間話 愛せない女 後編
この世界での私の記憶は、屈強な騎士に囲まれた場面からはじまる。
それ以前の記憶はショックで忘れてしまったらしい。人づてに北西のシハンクージャ国境沿いの領地から連れてこられた、と聞いたがそれが本当なのかも定かではない。
多分、その時の私は散歩でもしていたのだと思う。一人で歩いていたところを、突然、鎧に身を纏った男たちに取り囲まれた私は、布製の袋に詰め込まれる様にして、どこかへと連れ去られてしまったのだ。
あれは王城の騎士だったのかもしれない。それか、賞金目的の人攫いかもしれないけれど。
その頃はよく、王城の人間が、白纏の子は有用な資源として集めていた。
呪いという攻撃方法を国同士の戦いの場で、攻撃手段を常用していた王は、自身の身にも呪い返しを受けていた。それを取り除くための特効薬として、王は国中の白纏の子を城に集めるように命じたそうだ。
私も多くの白纏の子と同じように、城に集められ、知能検査の様なものを受けてから、大聖堂に配属を受けた。
存在自体が今後の国の行く末を左右する、重要な手段である色盗みは、特殊な場合を除いて、大聖堂で養育されるのが常であった。
この国の決まりごとらしい。
『決まりごと』を守るために人を連れ攫わないでほしいけれど、それは仕方ないことなのかもしれない。弱者はいつだって、強者に歯向かうことはできない。
孤児として、養育されているうちは番号で管理されていたが、成長すると名を持つことを許された。
ただ、この世界では二文字以上の名を持つものは貴族だけ、という暗黙のルールがあるらしい。
一応、色盗みの女として貴族位は持っているものの、それをひけらかすような真似はしたくない。
私は考えた末、前歴の自分の名『すみれ』を短くして『スミ』と名乗ることにした。
大聖堂での暮らしは思ったよりもずいぶん穏やかだった。
聖職者の見習いとして儀式やその準備に励めば、衣食住は保証されているし、時間が空けば大聖堂の裏手にある、森に出ることだって許された。
そこで見る自然は圧巻だった。青々と茂る木々、季節によって表情を豊かに変えていく、動植物たち。
まだ失われていない、自然のあるべき姿。前歴の『すみれ』が見たかった世界がそこには広がっていた。
外に出て、もっと、もっとたくさんの色をみたい。前歴の私が喉から手が出るほど見たいと思っていた色が、そこらじゅうに散らばっている。そのことに私は目を輝かせた。
「あなたは本当に色が好きなのね」
じいっと色を眺めては恍惚とする私に、いつも優しく声をかけてくれたのはグランドマザーだった。
「はい! とっても。私、たくさんの宝石を作りたいです」
そう告げると、グランドマザーはいつも優しい微笑みをくれた。
「ここにくる子供たちは理不尽に、自分の意思とは関係なく、ここに連れて来られて、悲観して暮らしている子供が多いけれど、あなたはいつも楽しそうね。どこにいても自分の楽しみを見つけられるってことはすごいことなのよ」
「私は……。ただ色が好きで、楽しくて、眺めているだけで……」
照れ臭くなりながら伝えると、グランドマザー驚いた顔をした。
「では。そんなあなたがこの力を楽しんで使ってくれるように願って。初石を取りましょう」
グランドマザーは私の手を握った。ぽわりと温かい感覚がしたと思ったら、私の手には色盗みとしての最初の石——初石が乗っていた。
私の瞳の紫色と白がマーブル模様に交わった不思議な色合い。なんて綺麗なんだろうと私はしばらく呆然としていた。
その瞬間、石を取ったことで私は色盗みの力を得たのだ。
「きっと、あなたは素敵な色盗みの女になれると思うわ」
そう笑ったグランドマザーは慈しみの溢れた柔らかな表情をしていた。
……今の彼女とは全く違う笑顔で。
*
私が色盗みの能力を得た頃から、国を取り巻く状況は少しずつ悪化していった。
私が十五歳になり、この国で成人と定められる年齢になったころ、表向きにはラザンタルクとの戦いは終わり、平和が戻ったとされていたが、敗戦処理がうまく立ちいかず、王はまた、呪いを手段として使うようになっていた。
同じ白纏の子——色盗みの女として、大聖堂に保護されていた仲間たちが、一人、また一人と城に送り出されていく。
小さな少女だった私にとって(たとえ過去の記憶が存在していても)周りの人間が勝手に自分の人生を決めていく様を見ているのはとても恐ろしいことだった。
今回も私は誰かの手によって人生をたたれてしまうのかと嘆いたのだ。
前歴の私……。すみれの最後は、他殺だった。一人暮らしの家に乗り込んできた黒ずくめの人間に、いきなり刺されてしまったのだ。
死んだ後、白い空間で女神に会った時、金銭目当ての強盗殺人であったことを女神から伺った。
いつも画材を買うために、カツカツになりながら生活していたから、お金なんてちっとも持っていないのに。
理不尽さに、私は血が沸騰しそうな思いだった。
血を流しながら蹲っている間も、私は悔しさでいっぱいだった。そんな私は誰かに命を奪われてしまうということの辛さを私は誰よりも理解している。
*
今回の生では誰かに殺されたくなどない。
死ぬなら自分で死のう。
私は本気でそう思っていた。
そんな私にとって、色盗みによって寿命が縮む、と言う仕組みは素晴らしく合理的に思えた。
だって、誰に命を奪われることもなく、少しずつ、自分自身で命を縮めていくことができるのだから。
他の色盗みは色を盗むことで、寿命が縮むことを恐れて、色を盗む行為自体を忌み嫌っていたが、私にとってはなによりも楽しい娯楽だった。
色盗みの能力を得た私は、大聖堂で任された自分の担当の仕事が終わると、すぐに外へ出ていき、色を盗んでは宝石にしていく。
みんなは私が寿命を消費している様を見て、顔を顰めていたが、私はそんなことちっとも気になんてしていなかった。
大聖堂で育てられた色盗みは、見習いとしての修行期間が終わると、通り名も与えられる。とは言っても、ほとんどの色盗みは修行期間が終わる前に、消費されてしまうので、通り名を与えられるまで大聖堂にいない。
私が残ることができたのは、その異様な色への執着心故だった。あまりにも大量の石を作るので、王城に連れて行っても、王の呪いを取り除くための余白があまりにも少なすぎると判断されたのかもしれない。
自分の寿命が縮むのも厭わずに、ただただ楽しげに宝石を仕立てる女。
髪の色はどんどんと濁り、娼婦のように醜くなっても、色盗みをやめない女。
そんな私には『色狂い』という通り名が与えられた。
表面上は穏やかで、けれども自分の命の保証はないという不安定な生活の中で私はできるだけ、楽しく生きていたつもりだ。そのせいで、大分目立っていたような気がするけれど。
そんな私に『外回り』の仕事が回ってきたのは本当に幸運なことだった。
外回りの仕事は大聖堂所属の色盗みの中でも、一、二人しか任されない、貴重な職務だ。
主な仕事内容としては、大聖堂運営に必要な資金の獲得のための、貴族向けの宝石の製作、及び販売を任される。
今まで私が作ってきた宝石の色の多彩さが評価されての抜擢で、私は十数年ぶりに大聖堂から出ることができたのだ。
旅をしながら、宝石を作るのは終焉に終焉に向かう儀式だ。
色に触れるたび、自分の命が減っていくのを感じる旅。普通の人間はそれを恐れるのだろう。でも私にとっては喜びだ。まるであつらえられたような旅。自分で自分の人生を終わらせたいという願望と、色を心ゆくまで見て回りたいという欲求が合致した、奇跡みたいな体験だった。
一人で景色を見ていた時ももちろん楽しかった。けれどもマハと出会って、彼を大切に思うようになってから、景色は一段と彩度を上げた。
大事な人と見る、美しい景色はもっと色鮮やかに映る。
その素晴らしさを私は知ってしまったのだ。
*
体調が回復したのかやっと目が開いて、動けるようになった私は当たりを見渡す。随分と長い時間、気を失っていたみたい。もう窓の外の景色は夜の闇に包まれていた。黒と紫が混ざったなんとも言えぬ、絶妙な色。星がオーナメントのように瞬く景色はいつまでも見ていたい美しさがある。
私は自分の宿のベッドに寝ていたようだ。ベッドの横にはマハが眠っていた。真っ直ぐなマハの髪を指で梳く。
マハを見つけたのもこんな色の空が広がっていた。色盗みの旅の途中、都市から遠く離れた、田舎にありがちな閉鎖的な村にマハはいた。
突出した魔力の持ち主や、白纏を忌み嫌う風習があるその村で、黒髪、しかも呪い子であるマハは、村中の人間に恐れられていた。
塔の中に幽閉されていたマハを見つけた私は、その状況を見逃すことができず、貴族の権限を使ってマハを連れ出してしまった。後にも先にも、貴族の権限を使ったのはあの時だけだ。
無垢な瞳で私を見つめるマハは、びっくりするほど綺麗だったのを強烈に覚えている。鋭い目に、艶やかな黒い髪。幼い風貌に似合わぬ、哀愁。
その全てが、ピタリとハマったように綺麗で、私が色以外に目を引かれるなんて……と自分でもびっくりした。
こんな美しい人が、こんな狭くて小さい塔の中で一生を終えるなんて、もったいない。
この人は外に出て、もっと大事に扱われるべきだ。そんな思いに駆られた私は、自分のエゴのままにマハを外に連れ出したけれど、これが本当に正解だったのか、今でもわからない。
マハは私のことを盲目的に慕ってくれているけれど、その思いは私が植え付けたものなのではないだろうか。小鳥が初めて見たものを親だと思うような、そんな勘違い。
——そうだとしたら、マハが不憫だ。
だけど、人間というものは愚かな生き物で、一緒にいる日々が長くなると、人間にも愛着を感じるようになってしまう。
こんなことはもう、絶対にしないと決めていたのに、私はまた同じことを繰り返してしまった。
——リジェット様の初石をとってしまったこと。
それは私にとっても誤算だった。
もう私は長くない、それを悟って受け入れていた私にとっての誤算。
マハは私に寿命を取れと言った。
石を奪って俺と一緒に生きる時間を少しでも長く設けてくれと。
その提案を聞いた時、最初は心が揺れた。リジェットさんの石を取り入れれば、もっと長く生きられる。もう少し長く、マハと生きることができる。
それは甘美な誘惑だ。心を預けた人間との月日は、暖かくって居心地がいい。
人を愛せなかった頃の私には考えられなかった、優しい日々をマハは私に与え続けてくれた。
けれども私は石を奪わなかった。正確にはできなかったのだ。
人の寿命を誰かが奪う。それは私が一番嫌悪していたことだった。一瞬でも心が揺れたことが許せない気持ちになる。
けれども、その気持ちの揺れによって、私は気がつかぬようにと自分の中に中に、隠そうとしていた愛情の存在に気がつくことになる。
私にも、誰かが不幸になってでも、誰かと一緒にいたいという欲望があったのだ。
色への執着よりも、マハの幸せを心から祈っている。
これを愛と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。
*
残された時間は少ない。ショックを受けて倒れてしまうような死にかけの人間に何ができるだろう。できることなんてきっと数少ない。
それでも、私はマハのために、できることをしようと思う。
もう、誰にも私のことを愛せない女とは呼ばせない。
私は愛するものの未来のために最後までカードを切る。
スミは結構自分勝手ですよ、ということを書きたかったのです。こうして書いてみると、スミって結構やばい性癖なのでは……。というか、私の書く人間、やばい性癖がない人間がいないのでは……?
このお話は難産でした……。後で書き直すかも……。
次はリジェット視点に戻ります。




