75ハーブティー事業チームに連絡をします
スミとの話し合いが終わり、わたくしは通常の騎士学校の生活に戻っていきます。
騎士団の勉強も、もちろんしなくてはならないのですが、それ以前にわたくしには『オルブライト家の令嬢』としてやらねばならないことがありますから。
その最たるものが、オルブライト領にいた頃から行っていた自分の事業でしょう。
授業終わりの放課後、ラマが食材の買い出しで家を開けている一時間の間、わたくしには監視の目がありません。
それをいいことに、寮の自室に備え付けられたクローゼットから転移陣を取り出し、わたくしは寮を抜け出します。
行き先は、タセとニエが暮らしている、オルブライト家の別邸です。事前にお手紙の魔法陣を送って、そちらに向かうことは告げてあるので、着いた瞬間から、準備万端でした。
別邸の、金属製の重いドアを勢いよく開けたのはニエでした。
「リジェット様! 久しぶり! ……あ。お久しぶりです!」
ニエが敬語を使っていることにわたくしは目を丸くします。
——何が彼女にあったのだ、とニエの顔を凝視していると、その横からぴょこっと出てきたタセがその変化の訳を補足してくれます。
「リジェット様、申し訳ありませんね。今、ニエは目上の方への言葉遣いを矯正しているところなんです。やっぱりくせがついているみたいで、一度シュナイザー商会のクリストフさんの前でやらかしまして……」
そういった途端、ニエは顔を赤らめてアタフタと取り繕おうとします。
「あの時は……! クリストフさんが引っ掛けてくるから! あの人、失敗した私の方を見てめちゃくちゃ嬉しそうに目を三日月型にしてニヨニヨしてて、むっかーっときたわ!」
「あの……ニエ。言っている側から言葉遣いが戻ってきてしまっていますよ?」
その言葉にハッとしたのか、ニエは目を白黒させます。
まあ、ニエはずっとあの荒廃したマルトで、明日のご飯も保証されない状況で暮らしてきたのですから、言葉遣いの矯正に時間がかかるのも仕方がないのかもしれません。
わたくしが生暖かい微笑みを顔に浮かべると、ニエは居心地の悪そうな表情を見せます。もう少し、この空気感を味わっていても良かったのですが、時間を気にした様子のタセが口を開きます。
「そうだっ! リジェット様今日はあまりお時間もないのですよね? 早めに打ち合わせを始めないと」
「そうでした! では……中に」
そうわたくしが声を発した瞬間、後方で転移陣を使った時のような、黄色い光がシュワンと光ったような気がしました。
え……。と思いながら、後ろをバッと振り向くとそこにはなぜかむすっとした顔の先生がいます。
「先生⁉︎ ど、どうされたのですか!」
今日は特に約束したわけでもなかったはずですが、どこから駆けつけたのでしょう。あ、もしかしてまたわたくしの体のどこかに、盗聴の魔法陣を貼ったんじゃないでしょうね。
以前、剣の方に貼られていた魔法陣はあの後早急に剥がしたので、今はないはずですが……。先生のことなので、またつけたのかもしれません。
体をペタペタと触って見回しますが、それらしいものは見つかりませんでした。
見えないけれど、見守り機能は何かしらつけているのでしょう。いつそんな隙を与えたのだと、冷や汗を垂らすことしかできません。
「リジェット? 君は何かあれば僕に連絡するようにって言ったのを忘れたのかな? 君が独自で事業の打ち合わせをする時も呼べって言ったでしょ?」
「……そうでしたっけ?」
わたくしは忘れたフリをしますが、本当はちゃんと覚えていました。
最近、先生の保護者っぷりに拍車がかかっているような気がします。
今日は出資者兼事業の発案者として、今の事業の様子を確認しようと思っていましたが、仕方ありません。先生にもその様子を確認していただきましょう。
わたくしはタセとニエに事情を話し、先生を建物内に招き入れました。
*
「それで、最近のマルトの様子はいかがですか?」
わたくしは案内されたリビングルームのソファに腰掛け、二人に問いかけます。二人はキラキラした瞳で楽しそうに言葉を紡ぎます。
「それがすごいんですよ! リジェット様! マルトの土地で調べたハーブは他の土地で育てたものとは効能が違うんです」
ニエの言葉におや? と思ったわたくしはすかさず質問をします。
「効能が違う……というのは?」
「もともと癒やしの効果があるかも、ということはリジェット様から事前に聞いていましたが、マルトで育てたものはその効果が、高いということが追加の成分調査で新たに分かったのですよ」
ニエがそういった後、タセが付け加えるようにいいます。
「ただのお茶としてではなく、薬としての効能があるのですよ」
「薬……」
「ええ。それによって常備薬としてハーブティーを買う方も増えています。今、王都のシュナイザー百貨店でも大人気なんだそうですよ?」
「え……。そんなこと、知らないうちから売り出してしまいましたけど、その辺は大丈夫ですかね?」
わたくしはあくまでも普通に、ハーブティーとして使用できる植物を普通に育てて、普通に売り出したかっただけなのですけども……。何やら思っても見ない方向に話が進んでいます。
ちょっと青い顔になりながら、話を聞いていると、その様子を見たタセが追加で説明してくれました。
「その辺は心配ないですよ。もともと、あそこは瘴気に覆われる前は特等の薬草の産地として栄えていましたからね。マルト産だということで、不思議な効果がついていてもみなさん、女神のお力だ、ということで納得しているみたいです」
「それなら……。よかったのでしょうか?」
わたくしが安心していると、横から先生のツッコミが入ります。
「いや、待って。全然良くないでしょ? ……ああ、やっぱり今日、ここにきて正解だった。よからぬ方向に君の事業が動いている……」
「よからぬこと? いいことの間違いじゃないですか?」
そういうと、先生はなぜか顔を歪めてため息をつきます。どうかしたのでしょうか?
様子がおかしいので気にはなりますが、いかんせん今日は時間がありません。先生のことは放っておいて話を進めましょう。
「王都でも何種類か、見慣れぬ植物を見つけたので、そちらにサンプルをお送りしますね。騎士団の敷地内にある土地にも面白い植物が多いみたいなんですよ」
その言葉にタセはパッと明るい表情を見せます。
「新しい種類の原料があれば、新しい商品を作ることができますね。そうなってくるとお茶以外の商品も考えたいところですが……。リジェット様、何かいいアイデアはありませんか?」
「お酒につけるなんてどうでしょう? 薬草酒として販売することができれば、より医薬品として売りやすいのでは?」
そういうと、タセは少し苦い顔をしました。
「薬草酒ですか……。個人的にとても興味はあるのですが、酒類の販売は規制が厳しいんですよね……」
この世界では酒類の販売には強い規制がかかっているのですね……。そういえば酒造協会はリージェの選定をするくらい、力の強い団体なんでしたっけ……。
そんな団体と利権関係で揉めたくはありませんから、手を引いておいた方が無難でしょう。
「そうですね……。利益が大きくてもそちらに踏み込むのは危険すぎますものね。薬草酒は自家消費分だけにしておきましょう」
「あ、自家消費分は作るんだ? 僕もそれは欲しいな。出来たら売ってもらってもいい?」
「もちろん、先生には差し上げますよ。こんなに手伝ってもらっているのに、売上金の配当は必要ないとおっしゃるのですもの」
「まあ、お金はこれ以上あってもどうしようもないからね。だけど今回の酒は市場に出回らない訳だから、お金で手に入らないものじゃないか。そういうものは分けてもらえるととても嬉しいよ」
ちらりと露出した、セレブ発言は聞き流しましょう。
でもお返しはいらないといつもいう先生も手に入りにくいものだったら欲しいと思うのですね。
そういえば、わたくしの入学試験の実技で討伐したサドラフォンの魔鉱もかなり喜んでいたような気がいたしましたし……。
今後わたくしの方でも何か珍しいものが手に入ったら、ぜひ最初にお渡ししようと心に決めます。
「そうだ。作るで思い出した。前、話していた君の魔力補填の魔術具を早めに作っておかないといけないね」
「あ! そうですね」
「今週ならいつでもいいから、手紙の魔法陣で連絡をくれる?」
「かしこまりました!」
スミのことも、事業のことも、魔術具作成も……。やることが盛り沢山ですね。
*
その後も今の生産販売体制について、二人から話を聞きました。今のままでは事業の規模に対して人数が足らないということなので新しい従業員を補填することになったようです。
少しここを離れ、任せておいた間に、この事業も随分と大きくなったのですね……。
そのうち、わたくしが混ぜてもらえないくらいに、大きな組織になってしまうのではないかな……とちょっと心配になりながら、わたくしたちは今日の話し合いを終えたのです。
帰り道、わたくしはそのまま転移陣で直接寮に帰ろうとしましたが、先生に呼び止められます。
「君は全く……。突拍子もないことを考えるよね」
はあ。と大きなため息をついた先生は、これ以上ないくらいに呆れた表情を見せています。美しいお顔が台無しです。
「わたくし何かいたしましたか? 今日の話し合いは特に無理を言うこともせず、穏便に終わらせたつもりなんですが……」
「ハーブ酒の販売に向かって舵を切らなくて本当に良かった。そんなことを始めたら、酒造協会が黙っていないから。
ある意味、酒造協会は大聖堂の関係者や、王族、シュナイザー商会の連中より厄介なんだよ。彼らはその特権階級をうまく使いこなして、ハルツエクデン内で幅をきかせているからね」
「でもどちらにせよ本当に危なければ、タセが注意してくださる気もしますが……」
「わからないよ? 彼女は大人だけど、相当な挑戦者でもあるからね。まだ権力も持っていない小さな君の発言に目をつけて、一流ホテルのシェフをやめてくるような女性だよ?」
それを聞いて、それもそうだな、と考えを改めます。今思うと、タセ、すっごく勇気がありますよね……。
「そういえば君は魔法陣を生産する環境を作ったことをセラージュに怒られたみたいだけど、その後はどうしたの?」
「あ、一応生産は続けていますよ」
「続けているの?」
「はい。あのあとあそこの女性たちは先生に教えていただいた簡易文字は完全にマスターしてしまったようで、物足りなくなった、との連絡があったのですよ。ですからわたくしの方で、字を学ぶことができる書籍や、さらに古語や初級魔術に関する本を手配しました」
何食わぬ顔でいい放つと、先生は唖然とした顔をしています。何も報告していなかったので、驚いているようですね……。すみません。
「以前のマルトは識字率も低く、書類仕事をできる方が村長のキンと、キンのもとで育った、ニエしかいない状態だったですが、最近では簡単な魔法陣を描き、売り上げを書類にまとめることができる方も多くなってきたそうなのですよ! 向上心があるって素晴らしいことですよね!」
「待って。いくらなんでも早すぎじゃない?」
「余裕があるってことは素晴らしいことですよね〜。今までのマルトの状況じゃ、そんな所までやらなかったと思います。食べるものに困らず、生活が楽になって初めて、マルトの人々は学ぶ、ということができるようになったのです。ただそれは、マルトのみなさんの努力があってのこと。わたくしはきっかけを作ったにすぎませんね」
「君はいずれあの土地を兵器の生産箇所にするつもりかい?」
「兵器?」
わたくしは首を傾げます。
「この国の武力は、騎士の元々の力より、魔法陣による術式によって賄われている。魔法陣を村単位で生産できるということは異常なんだよ。ハーブティーも……。薬効のことを考えると、戦時中は薬として使われることもあるだろう。君はマルトという土地に武器庫をそのまま持っていることになる」
「……そうですね」
一瞬、これから起こりうる争いのことを考えて眉を顰めてしまいます。
しかし、それをあえて推し進めたのはわたくしの意思があってのことです。
騎士学校に所属し初めて、オルブライト領は今まで以上に武力を持たねばならないということを改めて考えさせられたのです。
このまま、わたくしがただのオルブライト出身の令嬢であろうとすると、王族のいいように物事を進められてしまう、ということが目に見えています。
その状況をひっくり返すには、わたくし自身が大きな力を持つことも必要なのです。
自らが指揮権を持つ施設があるということが、わたくしの選択肢を広げる鍵となります。
選ばれる立場から選ぶ立場になることが許されるのです。
「わたくしがやっていることはきっと、御令嬢の事業にしては、いささか大きすぎることなのかもしれませんが……。それでも、これからもできる限りのことをするつもりです。それを先生は止めたいのですか?」
今までのわたくしの暴走を援助してきたのは先生です。暴走するわたくしを見るのが楽しい、と当初は言っていたのに、最近の先生はそれを止めようとしてくるのです。そのことは決して不快ではないのですが、理由がよくわからないのですよね……。
「心配なんだよ。君はいい面でも、悪い面でも力技を使いすぎる。引く、ということを覚えずに、突き進みすぎな気がするんだよね。……君はいかんせん子供すぎる」
痛いところを突かれましたね……。反論の言葉が喉につかえます。先生は言葉を続けました。
「スミにあったときに気が付いたんだ。彼女は若いけど、とても思慮深い性格だ。あの深みは十何年生きているだけでは身につかないものだろう。きっと彼女はスミとして生きる前の自分の記憶を受け継いでいるんだ。
それに比べて、リジェットはその気配がない。前の君は老衰するまで生き延びたのだろう? それにしては今の君の発言は全体的に幼すぎる」
その言葉に、わたくしは苦い顔をして、不器用に笑うことしかできませんでした。
今のわたくしは前の自分を切り捨てることで、自分というものを確立しようと思っていた部分が少なからずありました。
しかし、今後様々な強者たちの渦巻く王都で、文字通り生き残っていくためには今のわたくしでは足りないものがあるのでしょう。
今のわたくしはいろんなことに反発ばかりして、流されるということを極度に恐れています。
そればかりしていたら、いつか綻びが生まれ、自分の首を絞めることになるということもわかってはいるのですが。
「わたくしは……。前のわたくしとは別の人間ですわ」
わたくしは自分の口から、こぼれ落ちるように情けない言葉が出たことに驚きます。こういうことを言っているから、幼いと言われてしまう、そんなことはわかっているのです。
「スミも言っていたけれど、ある程度記憶を引き継ぐことは可能なのだろう? 人格自体をそのままこちらに移築させることもできるはずなのにそれをしないなんて……。……君は自分の粛の要素で、前世の記憶を封じ込めたのではないのかな?」
「記憶を封じ込める……」
わたくしにとって忍の記憶は一冊の本のような存在です。
開くことはできても干渉をしてくることはない。その在り方が便利で、気に入っていたつもりでしたが、それでは駄目なのでしょうか。
「君はずっと、強くなりたい。もっと戦えるようになりたいと言っているけれど、それを一番手っ取り早く叶えるには以前の自分の記憶を受け入れることが得策なんじゃない?」
「でも……。忍は本当に……。意気地なしで、わたくし忍みたいになりたくないと思って、自分から行動したり、努力したりしていたのに……」
「君の妙に行動的なところの原動力はそこからか……」
先生は浅くため息をつきます。
「リジェット。君は行動的で、それによって多くの功績を自領にももたらしている。それに関しては優れていると思うよ。だけどね。どうしても一点、僕的に許容できない点があるんだ」
「何ですか?」
「君は自分の命を蔑ろにするだろう」
その言葉に何も言い返せず、わたくしは黙り込みます。
わたくしの前歴者の忍は確かに長生きしました。だけどもその人生は、後悔ばかりで思い出したくもないものです。
長生きをするくらいだったら、後悔しない選択肢を選んだ上で、死んでしまった方がマシだ、そんな思いがわたくしの心の中にいつも存在していたことを先生は見透かしているようでした。
「無鉄砲で……。それで僕はいつも冷や冷やする。今度こそ、君が死んでしまうんじゃないかって悪夢を見ることがあるよ」
「わたくしは……。そんな簡単には死にませんよ?」
不器用な微笑みを顔に浮かべながら、震える声で先生の顔を覗き込むと、先生は静かに首を横に振りました。
「このままだと君は死ぬよ。確実に。君には僕と違って女神の契約があるわけじゃないんだから」
「確かにそうですけども……。そんな言い切らなくていいじゃないですか」
目を伏せて拗ねたように言ったわたくしの表情を見て、先生は少しだけ、強ばった表情を緩めました。
「僕はこの世界に来てから十年ちょっとしか経っていないからあと九十年近く人気が残っているんだ。この一年、君に出会ったことで、僕の人生はやっと退屈じゃなくなったんだ。できるだけ、長いこと生きていてよ。僕をもっと楽しませたっていいだろう?」
先生は一言も寂しいなんて言っていないのに、一人にしないでくれ、と言っているように聞こえました。
「ごめんなさい……。心配かけちゃいましたね」
先生の言葉はわたくしのことをこの世界から失われないように、杭を打ち付けてくれたような気がしました。
レナートが私兵を持っていることに引いていたリジェットですが、あなたも武器庫を持ってますから、の回でした。そして先生はリジェットのことを心配し始めました。
次は 魔力補填の魔術具を作ります です。




