呪文と盾呪文の効果時間は一時間程度しかないので張替えは面倒だが、そこはグリィが知らせてくれることになっていた。
アルは以前に切り拓いたルートを辿り、異変がないことを確認しながら、ラミアとプレンティス侯爵家の魔法使いを発見した小高い山の頂上に到着した。そこから蛮族の居る所までは直線距離で約一キロである。だが、知覚強化呪文を使って蛮族たちの様子を確認したアルはすぐに前回と様子が変わっている事に気が付いた。ラミアが出てきた小屋があった周りや、原始的な精錬炉である石積みの塔を守るように石壁が所々作られていたのである。その巾は5メートル、厚みと高さは1.5メートル近くあるだろうか。そのせいで採掘場――鉄鉱山 はアルの居るところから全部が見通せなくなっていた。石壁の隙間から普通のゴブリンの姿がちらちらと見えるだけなのである。
「これは……」
石壁を見てアルは思わず言葉に詰まった。これほど多くの遮蔽物があると、魔法の竜巻呪文の効果も限定的になってしまう。以前、この鉄鉱山をアルが攻撃したときの生き残りが居て、対策を講じたということだろうか。或いはマジックバッグにあった金や穀物樽を盗んだことで相手に警戒されることになってしまったのかもしれない。
これはどうやったら安全に討伐できるだろう。アルは浮遊眼の眼を飛ばして詳しく様子を探る事にした。距離が1キロほどなのでそれほど疲労はしないはずだし、自分が行くのに比べればリスクは格段に低い。
眼は2、3分で上空近くまで到達した。石壁はざっとみたところ20か所ぐらい作られている。念のためアルは記録再生呪文を使って、鉱山一帯を俯瞰した様子を記録しておくことにした。
ラミアはどこに居るのか? そして、以前には居なかった、ゴブリンメイジやホブゴブリンといった上位種は誕生していないのか? 慎重に以前ラミアが居た小屋の上空からゆっくりと眼を降下させていく。
「グリィ、小屋や地面からの距離が60メートルぐらいになったら教えてね」
“うん”
まだ、この時点で見つかるのは得策ではないだろう。ラミアやゴブリンメイジといった呪文を使える蛮族が発見系の魔法を使うかどうかは知らないが、念のために距離を取ることにする。
ザリッ
急に砂利を踏む音が背後で聞こえた。
ドキッとして、アルは慌てて振り返る。男が20メートルも離れていない木の陰に立っている。アルはその顔に見覚えがあった。以前、ラミアと話をしていたプレンティス侯爵家の魔導士だ。魔法発見呪文に反応しなかったということは、まさか、呪文を使わずに密かに近づいてきていた、或いは、ここで待ち伏せをしていたのか。
『魔法の衝撃波』
発見されたことに気付いた魔導士はすぐに呪文を唱えた。アルに向かって突き出した掌からは青白い光が大量に噴き出してくる。魔法の衝撃波呪文は、魔法の竜巻呪文と異なり、突き出した掌を起点として、青白い塊が頂角60度の円錐形に30メートル程の距離まで広がりながら大量に噴出していく呪文である。
『素早い鎧作成 全身金属鎧』
痙攣呪文で呪文行使の邪魔をするのは全然間に合わない。アルは代わりに習得したばかりの呪文を唱えた。たちまちアルの全身に騎士のような金属鎧が装着された。その直後に魔法の衝撃波呪文の青白い光がアルの全身を襲った。あらかじめ自分に使っていた盾呪文の六角形の光が最初はそれを打ち消していたが、すぐにその枚数は使い果たしてしまい、次々に命中する青白い光にアルは後方へ吹き飛ばされた。衝撃で金属鎧が凹み痛みに気が遠くなりかけた。だが、その青白い光は金属鎧を貫通するほどの効果はなく、やがて、その魔法の衝撃波呪文の波は消え去ったのだった。
「ばかなっ、金属鎧だと? ならば」
『貫通する槍』
痛みに呻きながらも立ち上がろうとするアルに、プレンティス侯爵家の魔導士は別の呪文を唱える。アルはあわてて素早い鎧作成を解除した。革鎧を身に纏った上に半ば無理やり金属鎧を装着しており、それも多くの陥没箇所が発生しているので、実は手を動かす事すら儘ならなかったのである。ようやく呪文が使えるようになった時にはプレンティス侯爵家の魔導士の呪文の詠唱は終わろうとしていた。
『素早い盾』
辛うじて『素早い盾呪文は間に合った。プレンティス侯爵家の魔導士の掌から飛び出した3本の槍は全て盾の六角形の光に打ち消される。
『魔法の竜 『痙攣 …』』
魔導士が続けざまに唱えようとした呪文にアルはようやく痙攣で割り込んだ。プレンティス侯爵家の魔導士がしまったという表情を浮かべる。
『素早い魔法の矢』
『素早い……』
アルの掌から飛び出した青白い矢のようなものが飛び出す。痙攣呪文のおかげか魔導士の呪文は間に合っていない。矢はプレンティス侯爵家の魔導士の胴体に次々と突き刺さる。その衝撃に魔導士は後ろに吹き飛ばされ仰向けに倒れた。
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アルが使った習得したばかりの呪文、素早い鎧作成呪文というのは、実はタガード侯爵領の帰り道に作り出した呪文であった。
呪文を作り出すことになった発端は、素早い魔法の矢呪文をタガード侯爵領で入手して習得を済ませた後、アルはこの素早い――と名前が付いた呪文の特性について気になり、詳しく調べる事にしたことからであった。
アルはまず、呪文の書でどのように記述が違っているのか、見比べるところから始めた。その結果、呪文を構成する様々な記号の中で、矢や盾を魔法で作り出すための記号だけが異なっており、その記号の差異について、特徴がある事を突き止めたのである。
そして、驚いたことに、その差はアルが以前から意識していた光呪文で使う光を示す記号が閃光呪文で使う光を示す記号との差異にも当てはまることでもあった。
ということであれば、同じくモノを作り出す呪文である鎧作成呪文でも似たような事ができるのではないかというのが、この呪文を作り出す事に繋がったのである。
アルは早速鎧作成呪文の呪文の書を複製し、鎧(術者の身に付けるもの)を示す根源にあたる記号をその差異を意識して改造できないか試みる事にしたのだ。
そうして、かなりの試行錯誤とゾラ卿の協力により、鎧作成呪文の呪文の書を改造して新たな呪文の書が出来上がった。アルは素早い鎧作成呪文という呪文を習得することができたのであった。
とは言え、この素早い鎧作成呪文は呪文の発動が他の素早い系と同様にかなり短くなったものの、本来長い時間有効である効果時間が3分ほどしかないという欠点があった。そのため、一緒にその様子を見ていた王国騎士団の魔法使いからはわざわざ習得するほどの実用性があるかは微妙ではないかという評価もあった。だが、今回、この呪文のおかげでアルは命拾いをしたといっても過言ではない。自分が作り出した呪文に有効性を見いだせた事でアルは深い満足を覚えたのだった。
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