19-5 メッシーナ王国への入国条件
メッシーナ王国への入国は長引き、五日経っても入国は許されなかった。漏れ聞いたところによると、今回のシルヴェスター王国の外交使節は、護衛で3個小隊、さらに荷物持ちなどを含めると百人近い。それほどの規模の使節団が国内を通過するのはとメッシーナ王国側ではかなり問題となっており、なかなか結論が出ないのだという。
使節団の団長を務めるセオドア王子は、自らの天幕にセレナやナレシュを朝から招いて会議を始めた。セレナの護衛であるアルたちは当然のことながら天幕の外で会議が終わるのを待つことになった。
「どうして、入国許可は出ないのだ? 通過するだけなのだぞ」
すぐ外で警護を務めるアルたちにも、その激高した声は響いてきた。その声はセオドア王子であった。彼は今年25才らしい。身長が2m近くあり、馬上で振るう槍の腕は素晴らしく、ナレシュも自らとても歯が立たないだろうと言うほどの武芸の達人であった。
「も、申し訳ありません。ずっと、その路線で説明をしているのですが、メッシーナ王国の騎士団の関係者は首を縦に振ってくれぬのです」
キンキン声で懸命に釈明しているのは、ネビン男爵だとおもわれた。レイン辺境伯家に仕える内政官で、今回の使節団の様々な調整をしている30代前半の少し小太りの男性である。
「そこを交渉するのがそなたの役目であろう。言われた事をそのまま伝えるだけなら、幼子でもできるのだぞ」
「申し訳ありません。申し訳ありません」
「偉い人は大変だね」
アルは思わず隣にいるオービルに小さな声で囁いた。オービルもちらりとアルと視線を合わせて頷く。そこに、数人の男たちが戻って来た。先頭を歩いているのはコンラッドという眼鏡をかけた若い男だ。アルは以前、ユージン子爵の所でムツアシドラの褒賞を貰った時に見かけた事がある。今はネビン男爵に仕えているらしかった。何度かアルの前を通ったが、彼の方ではアルの事を覚えていないようだった。
「向こうからようやく条件が出ました」
コンラッドは少し緊張した様子でそう言いながら天幕に入っていく。しばらく天幕の中ではその条件について話し合われたようだった。少し気になったアルは練習も兼ねて小声で知覚強化呪文を唱える。
『……メッシーナ王国を通過する間、メッシーナ王国側の騎士団が同行し、貴使節団の安全は確保する。ただし、貴使節団はメッシーナ王国領内では我が国で暮らす住民とは接触せず、武官の武器には封緘を施し、魔道具も箱に入れて同じように封緘をする。呪文の使用は野営地でのテントの中に限る。必要な物資があれば、同行するメッシーナ王国騎士団を経由して入手を行う事とする……』
「ただ、走り抜けろという事か……」
セオドア王子はコンラッドの話す条件を聞いて、吐き出すようにそう呟いた。続けてどしんという音がしたので、椅子に座り込んだのだろう。メッシーナ王国に入ったら呪文の書を買いに行くのもだめらしい……。結局、オリオンの街には行かせてもらい持っていない呪文の書を探したものの、見つけることが出来なかったアルはがっくり肩を落とした。
「わ、悪い条件ではないと考えますが……」
ネビン男爵が恐る恐るといった雰囲気でそう言う。
「ノラ様の馬車は?」
「タガード家の馬車は一台だけで、メッシーナ王国側でも問題視はしておらず、今回の入国の件でもメッシーナ王国側から特に条件はないと伺っています」
セレナの問いに、コンラッドが落ち着いた様子で答えた。
「セネット男爵、そなたはどう思う?」
「危険です。例えば魔法で透明化したり、幻覚などで姿を変えた者がセオドア殿下やセレナ様に接近を試みた場合、それから身を護る術がありません。最低限、道中での発見魔法三種の使用は必要だと考えます」
セオドア王子にナレシュが答える。
「そうか……確かにな。それは一人でよいか?」
「数日にわたると思いますので、交代要員を考えればできれば数人」
ナレシュは続けて答える。その答えは淀みなかった。
「ネビン、コンラッド、我が第二騎士団から二人、セレナ殿配下の魔法部隊から二人、道中に魔法が使えるように交渉をしてこい。良いか?」
“えっ?”
アルはセオドア王子の指示に思わず声を出しそうになり、あわてて口を抑えた。王国の第二騎士団はともかく、レイン辺境伯の魔法部隊で発見系の魔法が使える者は居るのだろうか? だが、各部隊のバランスからセオドア王子はそう決めたのかもしれない。個人的にはかなり心配だ。
「かしこまりました」
ネビンがそう答え、コンラッドと共に天幕を出ていく。
「よし、これでようやく前に進んだ。条件面での話し合いなら今日中にはなんとか進むだろう。明日はきっと出発だ。各自準備を整えよ」
セオドア王子がそう話す。ナレシュ、セレナは共にセオドア王子に挨拶をして天幕を出、アルたちは、セレナと共に天幕に戻っていったのだった。
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「セレナ様、どうされます?」
セレナを追って、少し早口でアルは話しかけた。
「ん? アル君、話は外まで聞こえていた?」
しまった、気になるあまりつい尋ねてしまった。聞こえていたと言うには不自然だろうか。しかし、魔法まで使って中の声を聞いていたとは言えないだろう。そこは誤魔化すしかない。
「斥候職もしていたので耳は良いのです。とぎれとぎれですが……」
とりあえずそう答える。幸い、セレナはそれ以上その件は尋ねてこなかった。
「そう……。君が心配しているのは、魔法による警備の話?」
アルは頷く。セレナはかるく首を振りつつ、小さな声で話し始めた。
「デュラン卿からの手紙を貰った後、メルヴィンにそれとなく発見系の話を聞いてみたわ。でも彼はそれぐらい問題ないと断言した。私自身はかなり不安に思っているから、アル君たちの身辺警護の話はそのまま進められたけれど、今回のメッシーナ王国を通過する対応については、セオドア殿下が魔法部隊に指示してしまった。変更はできないの。任せるしかないわね」
メルヴィンというのは、今回使節団に同行しているレイン辺境伯の魔法部隊の隊長だ。男爵位を持ち、魔法使いなのに腰には剣を下げており、この出国待ちの五日間も騎士たちに混じって剣の練習をしていた。自分自身の命がかかっているというのに、表向きはメルヴィンの言葉を信じなければいけないのか。第三女というセレナの地位は意外と低いのだろうか。
「ナレシュ様のところでも出来れば良かったのですが……」
「そちらは難しいわね。セオドア殿下はあまりナレシュ君に活躍して欲しくないのよ。ノラ様との件があるから……」
アルは思わず首を傾げる。ノラ様というのはもちろん今回の外交使節としてやってきたジリアン・タガードの同母妹、ノラ・タガードの事だろう。
「ノラ様は18才。今回のプレンティス侯爵家の戦いで許婚を亡くされた。そして、今、彼女の婚姻相手として一番に名前が挙がっているのがセオドア殿下。シルヴェスター王国とのつながりを考えれば納得できる話ね。今回の同盟にあたって条件の一つではないかとも噂されている。でも、他にも候補が上がっているらしくて、その中の一人にナレシュ君の名もあるらしいわ。セオドア殿下だとあまりにもシルヴェスター王国の影響力が強くなりすぎる。それならセネット伯爵家の血を引くナレシュ君のほうが良いとタガード家の中では言われているという噂よ。そのためにセオドア殿下はかなりナレシュ君の事を意識しているらしいわ。自分がセネット男爵を名乗る様にナレシュ君に半ば無理やり押し付けたのにね……。私の兄の名も挙がったけれど、それはノラ様のほうで即、却下されたらしいわ」
ナレシュにはルエラが居るはずだ。ルエラの父、レビ商会の助力によって避難民の援助だけでなく今の男爵領も成立しているといっても過言ではない。
「もちろん、ナレシュ様は断っているのですよね?」
「まだ、噂だけよ。ナレシュ君も耳にしているとは思うけど、正式な申し入れがあったわけでも無いでしょう」
そうか。まぁ、これについてはナレシュ自身が断固とした立場をとるしかないのだろう。
「でも、ナレシュ君のお母様も同じような話だったし、もしナレシュ君という話になったら外交上断わるのは難しいかもしれない。ルエラを第二夫人にせざるを得ないかもしれないわね」
ナレシュの母? タラ子爵夫人か。
「タラ子爵夫人がレスター子爵家に輿入れすることになったのは、シルヴェスター王国とテンペスト王国との和平の一環だったのよ。元々、ナレシュ君のお父様、レスター子爵と子爵家の寄子のスカリー男爵の娘だったアグネス夫人とは相思相愛の仲だったの。でも、そのレスター子爵の第一夫人はタラ子爵夫人となり、アグネス夫人は第二夫人となったわ」
そのような事があったのか。タラ子爵夫人も望んでレスター子爵家に嫁いできたわけでもなく……。もちろん貴族の婚姻というのはそのようなものなのかもしれないが、色々と複雑な事情があるということか。いや、あまりこの話は知りたくなかった。ナレシュ自身はこの話を知っているのだろうか。
「とりあえず、メッシーナ王国を通過する間、昼間は極力セオドア殿下の馬車とあまり離れずに移動していただくほうが安心かと思います」
「そうね。そうするわ。御者にもそう言っておきましょう」
アルの提案に、セレナももちろんとばかりに頷くのだった。
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