89とっても楽しくない休暇です
寒さは、ますます厳しくなり、馬車の小さな窓から見える針葉樹に、雪が積もる季節。
騎士学校に設けられた冬の長期休み三日目。わたくしはラマとヨーナスお兄様と共に馬車に揺られていました。
しょっちゅう、タセやニエに会うためにこっそり転移陣を使って家には戻っていたので、久しぶり……ではないんですけど、正式な帰省はこれが初めてです。
実はわたくし騎士学校に入ってから、何かと理由をつけて両親に会っていなかったのです。
もともと屋敷にいた頃も頻繁には会っていませんでしたが、ここまで長い期間合わなかったのは生まれて初めてです。
しかし今、騎士学校や王都では派閥争いが過激になってきていますし、わたくしがお父様やお母様と話をすることで、自分の考えが歪められてしまうのではないかと思い、お会いするのをさけていたのです。
ですが、最近のお父様とお母様は、わたくしの王都でのあれこれについて、それはそれは心配しているようで、今回の冬の休暇は必ず帰ってくるように、と言いつけられてしまいました。
お父様たちはわたくしだけに言っても確実ではないと悟ったのか、ヨーナスお兄様にもわたくしに帰るように諭せ、と告げたそうです。
それで、一昨日に呼び出され、昨日の夜は荷物を用意することに……。
ヨーナスお兄様の監視付きとあっては、帰るしかありません。
本音としてはそんな時間があったら魔法陣の強化に勤しみたいですが。
寮の自室で、帰るのが億劫です……なんてつい口にしたところ、
「今回は帰りましょう、リジェット様。わたくしもこのまま帰らないのは、いかがなものかと思います」
と、ちょっと困ったような、怒ったような、微妙な顔をラマにされてしまいました。
「そうよね……。ラマも里帰りさせてあげないといけないですし。と、言ってもラマの故郷はアーノルド領ですが」
「その申し出はありがたいですね。アーノルド家のロザンヌ様から情報提供を受けたいと思っていたので」
アーノルド領は元々オルブライト領だった領地ですが、わたくしのおばあさまである、ヒノラージュ様が領主だった頃に、家臣として長年忠義を尽くした役職持ちの貴族、アーノルド家に分け与えられた土地です。
オルブライト領の北東に位置する土地ですが、わたくしたちが住んでいた屋敷からは少し距離があります。
「じゃあ、馬車の手配だけしておきますか?」
「いいえ、結構です。走っていけば、一時間ほどで着きますから」
え、ちょっと待ってください。アーノルド領って馬車で行っても半日以上かかる遠さなのですが、ラマは走って一時間で行く気ですか⁉︎
どれだけ、足が強いんですか⁉︎
「リジェット様が以前身体強化の魔法陣をくださったでしょう? そちらを使えば、簡単に長い距離を走れるんですよ」
「それにしたって限度があると思うのですが……」
やっぱりうちの侍女はわたくしの想像を超えるくらい優秀なようです。
森を切り開くように設置された門を抜け、屋敷の正面から馬車を乗り入れます。
わたくしが玄関前で馬車から降りると大きく重厚な玄関扉が使用人の手で開けられます。
中からお父様とお母様の姿が見えました。どうやらわざわざ待っていてくださったようですね。
「お父様、お母様。お久しぶりです。ただいま戻りました」
「ええ。リジェット。よく帰ってきましたね」
お母様は目にほんの少し涙を浮かべていました。王都の派閥争いに巻き込まれる自分の子供たちの身を案じ、心を痛めていたのでしょう。それなのに、わたくしは王都にこもって魔術の研究をしようとしていたなんて……。親不幸な娘ですね……。
こんなに心配されていたと知っていたならば、離宮を訪れたときに顔を見せれば良かったです。
「リジェット無事でよかった。騎士学校で怪我などしていないか?」
「お父様……。怪我など、どこにもしておりませんよ」
「そうか……。それはよかった。エドモンドから派閥争いで騎士団の生徒の中でも怪我人が出始めていると聞いていたから、気が気ではなかったんだ」
その言葉で、派閥争いに巻き込まれ、殴られていた先輩方の顔が浮かびます。
もうそんな学園内部の情勢のことまでお父様に伝わってきているのですね。
「わたくしは相変わらず中立を貫いていますから、心配ありませんよ?」
わたくしは少しでもお父様を安心させようと、柔らかい微笑みを顔に浮かべます。
「そのことについてだが……少し話したいことがある。荷物を置いたら食堂室で食事をとりながら話そう」
しかし、お父様の顔色は優れないようです。
「お父様たちの使われている方の食事室でよろしいのですか?」
「ああ。用意ができたら部屋に使いをやる」
帰省してすぐ、大事なお話ですか……。想定はしていましたが、憂鬱ですね。
食堂室に入るとお父様の他にヨーナスお兄様も席に座っていました。
食事が始まった途端、お父様が本題を口にします。
「へデリーが今どの派閥に属しているか、お前たちは知っているか」
「ええ、旧王家派ですよね?」
わたくしがそう口にすると、お父様は深くため息をつきました。チラリとヨーナスお兄様に視線をやります。ヨーナスお兄様は特に驚いた様子もなく、黙々と食事を口にしていますから、そのことは当然のように知っていたのでしょう。
「あいつは……。本当にわからん。なぜ旧王族なんて一番弱い組織に属したのか……。正直、ヘデリーはもう少し、狡猾な男だと思っていたのだが……」
そう言ってお父様は頭を抱えていましたが、わたくしはなんとなくヘデリーお兄様の気持ちがわかるような気がします。
正直、第一、第二王子どちらにも魅力を感じないのですよね。
二人ともこの国の行く末をどこか盤上の上で見ているんじゃないか、と思ってしまうのです。
王位のみに固執している感じが否めず、国をどう導いていくか、というビジョンが全く見えないのですよね……。
当たり前の話ですが、この国の人間はみんな生きています。
必死にしがみつくように暮らしている人だって大勢いますのに、そういう方々のために政策を講じるわけもなく、ただ自分の欲のために、人を動かし、戦わせ、補充ならいくらでもいると言わんばかりの態度をちっとも隠そうともしないのです。
ただ、そういう方が国を治めて大成する、ということもあるのはわかっています。ただ、それをやるためには民を信じ込ませるだけの、ハッタリをきかせなければなりません。
それができないようであれば……。できないだけでなく、民を惑わせ、勢力を二分させてしまうようであれば、王としての器ではないのだと思うのです。
それ故にこの人についていきたい! という求心力はどちらからも感じませんし。
そんな人のために身を呈すくらいなら、自分が敬う人の力になりたいと、へデリーお兄様は願ってしまったのでしょう。
「正直言うと、わたくしもへデリーお兄様が旧王族派につくことは予想できませんでした。でも……まあ、うまくバラけたと言うことでいいんじゃないですか。何事も多様性は大事ですし。未来のことなんか誰にもわかりませんから、オルブライト家として子供たちの誰かが残るような戦略を立てていかねばなりません」
冷たく、無機質に言い切ると隣に座っていたヨーナスお兄様がギョッとした顔でこちらを見ます。
「……本当、リジェットはクゥール様に性格が似て来たな」
「え? そうですか?」
「昔のリジェットはもっと……純粋だったよ……。こんな提案をされても素直に受け入れたりはしなかっただろう。……本来あったはずの甘さが、王都の生活でなくなってきたな」
ヨーナスお兄様の言葉に首を傾げます。
「あら……わたくしは十二分に甘いと思いますけど」
もし先生が同じ立場に立ったら、今の時点でへデリーを消そう、とかいいそうですし。お父様だって、その選択肢を考えなかったわけではなさそうです。苦渋を飲んだ声音は、それを物語っています。
「ヨーナスお兄様は今のわたくしはお嫌いですか?」
「そんなことはない……。ないんだ……」
複雑そうな顔をしていますが、わたくしは大人になってしまったのです。諦めてきださい。
シラーっとした視線を向けていると、お父様が苦い顔をして口を開きます。
「それで、来年の騎士団の人事だが、ヘデリーがシハンクージャ国境沿いに戻るそうだ」
「それって……!」
配属が王都に戻ったはずのへデリーお兄様が今のタイミングでシハンクージャ国境沿いに戻るということ。それはシハンクージャとの戦いが開戦になった場合、へデリーお兄様が戦火の最前線に立つと言うことです。
直接、派閥で争わずとも、他国との戦いで命を落としてしまえば……。
騎士団の中で王族に通じる誰かが、旧王族派の力を削ごうと考えているのでしょう。
「ああ、リジェットも情報を掴んでいるか。我が国、ハルツエクデンとシハンクージャの間で、戦争が起こる予兆がある。あちらの王が代替わりしたのは知っているか」
「はい。騎士団の先輩に伺いました」
「シハンクージャの前王は現ハルツエクデン王と友好関係にあった。国としてシハンクージャは鎖国状態を貫いているが、同時に攻め込んでくることもなかった。その状態を保った前王は若くして王座についたが懸命に平和を保とうとしたのだろう。だが、同時に国内では脆いと排除されかねない信念だったのかもしれない」
シハンクージャは己の強さを美徳とする国民性。そんな彼らが唯一、欲しているのはハルツエクデンの湖の女神の加護及び、聖地であるハルツエクデン湖です。
「どうして同じ神様を信じているのに、私たちは戦わないといけないのでしょう」
「そうだな……」
お父様もヨーナスお兄様も顔を顰めています。せっかく料理人が腕を振るってくださったお料理も、こんな状況では味がしません。
「それでも私たちは国を守らなければならない」
お父様のその言葉が、わたくしの頭の中に深く響き渡りました。
食事が中盤になると、お父様が思い出したように口を開きます。
「王族からアーノルド領に圧力がかかっているらしい」
「アーノルド家のロザンヌ様が育てた使用人目当てですか」
ヨーナスお兄様の言葉にわたくしも納得します。
「ああ。優秀な使用人は時として武力になるからな」
馬車が必要な距離を走って移動してしまうラマや、そのラマよりも優秀な人間がいると噂のアーノルド領。わたくしはあまり接点がないのですが、お父様たちが向かう社交の場では度々その奇特さが語られているようです。
ロザンヌ・ノーラ・アーノルド様は個人で騎士団に匹敵する戦力を持っている、と。
やはり個人として余分な武力を持っている人間は王族に目をつけられてしまうのですね。わたくしもマルトの事業、隠し通さねばなりません。
あ、でもシュナイザー百貨店で販売しているってことは、王都では有名ってことですよね。もう隠すには遅いですかね……。
というか、それを言うならシュナイザー家は王族に目をつけられていないのかしら。でも、あの抜け目ないレナートなら王族も転がしてしまいそう……。
憂鬱な気分を引きずりながら昼食を終え、部屋に帰るとラマが部屋の中を整えているところでした。
「あら、ラマ。まだアーノルド領に帰っていなかったの?」
「いいえ。もう帰ってきたところですよ」
「えっ! いくらなんでも早すぎますよ⁉︎」
ラマは特に乱れた様子もなく、いつも通り涼しい顔で執務に当たっていました。
どんな体力をしているのでしょう……。
「お嬢様は目を離すとすぐに何か、しでかすでしょう? 心配で長い間お側を離れることはできませんよ。それに帰りは転移陣で送ってもらいましたから早かったんです」
「アーノルドの屋敷にはオルブライトの屋敷直通の転移陣があるの?」
「いいえ。転移陣を描くことができる、ロザンヌ様付きの使用人がいるのですよ」
魔術師しか描けない魔法陣を描くことができる、使用人……。そんな使用人、もはや使用人の枠を超えているのでは?
「まあ、優秀なのね」
ちょっと引き攣った顔で言うと、ラマも表情を渋らせます。
「ええ、反吐が出るほど」
いつもは丁寧なラマが辛辣な物言いをすると言うことは、ラマはその方のことがあまり好きではないのでしょう。
ラマは屋敷の中で働いているどの使用人ともうまくやっているイメージがあったので、嫌う同業者がいるというのはちょっと意外です。
優秀なもの同士の、熱い戦いがあったのかしら?
「アーノルド領で何か情報はつかめましたか?」
「ええ。アーノルド家のカスタナ様は第一王子に心酔しているそうです」
「えっ! よりによって第一王子ですか⁉︎」
「そこなんですよね……。カスタナ様は自身の髪色が灰色であることを昔から気になさっていましたから、同じように魔力が少ない第一王子に心を重ねているのかもしれませんね。お姉様であるロザンヌ様と事あるごとに比べられていましたし……」
「ロザンヌ様……。わたくしはお会いしたことはないのですが、髪色が黒いのですか?」
「ええ。しかもあの方は幼い頃から事業を立ち上げるなどして、優秀でしたからね」
そんな優秀な姉がいたら、自信を失ってしまうのもわかるような気がいたします。
でも、どうして第一王子派なのでしょう。ただでさえ、うちのユリアーンお兄様も第一王子派になっているのですから。アーノルド家は領地持ちの家ではありますが、まだ領地を持ってからの歴史が浅いので、他の領地にはオルブライト家の預かり領地だと思われています。
中にはまだ、オルブライト家の領地だと認識している方もいらっしゃいますから、アーノルド家が第一王子派を支持した、と言うことはオルブライト家内の支持票が多いと解釈されかねないのです。
オルブライト家を第一王子派に傾けるような真似はやめていただきたい。
「次期当主のカスタナ様が支持を表明していると言うことは、ロザンヌ様もそれに従うのかしら?」
「どうでしょう。あの方は短絡的な考えをする方ではありませんから、いざとなったら使用人全員連れて家を出る気がしますけどね。それができる財力もあの方は持っていますし」
「聞けば聞くほどすごい方ね……、ロザンヌ様」
「リジェット様も似たり寄ったりですよ」
……それは褒め言葉として受け取っておきましょう。
ああ、考えることがいっぱいで頭が痛くなってきました。魔術の研究なんてちっともできません。
「帰省がこんなに楽しくないなんて思ってもいませんでした。ここに帰れば悩みが少し薄まるかと思いきや、濃縮されていましたよ」
わたくしはハーブティーを飲みながら天を仰ぎ見ました。
オルブライト家の立場まとめ回です。そして、なんかロザンヌ様がすごいらしい……。しかし、まだ彼女は出てきません。




