19-6 テンペスト王国入国
メッシーナ王国との入国交渉を終え、オリオンの街を出発した使節団一行は、その一週間後、無事メッシーナ王国を抜けてテンペスト王国に入国を果たしていた。
テンペスト王国に入国を果たした初日、使節団一行は国境の街ではそこの領主らしき人物――ノーマ伯爵ではなかった。代官かもしれない――に予想外の歓待をされた。メッシーナ王国では住民に接触を禁じられていたため、ずっと野営、食事も持参した保存食のみだったこともあって、領主の計らいで予備の兵舎らしきものも利用させてもらえた使節団の者たちはこの街で久方ぶりにのんびりとしたのだった。
その翌日、このノーマ高原の国境の街を出た一行は、メッシーナ王国の豊かな小麦畑からテンペスト王国の起伏にとんだ荒野に一変した風景を眺めながら、タガード侯爵領に向けて歩を進めていた。
「アルフレッド、ずっと何か呪文を唱えているが、もう大丈夫じゃないか? お前がこの使節団に合流してもう十日は経つだろう。あまり神経を張り詰めたままだと、いざというとき働けないぞ。もう、プレンティス侯爵家の連中もさすがにこの人数を見て、恐れをなしたのではないか。すこしは気を抜け」
使節団の隊列でいうと前から1/3程の位置、セレナの乗る馬車に並走しながら、ギュスターブは馬の横を歩くアルにそう話しかけた。アルは小声での詠唱を止め、ギュスターブににっこりと微笑んだ。
実は今、アルはゾラ卿から呪文を習得するやり方を見せる礼として彼から貰った新たな呪文、遅延呪文の練習を行っており、表情は真剣だったが、内心かなり興奮していたのである。
この呪文はセネット伯爵家に仕える魔法使いにのみ伝えられた呪文らしく、ようやく昨日の夜、呪文発動に成功したばかりだった。メッシーナ王国の移動中、呪文の書まで箱に入れて封緘する必要がなければもっと早く習得できていただろう。この呪文は別の呪文を組み合わせて使う事により、呪文の効果の発生を待機させることができる呪文であった。うまくタイミングを合わせることが出来れば、まるで二つの呪文を連続してつかったかのような効果が得られるかもしれない。アルにとっては夢のような呪文であった。
「ああ、ギュスターブ兄さん、大丈夫だよ。呪文を使っているのは何時もの練習だから気にしないで。でも、みんな油断しすぎじゃないかな? これからが危険地帯だと思うんだけど……」
「確かに俺も少しそう思う。だが、メッシーナ王国でずっと緊張状態だったからな。昨日の歓待で気が緩んだのだろう。おそらく明日の朝の出発時点にでもセオドア殿下が気分を引き締めるように演説をされるのではないかな?」
そんなものなのか。軍勢の指揮など全く考えた事もないアルは素直に頷いた。確かにずっと緊張状態なのは疲れる。そして毎日のように騎士たちを集めて演説するわけにも行かないということかもしれない。
だが、メッシーナ王国を移動している間も、アルは魔法感知呪文と魔法発見呪文に探知回避呪文を重ね、探知されない状態での警戒状態を維持していた。そのため、表面的には無事であったものの、移動中は何度も誰のものかわからない浮遊眼呪文の眼が使節団一行のすぐ近くまでやって来ていたのを知っていた。もちろん、探知回避呪文については知られたくないという事情もあったので、セレナにはその恐れがあるので注意した方が良いという警告までしか出来ていない。
そして、それに関して気になったのは浮遊眼呪文の眼に対して、レスター辺境伯の魔法部隊だけでなく王国の第二騎士団の魔法使い、そして使節団を監視しているはずのメッシーナ王国側の騎士団からも特に動きがなかったという点であった。どちらの部隊も魔法発見呪文なり透明発見呪文を使っていれば、それに確実に反応が出ていたはずである。この反応に気付いていれば、アルの警告などなくても、何らかの異変は感じ取っているべきだろう。
あの浮遊眼呪文の眼はどこの魔法使いが使っていたものなのか。メッシーナ王国側の騎士団の魔法使いだったのであれば、問題はあまりない。だが、プレンティス侯爵家の魔導士だったのだとすれば、それをメッシーナ王国騎士団の魔法使いは単に気付かなかっただけなのか。或いは知っていてそれを許したのか。もしそうだとすれば表向き中立の立場であるメッシーナ王国は実はプレンティス侯爵家と協力体制にあるのかもしれないということにもなる。
「うん、でもなんとなくさ、もうテンペスト王国に入ったし、そろそろ町からも離れて人影もなくなった。プレンティス侯爵家の魔導士が仕掛けてくるとしたらそろそろじゃないかなぁって感じしない?」
「そんな不吉な事をいうな。本当になるぞ」
ギュスターブが不安そうにあたりを見回す。
「あっ、後方で魔法の反応」
アルが真剣な声を上げる。アルの不吉な予感は的中したらしい。おそらく何らかの魔法がかかった状態の何者かが近づいてきている。
「注意してください。何者かが後方より接近中」
ギュスターブが声を上げる。ほぼ同時にナレシュやゾラ卿が乗っている馬車も天井が開き、ゾラ卿の弟子が二人、頭を出した。おそらくゾラ卿もアルと同時に接近を感じ取ったのだろう。弟子の二人の間から浮遊眼呪文の眼らしき透明な玉が上空に浮かんでいく。アルも自分の肩に載せていた浮遊眼呪文の眼を上方に向かわせる。
使節団の隊列は道があまり良くないこともあり、ほぼ一列になって進んでいた。一番先頭は今回の使節団の案内役でもあるタガード侯爵家のノラが乗る馬車、そのすぐ後ろをシルヴェスター王国第二騎士団一個小隊、そして、セオドア王子たちの乗る馬車、セレナの乗る馬車、ナレシュの乗る馬車と続き、その後ろにはレイン辺境伯騎士団の魔法部隊、そして輜重やタガード侯爵家への贈り物を運ぶ馬車、最後列をレイン辺境伯騎士団の第二隊の騎士たち一個小隊が続いていた。ギュスターブは本来であれば第二隊であるので最後列を守る位置であったはずだが、今回はセレナの護衛ということでセレナの乗る馬車と並走する形で進んでいた。
その後方に近づいてくる2つの呪文がかかった状態の存在。おそらく魔法使いだろう。テンペスト王国入国以来、アルは普段、55メートルとしている発見系の魔法の効果範囲を、疲れずになんとか維持できるぎりぎり、65メートルまで広げていた。それに反応したということは2つの存在はその65メートル以内の距離に入って来たことを示している。そして、そのうちの一つはそこから数メートルほど入って来たところで停止し、もう一つだけが使節団のすぐ後ろにまで近づいてきた。最後尾で護衛についているであろう騎士の何者だという誰何の声が聞こえる。第二隊の位置はアルたちの位置からは30メートル程離れている。近づいてきているのは黒いローブのようなものを着ていた。そしてその黒いローブを身にまとった者は第二隊から20メートル程ほどの位置まで来るといきなり魔法を使った。
黒いローブを着た者の掌あたりから青白い光のようなものがヒューと音を立てながら飛び出した。アルはそれに見覚えがあった。魔法の竜巻呪文だ。もう痙攣呪文によるキャンセルも間に合わない。オプションを使わない場合、魔法の竜巻呪文の有効射程は30メートル、効果範囲は半径10メートルである。幸い、セオドア王子やセレナ、ナレシュたちの馬車には届かない位置だ。
「魔法の竜巻呪文。伏せて!」
アルは声の限り叫ぶ。伏せたところでダメージは受けるだろうが、致命傷にはならずに済むかもしれない。輜重隊の連中でも耳ざとい連中はアルの声を聞いて咄嗟に持っていた荷馬の手綱を放り出して道の脇に飛び込むようにして身を伏せる。青白い光は輜重隊と騎士団第二隊のほぼ中間あたりに落下した。光が地面にあたった瞬間、ゴォーーーッと風がうなるような音がして、その点を中心にまるで光の花が開くように白い光が渦を巻いて広がった。輜重隊の大半と騎士団第二隊は完全にそれに飲み込まれ、立っているものは青白い光の塊に吹き飛ばされていく。多くの者のぎゃぁああと悲鳴が聞こえた。やがて白い光の渦は収まり、地面には倒れ伏した騎士や輜重隊の面々、軍馬や荷馬、そして荷馬車に積まれていた荷物などが散乱する修羅場が残された。
「!!」
「何が起こった?!」
「どうしたの?」
ギュスターブやオービルは第二隊の同僚の身を心配してかその名前を叫んでいる。セオドア王子、セレナは揃って馬車の扉を開けて近くにいたギュスターブやアルたちに口々に事情を聞いてきた。魔法部隊たちもぞろぞろと馬車から降りてきている。ナレシュたちはまだ馬車の中で周囲を警戒しているようだった。
「兄さん落ち着いて! セオドア王子殿下、セレナ様、魔法使いの襲撃です。相手は後方から近づいてきて、いきなり魔法の竜巻呪文を撃ってきました。輜重隊とレイン辺境伯騎士団第二隊はそれに巻き込まれた模様です」
パトリシアを辺境都市レスターで襲う時には一般市民を巻きこんで同じような事をしようとしたプレンティス侯爵家の魔導士、その連中の仕業だろうか。まだ戦争をしているわけでも無いのに、いきなりこんな事をするのか。アルはどうすればよいのかわからないながらも、そのように報告をし、魔法の竜巻呪文を使った魔法使いがさらに近づいてきた場合に備えてその様子を注視しておく。近づいてきて再び魔法の竜巻呪文を撃とうとするのなら痙攣呪文によるキャンセルができるようにだ。
「おのれ、討伐に向かうぞ! レイン辺境伯家の魔法部隊の恐ろしさを見せてやる 飛行」
魔法部隊の小隊長メルヴィンが飛行呪文を唱えた。配下の魔法使いたちも次々と飛行呪文を唱え、空に浮かんでいく。そして、次々と後方に向かって飛んで行き始めた。シルヴェスター王国の場合、魔法部隊の小隊は騎士団の小隊が騎士6人にそれぞれ従士が2人ついて18人の構成であるのと同様に魔法使い6人とその見習いが2人ずつで18人の構成である。飛んでいったのは6人で見習いは馬車に残ったのだろう。
「い、いやちょっと、飛んで魔法が使える敵に向かったら……」
魔法解除されて酷い目に……という忠告はとても間に合いそうにない。そして、それとほぼ同時にアルと周囲を監視する浮遊眼呪文の視界を共有するグリィが声を上げた。
“アリュ、北西の岩山の上に人がいて、こっちを見てるよ?”
アルがグリィの言うあたりにじっと目を凝らす。何人かの動く人影、3人? いや4人か。結構遠い。70メートル位は離れているだろう。アルの発見系の魔法の範囲外である。これはここで待ち伏せされていたという事だろうか。しかし、あの四人はこの距離で一体なにをしようとしているのか。ただの監視? 距離70メートル。アルの魔法の矢呪文なら距離伸張すれば届かない距離ではない。ゾラ卿からは魔法のオプションの話はテンペスト王国では聞いたことがないと確認したばかりだ。だが、この距離で人がいるというのはまさか……。
『素早い盾』 セレナ、セオドア王子
不吉な予感は既に一度、当たっている。さらに何か起こるような気がして、アルは念の為に素早い盾呪文を急いで使い、セレナ、セオドア王子にかける。相手が狙うとすればセオドア王子、セレナ、ナレシュあたりにちがいない。ナレシュは賢明にもまだ馬車の中だが、二人は外に出てきてしまっている。
そして、素早い盾呪文の六角形をした光る盾のようなものが一瞬現れる。そして、それとほぼ同時にアルの不吉な予感通り、七十メートル離れた男の手元から青白い矢のようなものが3本放たれた。
※2025.1.11 ご指摘をいただきまして、一部 離れている距離を訂正しています。
①アルの発見系の呪文の有効範囲 55メートル → 65メートル
②近づいてきた魔法使いのうち一人の停止位置 100メートル → 60メートル前後
読んで頂いてありがとうございます。
月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
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